第六章 愛おしい記憶

終わりの始まり

「おはようっす」

 翌朝、俺と遙香が校門に入ろうとした時、背後から声を掛けられた。

「あ、タケノコ……とゆかいな仲間たちか。おはよう」

 俺が振り返ると、タケノコが乗用車から降りてきたところだった。

 運転席と助手席には、顔なじみの借金取り。

 俺の姿を認めると、パンチな方のチンピラが助手席から顔を出した。

「兄さん、体の方はもういいの? これ、お見舞いっつったらなんだけど」

 ダッシュボードから紙包みを取り出し、俺に差し出した。本かなにかのようだ。

「なんとか。……これなに?」

「いいのチョイスしといたんで、後で楽しんでよ」

 中身をちら見すると、ピンク色の文字が踊っている。

「うわ……、う、うれしいけど、これ登校中の学生に手渡すもの?? 困るよ……」

「そっすか? じゃ、あとで教会の方に届けときますわ」

 そう言ってパンチはエロ本を再びダッシュボードに戻した。

「あ、そうそう兄さんたち……」

「なんだ?」

 パンチは急に真顔になると、声を落として話し始めた。

「兄さんは分かってると思うけど、夜はずいぶん物騒だから、出歩いたらいけませんぜ。昨日の晩も俺の知り合いが、南三号線の高架下から、惨殺死体で見つかりまして」

「ああ、その件なら知ってる」

「やっぱり……。とにかく、そういうことなんで、気をつけてくださいよ」

 俺は小さく頷いた。

「ねえ、トランクからなんかハミ出してるけど……」

 遙香が車の後方を指さしている。

「ああ、あれね。看板っスよ。会社の管理地にこれから立てに行くところ。そのついでに坊ちゃんを、こうして学校まで送ったっつーわけで」

「なるほど……」

「あれだろ、借金のカタに取り上げた土地とかだろ」

「まあいろいろ。じゃ、俺らこれで。坊ちゃん、しっかり勉強してくださいよ」

「するわけねーだろ、さっさと仕事しに行けよ」

 毒づくタケノコを置いて、借金取りの車は校門前から離れていった。

 三人そろって、校門から校舎までのアプローチをだらだらと歩いていると、遙香がタケノコに話しかけた。

「竹野ってば就職決まってんだもん、卒業出来ればいいのよね」

「そゆこと」

「ああ、タケノコは実家で家業継げばいいわけか」

「兄貴もそんなとこでしょ?」

「え? あ、ああ、そうだね、うん」

「あたしどうしよ……。マジでこのままお父さん捕まえらんなかったら、本気でどこか就職しないといけないし……」

「うちの会社で事務員とかすればいいじゃん」

「やだよ、サラ金なんか」

 自分を養うと豪語していたくせに、ノープランな遙香を見て、俺は苦笑した。


 三人が揃って教室に入ると、間もなくHRが始まるというのに、生徒が半分ほどしか来ていない。普段なら生徒達のおしゃべりで、かなり騒々しい時間のはずが、今朝はかなり静かで、空気もどことなく淀んでいる。

 教室のスミから聞こえるひそひそ話の断片を拾っていくと、大人達やニュースでは、事故とか病気で人がたくさん死んでると言っているが、実際は猟奇連続殺人犯やテロリストがこの街で暴れ回っているのでは、と生徒達は思っているようだ。

