第136話 藤堂との決着
廊下の突き当りに設置された掲示板に、今まさに成績上位者の順位が貼り出されようとしている。俺達の学年は300人、貼り出される人数は30人。上位10%ということを考えると、そこに名前を連ねるのはなかなかに大変なことだ。
なんて言ってはいるけれど、栞は今まで一番上を独占しているし、俺も毎回ひっそりと名前をのせていたりする。
ともかく、その中に自分の名前があるかどうかというのは多くの関心を寄せるようで、掲示板の前にはすでに人だかりができていた。
帰りのSHRが少々長引いたせいで出遅れて、俺と栞、その友人達はかなり後ろの方に陣取って待っている。
しばらくすると順位の掲示が終わったのか、集団が一歩前に進むが、まだ俺達の位置からでは遠すぎて確認することができない。さすがに人混みをかき分けていくわけにもいかないので気長に待つことに。
順位を確認し終わったと思しきある人は喜びながら、またある人は肩を落としながら去っていく。それを見送って、ようやくどうにか見える位置までやってきた。
だが、順位表に視線が行く前に気になる男が一人、掲示板の前に立ち尽くしていた。言わずもがな、藤堂である。その背中には悲壮感が漂っているような気がする。
理由はなんとなくわかるが、まずは自分の目で結果を確認することに。声をかけるのはその後でもいいだろう。隣りにいる栞もおそらく同意見、一度顔を見合わせて頷き、同じタイミングで掲示板へと視線を向けた。
『1位 黒羽栞 793点』
『2位 高原涼 767点』
『3位 藤堂平治 762点』
思わず自分の目を疑った。栞がトップであることはもはや疑いもしていなかったが、その真下に俺の名前までもがある。見間違えではないかと、目をこすってみても結果は変わらない。
「わぁっ! すごいっすごいっ!! 涼が2位だよっ!」
俺よりも先に自分のことを棚に上げて喜んでくれる栞の声で、ようやくその結果がストンと胸に落ちた。
「マ、マジかぁ……」
嬉しさよりも驚きのほうが先にくる。栞と目標を立てた時に二人でトップを独占してみたいとは思ったが、まさかこんなに早く実現してしまうとは。栞との差が大きかったので、てっきり俺よりも上に藤堂が来るもんだと思っていた。
「涼も頑張ってたもんねっ。偉いよっ!」
「あ、ありがと! って言っても栞がすごすぎて霞みそうだけど……」
結果を見れば見るほど、栞の異常性が際立つ。もちろん悪い意味ではないが。
俺の彼女さん規格外すぎるんじゃないでしょうか。同じ学校に通っているのが不思議に思えるほどのぶっちぎりだ。
「それでも2位には違いないんだからさ、もっと喜ぼっ?」
「そう、だね」
栞が喜色満面で抱きついてきて、ようやく俺も驚きが喜びへと変わっていく。ただ、そうなってくると気になるのは、ポツンと立ち尽くすこの男のことだ。
もちろん栞も勝負のことは忘れていない。その証拠に栞の制服のポケットには真っ二つにされた藤堂の退学届が入れられている。
「さて、頑張った涼に特大のご褒美を考えなきゃいけないわけだけど、その前に決着つけちゃわないとね。ねっ、藤堂君?」
栞が呼ぶと、藤堂の肩がビクリと跳ね、ゆっくりと振り返った。その顔は悲壮感どころではなく真っ青だった。
「君、か……」
声にも今までの覇気はない。すっかり人が変わってしまったようだ。退学を賭けて大負けしたのだから無理もない。それどころか、その栞との間に俺という予想もしていなかったであろう人間までもがいるのだから。
「藤堂君、勝負の件、ここでお話する? 私としては人の少ないところでしたいんだけど。あっ、もちろん涼は一緒だけどね」
栞が俺の手をきゅっと握った。こう言われれば俺に選択権はない。そもそも栞と藤堂を二人きりにはしたくないので、最初から立ち合うつもりだ。
「あ、あぁ……。勝ったのはそちらだ、好きにしてくれて、構わない……」
すっかり大人しくなった藤堂を引き連れて、試験初日に栞が緊張を解してくれた場所、屋上の手前へとやってきた。階段の下では遥達が人が来ないように見ていてくれることになった。
