第207話 奇跡的な異常事態

 一刻も早く結果を知りたくて仕方がないことろだが、席を移るその時まで他の人に明かしてはいけないというルールがあるので、まだ栞と確認し合うことができない。


 これは不正防止の策であり、さらにこっそりとトレードしようとしてもバレれば罰則があるという徹底ぶりだ。リスクを冒してまでそんなことをする人間はそうそういまい。


 俺も先生のド真ん前という席はごめん被りたいので、確認した紙はもう一度折りたたんでポケットにしまっておいた。


 そうしてウズウズしながら待つこと数分、ようやく最後の一人がクジを引き終わった。


「ちゃんと全員クジを引いたわねー? 引いてない人がいたら挙手しなさーいっ。箱が空っぽだから大丈夫だと思うけど」


 先生がグルリと教室を見渡して誰の手も挙がっていないことを確認して、


「それじゃー、移動しちゃってちょうだい。机の中は空にして、荷物も持っていくのよー!」


 その言葉を待っていたかのように、ガヤガヤと大移動が始まる。一部慌てて机の中身を引っ張り出している人もいるが、大多数は前回と同じシステムなのを理解していて予め用意を済ませていた。


 俺も用意を済ませていた側だ。基本帰る時には机の中は空にしていくので特に問題はなし、全ては鞄の中だ。


 栞は……、なぜか慌てている側だった。真面目な栞もいつも俺と同じようにしているはずなのだけど。席替えに気を取られすぎていたのかもしれない、大急ぎで鞄に教科書類を詰め込んでいた。珍しいことだが、わたわたしている姿は貴重だし、それはそれで愛すべき栞の一面。


 簡単に言えば慌ててる栞も可愛い、となる。


 俺はそんな栞へと声をかける。


「栞。先に移動してるよ」


「あっ、うん……。絶対隣に行くんだから、席空けといてねっ! 誰も座らせちゃダメだよ!」


「……無茶言わないのっ。でも、待ってるから」


「うんっ!」


 そんなやり取りをして次に自分に割り当てられた席へと向かう。元の席の主はすでに移動した後だったので、ひとまず鞄を置いておく。座るのは、栞が隣に来てからだ。


 来て、くれるよね……?


 だが、無情にも右側の席に誰かが座る音がした。


 くっ……、座らせるなと言われていたのに。


「おぅ、涼。隣みてぇだな。しばらくよろしくな」


 その誰かとは遥だった。


「……なんだ、遥かぁ」


「おい、なんだとはなんだ。俺じゃ不服かよ!」


「そんなことは、ないけど……?」


 もちろん気心の知れた遥が隣なのは心強い。でも、栞が座るかもしれない席を半分奪われてしまったことになる。


 更に今度は後から声をかけられた。


「俺もいるぞー」


 漣だった。


「おっ、日月も近いじゃん」


「私もいるんだよ。かーづくんっ、お隣さんだね?」


 俺の左斜め後、漣の左の席に声を弾ませながら橘さんが座る。どんどんと周りの席が埋まっていき、内心ヒヤヒヤが止まらない。

 

「うわっ、やった! さっちゃんの隣なんて今日の俺ツイてるじゃん!」


 なんてこったっ……、漣のくせに羨ましい!


 とは思っても言わない、いつも言われている側として。


 それより栞は、まだかな……?


 そう思って見れば、ようやく鞄を手に前の席を立つところだった。栞はきょろきょろと周りを見渡して、俺と視線が合うと目を丸くし、パタパタとこちらに向かってくる。


 そして──


「りょーうっ!」


 俺の名前を呼び、真っ直ぐに胸に飛び込んできた。必死さを感じさせる表情で、目には薄っすらと涙を浮かべて。


「……もしかして、離れちゃった?」


 涙の理由なんて、それしか思いつかなかったんだ。


 でも、違った。


「ううんっ! 隣っ、隣なのっ! そこっ、私の席だよっ!」


 栞はグリグリと頭を擦り付けながら、俺の左隣のまだ誰も座っていない席を指差した。


「まじで……?」


「まじだもんっ。嬉しいよぉっ!」


 栞に冗談を言っている雰囲気はない。つまり、本当に隣を引き当てたということで、怪我は吉兆だったというわけだ。もちろんたまたまなのはわかってるけど、そう思わずにはいられなかった。


