第47話 『おやすみ』の効果
◆黒羽栞◆
気付くと私は茜色に染まる自分の部屋にいた。それもベッドに横になってる状態で。
記憶が繋がらなくて、思考の定まらない頭が思い切り混乱し始める。
確か私は継実さんの美容室の待合のソファで、涼のカットが終わるのを待っていたはず。なのになんで自分の部屋にいるの……? 涼もいないし。ということは今までのは全部夢? えっ、ならどこから……?
ここ数日の幸せな時間までもが全て夢だったんじゃないかって怖くなった。震えそうになりながら起き上がると、枕元から何かが床にヒラリと落ちるのが目に入った。私はベッドから抜け出して、それを拾い上げた。
『おやすみ、栞。気持ちよさそうに寝てるから、今日は帰るよ。また夜に電話するね。 涼』
床に落ちた紙にはそう書かれていた。見覚えのある涼の字だ。それを見た途端、安堵で涙が出そうだった。涼が毎晩電話しようねって言ってくれたのは夢じゃなかったってわかったから。ということはそこまでの出来事も夢じゃない。良かったぁ、と思うと同時に意識がはっきりしてきて、記憶も鮮明になって。
……やらかしたぁ!
そう思い至るのにあまり時間はかからなかった。涼を待ってる間に私は寝てしまったのだ。大丈夫と言ったくせに眠気に抗えなかったらしい。
慌てて涼に電話しようとしてスマホを手に取ると、継実さんから画像が送られてきていることに気付いた。でも、涼に電話する前にそれを開いてしまったのは間違いだったかもしれない。
だって……、だってだって……!
涼にお姫様抱っこをされながら眠る私の写真だったんだもん。端っこにはお母さんまで写ってるし。つまり、お母さんが迎えに来てくれて、涼が運んでくれたってことで……。
私の頭は一瞬で茹で上がった。
寝顔……、涼に見られたぁ!
うぅ、恥ずかしいよぉ……!
それにこんな美味しいシチュエーションで呑気にぐうすか寝てたなんて、もったいなさすぎるよぉ……! なんで起きなかったの私!
恥ずかしい、もったいない、申し訳ない、色んな感情が押し寄せてきて、涼に電話するところじゃなくなってしまった。私はベッドに逆戻りしてお母さんが夕飯に呼びに来るまで悶えていた。
もちろん夕飯の時にお母さんからはしっかりお説教をもらってしまった。涼から寝てなかったことを聞いたみたいで、バカなことをするなって言われた。
完全に私が悪いので、反論の余地もない。最後まで殊勝に黙って聞かざるを得なかった。
*
お風呂と歯磨きまで済ませて自室に戻ると、タイミングを見計らったかのように涼からの着信があった。涼の名前を見てまた動揺してしまったけど、約束した手前出ないわけにもいかなくて。
「涼、ごめんなさい!」
とにかく一番に謝罪した。
『ううん、いいよ。元気そうで安心した』
優しい涼の声と言葉に更に申し訳なくなる。
「おかげさまで、いっぱい寝たから……」
『よく寝てたもんね。でもね、あんまり無理しないでよ。今回は寝ちゃっただけで済んだけど、倒れちゃうかもしれないでしょ?』
迷惑をかけたっていうのに優しすぎるよぉ……。そんなに優しくされたら、もっと好きになっちゃうじゃん……。
「うん、これからは気を付けるね。それで、あの、えっとね……、涼が私を運んでくれたんだよね……?」
写真を見たから運んでくれたのはわかってるんだけど。でもそういうことじゃなくて……。
『あ〜……。継実さんから写真送られてきたんだよね……? ごめん、寝てる間に栞の身体に触っちゃって。文乃さんに言われて仕方なく……』
お母さんナイス! って、そうじゃない!