「さて、藤堂君。恋愛ごときに現を抜かしてる私に、更に涼にまで負けたわけなんだけど、何か言うことはあるかな?」
「……」
藤堂は下を向き唇を噛んだまま何も答えない。
「あれ、何もないの? それとも私の声、聞こえてないのかな?」
「……」
「ん〜、まぁいっか。じゃあ勝手に喋らせてもらおっかな〜」
今までの鬱憤を晴らすため、かどうかはわからないが栞は目一杯藤堂を煽ることにしたらしい。
「今回の試験ね、あなたとの勝負の他にやるって決めてたことがあるの。彩香、って言ってもわからないかな。勉強会してたうちの一人なんだけどね、これまで毎回赤点ギリギリだったんだって。文化祭の実行委員もやってくれてるんだけどね、それが忙しくて今回は本当にやばいって言ってたんだよ。で、その彩香に赤点をとらせないように勉強会をしてたんだけど──」
「もっ、もう、いいだろ……。先日渡したものを、返して、くれ……。提出、してくる、から……」
栞の話を遮り、ようやく口を開いた藤堂だが、その声は震えている。これまで以上の高得点を取って1位になった栞が、更に人に勉強を教えていた。この事実は藤堂には傷を抉るようなものに聞こえたのだろう。
「それは、これのことかな?」
栞は待ってましたとばかりに真っ二つになった退学届を藤堂へ差し出した。それを見た藤堂は目を見開く。
「なっ……! これは、いったいどういうつもりだ……?」
「どうって、藤堂君は退学したかったの?」
ここまで藤堂に対しては冷ややかな態度を取ってきた栞だけど、ここにきて口調が普段通りのものに戻った。これ以上藤堂を痛めつけるのが可哀想になったのか、その真意は俺にはわからないが。
「いや、そういうわけじゃないが……。でも、これでは……」
「別にね、私は退学してほしかったわけじゃないんだよ。というか、本当に退学なんてさせちゃったらフェアじゃないしね」
「フェアじゃない、とはどういうことだ……? 確かに俺は彼氏との別れを賭けさせたはずで、君も彼が一番大事と言ってたじゃないか」
「うん、そうだね。私が負けたら涼と別れるって話だったもんね。涼が私にとって何にも変えられないほど大事っていうのも間違ってないよ。でもね、その条件には穴があるよね?」
「穴、とはいったい……?」
これは勝負をすることが決まった直後に栞が話していたことだ。俺も栞に言われるまでは気付かなかったし、目の前の試験のことで頭がいっぱいになっていた藤堂も気が付かなかったのだろう。
「別れる、とは言ったけどヨリを戻さないとは一言も言ってないよね?」
「なっ……! まさか……」
「やっとわかったみたいだね。もし私が負けていたとしても、藤堂君の前で一度別れるところを見せておいて、その後またすぐに涼と付き合い始めることができたってこと」
「そ、それは、ずるくないか……?」
うん、俺もそう思う。でも誰もダメなんて明言はしていない。なら文句を言うこともできないはずだ。
「ずるいけど、そうすることもできたんだよって話。私が勝った今となっては意味のないことだけどね。というわけで、ずるいことを考えていた代わりに藤堂君の退学もなしにしてあげる」
栞がそう言うと、藤堂はその場に崩れ落ち、涙を流し始めた。
「くっ……。勝負に負けて……、情けまでかけられて……、おまけにその彼氏にまで負けて……。俺はいったいなにをやって……」
その藤堂を栞は困ったような目で見つめる。栞に視線を向ければ、目が合った。ふっと微笑む顔を見るに、栞には何か考えていることがあるらしい。
これは栞が受けた勝負、最後まで好きにしたらいい。俺としては邪魔をするものがいなくなっただけで満足だ。
俺はそれに頷きを返して、静観することにする。
「情けをかけたつもりはないんだけどね。私は藤堂君が本当に退学したいなら止めるつもりは全くないし、そこは好きにしたらいいよ。でも、その前に教えてよ。本当は何がしたかったの? 最初に断っちゃった私が言うのも変だけど、ただ本気の私と勝負がしたかっただけなら、それ以外のことを言う必要はなかったよね? それなのに態々涼と別れるのを条件に出したのはなんで? 本当に努力が報われないと思っただけなの?」
「それはっ……」
