第40話 涼の服選び
昼ご飯の後から栞はなんだかパワフルになった。別に空腹が満たされたからではないのだろうけど、遥と楓さんに出遭う前よりもずっと元気な気がする。
予期せぬクラスメイトとの遭遇で色々と不安になってるのかと思ったけど、どうやら空元気でもないようだ。だって、足取りは弾むようだし、心の底から楽しそうな笑顔を浮かべているから。
目一杯楽しむという言葉は嘘ではないらしい。
俺の手をギュッと握ってグイグイ引っ張っていく。俺よりもはるかに小さい身体のどこにこんな力があるのか不思議だ。
「ねぇねぇ、あれなんて涼に似合うんじゃない?」
今日の一番の目的は栞の服を選ぶことだったはず。なのにさっきから俺のものばかり見ている。
「ちょっと待って。栞、自分のはいいの?」
「それは後でね。まずは涼のからだよ。水希さんからもお願いされてるんだから」
「は? 母さんから?」
栞は「ふふん」と笑って、自分のスマホの画面を俺の眼前に突きつけた。そこに表示されていたのは母さんから送られてきたと思しきメッセージが。
『涼は栞ちゃんと並んで歩かせるにはみすぼらしいから、栞ちゃん好みにしてあげてください。そのためならお金は惜しまないから』
どうりであっさりお金を渡してきたわけだ。ありがたいけど、自分の息子をみすぼらしいとか言わないでほしい。それも彼女になったばかりの栞に。
というか、栞と母さんはいつの間に連絡先を交換したんだか。仲良くしてくれる分には構わないけど、余計なことを栞に言わないか不安だ。って、もうすでに言ってるか……。
「ね? そんなわけで大役を仰せつかってるのですよ」
「なんか、母さんがごめん……。せっかくの時間を俺のことに使わせて」
「なんで謝るの? 私すごく楽しいよ? それに涼が格好良くなったら私が嬉しいし。ほら、いいことしかないでしょ?」
「うん、まぁそれならいいんだけど……」
「うんうん、素直でよろしい。大丈夫、私のは後でちゃーんと涼に選んでもらうからね? というわけで、まずはこれね。試着してみて?」
一着のシャツを手渡されフィッティングルームに押し込まれてしまった。
いやぁ、栞の押しが強いのなんの。女性の買い物への熱量を舐めていたかもしれない。
それに後で栞の服を選ばなければならないし。女物の服なんて俺に選べるのか心配になってきた。とりあえずそれは、その辺を歩いてる女の人でも参考にするとして。今は栞の選んでくれた服を着てみることに。
着替えてカーテンを開けると栞の姿はそこになかった。どこへ行ってしまったのか。こういう不慣れなところでいきなり一人にされると心細くなるのだが。栞が隣にいてくれる時は平気なのに、いなくなるとすぐこれだ。
俺が栞を探してキョロキョロしていると、案の定店員さんが寄ってくる。
「お客様、いかがです? それ、今年の新作で人気なんですよ。もうその一着しか残ってなくて──」
困惑する俺をよそに、店員さんは話し始める。いかがですと聞かれても、いつも適当な服ばかり着ていた俺には、自分に対する客観的な視点なんて持てるはずもなく、似合ってるのかどうかさえわからない。
「えっと……、あの……」
なんて返事をしたものか悩んでいると、ようやく栞が戻ってきてくれた。その腕に何着もの服を抱えて。
「あ、もう着替え終わってたんだ。ごめんね、一人にして」
栞の顔を見た途端ほっとする。店員さんも数歩下がって見守る体制になってくれた。それでも、あんまりじっと見られているとやりにくかったり。
「栞、これどうかな? 自分じゃよくわかんなくてさ」
「うーん……、ちょっとイメージと違うかなぁ。でも大丈夫。色々見繕ってきたからね」
「お、おぉ……」
栞のやる気に気圧されながらも、そこからはひたすら着せ替え人形に徹することに。自分でわからない以上、栞に頼るしかないのだ。それで栞好みにしてもらえるのなら不満はない。
随分な時間をかけて、もう何着目なのかわからなくなるほど試着をさせられた。栞がずっと楽しそうにしてるものだから、俺までだんだんと調子にのってきて、いつからか店員さんの視線も気にならなくなっていた。というか、いつの間にかいなくなっていた。ファッションショーのように延々と試着を繰り返す俺達だけに構ってはいられなかったんだと思う。
俺は、着替えるたびに難しい顔をしたり、顔を綻ばせたり、コロコロ変わる栞の表情に夢中になっていた。栞がどんどん感情を表に出すようになってくれたことが嬉しかったんだ。
そして今の俺は上から下まで栞がコーディネートした服に身を包んでいる。
「えっと、今度はこんな感じになったけど?」
