さよなら、わたしの天使

 俺は別室へ、橋の立体データを頭に入力しに行った。

 橋の構造をインプットするだけなら、五分とかからないが、なぜ最初から入っていなかったのか。

 話は単純で、市内の地形データのみキレイに地図から切り取られ、そこからはみ出した部分、つまり新しい橋は不要とされていたからだ。

 全長一〇〇〇mほどの大きな橋は、上下二層構造になっており、上層は自動車、下層には通信インフラと電源、そして貨物用の鉄道が走っている。

 以前の橋は、下流数百メートルの場所に、自動車と鉄道が並行して走っていたが、老朽化にともない作り替えられ、現在の二層構造となった。

 そのため、光を嫌う異界獣の格好の隠れ場所となってしまった。

 橋の近くは、異界獣の嫌う水辺であることと、比較的開けた場所のため、駆除優先順位は低めだった。しかし、近年開発が進み、川の近くに高速道路も出来たため、異界獣の隠れ場所が増え、複数の悪条件が重なって、この最悪の状況が発生したのだ。

 橋のことを知っていれば……。



     ◇◇◇



<遥香side>


 別室に出て行った勝利を見送ると、私は彼のブレザーからデジカメを取り出した。

「何をしているんだ、遙香ちゃん」

 シスターベロニカが尋ねた。

「……私の写真を、消してるんです」

「何故? それでは息子が君を思い出せなくなるじゃないか」

 私はにっこり笑って答えた。

「それでいいんです。彼の記憶に、私は不要なんです」

 デジカメの画面を見ながら、ぷちぷちとボタンを押して画像を消去していく。

「君はそれでいいのか……」

「私が彼の頭の中にいることで、彼が苦しんだり、彼らしく生きていけなくなるのなら、……それは私がいてはいけないってことでしょう。だから、消すんです」

 私は声の震えを抑えることができなかった。

「でも……もし、もし出来るなら……」

「ああ、言ってみなさい。要望には極力応えよう」

 シスターベロニカは、私にやさしく問いかけた。

「たまにでいいから、彼の姿を見たいんです。もう、見失うのだけはイヤだから」

「了解した。君の願い、このベロニカが責任をもって叶えよう」

「ありがとう……ございます」

 私は、最後の画像を消去した。



     ◇◇◇



「やれやれ、どえらいカンジだな……」

 教会を出て、道々遭遇した異界獣を片っ端から屠りながら、俺は単身、橋までやって来た。俺が橋のたもとに到着すると、乗り捨てられた車をバリケードに、教団兵とハンターたちが、肥大化した異界獣と交戦していた。中にはアンモナイトや、変電施設を襲った新種に近いタイプもいて、駆除作業の難航は、誰の目にも明らかだった。

「みなさん、おまたせ。後は俺に任せな!」

 俺は両腰から銃を抜くと、兵士たちの中を全力で駆け抜け、自動車を踏み台にして、獣の中に躍り込んだ。現場の映像から、敵の傾向が掴めていた俺は、初手から大口径高火力の装備を満載して出撃した。いくら苦戦をした大型とはいえ、明るい場所での動きは緩慢で、今の俺にとっては的でしかなかった。

