NTRスレイヤー・ライジング

Chapter:1 着任

 執務机の後ろに飾ってある家族写真は、不自然に特定人物だけ切り取られている。


 切り取られた箇所には、おそらく不倫して現在服役中の元奥さんが写っていたのだろうと推測されるが、家族写真そのものを撮り直せば良いのになどと思いつつ、私は目の前にいる毛根が絶滅しかかっている課長へと視線を戻した。


「困るよ~。マッコール君さ。もう何回目?」

「三回目ですかね……」

「なに、サバ読んでるの。六回目だよ、六回目。まったく……」


 課長の執務机の前に座らされて、被疑者を射殺したことでお説教をされる。隣で相棒のリーダスが笑いを堪えて肩を震わせた。


「人事考課表、嘘ばっかじゃないの。どこが『冷静沈着』なのよ。警察人事部から詐欺に遭った気分だよ」


 バインダーのページをパラパラとめくって、ブツブツと文句を言ってた課長は最後にバタンと音を立ててバインダーを閉じた。


「課長、マッコール捜査官、浮気・不倫ネトリの犯人以外には冷静沈着だし、そこまで嘘じゃないですよ。それに犯人を捕まえるの捜査は優秀ですし!」


「ちなみに、先週から捜査官。この前、昇進試験受かった」


 なんとか褒めてくれようとしている相棒の苦労を台無しにするように、私はすかさずリーダスに耳打ちで訂正する。ついでに、ピースサインもつけた。


「うわっ! これだから試験得意なヤツ、マジムカつく!」


 リーダスはガタッと椅子を動かすと、私の方を向いて子供みたいな悪態をつく。


「君たちの出世バトルはどうでもいいんだよ。それよりもマッコール君、君ねぇ。今の局長は浮気・不倫ネトリの取締りに関して、タカ派だからいいけどね。お偉いさんってのは、いつまでもいないんだから、渡り鳥なんだから、ホント頼みますよ」


 私は課長の小言に、姿勢を正して神妙に頷いたあと反省した顔をする。お説教もそろそろ終わりにしてもらいたかったからだ。


「それにデイジーなんて可愛い名前なんだから、もう少しお淑やかに……」

「課長、それはアウトっすね。完全にアウトっす」


 リーダスがツッコみ、私も腕を組んで大きく頷く。


「えー。セクハラ判定、厳しくない? 浮気・不倫ネトリの人権は軽視するのに」


 課長が反論を言い終わるのを待たずに、リーダスと二人で課長室の扉を開けて退出する。


「ちょっとー。始末書、早く出しなさいよー!」


 その最後の言葉に、ひょこっと私は顔だけ課長室に戻す。


「もう課長に送ってまーす」

「そうなの? じゃあ、いいけど。……ったく、ああ言えばこう言うんだから」


 背中にブツブツ言っている課長の声が聞こえてきたが、それ以上の返答はしなかった。



◇◇◇



 不義密通取締局B-NTRへ異動になり、引っ越しをして数ヶ月。近所に遅い時間までやっている良い雰囲気のバーを見つけた。昼間はカフェをやっていて美味しいコーヒーも飲める。それに、ちょっとした軽食も美味しかった。


 仕事終わり家に帰る前に、この店で一杯お酒かコーヒーを飲む。前世の時は公安警察という仕事柄、行動パターンを把握されないように生活習慣のルーチンは作らないようにしていたが、今はそれほど神経質になる必要もない。


 店の扉を開けると、カランと鳴る。お客さんはテーブル席に一組だけだ。カウンターには店のマスターが立っていた。


 マスターは雇われ店長らしい。それにマスターと言っても、歳は私とさほど変わらなく見える。三十路前だろう。イケメンというほどではないが、端正な顔立ちで物腰も柔らかなので、意外にモテるのではないか、と私は勝手に踏んでいる。


「いらっしゃい、マッコールさん。今日はいつもより早いね。いや遅いのかな」


 腕時計に目をやる。午後二時半を過ぎたところだった。確かに日勤終わりにしては早いし、夜勤明けにしては遅い中途半端な時間だ。夜勤終わり直前に、情報屋からのタレコミで現場に行って、課長の小言を聞いてたら、すっかり遅くなってしまった。


「お昼の営業って、三時まででしたっけ? もしや、ラストオーダー終わってます?」

「ドリンクなら、いいですよ。あ、でも今の時間帯、カフェメニューだけど、大丈夫?」


 まだお酒の気分ではないので、私は頷いてカウンターの端っこの席に座る。


「今日、バリスタさん休みだから、僕のコーヒーだよ。レアだね」


 専門家が淹れたコーヒーじゃないのに、正規の値段を取るのかと茶々をいれようかと思ったが、意外にも大変良い匂いがしてきたので、私は黙って出来上がるを待つ。


 しばらくすると、コーヒーカップを差し出された。出されたコーヒーを一口飲む。いつものバリスタさんから私の好みを聞いていたのだろうか。酸味が少なく、苦みがそれなりにある美味しいコーヒーだった。


 それに……この味。どこかで。


「バリスタさんほどじゃないけどね。コーヒー淹れるのは、わりかし得意なんだよ」


 マスターはそう言って笑う。彼のはにかんだ笑顔とコーヒーの香りのせいで、急に前世での夫の姿がフラッシュバックした。視覚野に表示されるマスターの顔が油性マジックでグチャグチャに塗りつぶされる。


 マズイな。こんなところで倒れるわけにはいかない。過呼吸、起きるな!


 私は少し俯いて、目を固く閉じた。ドッドッドと鳴る心臓音が頭の中に響く。耳が水中にいるようにくぐもる。


 よっぽど嫌な記憶なのだろう。フラッシュバックされる前世での夫の顔と浮気相手の近所の主婦の顔は、いつもグチャグチャに塗り潰され、認識できない。


「大丈夫ですか?」


 肩に急に手を置かれて、私はビクッと震えた。マスターが心配して、カウンターから出てきてくれたようだ。再び見たマスターの顔からグチャグチャは消えていた。


 でも、もう今日は早く帰ろう。コーヒーはカップにまだ半分以上残っていたが諦める。伝票をもってレジに向かった。


「タクシー呼びましょうか?」


 まだ動悸はしていたが、私は首を振って「家、近くだから」と彼の気遣いを断る。そして、会計をすませて急いで店を出た。


 私が自宅に帰るために路地へと曲がった時、何気なく横目でチラリと店の方を見る。ちょうど店の前に高級セダンが止まっていた。出迎えだろうか、マスターも店外に出てきている。


 女が車から下りてきた。どこで見たかは思い出せないが、見覚えのある女だ。


 マスターとともに女性は、昼の営業が終わった店内へと消えていく。普段なら人の顔を思い出せないことは、ほとんどないが、今は夜勤明けの残業労働に加えて、先ほどのフラッシュバックで気分が悪く頭が回らない。


 結局、私は女の素性をこの場でハッキリさせるのを諦めて、足早に自宅へと帰った。

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