勇者との思い出 1

 ミッドチルダ王国、王都の裏路地での出会いが全ての始まりだった。

 あの日、私は勇者召喚の儀式の気配を感じ取り、王都の近くまで来ていた。


 青空を漂っていた雲が光の柱によって貫かれる光景は今でも記憶に留まっている。王都より離れた丘からでも見える光の柱の大きさが召喚儀式の規模を物語っていた。


 召喚人数が多いのか、それとも強大な力を持つ者の召喚に手間取っているのか。

 確実に言えることはこの時点で彼との出会いは予見していなかった。


 久々に訪れた王都の賑わい方は尋常ではなった。これまでの召喚時とは明らかに活気が違う。


 なんと言っても六十年ぶりの勇者召喚だ。

 王都の街並みも勇者召喚の儀式も変わってしまった。

 昔はもっと高尚な儀式だったのに、今ではお祭り感覚ではしゃいでいるとは時の流れとは恐ろしい。


 お祭りを楽しむ気にもなれず、壁際にリュックを置き、背を預ける。

 膝を抱え、ただ時間が経つのを待った。


 王都といっても裏路地に一本入れば闇が見えてくる。私の他にも物乞いたちが地面に腰掛けていた。

 そのうちの一人が私を脅してきたのを覚えている。もちろん揉め事を起こすつもりはない。それにナイフを突きつけられてはか弱い私にできることはなく、懐から取り出した銅貨を指先で弾いた。


 銅貨一枚では物足りなかったのだろう。「体を売ってこい」などと下品極まりない笑みを浮かべる浮浪者をどうしようか考えていた時だ。


 騎士のなりをした男が浮浪者を追い払い、私と目を合わせることもなく、しっしっと手を払うジェスチャーをしながら闇の中へと進んで行った。

 彼の後ろには布袋を被せた何かを抱えている二人の騎士が付き従っていた。


 警備兵ですらこんな路地裏には滅多に来ない。

 それなのに騎士様が通るとなれば、その理由は一つだ。

 

 ドサッと豪快に布袋が地面に捨てられ、中からは小さなうめき声が聞こえた。


 モゾモゾと動く布袋から這い出てきたのは焦りと怒りの滲んだ面持ちの好青年だった。日の光を浴びれば輝くであろう金髪、中世的な貴公子面、そして見る者を圧倒する眼力を持っていた。