 水を得た魚のような俺に、次々屠られていく異界獣たち。俺の鬼神の如き戦いぶりを目の当たりにした兵士たちは、賞賛よりも恐怖が先に出た。

 ――まあ、いつものこと。



     ◇◇◇



「あれが……教団のプリンスの戦いか……」

「俺たちは、あんなヤツの代りをやろうとしてたのか。そりゃムリな話だ」

 力の差を見せつけられた教団兵や傭兵たちは、口々にぼやいた。

 先日、食堂で傷の手当てを受けていたハンター村上がつぶやいた。

「ごめんよ、ボク。おじさんたち、君を休ませてやれなくてよ……」



     ◇◇◇



 俺はどんどん彼等の前から遠ざかり、橋の中央部、横転した観光バスを目指して突き進んでいった。


 逢魔が時、とは誰が言ったのか。 

 闇の力を得て、奴らが息を吹き返す。

 それは、此の世の異形も、異界獣も、同じであった。

 刻一刻と太陽は沈み、曇天の切れ間を真っ赤に染めていく。


 垂直に垂れた、橋を吊るロープや、橋の上層に点々と放置された自動車などが、路面に長い影を描く。異界獣の力を奪っていた陽光が消え失せれば、形勢逆転となる。

 ――急がなきゃ。

 教団屈指の異界獣ハンター、有翼の少年、俺様こと多島勝利は今、時間と戦っていた。

 橋の上層で人肉や同類の肉を喰らい、歩き回っている連中は、ある程度紫外線に耐性を持つ、比較的大きめの連中だ。

 しかし完全に日が落ちてしまえば、下層に潜む小さな連中が一気に上層へと這い上がってしまう。

 共食いは、近くで発生すると連鎖反応を起こす。加速すれば、手のひらサイズの異界獣があっという間に、牛や馬程度の大きさに育ってしまう。

 種類にもよるが、人を超える大きさの異界獣は、倒す難易度が格段に上がる。大量の中型、大型異界獣が相手では、さすがの俺でも苦戦は必至である。

「こちら勝利、観光バスに到着した。焼いてもいいか」

『A班だ。念のため、生存者の確認だけしてほしい』

 さきほど乗り越えてきた、橋の起点付近にいた連中だ。

(ちッ、めんどくせえな。食われてるに決まってんだろ。何年やってんだ)

「時間ねえんだよ。ったく……。りょーかい。ま、期待すんなよ」

 俺は重装備を物ともせず、一飛びで横転したバスの上に飛び乗った。

 中身を見る前から分かっている。

 ここには死臭しかないことを。

「あー、生きてる人、いたら返事してくださーい。いないと思うけど」

 俺は聞き耳を立てた。

 万一生存者がいれば、自分の声に反応して、わずかな呼吸や動きで見つけられる。人ならざる俺だからこそ、出来る芸当だ。

 人間なら大仰な機械でも使わなければ同じことは不可能だ。

「はい、いませんね。つか、腹パンパンにした獣がうようよいますね。じゃー焼きます。みなさん、お疲れ様でした。また来世!」

 俺はコートの胸を少々はだけると、着込んだタクティカルベストから、異界獣用に調整された特殊な手榴弾を数個外し、割れた窓の中にポイポイと放り込み、すぐさま遠くへ飛び降りた。

 その瞬間、背後で大爆発が発生、異界獣を焼き尽くす、青白い炎を吹き上げた。

「あのさー、A班の人、此の期に及んで、生存者なんて気にされても困るんだよね。一体、あんたら何人救いたいの? 俺は、数百数千を救うために来てるんだ。あんたらは、一人? 十人? だったら教団なんてやめちまえ。ここはお花畑の来る所じゃない。悪いが海外ボランティアにでも行ってくれ」

『わ、わかった。君に一任する』

 苦虫を潰したような顔をしているのが、声音から伝わってくる。

 ――チッ。どいつもこいつも。

 渋い顔したいのはこっちの方だよ。

 バスを破壊し、そのまま橋の向こう側へと走っていくと、遠くに終着点が見えてきた。正確には、橋の出口で警察が煌々と、異界獣避けの灯りを焚いているのだ。ないよりはいい。

 乗り捨てられた乗用車の処理が対岸で始まっているようだが、使用している重機に見覚えが。

 ――ありゃ教団の重機じゃないか。

 なるべく危険を冒さない範疇で、警察のフリをした教団関係者が事後処理に動いている。照明器具の手配も恐らくそうだろう。警察にしては手際が良すぎる。

 近寄るにつれ、点々と異界獣の死骸が落ちている。処理出来る範疇のものは、対岸の部隊がこっそり駆除していたようだ。

 俺の接近に気付いたのか、対岸から車の間を縫ってバイクが接近してきた。警官を装っているが、恐らく教団の人間だろう。

 平然と異界獣の死体を踏みつぶしながら走ってくる。そして俺の目の前でバイクが止まった。

 やはりそうだ、警察にはない武器を装備している。二十代半ばほど、精悍な容貌の青年がヘルメットのバイザーを上げて話しかけてきた。

「勝利様、伝令に参りました。チャンネルを」

「ああ」

 現場では強力な電波障害を発生させているため、教団の無線機以外ほとんど使い物にならない。橋のあちらとこちらで共通チャンネルを開き、連絡を取り合おうという算段のようだ。

「ここから先はどうなっている? 橋の下層は?」

「は、Sサイズ、Mサイズまでは駆除済み、下層もこちらから三分の一ぐらいまでは駆除済みです。半分ぐらいはブロワで川に落としましたが、おおむね溶けている頃でしょう」

「なるほど、考えたな……。あったまいーい」

 偽装警官は、テヘっと可愛く笑った。


 ――となると。


「そっちは照明の使用を続行、ただし深追いする必要はない。みんなこちらに集めてしまうから。もし援軍を寄越すなら、船を使ってこちらの内陸側に。かなり疲弊している、負傷者も多い」