「俺も、嬉しいよ。あぁ、もう……。なかなか来てくれないしさ、ずっとドキドキしてたんだからね……?」


「ごめんね。でも、これで今までよりもっと近くにいられるよっ」


「うん……。本当、良かったぁ……」


 安心感から一気に身体の力が抜けて、そのまま椅子に座り込んでしまった。栞も俺の手を握ったまま、新たにあてがわれた席に腰を下ろす。


「えへへ。涼、これからお隣同士、よろしくね?」


「うん、こちらこそ」


 栞と見つめ合い、喜びを分かち合う。でも、その空気に水を差す人物が一人。


「あのさぁ、皆……。私のこと、忘れてないかなぁ?」


 声の発生源を探ると栞の左の席から。そこには机に頬杖をついてジト目になっている楓さんがいた。


 つまり、


 楓 栞 俺 遥

   橘 漣


 という配置になり、今の仲の良いメンバー全員が教室の中央付近で固まったことになる。


「あっ、彩香も隣なんだ?」


「……遅いよ、しおりんっ! しおりんが来る前から私ここにいたのにーっ!」


「あはは……、ごめんね?」


「まったくもうだよ、まったくもう! しおりんってば、高原君のことしか見えてないんだから!」


「まぁまぁ、彩ちゃん。それ、いつものことだから」


「わかってる、わかってるんだよ、さっちん。でもさぁ?」


 楓さんの視線が俺、栞、橘さん、漣の順で移動していく、ジト目のままで。そしてため息を一つ吐くと、ついに本音が爆発した。


「なぁんで私だけ遥と隣じゃないのーー?! 皆してずるーーいっ! 私も遥の隣が良かったのにぃっ!!」


 ずるいと言われましても、ねぇ?


 こればっかりは運だし。


「しゃーねぇだろ。決まったもんに文句つけてんじゃねぇよ。まぁ、俺は彩が隣だと騒がしくてしょうがねぇからな、これで良かったと思ってるぜ?」


 ……むしろ、原因はこっちにありそうな気が。


 これにはその場の全員が同意見だったようで、


「「「「遥(柊木君)が素直じゃないからじゃない?」」」」


 見事なハモりを決めた。


「うぅ……。遥のバカあぁぁぁーーー!!」


「俺のせいじゃねぇーーー!!」


 楓さんと遥の叫びは、未だやまないガヤガヤに飲み込まれていった。


「彩香、どうどう。落ち着いてっ」


 今にも遥に飛びかかりそうな楓さんを栞が宥める。でも、その程度で止まる楓さんではない。


「私は暴れ馬じゃなぁーーーいっ!! っていうかさぁ……。ここだけじゃないんだよ、ずるいのはっ!」


「……ん? それ、どういうこと?」


「しおりん、見てわかんない? 皆もさ」


 楓さんに促されて周りに注意を向けると、どことなく甘酸っぱい空気が。


 あぁ……、なるほど。これは納得せざるを得ない。楓さんが拗ねてしまうのも頷ける。


「さすがは高原君、どうやら気付いたみたいだね!」


「俺だけじゃなくて、皆気付いてるでしょ……」


 ここまであからさまだと、わからない方がおかしい。


 まず前提として、俺と栞を含めてこのクラスには7組のカップルが存在している。これは俺が知る限りなので、もしかするともう少し増える可能性もある。


 この段階ですでに異常だと思う。総勢40人のクラスにおいて、恋人がいる率ならともかくとして、30%超が同じクラス内に恋人がいるなんて異常としか言いようがない。


 今回の席替えではそれ以上の異常事態が発生していた。遥と楓さんを除く6組のカップルが、前後左右のどちらかのパターンで隣接するという奇跡を起こしていたのだった。


 その結果が教室内に漂う甘酸っぱい空気というわけだ。どんな力が働けばこんなことが起こり得るのかはさっぱりわからないが、先生が教壇の上から目を光らせていた中で堂々と不正が行われたとは考えにくい。となれば、なるべくしてなったということなのだろう。


 連城先生もどこか遠い目をしている。先生もクラス内の事情については割と詳しいはずなのでわかってしまったのだろう。


「……こんなことって、ある? 席替え、しない方が良かったかしら……」


 喧騒の中にも関わらず、先生の呟きがなぜかはっきりと聞こえたのだった。

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