栞の言葉に、藤堂は言葉に詰まる。
「私が勝ったんだし、退学もしなくていいんだからさ、それくらいは教えてくれてもいいでしょ?」
「……そう、だな」
藤堂はグイッと袖で涙を拭い話し始めた。依然として立ち上がる気力はないようだが。
「俺には勉強しかなかったんだ……」
「……勉強しかないって、どういうこと?」
「俺は昔からこんな性格だから、周りから煙たがられていた、というよりバカにされていたと言ったほうがいいのかな」
「「……」」
藤堂の性格に難がありそうなことはこの短い期間でわかっていたが、かと言ってここで同意するのも躊躇われる。さすがに死人に蹴りを入れるほど残酷にもなれず言葉に困る。
だが藤堂はそれに構わず続ける。
「そんな俺には友人の一人もいなかったわけなんだが……。あれは中学の時、それも今回のような試験の時に俺は学年で1位を取ったんだ。そしたら、それを知った周囲は俺をバカにしなくなった。相変わらず俺に寄ってくる人はいなかったがな。とにかく見返してやったと思ったよ」
どうやら藤堂も昔の俺のようにずっとボッチとして生きてきたらしい。ただ、俺のそれとは原因が異なる。俺は自分に自信がなくて、それがバレるのが怖くて人と関わるのを避けてきた。
一方、藤堂は人から避けられてきたらしい。更にバカにされていたということなら見返してやりたくなる気持ちもわからなくはない。
「だから勉強が一番大事になったの? バカにされないために?」
「……いや、どうだろうな。最初は確かにそうだったはずなのに、今ではよくわからなくなってきたな……」
わからないなんて言っているが、きっと藤堂にとってその時のことは強烈に心に焼き付いているのだと思う。それこそ、自分の身と心を守るためには1位を取り続けなければならないと思い込むほどに。
それなのに、高校に入学したら自分の上には栞がいた。1位を取り続けることで自分を保っていた藤堂には栞は邪魔な存在だったのかもしれない。
でも、それだけなら自分一人で努力して栞の上に立てばいい。栞が恋愛ごときに現を抜かしているなら、藤堂にとっては好都合だったはずだ。
栞を煽って本気にさせる必要性が見つからない。だからこいつの本心はきっと他のところにある。
「わからないって、自分のことなのに?」
「自分のことだからこそ、と言ったほうがいいかもしれない……。でも、そうだな……。もしかすると俺は黒羽栞さん、君に親近感を感じていたのかもしれない」
「私に……?」
栞は眉根を寄せた。
「あぁ。君も一学期までは誰とも関わろうとしなかったそうじゃないか」
「まぁ、私も色々あったからね……」
栞のことは学年の中でかなり噂になっていた、というのは仲良くなった後の遥から聞いた話だ。入試トップの成績で入学しただけで話題になるのに、その後の自己紹介。広まるのは早かったそうだ。
なので藤堂が栞のことを知っていたとしても何も不思議ではない。ボッチだろうと、他人の会話から情報を得ることはできるのだから。
「その理由までは知らないが、ともかく俺は境遇が似ていると感じたんだよ。だから、その姿に憧れたのかもしれない。一人なのに強い、その姿に。目指すべき目標だと、追い付きたいと思った、んじゃないかな……」
話しているうちに、本当に自分の気持ちがわからなくなってしまった様子。
でも俺にはなんとなく理解ができた。勝手に親近感を持っていた栞に俺という彼氏ができて、友達が増えて楽しそうにやっている。きっとその姿に嫉妬したんだ。
自分が目指していたものが崩れ去った気分だったのだろう。だから勝負を吹っかけて俺と栞の関係を賭けさせたんじゃないかって。
嫉妬の裏には羨望がある。つまり──
栞のことだから、きっと俺と同じ考えに至っていると思う。俺と栞の考えることは割とよく似ているから。
「なるほどね。うん、なんとなく藤堂君のことがわかってきたよ。こんな勝負を持ちかけてきた理由もね。藤堂君、あなた本当は寂しいんでしょ?」
「……」
藤堂は何も言わない、もしくは言えないのかも。
虚勢をはって、人を見下すようにして、わからない振りをし続けていた自分の心を栞に暴かれたのだから。