「了解しました。では!」

 笑顔がキュートな青年は、バイクを駆って元の方向へと去って行った。

「さてと……。バスん中は写真のデカ物はいなかったし、一体どこ行ったのか。やっぱ下かなあ……んッ」

 俺は、頭に激しい痛みを覚え、その場に膝を突いた。

 ――アレの後遺症なのか……。 

 俺は苦痛に耐えながら、腰のポーチからペン状の物を取り出すと、やおら首筋に突き立てた。それは、強力な鎮痛剤だった。

 苦しみに耐えながら、俺は薬剤が空になるまで、ペン状の物体=簡易注射器の端を親指で押し込んだ。

「くぅ――――ッ……」

 注射器を放り、アスファルトの上に座り込むと、俺はしばらく荒い呼吸を繰り返した。呼吸が楽になって、そろそろ立ち上がろうかと思った時――

「うげぇぐぐ……うぐ……」

 首に何かが巻き付き、俺の体が宙に浮いた。

 足をバタつかせ、首を締め付けている物体を引きはがそうとするが、ビクともしない。

 ……ヤバ……意識が……

『チュンッ――』

 耳元で銃弾のかする音がした。

 と、同時に戒めを解かれた俺の体は路面に叩きつけられた。

『勝利、聞こえるか勝利、無事か』

 シスターベロニカの声がインカムから聞こえてきた。

「こ、こちら……勝利、生きてる。どっから撃った」

『船だ。いま、川からお前を見ている』

 ……なんとまあ。さすが俺の母上だ。揺れる船の上から狙撃をしたとは。

『敵は上にいる。気をつけろ』

「う、うえ?」

 頭上を仰ぐと、橋を釣るケーブルを支える大きな塔の上に、もそもそとした大きくて黒い物体がまとわりついていた。

「あいつか!!」

 ……あれ?

 急に視界がぐらりと揺れ、倒れてしまった。

 脳へのダメージ、そして大量の薬品投与、そして立ちくらみの三種盛りで、俺は一気に気分が悪くなった。

 だが、俺は気力で半身を起こした。

「くそ……こんなところでくたばるわけには!」

 気合い注入。

 俺は両手で顔をバンバン叩いた。

 立ち上がり、柱の上にいる大物を追いかけようと、腰のワイヤーフックに手を伸ばしたとき、シスターベロニカが叫んだ。

『獣が! 柱を這い降りて、あっという間に下層に入ってしまったぞ! クソッ! 灯りを焚け!!』

 船上に彼女の怒号が飛ぶ。

「だ、だめだ。対岸から来る小物が散ってしまう……こっちに集めるって言っちゃったんだよ」

 額に手を当て、吐き気を催すめまいに耐えながら静止した。

『わかった。狙撃でも照明でも、必要があれば言ってくれ』

「あいよ」

 俺は亡霊のようにゆらりと体を揺らすと、ワイヤーフックを歩道の手すりに向けて射出、巻き付くと同時にダッシュして手すりを軽々飛び越えた。

 俺の体が川面に放り出される直前、ワイヤーはピンと張り詰め、俺を橋の下層へと放り投げた。

 腰のワイヤーをプツンと切り離すと、俺は下層にある線路の上に転がり込んだ。薄闇が周囲を包み、橋の下層は一気に危険地帯へと変貌していった。

「もう時間がない……」

 銃を構え、周囲を警戒する。物音はしないのに、異界獣の臭いだけはプンプン漂ってくる。奴らはここにいる。絶望の臭いがする。

「……始まった。やつらの宴が」

 汚物のごとき異界獣の血と臓物の濃厚な臭気が、俺が元来た方向から押し寄せてきた。

 大量の異界獣が共食いを始め、橋の上で酒池肉林のカーニバルを繰り広げている。密集した場所で共食いをすれば、手当たり次第に食い合って、あっという間に大きく育った異界獣の軍団と化す。

 他を捨てて、一番大きな個体を先に仕留めるのは決して愚策ではないのだが、逃がしてしまった以上はどうしようもない。

『とうとうか。せめて下層だけでもパージ出来ないものか……』

「手前の方は、投光器出せそう?」

『混乱は大分収まったので、なんとか。現在設置中だ』

「わかった」

(さっきの大きいの、どこ行ったんだ?)

