第80話 風呂場への侵入者

 夕飯を終えた後、栞から今日も先に入ってきてと言われて風呂場に向かう。


「ふぅ……」


 頭からシャワーを浴びると、思わず息が漏れた。


 夕飯前から今に至るまで、散々栞にからかわれてちょっぴりぐったりしている。栞にからかわれるのは全然イヤじゃないが、そのからかい方が心臓に悪いのだ。いちいちドキドキさせられる。


 ひとまずさっさと身体を洗って、ゆっくり湯につかって心を落ち着けよう。そう思ってシャンプーを手に取り髪を洗い始めた時、風呂場への侵入者があった。


 それが誰かなんて今更言う必要もないだろう。


「涼、入るよー?」


 カチャリと風呂場のドアが開いて栞の声がした。髪を洗っている最中なので目を開けられないが、ペタリという足音がして中に入ってくるのがわかる。


 慌てて、咄嗟に手探りでタオルを取って腰に巻き付けた。


「ちょ、ちょっと栞?!」


「あっ、ダメだよ、振り返ったら。今何も着てないんだから」


「っっ……!!」


 ドクンっと心臓が跳ねた。いや、振り返ったところで目は開けられないし、そこは大丈夫なのだが。どうしても昨夜の栞の姿を思い出してしまう。


「なーんてねっ。冗談だよ、ちゃんとバスタオル巻いてるから」


 なら一安心、なのか……? でもちょっとだけ残念な気もする。


「あれれ? もしかして見たかった? タオル取ろうか?」


「そ、そのままでお願いします……」


 見透かされてるようで恥ずかしくて、絞り出すように呟くと栞はクスリと笑う。いきなり入ってきた栞の考えは読めないが、とにかく俺の理性のためにも今はそのままでいてもらった方がいい。


「ふふ、しょうがないなぁ。じゃあこのままでね」


 そう言いながら栞が後ろから抱きついてきた。俺はこうして耐えようとしているのに、なぜか栞は積極的にくっついてくる。


 背中に感じる栞の存在。確かにタオルは巻いているらしいが、ふわっとした柔らかい栞の身体の感触が押し付けられておかしくなりそうだった。


 そのまま栞は俺の耳元で囁く。


「ね、涼。私も一緒に入ってもいい? ダメって言っても戻らないけど」


 俺の耳をくすぐるように発せられた栞の言葉が俺の理性を溶かしてしまいそうで、心がグラグラする。


「それじゃ結局──って、冷たっ!」


 栞が背中から離れたかと思ったら、いきなりシャワーで頭から冷水をかけられた。熱を帯び始めていた思考が一気に冷やされる。


「頭流しちゃうから目開けちゃダメだよー?」


「いや、言う前にっ……! というか栞っ、冷たいっ!」


「ふふ、涼が熱くなってそうだったから冷ましてあげようかなーって思ってねー」


 クスクスと笑いながらも水をかけるのをやめない栞。夏場だからまだ平気だけど、さすがにちょっとビックリする。


 泡があらかた流されたようなので目を開けて栞を見ると、いたずらが成功した子供のように楽しそうに笑っていた。でもちょっと顔が赤いのは恥ずかしさがあるからだろうか。


 わかってはいたが、ちゃんとバスタオルを巻いていて、そこは安心する。でもやっぱりどこか無防備で目をやり場に困る、でも今は──。


 俺は栞の手からシャワーヘッドを奪い取った。


「栞? 覚悟はできてる?」


「キャー! 私、何されちゃうのー?」


「いたずらっ子にお仕置き!」


 キャッキャとはしゃぐ栞に、水が出っぱなしのシャワーヘッドを向けた。


「わっ! ちょっと涼! 冷たいよっ!」


 いきなり身体に冷水をかけるのは可哀想だったので手や脚にかけてやる。栞は逃げようとするが狭い風呂場だ、逃げ場なんてない。


「思い知った?」


「ごめんなさーい! だからやめっ……、やめてって!」


「だーめ、やめない」


「冷たいよっ! もうっ、涼ってば!」


 今度は栞がシャワーヘッドを奪って俺に水をかけて、しばらくそんなことを繰り返しながら子供のように水遊びに興じることとなった。


 *


「さむっ……!」


 夏場とは言え、こんなことをずっとしていれば体温が奪われるわけで、いつの間にか冷え切っていた身体がブルっと震えた。


 栞の方も結局ずぶ濡れで、バスタオルが張り付き、身体のラインが浮き彫りになっている。


「あっ、ごめんね。もうやめよっか」


「うん、風邪引いてもイヤだしね」


「じゃあ背中洗ってあげるから後ろ向いて?」


 栞は水を適温のお湯にしてかけてくれる。こういう時の栞はただただ優しい。


「いや、自分で洗えるけど……?」


「私がやりたいのっ。ほら早くっ」


 こうなると栞は引いてくれないのは今までの経験でわかっているので素直に従うことに。栞はボディソープを泡立てて、自分の手で俺の背中に広げていく。


「涼は背中も大っきいねぇ。やっぱり男の子だね」


「そりゃ俺も一応男だからねぇ……」


「そうなんだけどね、こうやってちゃんと見るのって初めてだから。思ってたより筋肉ついてるし」


 栞はそんなことを言いながらペタペタと俺の背中に触れ、撫で洗っていく。自分ではいつもタオルで洗っているので、栞の手の感触がこそばゆい。でも栞に触れられていると思うとなんだか嬉しい気もする。