いや、実際には藤堂も気付いているはず。自分の本心に、本当の望みに。
人から認められたい、そして人の輪に入りたい。この男も一人でいるのに耐えられなくなったということだ。孤独というものは、そう簡単に耐えられるものじゃない。
一人きりで過ごしてきた俺達だから、もちろんその寂しさがわかる。でも、それがわかったとしても許せないものはある。
栞は今までの柔らかい口調を引っ込め、今度は冷たく言い放った。
「でも、やり方が悪かったよね。私達の仲を割くことなんて誰にもできないんだから。だって、そんな可能性が少しでもあるのならね、私が私の全身全霊をもって叩き潰してやるから」
栞の言う通り、藤堂はやり方を間違えた。
自らの望みに手を伸ばすのではなく、人の幸福を羨むだけでは飽きたらず壊そうとした。
その考え方にだけは絶対に共感できない。
「すまなかった……」
栞の強すぎる言葉に、藤堂は床に手を付け頭を下げた。古式ゆかしい謝罪スタイルである土下座。人がしているのを見るのはこれが初めてだ。だが、本気で謝っているのだというのは伝わってきた。
それを見た栞はふっと表情を緩める。
「いいよ、許してあげる。私もね、涼と出会えたから今こうしていられるけど、そうじゃなかったらどうなっていたかわからないし」
栞はそう言うが、俺と出会わなくても藤堂と同じことにはならなかったと思う。栞は自分一人でずっと抱え込んで壊れていく、そういうタイプだ。俺がいる限り、もうそんなことはさせないけれど。
「でもね、私は自分で行動したよ。うまくいかないことだらけだったけど、それでも涼との第一歩は私から踏み出したの。いつも涼に頼りっぱなしの私だけどね、それだけはできたんだよ」
「君は、強いんだな……。俺には──」
「私にあれだけ突っかかってきた藤堂君が何言ってるの?」
すっかりしょげてしまった藤堂の言葉を栞が遮った。
「──は?」
「あんだけのことができるならさ、自分の態度を見直すだけのことなんじゃないの? その程度のこと、どうしてできないって決めつけるの?」
「え、いや、その……」
「私はね、弱い人間だよ。こうやってまともでいられるのは涼がいるからなの。最初に涼に話しかけた時なんて緊張で震えてたんだから。ほら、私に比べたら藤堂君の方が強いじゃない。最初だってあんな大声で教室に突入してきたでしょ?」
「うっ……。それは、そうだが……」
「ってことで、もう話はおしまいでいいよ。私もなんかわけわかんなくなってきたし。後は自分でどうにかしてね。さすがに私もそこまでは面倒見きれないから」
「えっ、えぇ……」
栞は一気に捲し立てたかと思ったら、話を切り上げてしまった。突き放したように見えるけど、栞もとんだお人好しだ。ここまでの言葉をかけてやる義理などないというのに。
「それじゃ、帰ろっか、涼」
「うん、栞の気が済んだなら」
栞が終わりと言うなら俺もここにいる意味はない。栞と手を繋いでこの場を後にしようと階段を数段降りたところで栞が立ち止まった。
「あっ、そうそう、藤堂君」
「……?」
栞に呼ばれた藤堂だが、もう声を出す気力すらなさそうだ。視線だけを栞へと向けていた。
「退学を取り消す代わりに一つだけ条件。あなたが壊そうとしたものがどんなものなのか、その目で見せてあげる。文化祭の一般公開の日、私が指定した時間と場所に必ず来ること。いい?」
有無を言わさぬ栞の雰囲気に、藤堂は力なく頭を縦に振った。それを見届けて、今度こそ俺達はその場を後にした。崩れ落ちたままの藤堂を一人残して。
「で、藤堂をアレに呼ぶの……?」
「ダメかな? 私としてはあの人が後悔するくらいに見せつけてあげたい気分なんだけど」
「栞がそう言うならいいけど、問題を起こさないかちょっと心配というか……」
「もうそんな気力もないでしょ。たぶん反省もするだろうしね。だからね、涼。幸せいっぱいな式にしようね?」
「……ん、わかったよ」
こうして新崎さんに引き続きもう一人、俺達の式に参列する人間が増えたのだった。
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