「ん……」

 上層の灯りが点り始めた。

 しかし、下層はますます暗くなる一方だった。

 俺は数瞬思案すると、武器を電磁ウィップへと持ち替えた。スパークさせれば、多少は灯りの代りにもなる。

「こちら勝利、これより下層を通り、市内へと戻る。途中巨大な駆除対象を発見、または接触した場合、交戦せず速やかに退去されたい。以上」

『『『了解』』』

(んじゃ、行きますか)

 俺は肩口に取り付けた小型照明にスイッチを入れ、ウィップをヒュン、と唸らせると元いた街へと、注意深く進み始めた。

 肩の照明は小型なだけに、灯りとしてはあまり足しにはならないものの、異界獣の感知しない光源を使用しているので気付かれにくい。

 その頼りなげな灯りを点けて、俺は初めてアレの行方が分かった。

 先ほど己の首を締め上げた、大きな異界獣は、下層の天井を這いながら、片っ端から獲物を喰い散らかし、天井はもとより、下の線路や砂利の上にも極彩色の体液を引き摺り、撒き散らかしつつ前進していったのだ。

 ――これか。ひどい悪臭の原因は。

 過去何度も異界獣の共食い現場を見てきたが、これは上位に入るほどの凄惨さだ。

 これだけ丁寧に喰らっているのなら、取りこぼしはなさそうだが、後始末が大変なことになりそうだと思った。

 あれ以上大きくなっては、果たして自分で駆除が出来るのだろうか。

 不安を噛み殺しながら、俺は獲物を追った。

 日が沈んだ。

 人の時間が終わり、獣の時間が始まった。

 ならば、天使の時間とは果たしていつなのだろうか?



     ◇◇◇



<シスターベロニカ side>


 勝利が岸へ向かって走る。

 そして我々の乗った船が、水面を並走する。

 愛息子にこんな無茶をさせている。その事実が私の心を締め上げる。だが今は、彼を殺さずに済むよう、全力を尽くすしかない。

 時折スパークする電磁ウィップの明かりが、猛烈なスピードで移動している。

 狩りながら敵を追っているのだろう。しかし、はるか下の水面からは出来ることは限られている。日の落ちた現在ではなおのことだ。

 A班から、投光器の設置が完了したと通信。

 上層、下層のいずれも点灯を開始直後、物陰からSサイズ、Mサイズの異界獣が飛び出し、暗がりを探して右往左往し始めた者を掃討。

 大型フォークリフトが到着、こちら側でもようやく放置自動車の撤去が始まる。

 市街地内でも共食いで肥大化した異界獣が何体か暴れている。これ以上、橋に人員を割くことも出来ない。教団の支援も、対岸に偽装警察官を配したおかげで、人員を使い果たしてしまった。

 こんなギリギリで、教団はどうやって今まで現場を回してこれたのか不思議なくらいである。

 教団は、そろそろ表に出ていい時期なのかもしれない。これ以上隠し通すのも、国軍に頼らないのも限界なのではないか。

「長丁場にならなければいいのだが……」



     ◇◇◇



 実際、俺の体は悲鳴を上げていた。

 初手からトップギアで獣の群れに殴り込みをかけ、獅子奮迅の働きを続けている。無理に入力した橋梁データのせいで、頭は割れるように痛み、使用した鎮痛薬は既に三本に上る。