「ショウくん……」

 また自分を責めてる、と遙香は思ったのだろう。

「わかってる。わかってるよ。でも……」

 俺は己の胸ぐらを掴み、うめき声が漏れるのを必死に噛み殺していた。

 遙香が耳元で囁いた。

「ショウくんはもう、十分戦った。あとは大人の人たちに任せよう……ね?」

 彼女が思いやりから発したその言葉は、そっくりそのまま俺の胸を抉り、『なぜ自分は戦えないのか』と、自責の念を一層強めるだけだった。


 救えたはずの人が、自分のせいで、手からこぼれ落ちてしまった。教団兵も補充のハンターたちも必死で駆除作業をやってるのは重々承知だ。

 しかし、自分が今までやってきた仕事を肩代わり出来るほどの技術も、人数も、機材も、何もかもが足りていない。

 だってこの街は、自分が護るために来た場所なのだから。

 慌てて代役を注ぎ込んでも、そう間に合うもんじゃない。いくら対処したくても、金があっても、人材に限りのある教団ではこれでも精一杯だ。

 政府が国民を護るのが筋だとしても、教団がその役目を譲れない何らかの理由があるのは分かっている。

 だけど、このままでは市民はただ食われるのを待つだけの生け贄になってしまう。共食いを繰り返して、大きく育った異界獣たちに根こそぎ奪われる結末が、俺の脳裏に見え隠れする。

 せめて遥香だけでも、自分の手で護らねば。


 こんな調子で午後の授業はほとんど自習になった。

「それ、持ち歩いててくれてるんだ。何か撮った? 引き延ばして部室に貼ろうよ」

 俺の上着のポケットからチョロリとはみ出したデジカメのストラップを、遙香がめざとく見つけた。それをひょっとつまみ上げられそうになり、俺は半身をよじってかわした。

「なによ、エロ画像でも入ってんの?」

「そうじゃないけど……」

「んじゃ、いいじゃん」

「やめろってば、コラ」

 無理やりデジカメを取り上げ、電源を入れると、遙香は嬉々として撮影された画像を見始めた。……が、数枚めくった時点で彼女は固まってしまった。

「だからいわんこっちゃない……。もういいだろ、返せ、ほら」

 俺は渋い顔をしながら、手を差し出した。

 が、遙香はまだ固まったままだ。

「あのさ、お前が夜中走り回ってアレの写真撮ってたけどさ、どうしてアレしかいなかったか分かる? どうして人の死体がなかったか分かる? お前の行く先々で俺が始末してたからじゃん」

 遙香は小さく頷いた。

「んでさ、本当の現場はそっち、俺が撮影した方なんだよ。わかるか?」

 遙香は再度頷いた。

「どうして俺が、ありきたりな風景やポートレートなんかを撮影せずに、こんな汚らしいものばかり撮ったかわかるか?」

 遙香はううん、と首を振った。

「それが、俺のリアルだから」

 遙香はハッとなった。

 デジカメの中には、遙香に見せたくない画像が山ほど入っていた。

 獣の駆除現場や遺骸、巻き込まれた市民の死亡現場等々……まるで鑑識写真のようだ。都市伝説マニアが興味本位で消費するようなものではなく、むしろ違うマニアが喜びそうな、グロ画像のオンパレードだ。

「お前には、あんま見せたくなかった。でもこれが俺のリアル。汚れ仕事だけど、これが俺の仕事なんだ。お前を安心させるために、絵空事を撮り溜めたって、俺にとっては何の足しにも慰めにもなりゃしない。むしろ考えれば考えるほど、苦痛になるって分かった。だから俺は、ありのままの自分の生き様をカメラに収めようと思った。これって、どっか間違ってるか?」

 遙香はううん、と頭を振った。

「正しい。ショウくんの方こそ、本物のカメラマンだよ。……私が間違ってたかも」

「……そう?」

「わたしね、パパから時々聞かされてた話があるの」

 と言って、思い出話を始めた。

 写真とは、己の魂をフィルタとし、その向こうに見えるものを捕らえた物だと。

 しかし、自分は一体、彼氏に何を撮らせようとしていたのか。

 少年らしい風景写真か。

 友達との日常風景か。

 自然や小動物か。

 彼氏を日常に引き戻したいばかりに、自分のものさしに嵌め込んで、作り替えようとしていたのではないか。自分のフィールドに引き込んで、逃がさないようにしていたのではないか、と気付いたと。