カーテンを開けて栞に姿を見せると、ようやく納得のいく形になったのか、満足そうな顔でコクコクと何度も頷いてくれる。それからうっとりした顔になって、小さく「ほぅ」と吐息を漏らしていたりして。
どうやらかなり栞の琴線に触れる仕上がりになっているらしい。自分では服装だけでそこまで劇的に変わるとは思えないのだが、栞的には違うのだろうか。
「涼、それにしよ! そのまま着てくから着替えちゃダメだよ」
栞は興奮気味にそう言い残して店員さんを呼びに行ってしまった。その間に、フィッティングルームに備えられた姿見に自分の姿を映してみた。
似合うかどうかはわからないまでも、ちゃんと選んでくれた服なだけあってか全体のシルエットが綺麗に見える気がする。それだけでなんとなくファッションのいうものの大事さがわかる。
こういうことも、きっと栞に出会わなければ知ることはなかったんだろう。そう思うと、また一つ栞への愛情が増す気がする。栞が隣りにいるだけで今まで知らなかった世界が見られることが素直に嬉しいって思うんだ。
「えっと、彼の着てる服、このまま着ていきたいのでタグを取ってもらえますか?」
栞が店員さんを連れて戻ってきた。
「畏まりました。裾の直しは……、必要なさそうですね」
店員さんが手早くチェックしながらタグを外してくれる。女性の店員さんだったのだけど、服の上からとはいえ触られるとゾワゾワして落ち着かない。栞に触れられるのはドキドキしながらも心地良いのに。
俺が今まで着ていた服は袋に入れてもらって、会計を済ませて店の外へ。母さんからもらった予算的にも俺の服はこれで終わりだ。
つまり次は栞の番。というか俺が頑張る番か?
栞ならなんでも着こなしそうだから、逆に選ぶのが大変そうな……。
そんなことを考えていると、栞が「へへっ」と照れ笑いをしながら、俺の腕に抱きついてきた。まるで俺が栞のものだと主張するかのように、ぴったりと密着して身体を押し付けてくる。そしてそのまま歩き出す。またもや俺は栞に引っ張られることになって。
こんなことをされれば当然色々と意識するし動揺もする。狙ってやってるのかどうかはわからないけれど、俺の腕は栞の柔らかいものの間に挟まれてしまっているのだから。栞は普段身体のラインが浮かびにくい服ばかりなので見た目にはわかりにくいけど、実はスタイルも良い方だと思う。
身体つきをジロジロ見たりすることはなかったのでこれまでは知らなかったけど、こうやって抱きつかれたりすれば否応なしに理解させられる。
身長は低めではあるけれど、細身なくせに出るところは出ていて、普段隠されているものが密着されて直に伝わってきて色々想像をかきたてられ……。
ってやめよう。普通に考えて、こんな場所でそんな想像して、もしも表情に出たりしたら、かなり気持ち悪いやつになってしまう。そういうことを考えるのはもっと関係が進んでからだ。栞のことは大切にしたいし、がっついて嫌われるのはイヤだ。
それに、まだ俺達はキスすらしていないし。想いを伝えあった時に未遂はあったけれど。あれはすごく残念だった。思い出すだけでタイミングの悪い母さんへの怒りが湧いてきそうになるけど、指定した時間を見てなかった俺にも非があるので強く言うこともできなくて。そもそも、もうちょっとでキスできたのに、なんて言えるわけもないのだが。
俺が一人で悶々としていると、突然栞が立ち止まったので、つられて俺も足を止める。栞は上目遣いで俺を見たかと思うと少しだけ背伸びをして、俺の耳元に口を寄せてポソッと。
「あのね、涼。すごく似合ってるし、格好良くなったよ?」
栞のふにゃふにゃに溶けた甘い声で囁かれて、耳がジンと痺れた。それはそこから全身に広がっていって、力が抜けていきそうになる。
不意打ちでそういうことを言うのは本当にずるい。嬉しいけど、心の準備ができてないんだから。
本音を言えば今すぐにでも抱きしめたい。到着早々にやらかしてることもあって、理性がそれを止めるけれど。付き合い始めて、気持ちを抑えなくて良くなったせいか、栞への想いはどんどん膨らんでいく。
俺が何も言い返せないでいると、栞は「えへへ」とはにかむように笑って、また歩き出す。その顔が俺の心を掴んで離さない。
この時、俺は悟った。絶対に栞には敵わないって。どこまでも骨抜きにされてしまうのだろう。付き合いだして数日でこれなのだ。今後どうなってしまうのか、末恐ろしさすらある。
その後しばらくは栞の顔を直視することができなくなってしまった。
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