「ねぇ、前はどうする?」


 背中が終わると栞はそう聞いてきた。タオルで隠してはいるけど、前はよろしくない。色々とまずい。


「じ、自分でやるから」


 そう答えると栞はちょっと残念そうだったが、さっさと自分で身体を洗って流す。


「むー、残念。じゃあ今度は涼が私の背中洗ってよ」


「触っても、大丈夫なの?」


「うん、平気だよ。ほら、交代して?」


 栞は立ち上がった俺と入れ替わるようにバスチェアに腰を下ろし、俺に背を向けてハラリとバスタオルを取り去る。


 俺の目の前に現れた栞の背中は白く滑らかで──。


「ね、お願い?」


 栞の言葉に誘われるように、してもらったのと同じようにボディソープを手に取り泡立てて、それを塗り拡げるように栞の背中に触れる。もう自分が何をしているのかわからなくなってきた。ただ、栞の肌の感触を楽しむように手を触れる。


「んっ……。ちょっとくすぐったいかも……」


 俺が手を動かす度に栞の身体がピクリと震える。


「でも、気持ちいい……。やっぱり、涼の手、好きだなぁ……」


 頭の中で何かが軋むような音がするような。これ以上続けると止まれなくなる気がするので、あらかた洗ったところでお湯をかけて流してあげた。


「涼、前は……?」


「自分でどうぞ……」


 本当にギリギリなんだから、あまりそういうことを言わないでほしい。『……ケチ』と呟く栞を無視して、逃げるように湯船に入り視線を逸らした。




「私も入るからちょっと詰めて?」


 しばらくすると、洗い終わったのか栞に声をかけられた。


「う、うん」


 ここまでくると、もうどうとでもなれという気持ちになって、身体を端に寄せた。視界を栞の脚、お尻、背中が順に通り過ぎていき、栞は俺の脚の間にすっぽりとおさまった。


 そのまま栞は俺に背中を預けてくる。


「ねぇ、涼。ぎゅってして?」


 俺の両腕に触れながら栞はそう言う。要望通りに抱きしめると、振り向いた栞にキスされた。その顔は赤く、そして瞳はとろみを帯びている。


「あのね、涼」


「うん?」


「さっきは冗談にして逃げちゃったんだけど……、私ね、もっと涼に触れてほしい。涼の手で触ってもらうの好きなの。こうやってね、優しくぎゅってされるのももちろん好きなんだけど、それだけじゃなくて、もっと他のところにも。涼に触れられてないところがなくなるくらいに、ね」


「えっと、いいの……?」


「うん。涼のことだから、私の身体のこと気遣ってくれてるんだとは思うんだけどね」


 俺の考えてることなんて栞にはお見通しだったらしい。確かに俺は栞を心配して耐えてたんだ。昨日の今日で、栞に負担をかけたくなくて。


「でもね、そうやって優しくされると私の方が我慢できなくなっちゃうんだよ……」


 それが逆に──。


「ねぇ、このまま涼の部屋、行こ?」


 栞にここまで言わせてしまって、自分が情けない。


「臆病で、ごめん……」


 栞は態度で示してくれていたのに、栞を言い訳にして意気地がなかっただけな気がして。


「ううん、大事にしてくれてるのわかるから。そんな優しい涼だから好きになったんだもん」


 栞は自己嫌悪に陥りそうになっていた俺ににっこりと笑いかけてくれる。俺も栞のこういうところが好きだ。後ろ向きになりそうな時に前を向かせてくれる、そんな栞が。


 もう一度栞をしっかりと抱きしめ、そして耳元に口を寄せて囁く。


「栞、好きだよ」


「私も、好き」


 ここまでされたらすでに手遅れな気もするけど、ここからは俺が──。


「風呂、あがろっか?」


 栞の手を取って立ち上がると、栞は真っ赤な顔でコクリと頷いた。


 きっと精一杯の勇気を出して伝えてくれたんだろう。そう思うと、より一層栞が愛おしくなるのだった。



──────────◇──────────

こちらの近況ノートにこの話のAIイラストを用意いたしました。


https://kakuyomu.jp/users/resty/news/16818023213206655419

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