「ショウくんがやってきたことは、汚れ仕事なんかじゃない。市民を守るためにやってることでしょ。消防警察海保自衛隊、それと同じ立派な仕事だよ? 家でパトカーのサイレンが聞こえるたびに、キミが苦しそうな顔をして、拳を握りしめてたの知ってる。人が死ぬのがイヤなの知ってる。たとえ今は日陰者だとしても、私だけはキミの理解者でいる。だから、自分を汚れてるみたいに言うのやめて」

「……ありがと、ハルカ」

「おい、たいへんだぞ、これ見てくれ」

 隣の教室に遊びに行っていたタケノコが、血相を変えて戻ってきた。

「どうしたんだ」

「ついさっき、うちの若い衆が看板立てに行った帰りに撮影した画像なんだけど……これってまさか」

 タケノコは自分の携帯を差し出した。それを遙香が毟り取った。画面にどこかの事故画像が映っている。

「なになに?」

「ああ、よく見えないよハルカ、ちょっとこっち貸して」

 俺が遙香から奪い取った携帯には、かなりマズい生き物が映っていた。

「こないだの公園にいた連続殺人犯って、……ホントはこいつだったの?」

 青い顔で俺に尋ねるタケノコ。

 だが、その問いには、遙香が代わりに答えた。

「そうだよ。あんたたち、こんなのに食われるとこだったんだよ」

「そ、それじゃあ、昨日の晩に高架下で死んだ人って……」

 遙香は俺からデジカメを奪い取り、その死人と思しき画像を背面の液晶に表示させ、タケノコに見せた。

「場所からして……これじゃない?」

「あ! この人……昨日ウチに来てたぞ。顔は隠れてるけど、服に見覚えがある。オヤジの主催したゴルフコンペの賞品なんだ。しかもワンオフの……」

 タケノコはガタガタと震えだした。

「あいつらが車で迎えに来てくれるって話なんだけど、とっくに着いていてもいいのにまだ来ないんだ……。何かあったらどうしよう……」

「お前等二人とも、教会に避難しろ。あそこなら大丈夫、お前等を護ってくれる」

「ショウくん、こいつって……」

「画像が不明瞭だが、おそらく共食いで巨大化したやつだろう。相当マズい。ったく、うちの連中は何やって……って、ああ……そうか。手が回らなかったのか……クソッタレ……」

 俺は歯ぎしりした。

 散発的に追加投入される戦力、ムラのある駆除活動、日に日に増える負傷者。

「あああ……、よく考えりゃ分かることだったんだよ……クソッ」

 駆除のスキをついて獣は増殖し、共食いを繰り返して成長していく。だから、区画ごとにきっちり掃除をしていかないと後々面倒なことになってしまう。

 だが、負傷した俺から中途半端に現場を引き継いでしまったために、最早まともに駆除することが不可能となってしまったのだ。あとは行き当たりばったり、出たとこ任せ、手当たり次第に獣を狩るしかなくなった。

 この状況は起こるべくして起こったといえる。

「はい、注目! 君たちすぐ下校してください」

 パンパン、と手を叩きながら担任教師が教室に入ってきた。

 悪化した状況を曲がりなりにも把握しているのだろう。顔に焦りが見える。

「さきほど大橋の方で大規模な事故と火災が発生、有毒物質がこちらに向かっているとのことです。県道よりこちらに住んでいる人は、市役所方面に一旦避難してください。それ以外の人は、速やかに帰宅し、市役所からの連絡があるまで自宅待機してください」