 すぐに橋を落とせない以上、被害を最小限に食い止め、異界獣の市外への流出を防げるのは、今、俺以外に存在しない。

「最悪、水の中に道連れって方法もなくはねえかな……」

 ちら、と眼下を並走するシスターベロニカの船に視線を投げる。

『戦術なら結構だが、心中は許さんぞ』とシスターベロニカ。

「ち、聞こえてたか」

『状況はどうだ』

「正直見たくないな。さっきの一番大きいヤツが、アンモナイトを頭っからバリバリ食ってる。なんであいつ不定形なんだよ。どこを攻撃すればいいかわかんねえ」

『エサの方は削れそうか』

「やってっけど追いつかないよ」

『一旦上にあがって逆方向からエサを始末するのはどうか』

「ふむ……。やってみる。弾薬の補給の用意をさせといてくれ」

 俺は、最寄りの非常階段を伝い、再び上層へと戻ってきた。

「うげ、こっちも結構いんな。クッソ」

 投光器や教団兵の攻撃に追われた連中が群れを成している。逃げ場を求め、中途半端な位置でうろうろしていた。

 俺は手短な場所にいたMサイズの犬型異界獣、アギトを一匹捕まえて半殺しにすると、爆薬をくくりつけて敵の群れの中に放り込んだ。

「おりゃあッ! エサだぞ!」

 どすん、と落ちた場所に殺到する獣たち。

 数秒後、彼等は轟音とともに爆散した。方々に飛び散った死骸から、青白い炎が燃え上がっている。

「ああ、やっぱ爆薬使えると楽だわー……」

 ――正直、もう休みたい。頭痛い。帰りたい。だいたい、なんで俺ここにいるんだっけ? あれ? そういや、ここどこだっけ。……夜景キレイだな……。

「あ、あっち行かなきゃ、だっけか。――危ない危ない、記憶飛ぶとこだったぞ」

 ぶるぶると頭を振ると、俺はアスファルトの上でチリチリと青白い光を発している異界獣の燃えカスを蹴散らし、岸に向かって走り出した。

『勝利、いま上層か?』

 シスターベロニカから通信が入る。

「そうだ。上を岸に向かって走ってる」

『二分ほど前から、下層と岸の設置部付近で交戦状態になった』

「どういうこと」

『橋を渡った鉄道が、地下に引き込んであるのは分かっていると思うが、投光器の設置をしていた連中が、鉄道のトンネルから入り込んだ敵と、前面からの敵との間で挟み撃ちに遭っている。トンネルは早々に封鎖出来たのでこれ以上増えることはないが、このままでは餌食になるのも時間の問題だ』

「じゃあ、爆発物を設置するなり船から砲撃するなりして、みんな川に飛び込ませろ。後は俺がなんとかする」

『やはりそうだろう。よく出来たぞ、勝利。お前は自慢の息子だな』

「親バカしてる場合じゃねえだろ」

『連中の装備品の確認をするが、恐らくこちらから砲撃する格好になりそうだ』

「了解」

 俺はさらにスピードを上げ、A班の待つ橋の起点に向かった。

 A班のベースで、俺が弾薬と薬品の補充を受けている頃、足下の下層では水上からのロケットランチャー攻撃と、橋から飛び降りた兵士たちの回収が始まった。

 敵の数を削りはしているが、教団側の戦力もジリ貧である。

 そして俺の体力も。

「うひゃあ、爆発した拍子に上層来ちゃったぞ……。右にいち、にい……左に……」

 俺は下層から避難してきた異界獣の数を指折り数えていた。

「ああもう~、なんで川おっこちねえんだよお……」と、ぼやきながら両手に銃を携えると、柱と地面を繋ぐ長い橋のワイヤーの端に飛び乗った。

「んじゃ、行ってくる。なんかあったら連絡くれ」そう言い終わらないうちに、俺は曲芸のようにワイヤーの上を全速力で駆け上っていった。


     ◇


 下層からやってきた異界獣の近くまで、俺は橋のワイヤー伝いに接近し、はるか上方から特殊弾を次々ブチ込んだ。連中の頭がスイカみたいに吹っとぶ。

「さっすがに、近隣住民の苦情を考えなくていい武器は、景気よく吹っ飛ぶな!!」

 日頃使用している静音性の高い武器よりも、騒音は大きいが威力も大きい。憂さを晴らすかのように、俺はワイヤーを渡り歩きながら獣たちを仕留めていった。

 そんな中、比較的大きいが共食い後の変体が終わりきらない個体がいた。

 ぶよぶよとして形が定まらず、接触するものは片っ端から口に入れて、もぐもぐと咀嚼のような動作をしている。

 完全に変体してしまうと余計に強くなってしまうので、ぶよぶよ体のうちに始末するのが安全だ。

「せーの!」

 俺は、ケーブルに足だけでぶら下がり、眼下のぶよぶよ野郎に威力の高い弾を数発お見舞いした。

 攻撃は全弾命中、敵は木っ端微塵になった。……しかし。

「うそん……。そりゃねえよ……」

 倒すタイミングが悪かった。

 未消化だったのか、大量の小型異界獣が周囲に散らばってしまった……。

 俺は気を取り直して、他の大型中型の敵を探した。

 細かいヤツは、後回しである。

 ――あれはッ!

