血華煉󠄁獄

平沢ヌル@低速中

第1話

「『僕』はいたんです、そこに。目の前には『彼』がいました。僕は追い詰めていた、『姉』を殺した連続殺人犯を」

 彼、坂井アキラはそう話した。

「…………」

 私は眉根を寄せて、そう話す彼の様子を観察し、メモを取る。


 坂井アキラは窃盗と傷害の常習犯で、これまで何度も警察の厄介になっていたはずだ。だが、彼が今、こうして医療少年院に収監されているのは理由があった。警察の取り調べ中に何度も失神し、精神鑑定の結果、重度の記憶障害が認められたためだ。

 そうして、矯正医官である私との面談に臨むことになったのだ。と言っても、前の医官が辞めたばかり、矯正医官としては新米の私であって、教科書的な医学、精神医学と児童心理学を付け焼き刃で身につけている以外はどうにも心許ない私が、彼のような困難なケースに当たることが相応しいとは思えないのだが。しかし矯正医官は半ば恒久的に人手不足で、他の担当者もおらず、私が当たるより他はなかったのだ。


「その場のことについて、詳しく話してください」

 私は彼に問いかけ、彼は続けるのだった。

「曼珠沙華の咲く河原でした。曼珠沙華は本当に紅くて……どこもかしこも紅かった。彼はそこに膝を下ろして、ただ佇んでいた。足元には、『姉』と、それからもう一人」

 それから彼は、奇妙な声を上げる。

「あああああ」

「……落ち着いて。少しずつでいいんです、少しずつ」

 私は迷いながら口にする。職務の性質を考えたら、『話さなくていい』は違うだろうし、『無理しなくていい』と言えるのかどうかも分からない。人間を檻の中に捕らえて移動にも交流にも制限を加えるのは明らかに無理がある。とはいえ、その経歴が与える印象とは異なり、坂井アキラは礼儀正しく大人しく、協力的ですらある。十七歳という年齢にしては大人びている印象で、知能も低くはないようだった。


 それから、彼が語ったことだ。


 ――彼と対峙した僕は聞きました、なぜこんなことをやったのかと。

 彼は答えた、お前が一番よく分かっているだろうと。

 僕は憤った。彼のしたことは到底、許されることではないと。

 すると、彼は笑うんです。

『よく思い出してみろ。俺じゃない』

 と、そう。

 それから彼は、自分の喉元に手を伸ばした。そこには光る……ものが……。――


 坂井アキラは、それ以上続けられなかった。

 目の玉が飛び出るほどに見開き、荒い息を吐いている。その呼吸音は次第に高くなって、ヒイヒイという悲鳴に聞こえる音すら混じってきていた。

「今日は、ここまでにしましょう。少し休んでください、2時間後にまた診察します。大丈夫であれば自室に戻っていただきます。問診の続きはまた明日」

 坂井アキラに私はそう言い、それから合図する。

「お願いします」

 係官が私の指示通り彼を別室に連れて行くのを私はぼんやりと眺めて、そして首を傾げていた。

 なぜって、坂井アキラの語る内容は、彼の経歴とは明らかに違っていたからだ。


 坂井アキラに姉はいないし、連続殺人犯に殺されたこともない。

 坂井アキラが逮捕された場所も、曼珠沙華の咲く河原ではない。

 坂井アキラは、雑居ビルの立ち並ぶ一角で、不良集団の一斉検挙に混じって警察との大立ち回りを繰り広げた結果収監された。コンクリートブロックで坂井に殴りかかられた警官が負傷しており、有罪は明らかだった。だが取り調べでは、なぜ逮捕されたのか、そこが警察署であることすら、坂井は分かっていなかった。

 だから、坂井アキラの語った内容は、現実に起きたことの因果関係からは全く説明がつかないのだ。

 言えることがあるとすれば、一つだけ。

 坂井アキラは十年前に、ある事件に巻き込まれていたのだ。

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