 ちょうど担任教師が話し終わるころに、市役所からの緊急放送が、市内全域の防災スピーカーから流れ出した。

「有毒ガス……だって?」

 教室の窓から、勝利がこの街と内陸部を結ぶ大きな橋の方を見ると、橋の上だけでなく、あちこちから煙が立ち上っている。

「これは……マズいぞ」

「ショウくん、どうしよう……」

「先生、ちょっと」

 俺が手招きすると、担任はすぐやってきた。

「なんだい? 多島君」

 俺は担任に耳打ちした。

「ガチでヤバくなったら、教会に行ってください。さもなくば、川の向こうに行ってください。連中は水を渡れない」

「わかった。私はこれから生徒達を下校させるために校内を見て回らないといけないけど、何かあったときは頼むよ」

「ういっす」

 担任はサンダルをバタバタ鳴らして廊下を走っていった。

「お前等、とにかくすぐ荷物をまとめろ。タケノコ、車まだなのか?」

「ええ、えーっと……」

 タケノコが携帯を操作しようとすると、遠くから車のクラクションが短く鳴った。

「あ、来ました!」

 校門の方を指さすタケノコ。

「よし来い」

 俺は二人の手を掴み、教室を飛び出した。

 校舎間を結ぶ渡り廊下まで来ると、おもむろに二人の胴を抱えた。

「ちょ、何、どうすんの」

「兄貴何すんですか~」

「大人しくしないと落っことすぞ。あと舌噛むから歯食いしばってろ」

「「は????」」

「んじゃ、いくぞ! ダ――イブ!!」

「「ぎゃああああああああああああああッ――!」」

 俺は二人を抱えたまま、渡り廊下から地面に飛び降りた。

「うりゃあッ!」

 人間二人を抱えたまま、俺は地上四階の踊り場から飛び降り、着地した。

 じいいいいいいいいいいいいん……。

「い、いたい…………ううううううんっ」

 二人を降ろすと同時に、俺は激しい足の痛みで転がりのたうち回った。

「だ、大丈夫? ショウくん」

「いいから、お前等靴履き替えてこい。で、俺のも持ってきて……」

「わ、わかった!」

 遙香は弾かれたように走り出した。

 事態を把握出来ないタケノコは、その場で呆けていた。

「おら、お前も!」

 俺は寝転がりながらタケノコのスネを蹴った。

「あ、はい!」

 タケノコは遙香の後を追って、バタバタ走り出した。

「ふううううういいいいいいい、いってえええええ……」

 俺は芋虫のように体を丸めて、痛みに耐えていた。

「失敗した……。これ上履きだったわ。仕事用のブーツならここまでは……」

 遙香とタケノコが下駄箱から戻ってくる頃には、俺の足も復活していた。

「お、おかえり……つつつ……」

「はい、靴。立てるの?」

「ああ、なんとか。んじゃ、行くぞ」

「肩貸すっす兄貴」

「あんがと」

 三人で校門へ向かうと、次々と生徒達が下校していく。

「まだ昼間なのにどうして……」と遙香。

「今日は曇りだし、出没してる場所もなんか暗そうな所が多い気がする」

「あの化け物って、夜に出るんスか」

「連中は紫外線を嫌うから、夜に出歩くんだ。だが、あんまり大きくなると、多少の耐性が出来る。悪天候も相まって、車に悪さしてる連中ははきっと……」

 校門前に止まって乗用車の助手席の窓が開いた。

「坊ちゃん、遅くなってすいやせん! 早く乗って」

 朝と同じく、パンチが顔を出した。看板は全て使い尽くしたのか、トランクの蓋はちゃんと閉まっている。三人が車の後部座席に乗り込むと、車は急発進した。

「どこに向かってる」

「うちの会社です、兄さん、何か問題でも?」パンチが答えた。

「さっきタケノコの携帯で画像を見たが、橋の方から来たんだよな」

「ええ、あっちゃあ大変なことになってるんで、ちょっと渋滞に巻き込まれて遅くなっちまったんですよ」

「とにかく、一旦教会に向かってくれ」