涼の気にするところそこなの? 別に涼になら触られてもイヤじゃないのに。というか、本当はもっと触れてほしいのに。
抱きしめられるとフワフワするし、頭を撫でられるとふにゃ〜ってなっちゃうし、それに……、キス、だってしてみたいし。
って、何考えてるの私?! でもでも……
あうぅ、またこないだのキス未遂思い出しちゃった……。キスしたくて仕方なくなっちゃうじゃん……。
う〜! でもこんなの言えるわけないし……。
恥ずかしいし、はしたないって思われちゃうかもしれないもん。
「ううん、平気! 運んでくれてありがとね」
煩悩でグルグルしながらも、ギリギリ精一杯でなんとかお礼だけは伝えた。本当はね、起きてる時にまたしてほしいって言いたかったんだけど……。
迷惑かけた直後にそんなおねだりなんてできないよぉ……。
『それくらいは全然。それよりさ、写真見たと思うけど、俺の髪、どうかな? 変じゃない?』
涼が話題を変えてくれて助かったのやら、残念なのやら。
でも、そういえばお姫様抱っこに気を取られすぎて、肝心のそこを見落としていた。これだって私の我儘に涼が付き合ってくれたのに。でもどうせなら、実際にこの目で確認したい。絶対格好良くなってるって自信はあるし。
「そこはちゃんと直に見せてもらおうかなぁ。ねぇ、明日もまた涼のうち行ってもいい?」
『今更何言ってるの。いいに決まってるじゃん。またいつもくらいに来る感じ?』
本当に今更だよね。夏休みで涼に会ってないの、一日だけだもん。最初はここまでになるなんて思ってなかったけど。
「そうだね。お昼食べたら行くね」
『ん、わかったよ。待ってる。でも今日はちゃんと寝るんだよ?』
また釘を差されてしまった。私が悪いんだけどさ。涼には心配も迷惑もかけちゃったし。でも、たくさん寝た後だけど、今日はぐっすり眠れそう。涼の優しい声を聞いてたら、なんだか安心できて、また眠くなってきちゃった。
「うん、じゃあもう寝ようかな」
『そうしてくれると俺も安心だよ。栞が寝るなら俺も寝ることにしようかな』
「は〜い。それじゃ涼、おやすみ」
『うん、おやすみ、栞』
電話を切ると、とめどなく幸福感がわいてくる。幸せすぎて死んじゃうかもしれない。これからの人生の幸せが今に全部集中しちゃってるんじゃないかって思うくらい。
だって、涼のことを考えるだけで楽しくて、涼に会えたら嬉しくて、涼の声を聞けたら幸せで。涼に触れられたら……、もう言葉になんてできない。それ以上の言葉を私は持ち合わせていないの。
涼も同じように思ってくれてるのかな……?
私、重くないかな?
でも止められないんだもん……。
わずかな不安はあるけれど、それを覆い尽くすような幸福感に包まれながら私は眠りについた。
*
翌朝、信じられないくらいすっきりと目覚めた。これはきっと、涼からの『おやすみ』の効果だと思う。心はとうに涼一色になってるけど、睡眠の質まで握られてしまった。どんどん涼に染められていくのが嬉しい反面、依存しすぎなのではとも思う。
私、どんどんダメになってく気がする。もちろん涼と出会う前までとは違う意味で。今更涼から離れることなんてできないからどうしようもないんだけどね。
とにかく今日は、午後からイメチェンした涼を確認しにいかなくてはいけないので、気持ちを切り替える。といっても、午前中は予定もないしのんびりするんだけど。
朝ご飯を食べてから、シャワーを浴びる。寝起きの汗臭いままで幻滅されたらイヤだしね。
その後、今日も髪を艶々にする。だってちょっとでも良く見られたいんだもん。好きな人にはずっと可愛いって思ってもらいたい女心なの!
でもね、メイクと服装はそこまで気合を入れない。普段からばっちり決めてたら疲れちゃうし、涼も見慣れちゃうもんね。そういうのはここぞという時に取っておくんだ。ここぞって時がいつなのかはまだわかんないけどね。
まだまだ時間はあるけど準備は完了。あぁ、待ち遠しい。早く涼に会いたいよぉ。
って私、最近ずっとこんなんばっかじゃん……!
いつもより長く感じる午前の時間をどうにか潰して、お昼ご飯を食べてから家を出た。夏の日差しが今日も眩しい。
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