 炎上した観光バスの影でよく見えなかったが、大きさからみて先ほど逃がした大型異界獣に間違いない。

 上半身は形が整いつつあり、腕や頭が生えているが、腹から下はまだぶよぶよのままである。全身を数匹の異界獣に囓られながら、自らも手づかみで異界獣をむさぼり食っている。

 まさに悪夢の光景だ。

「……ったくよう、食うなっつってんだろ。すくすく成長されると俺が困るんだよ」

 俺はケーブルを吊っている支柱のてっぺんに昇り、一旦呼吸を整えると、装備品の確認をし、はるか下方でディナーを楽しんでいる巨大異界獣――といっても全長五、六mほどだが――に向けて、ペイント弾と発信器を撃ち込んだ。

 これで万一逃げられても見失うこともなくなるだろう。保険である。

 そして、ありったけの爆薬を上から放り投げ、敵の足下で爆破させた。

「どうだ……?」

 煙が引くのをじっと待つ。

 そのスキに、急いで鎮痛薬を首に打つ。

 少しでも薬が切れると、頭がキリキリ痛む。体に悪いなどと言っていられる場合ではないので、ガンガン打つ。

 煙が晴れてきた。

 爆発した周辺では、自動車がひっくり返ったり、異界獣のなれの果てが周囲に飛び散り青白い炎で燃えている。

『やったか? 勝利。ここからでは障害物が多く、よく見えないのだが――』

 シスターベロニカから通信が入る。

「ちょいまち……」

 ――だが、肝心の獲物はまだ仕留められていない。

 下半身の幾分かを犠牲にして、ヤツは逃げてしまったのだ。死んだのは、ヤツに群がっていた連中ばかりだった。

 敵は手傷をものともせず、ちょっと離れた場所で、手近な獲物を食ったり、車の中の死体を漁ったり、周囲を伺ったりしている。

 とにかく今は、ひたすら食うことだけしか頭にないようだ。

「クソッ、しっぽ千切って逃げちまった!! まだピンピンしてる」

『そうか……』

「もう弾薬ないよ。どうすんだ……。マジで本部からなにも来ないのかよ、俺もう限界だぞ……」

 その時、対岸、内陸側から通信が入る。

『勝利様、もうしばらく持ちこたえてください。武装の補充が向かっています』

「了解」

 ――もうしばらくって、いつまでだよ……。

『勝利、そいつを柱に昇らせることは出来るか?』

 船上のシスターベロニカから通信だ。

「あー……。囮を使えば、可能だろうな。でも」

『なんだ?』

「そこから狙撃するつもりなら、あんがい動きが速いからつらいかもしれないよ」

『では、止めろ』

「無茶言うねえ、手負いの息子に」

『信用しているから言っている』

「じゃ、やるしか」

 師匠であり、義理の親でもあるシスターベロニカにそこまで言われては仕方ない。

 人外だからでも、教団の看板を背負っているからでもなく、プロのハンターを自認する、この多島勝利だからこそ。

「とは言ったものの……」

 俺は腕組みをして眼下のナゾ生物を眺める。

 全身が黒く、頭、腕があり、まるで人のようなプロポーションだが、頭はやや尖り、口は大きく魚のようでもある。下半身はいまだ形が定まらず、モコモコと芋虫のようだ。

 いずれ時間が経てば、グロくて大きな魚人になるのだろう。質感からすると、きっと深海魚系かもしれない。俺は、その容貌が魚に似ていることから、水に落としても倒せないのでは、と思った。