「ういっす!」パンチの相棒、ロン毛が応えた。

 学校から教会まではそう遠くないものの、最短距離にある大通りが橋に繋がっており、大渋滞の真っ最中だった。車は大きく迂回することを強いられた。

「そんで……あれって一体なんなんすかねえ。さっき橋の上で、観光バスの乗客をバリバリ食ってたあの黒いやつは……」パンチが尋ねた。

「異界獣よ」と遙香。「あいつは、以前パパが追っていたネタ。そして、勝利はあいつを倒すためにこの街に来たのよ」

「おい、バラすなよハルカ」

「オヤジさんが借金したのも、行方不明なのもそのせいなのか」とタケノコ。

 遙香はため息で答えた。

 運転中のロン毛が語り始めた。

「兄さん、やっぱあんた、タダもんじゃなかったってわけか。俺、聞いたことあるよ。この街に十数年前、たくさん人の死んだ怪異現象があったって……」

「おそらくそうだろう。異界獣はおよそ十数年周期で湧き出す。その頃俺はまだガキで、ハンターなんかになっていなかったけどな」

 俺は脇のホルスターから銃を取り出し、マガジンの中身を確認した。

「まさか、おじさんの死因ってそれだったのか?」タケノコが訊いた。

「あんな惨い死に方をしたマサタカさんに坊ちゃんを会せるわけにいかなくて、ずいぶん泣かれた記憶があります」

「坊ちゃん、マサタカさんに懐いていたからなあ。まさかあれが……」

 ロン毛とパンチの二人は、昔を思い出してしんみりしていた。

「実際、橋はどうなのさ」

 俺はリアウィンドウから橋の方を見ながら尋ねた。

 スキール音を鳴らしながら、ロン毛がカーブを大きく曲がっていく。路肩に止まった車を避けるためだった。

 すれ違いざまに見ると、何かに追突したわけでもないのに、フロントガラスの内側が真っ赤に染まっていた。

「橋の真ん中あたりで観光バスが横転、ああ、さっきの写真のやつです。それが道をかなり塞いでる格好で、一車線だけ通れそうなんだけど車を放り出してったヤツが結構いたから、それをどかさないと……。今はどうなってるわからないっすね」

「これだけの事件なのに、全くニュースになってないぞ。どうなってんだよぉ……」

「それは報道規制だ、タケノコ。見ろ、報道ヘリも飛んでいない」

「ほんとだ……」

「みんなグルで、あの化け物のことを全力で隠蔽してるんだ。そして、人知れずあいつらを退治して回ってるのが、俺たち『教団』だ……」


 ――五人を乗せた車が教会に着く頃には、街の死者は倍になっていた。


「状況はどうなってる!?」

 教会に着くと、俺は作戦室と化した娯楽室のドアを開けて怒鳴った。

 タケノコたちは安全のため、シェルター代わりの礼拝堂に押し込んできたが、遙香だけは、俺についていくと言ってきかなかった。

「ああッ、ショウくんさん! ドえらいことにッ」

 フル武装のアンジェリカが半泣きで駆け寄ってきた。

「橋だろ。ハンパには聞いてるけど――」

「あっちに映像が届いてます。……撮影者は戦死しましたが」

「わかった。俺の装備出してきてくれ」

「でもッ! 私にはそんなこと出来ません。姐さんに殺されます」

 俺はチッ、と舌打ちをした。

 アンジェリカは背後で指揮を執っているシスターベロニカをチラと見ると、小声で話し始めた。

「あの橋……かなりマズイです。何を考えてか込み入った上下二重構造で、上は道路、下は鉄道と通信ケーブル等のインフラが通っています。獣たちは道路の下側、つまり下の階の天井の暗がりに貼りついて増殖してしまったんです」

「誰だよそんなバカなもん作ったヤツは……」

「しらんがな、ですよ。で、補充部隊が撃ち漏らした連中が、川に近い高速高架下とか橋の下に集まってしまって共食いを……。油断したわけではないのですが、なにせあの人手不足です。水辺に近いエリアを後回しにしていたら、こんな大変なことに……」