 騎士に喧嘩を売る威勢だけは勇ましい。物凄い剣幕で早口にまくし立てているが、私には怯えている子犬にしか見えなかった。


『早く、元の世界に! ヴェルダナ帝国に帰せ!』


 彼は最初から最後まで母国への帰還を願い、諦めなかった。

 その理由を私は知らない。


 話を聞く限り、彼は今回召喚された二人の勇者の片割れで、勇者じゃない方と判断されたことで王宮から追放されたらしい。

 そのことに納得がいかないのか、憤慨していた。


 彼の言い分は分かる。何も知らずに異世界に連れ来られ、二度と戻ることができないと言われれば誰だって取り乱すだろう。

 そうは言っても少し異常なくらいだったが。


 自称皇族の彼はミッドチルダ王との謁見を希望したが、騎士たち三人が取り囲み、暴力の限りを尽くす。彼は体を丸めながら頭を守ることしかできていなかった。

 抵抗しないのではなく、できなかったのだ。彼は異世界人が召喚時に授けられるはずのギフトを持っていなかった。


 しかし、どれだけ痛めつけられても目が死んでいないのは好印象だった。


 遂に腰の剣を抜いた騎士たちがジリジリにじり寄る。

 唇を切ったのか、地面を血で汚す彼はゆらりと立ち上がった。


『力が欲しいか?』


 闇に紛れるように膝を抱えたまま、顔を上げた姿勢で問いかける。

 ここで騎士ごときに殺されるならそこまでの男だったということだ。私の探し求めている者ではない。


 そう見切りをつけた時だ。


『よこせ。こいつらを、俺をゴミ呼ばわりする不届き者を蹂躙する力をよこせ』


『その願いを叶えましょう。その代わりに私の願いを一つ叶えてもらう。これは契約よ』


 小声でもはっきりと聞こえる声で話す私たちに怒りを露わにした騎士が切り掛かる。か弱い私の肉を断つなど、容易いことだろう。


『いいだろう。契約成立だ』


 あの時、彼は笑っていた。


 彼に能力が発現し、騎士たちが鮮血を撒き散らしながら絶命していく様子を薄目を開けてじっと見つめる。

 彼はその力の使い方を瞬時に理解して適応したのだ。


 彼はどこまでも深い蒼い瞳を見開き、自分がしたことを確認するように何度も瞬きしていた。


 全てを見届けてから立ち上がり、血溜まりの上をぴちゃぴちゃと音を立てながら歩み寄る。

 彼は怯えるでもなく、私の目を見つめて何かを確信したように笑った。


 『ようこそ、ミッドチルダ王国へ。これであなたは私だけの勇者になった。さぁ、旅を始めましょうか』


 彼は差し伸べた私の手を払いのけたくせに、ごちゃごちゃ文句を言いながらも着いてきた。


『お前は何者だ。さっきの力はなんだ。この世界はなんだ。本当に帰る手段はないのか?』


 初対面で質問攻めにされたことに嫌気がさしたのを覚えている。


 自分本意な男は嫌いだけど、「俺は被害者だ。知る権利がある」と言われれば、その通りだとも思ってしまった。


 何度も早歩きして私を追い越し、通せんぼする彼を宥めながら歩き続けた。

 彼が殺したのは王国騎士団の団長だ。一瞬にしてお尋ね者になってしまったのに、ノロノロと町中を歩くなんて私にはできなかった。


 人混みに紛れ、安くもなく高級でもない宿屋で一泊することにした私は一部屋だけ借りた。

 あの時は「お前みたいな小汚い見知らぬ女と一緒の部屋で寝られるか!」なんて言われたものだわ。

 

 部屋に入ってからも彼は元の世界に帰りたいと喚いていた。

 私がこれまでに出会った勇者たちは自分の運命を受け入れ、早く異世界に慣れる努力をしていた。帰りたいと泣き言を言っていたのは少数だ。


 聞くと、今回もミッドチルダ国王は二人の勇者に魔王討伐を依頼した。魔王を倒せば何でも願いを叶えてやると言ったらしい。

 それこそ、国王の座さえも褒賞に出すと。大事な一人娘すらも差し出すと。


 彼は私に何度も「本当に戻る手段はないのか?」と聞いてきた。その質問には頷くしかない。前例がないのだから。

 この世界に召喚された人間は勇者としてこの世界で死んでいくとされている。例外はない。


 少しばかり冷静になった彼は泣き言ではなく、次の一手を打つために考えを巡らせ始めた。

 私が彼に与えられる選択肢は二つ。

 一つは魔王を倒す。一つは死ぬまでダラダラ生きる。

 そうは言っても彼は騎士団長殺しの犯人だから、人里では暮らせないのだけれど。


 彼は顎に手を当ててじっと考える素振りを見せていた。

 黙っていれば良い男だ。黙っていればね。口を開けば、人をお前呼ばわりする無礼者に他ならない。


 何百年も生きている私だが、魔王を倒すことで何が起こるのか知らない。魔王はずっとこの国に存在しているのだ。

 だから、「魔王を倒せば元の世界に戻れるか?」と聞かれても答えられなかった。


 諦めの悪い男は好きだ。その後の彼のセリフに心が震えた。


『前例がないなら作るまでだ』


 あの時の瞳の奥で燃える決意は今でも鮮明に覚えている。

 あれは覚悟を決めた男の目だった。


 互いに深くは踏み込まない、上辺だけの関係。

 彼からは私を利用してやるという気概が伝わってくるし、同じ気持ちが彼にも伝わっていると確信していた。


『あなたと呼ばれるのは不愉快だ。俺はラギ・ヴェルダナ。ヴェルダナ帝国の第三皇子だ。お前も名乗れ』


『ミカトリーチェ』


『ミカトリーチェ? それが名前か? 長いからミカと呼ばせてもらうぞ』


 私にとってラギが何人目の勇者なのか覚えていない。しかし、一つだけ確実に言えることがあった。


『私の名を貶したのはあなたが初めてよ』


『ありがとう。それは光栄だ。母国に帰ったら自慢することにしよう』


 あともう一つ。

 ここまで自信家で傲慢な男と出会ったのも初めてだった


『で、一つしかないベッドは俺が使っていいんだろうな』


『はぁ? 女に譲るのが当然でしょう。私の金よ。追い出されたくなければ床で寝なさい』


 ラギは眠るまでねちっこく文句を言っていたが、気づくと寝息を立てていた。

 こんなにも美人が隣にいるのに暢気な奴だと思った。


 翌朝には思い出したように「お前の願いはなんだ?」と聞いてきたから、私は即答した。


『私を殺して欲しいの』


 ラギは興味なさげに「ふぅん」と呟き、朝食を食べ始めた。

 私もその反応を不愉快に感じなかったから、テーブルを挟んで食事を進めた。


 今思うと、あの時点で居心地の良さを感じ始めていたのかもしれない。


 ラギには元の世界への帰還に執着する理由があったはずだ。何かやり残したことや、思い残したことがあるはずだ。

 今はそれがなんだったのか知りたいと思う。

 だけど、当時の私は彼に一切の興味がなかった。ただの道具としか見ていなかった。

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