「完全体になる前に、間に合えばいいがな。――以後こいつのコードネームを、魚人と呼称する」

 俺は、銃口を魚人に向けた。

 数発撃ち込むも、食事に夢中で振り向きもしない。

「やっぱりな。仕方ない」

 俺はうんざりしながら腕まくりをした。そして腰からナイフを取り出すと、思い切りよく手首を切り裂いた。

 傷口からあふれ出した青い血液は、路面にまき散らされ、異界獣を惹きつける芳醇な香りを立ち上らせた。

 ――おいで。食いたいだろ? ほらほら。

 魚人は、くっと頭を持ち上げると、きょろきょろと周囲を見始めた。しばし後、それが頭上からかおるのだと悟った。

 ズルズルと橋の主柱に這い寄ると、腕や触手のような足を使って昇り始めた。

 魚人がエサに食いついたので、俺はすかさず手首の傷をメディカルテープで塞いだ。現在の体調に貧血まで加わってしまったら、本気で身動きが取れなくなる。

「こちら勝利、魚人が昇り始めたぞ。もう動くのつらいよ、なんとかしてくれ」

『了解。もう少し待ってろ』

 返事をするのもおっくうなところをみると、自分も相当疲労が溜まっていると見える。俺は少々申し訳ないと思いつつも、黙って柱の上に座り込んだ。

 間もなくベロニカの狙撃が始まった。いきなり一発目がケーブルに当たり、柱の上まで振動が伝わった。

 まずい、と思った時にはもう、魚人は柱から飛び退き、道路に降りてしまった。

『すまんッ』

「しゃあねえよ。他の方法考えよう」

 とは言ったものの、策などなかった。あとは、直接魚人を攻撃するしかない。

 俺は塔のてっぺんから、ひらりと飛び降りた。

 降下しながらナイフに持ち替えると、落下の勢いのまま魚人の肩口に突き立てた。

 吠える魚人。

 俺は刃をぐりっとねじり、魚人の体から引き抜いた。

 吹き出す極彩色の体液。

 二撃目を繰り出そうとした時、俺の体はとてつもなく強い力で、道路の反対側まで弾き飛ばされた。

 それが魚人の腕だと悟るには、俺が脳しんとうから回復するまでの数秒を要した。

 目を開けると、魚人が大口を開けて迫っていた。

 俺は、弾かれるように敵から遠ざかると、軽いめまいを覚えつつ、口の端から流れる血を手の甲で拭った。

「たしかに……美味いだろうさ。だが俺を喰っていい女は…………」

――あれ? 誰だったっけ。まあいいや。

 俺は銃を構え狙いを定めた。

 再び魚人が大口を開けるタイミングを見計らっている。いずれ手持ちの弾では、コイツの肉を裂いて命を絶つことなど不可能だ。

 じわりと這い寄る魚人。気付くと後ろ足が形成されはじめている。

 まるで、丘に上がろうとしている肺魚だ。

 じり……。

 魚人が迫ると、俺は背後に下がる。

 とにかく時間を稼がなければ。

 川まで誘い出せれば、シスターベロニカの援護射撃も使えよう。

 ――あと三メートルで歩道に。そうだ、こっちだ。

『ガスッ』

 足下に何かが当たり、思わずよろめく。

 俺は、乗り捨てられた自動車にぶつかってしまった。もう後がない。

 脳内に敷き詰められた、大橋の構造図。

 それに頼ってしまったために犯したミスだ。

 今のままでは川からも死角、マガジンの残弾全て口の中に撃ち込んで倒せなければ、こちらの負けだ。

 ヤツがニヤリと笑った気がする。

 異界獣にそのような知能があるとは思えないが――。

 俺は己の運命、そして市民の運命を掛けて、ありったけの弾丸を『魚人』の口の中へと撃ち込んだ。

「くらえッ!!」

 黒くぬめった肌を持つ、深海魚のような異界獣。コードネーム『魚人』

 異界獣ハンター・多島勝利は、一発も漏らさぬよう、全身全霊を込めて、魚人の口内目がけ、ありったけの銃弾を放った。

 強い制動をものともせず、俺は正確に、わずかに開いた魚人の口の中へと、全弾撃ち込んだ。敵の口から青白い光が漏れ出す。それが異界獣専用特殊弾の証だ。

「どう……だ?」

 魚人は、そのままの姿勢でぴくりともしない。

 死んだのか違うのか。

 体を撃ち抜けたわけでもないから、体内を破壊することが出来たのかわからない。臓物でも吐き出してくれれば分かりやすいものを――。

 じっと様子を伺っていると、巨体がゆらりと揺れた。

 おっ、と思ったその時。

「ぐあッ!! ……し、失敗か」

 俺の体はいきなり太いロープのようなもので締め上げられた。

 アンモナイトの触手にも似ている。きっと喰らった中にいたかもしれない。

『おい、大丈夫か!? どうなっている! 勝利!』

「俺は、どうやらここまでだ……。時間稼ぎになったかな……」

 触手を切りたくても、ナイフに手が届かない。

 手にした銃も、弾倉はからっぽだ。

 もはや鈍器にしかならない。

『しっかりしろ勝利! おい! お前が死ぬはずないだろう!!』

 シスターベロニカの悲痛な叫びがインカムから聞こえる。

 触手は胴体から首まで回り込み、俺の息の根を止めようとしていた。

 万事休す。