 後ろで聞いていた遙香が首を突っ込んできた。

「あの橋が出来たの割と最近なの。きっと前回異界獣が沸いたときのこと、覚えてる人がいなかったのかもしれない……」

「うああ……最悪だあ」

 俺は頭を抱えた。

 橋で撮影された映像を見て俺は、

「もうこれ橋落としちゃえば、だろ」

「言わんとすることも分かる。だが丈夫過ぎて現状の装備では火力が足りない」

 シスターベロニカが小さく頭を振る。

「なによそれ。教団なにやってたんだ」

「……私にもわからん。きっと古い方の橋のデータしか本部になかったのだろう。作り替えられた後、強度が増した分の装備が送られて来なかったのが、現実だ」

「……で、念のために聞いてみるけど、応援は?」

 シスターベロニカはまた首を振った。

「だろうな。じゃ、軍は。橋落とすぐらい手伝ってくれるでしょ?」

「それも無理だ。警察ががんばって向こう側を封鎖してくれているが、それ以上は無理だ。そして、橋のこちら側は妨害電波やケーブルの通信遮断で情報封鎖をしているが、さすがに軍を出してしまうと一切合切が明るみに出てしまう……。我々だけでどうにかするしかない」

「そんで……此の期に及んで、まだ俺を出す気がないわけ?」

「ああ。死んでも出す気はない」

「バカだろ」

「かもな。だが、連中と差し違えてでも仕事はやり通す。そして、お前を護る」

「本気でバカだろッ! なんだよそれ、罪滅ぼしのつもりかよ!」

 室内がしんと静まりかえった。

 皆が俺を見ている。

「なにが無期限で休めだよ! なにが任せろだ? 全然出来てねえじゃんか! 俺にはここで指を咥えて見てろってのかよ? あといくらもせずに日が落ちる。そしたら、今の戦力で止められるヤツはもういなくなるんだぞ! この街が終わるんだぞ!」

「……そうかもしれない。橋を落とさないまでも、やつらの数を減らす方法がないか検討していたところだ。下の段だけでも破壊すれば、多少は水に落とせるかもしれない」

「自分で言ってて、その作戦どう思うわけさ」

「正直呆れている。軍にいた時なら、撤退命令を出している。だが、ここは日本で、我々は教団の傭兵だ。……立場が違いすぎる」

 二人の間にしばしの沈黙が流れた。

「橋のデータを。あるんだろ」

 先に口を開いたのは俺だった。

「ダメだ。絶対ダメだ」

「ただでさえ複雑な構造で、今は車だのなんだのでぐちゃぐちゃになってる。データなしでこの状況ひっくり返せると思ってんの?」

「……そんなことをしたら、今度こそお前は」

「なんだよ」

「私は医者ではないから、何が起こるのか正直よく分からない。だが、さらにひどい記憶障害が発生するのは間違いない……」

「結局、俺一人のことなんでしょ。だったら気にする必要はない」

 後ろで黙って聞いていた遙香が、俺の腕をぎゅっと掴んだ。

「行きたいんだよね? ショウくん」

「ああ。ごめん、ハルカ……」

「いいよ。いっといでよ。それがキミの住む世界だっていうんなら、私は止めない」

「遙香ちゃん、君はそれでいいのか?」

 シスターベロニカが訊いた。

「ショウくんの行きたい場所が、ショウくんの生きる場所だと思うから、だから、好きにさせてあげたいんです」

「ハルカ……」

 こいつは俺の心が読めるのか、と驚いた。つい昨晩、アンジェと話したことに似ていたからだ。

「大丈夫、私のこと忘れても、写真があればまた思い出せるよ。だから、行きなさい、勝利。この街を護って」

「ああ。必ず思い出すよ、お前のことも、俺のことも――」

 俺達はは人目もはばからず、強く抱き合った。

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