うぐいす塚伝
菜美史郎
第1話 プロローグ
みささぎは うぐいすの みささぎ
かしはぎの みささぎ あめのみささぎ
(枕草子)
西畑修は縁あって関東で身を立てたが、機会に恵まれるとふるさとに帰り、若草山にのぼるのを楽しみにした。
四十歳を過ぎてからはきわだって足の衰えを感じるようになった。だが、山に登るのをあきらめない。
うらうらとした四月の陽射しが山全体を照らす日など、子どものころ両親とともに登ったことを思い出しては胸が熱くなった。
さくら色に染まる大和盆地を、もうすぐ観られると思うと、うきうきした気分になり、早足になった。
だしぬけに、背後で、ふう、ふうっ、聞きなれない音がした。
驚いた修が振りかえると、一頭の大きな鹿があとをつけてくるのが見えた。
立派な角がないから、どうやら雌らしい。
(危険はないだろうが……)
修は歩くのをやめ、じっとたたずんだままでいた。
雌鹿は長い首を折り曲げ、芽吹いたばかりの草の芽をむしゃむしゃ食べ始めた。
少し遅れて、軽快な足取りで小鹿がやってきた。こうべを振り振り、ゆっくり雌鹿にあゆみ寄ると、小首を持ち上げ、雌鹿の腹を、鼻先で突きだした。
修はしばらくその様子を観ていたが、生あくびをひとつしてから、
「さて、もうそろそろ、かな?」
そうつぶやき、視線をはるか西方に向けた。
高いビル群で遠くが見られない。
「ああ、まだ、だめか」
(生駒や信貴の山々を早くみたいもんだ)
修はため息をついた。
急なめまいが修をおそった。
立っているのが困難に感じられる。
そろっとしゃがみこんだが、症状が収まらず、目を閉じてもぐるぐるまわる感じが残る。
(このところ春先はいつもこう、ふるさとにいる時分はこんなじゃなかった。とても若かったし、大人になり、箱根の山を越えたら、このありさま。天下の剣か……、すっかり身体が変わってしまった)
ふいに麓から吹きあがってきた修の頭髪を乱した。
ひんやりしているが、ここち良い。
(あれっ、風が匂うんだ)
風に何かの香りがまざっているようだ。
妙にむなさわぎを覚えた修は、あたりを見まわした。
こんもりした小山の中空に、ほそ長いうす絹のようなものが、ふわふわ、たなびいているのが見えた。
うぐいす塚伝 菜美史郎 @kmxyzco
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