 過去何度かそう思ったこともあったけど、今日はホントに本物の、万事休すだ。

 意識が遠のきかけたその時、インカムから女の声がした。

『――そうだよ! キミが死ぬのは、私が許さない!』

 その声とともに、バイクのエンジン音が接近してきた。

 聞き覚えがある……でも。

「その汚い手をどけやがれえええええええええ――――――ッ」

 次の声はシスターアンジェリカだ。

 見慣れたサイドカーが、目の前で魚人に体当たりをし、炎上。

 衝撃で魚人は倒れ、俺を締め付けていた触手は振り解かれた。

 だがこの程度で死ぬ異界獣ではない。

「ぐあッ……てて、ウチのバイク吹っ飛ばしやがって」

「大丈夫か、多島君!」

「せ、先生……? なんでここに」

 担任教師こと、この街の土地神は道路に倒れた俺を抱き上げた。

「さっき本部から、補充の秘密兵器が届いたんですよ、ショウくんさん」

 シスターアンジェリカが俺の顔をのぞき込む。

「ショウくん、助けにきたよ。もう大丈夫だから」

 次は誘導兵器用レーザー照射器を持った女の子……えっと……誰。

「あ、ああ」

「一文字さん、こっちこっち、先生のバリアそんなに保たないから」

「はーい、ごめんなさい」

(一文字……さん? というのか)

 酸欠のせいか、再び襲ってきた頭痛で顔をしかめながら、俺は立ち上がった。

「えっと……みなさん何してんの……かな?」

「ごらんの通り、レーザー照準つき対異界獣用誘導ミサイルをデリバリーした次第ですよ、ショウくんさん。先生には、道中我々を護る役目を担って頂きました」

「ああ……なる」

 夜の公園でこの男と遭遇した時のことを思い出した。

 確かに、ある程度の獣ならば、この男を傷つけることが出来ない――

「そんで、何で一般人がいるんだよ。そこの、えっと」

「彼女の目を信用して、です。カメラマンとしての目を」

「ああ、そう、なのか」

 この子はカメラマンなのか? 女の子なのに……

 あれ? あれ?? あれ???

「こんな近くじゃ危ない、みなさん早く離れてください」とアンジェ。

「ショウくん早く、ぼっとしてたらだめだよ」

 一文字さんと呼ばれた女が、俺の腕を引っぱる。

 顔は知ってる。でも、誰だか思い出せない。

 今はそんなこと考えてる時じゃないのは分かってるんだけど……

「君は、誰?」


 全員が固まった。そして、俺を見た。

 皆、引きつった表情をしていた。

 一人を除いては。


「はじめまして! 通りすがりの、都市伝説ハンターだよ♥」

 彼女は、満面の笑みで答えた。

「奇遇だな。俺も、通りすがりの、異界獣ハンターなんだ」

 割れそうに痛む頭をぶるっと振り、作り笑顔で答えた。

「うん、知ってる」

「そっか、俺も有名になったもんだ。ありがとな。助けに来てくれて」

「むかしキミに助けられた恩返しだよ」

「そうなんだ、ごめんよ。助けた人いっぱいいるから、わかんねえな」

「別にいいよ。私はただの通りすがりだから」

「なんだ。そのまま通り過ぎればよかったのに」

「先に通り過ぎなかったのは、キミの方だよ。

 それとも、見殺しにした方がよかったの?」

「まさか(笑)」

 ――どこかで聞いた気がする、このやりとり。いつだったっけ?

「一文字さん、準備できた、ですよ! とっととやっちゃいましょう!」

 アンジェが照準器を地面に据えた。

「OK! じゃあ、照準つけるから、ショウくんは私を守ってね」

「わかった。お前らに指一本触れさせはしない」

 俺は一文字さんの横で最後の武器、ナイフを構えた。

 化物よ、もう少しだけ、おとなしくしててくれ……

「一文字さん、よろしく!」

「はい!アンジェリカさん! ……照準セット! 発射します!」

 ピー、とロックオンのシグナルが鳴った。

「みなさん! 逃げますよ!」

 先生がアンジェを担ぐ。

「おっしゃあああ!」

 俺は一文字さんを担いで、一目散にその場から逃げた。

 その数秒後、橋の側面から風を切る音が鳴り、背後で爆発が起こった。

 衝撃と爆音と熱風が、一拍置いて俺たちを襲う。

 俺は反射的に一文字さんに覆いかぶさって、彼女を爆風から守った。

 先生はシールドを張って、ミサイルに吹き飛ばされた破片からアンジェを護っている。

「やった……か」

 爆風が収まってから、俺は立ち上がって異界獣のいた辺りを見た。――が、そこには、ヤツの影も形も、周囲に止まっていた車も何もかもが消し飛んでいた。

 仮に致命傷は与えられなかったとしても、水に落ちたならヤツは死んでいる。

 俺たちの、勝利ビクトリーだ。

「やったね、ショウくん!!」

 一文字さんが手を握って言った。

「おお! 俺たちで……たおし――あれ……」

 安心したら気が遠くなって、そこで俺の意識は飛んだ。

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