第84話 関係のアップグレード 1
「それじゃ涼君はここに座ってね」
「え、あ、はい……」
突然連れてこられた黒羽家。文乃さんの指示でリビングのローテーブルの前に座らされる。
「で、栞はその隣ね」
「はーいっ」
俺の左隣に栞が座り、ぴったりと身を寄せてくる。ニッコニコの笑顔が可愛いが、俺は正直それどころではない。
「涼君のご両親はそちらへどうぞ」
俺の右斜め前に父さん、その奥に母さんが腰を下ろす。母さんは余所行きの笑顔、よくわからないまま連れてこられた父さんは俺と同じような困惑した表情をしている。
「えっと、文乃? これはいったい……?」
聡さんも、突然押しかけてきた俺達を見て戸惑いを隠せない様子。無理もない。俺だってどうしてこうなったのか説明してもらいたいところだ。
「いいからあなたも座って」
「お、おい……」
無理矢理座らされた聡さんは栞の左斜め前、うちの父さんの向かい側だ。そして最後に、全員分のお茶を用意してきた文乃さんが聡さんの横に腰を落ち着けた。
「さて、それじゃせっかく集まったことですし、簡単に自己紹介でもしましょうか」
「そうですね、ならまずはうちの主人から。ほらっ」
母さんに脇腹を突かれた父さんが狼狽えながらもどうにか口を開く。
「えっと……、涼の父の
うん、この状況で、父さんよく頑張ったよ……。
前の俺と同じくらい人見知りな父さんに心の中で称賛を送る。父さん、こんななくせに仕事はできるらしいから不思議なんだよな。母さんが前にそんなことを自慢気に言ってたっけ。
なんて、俺は現実逃避しながら考えていた。
「で、私が涼の母の水希です。よろしくお願いしますね?」
母さんが名乗った後は栞のご両親の番。聡さん、文乃さんの順で自己紹介を済ませていく。
「で、いったいこれはどういうことなんだい?」
聡さんが当然の疑問を文乃さんにぶつける。
「ふふ、それはね。涼君があなたにお話があるんですって」
文乃さんがそう言った途端、その場の全員の視線が俺に突き刺さる。父さんも母さんも何も言わない。どうやら静観することにしたらしい。まぁ、母さんはニヤニヤしてるから後で文句の一つも言ってやるとして。
栞すら俺の言葉を待っているかのように、じっと見つめてくる。そんな状況にキリキリと胃が痛む。
だが、ふと思う。ここでグズグズしていたら昔と同じなんじゃないのかって。
初めて会ったあの日、聡さんは俺にもっと自信を持ってもいいと言ってくれた。その聡さんの前で昔と変わらない姿を晒していいものなのか。情けない俺のままでいたら、栞との交際にも難色を示されるかもしれないし、それは困る。
できればちゃんと認めてもらって、栞との関係を続けていきたい。
それに、俺に自信をくれる栞は今も隣にいてくれる。そう思ったら、少しだけ背筋が伸びた。
どうせ大したことを言うつもりはないのだ。何故か全員勢揃いにされてしまったが、言いたいことの用意だけはしてあるわけだし。
それが母さんや文乃さんの期待するものかどうかはわからないが、そんなのは今はどうでもいい。
俺の伝えたいことだけをしっかり伝える、ただそれだけを考える。
「えっと、聡さん」
「な、なんだい……?」
急にしゃっきりした俺に聡さんは動揺を隠せないらしい。でもまぁいいだろう。伝えてしまえばきっと、なんだそんなことかと笑ってくれる、……と信じることにする。
「その、ご報告が遅くなってすいません。聞いているとは思いますけど、栞とお付き合いをさせていただくことになりました。聡さんが背中を押してくれたおかげです」
「いや、私はそこまでのことは……」
「そんなことないですよ」
あれのおかげで、栞を笑顔にしているのが俺だって認めることができた。告白をし合った時に、不安になっていた栞を受け止めることができた。
聡さん自身は何気なく言ったのかもしれないけれど、俺はそう思っている。
もう一度しっかりと聡さんの顔を見る。目を見て、今一番伝えたいことを口にする。
「あの、栞のこと、ずっと大事にしますので……、これからもよろしくお願いします」
なんとか言い切ることができた。
よろしくお願いします、なんて曖昧な言葉だけど、色々悩んだ結果だ。俺達を見守っていてほしいし、できれば聡さんと文乃さんとはいい関係を築きたい。そう思えばこその言葉だった。
「涼っ……!」
栞が抱きついてきた。真っ赤に頬を染め、感極まって瞳から雫が零れ落ちそうな、そんな表情で。
「はぁ、まったく……、男子三日会わざれば、とはよく言ったものだね……」
俺達の姿を見た聡さんは頭をポリポリと掻きながらそう呟いた。そして、真っ直ぐに俺を見据える。伝えきったことで気が緩んだ俺も、その鋭い視線にまた背筋が伸びる。
「涼君、君の言う『ずっと』とは結婚やその先のことも含めてかい?」
「それは、そう、ですね。栞とはずっと一緒にいるって約束しましたし」
いや、違うか。約束したからなんかじゃない。もちろん約束も大事だけれど、本当のところはそこじゃない。
「俺自身がずっと栞に隣りにいてほしいって思ってます」
これが偽らざる俺の気持ちだ。約束に縛られているのではない。俺と栞の気持ちが先にあってこその約束なんだ。結婚なんてまだまだ全然想像もできないけれど、漠然とだが栞とならそうしたいと思う。
「はぁ……」
俺の答えを受けて、聡さんは大きく息を吐いた。
「文乃」
「はい?」
「いつかこんな日が来るかもしれないとは思っていたが、意外にも早かったようだね」
「そうね。でも、あんなに幸せそうな栞、今まで見たことあるかしら?」
「……ないね、残念ながら」
「でしょ? 私はお似合いだと思うわよ、この二人」
「そう、だね」
文乃さんはふっと微笑み、聡さんもそれに頷きを返す。
その様子に俺はほっと胸を撫で下ろす。大丈夫だろうとは思っていたが、とりあえずは交際を反対されることもなく、認めてもらうことができたようだ。
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