四章 告白
第29話 初めての黒羽家
「まったくもう、美紀は……」
隣を歩く栞はぶつくさと文句を言っているものの、その表情は明るい。ずっと心に引っかかってたものがなくなった、とまではいかなくても、ひとまずの区切りがついたのでほっとしてるんだと思う。
後は栞の中でこれから少しずつ消化していくんだろう。次に偶然出会うまでの期間、それはそのための時間なんだから。
そんな偶然が起こるかどうかは神のみぞ知るといったところだけど。でもなんとなく、栞は気持ちが落ち着いたら偶然を装って会いに行くんじゃないかって、そんな気もしてる。美紀さんには向こうから会いに来ることを禁止していたけど、栞から会いに行くことについては触れてなかったはずだ。
「涼も美紀の言ったこと真に受けなくていいからね?」
「ん? 栞が寂しがり屋の甘えん坊ってこと?」
「そう、それ!」
「俺はあながち間違ってないと思うけど?」
俺に近付いたのは寂しかったって言っていたし、最近のべったり寄り添ってくる姿は甘えん坊そのものだ。
「むぅ……。涼までそういう事言うんだから。でも……、そうだよね。涼には甘えっぱなしだもん。今日だって──」
「それは違うよ」
俺は栞が言おうとしてることを察して言葉を遮った。だって俺は隣にいただけだ。少しくらい支えられたかなとは思うけど、今日の結果は栞が自分の手で掴んだものだから。
「今日のは栞が頑張ったんだよ」
最初から言うつもりだった言葉をようやく口にする。やっと言えた。タイミングを見計らいすぎて、逆に言えなくなってしまってたんだ。
「そう、かな……? ねぇ、涼から見て私、どうだったかな? あれで良かったと思う?」
今日、初めて不安そうな顔を見せた。
あの答えを出すまでに懊悩があったのだろうし、そしてきっとまだそれは続いてる。答えが正しかったのかどうかわかるのはまだ当分先のことだろうから。
正解なんて当事者でもない俺にはわかるはずなんてない。だから、俺が今栞にかけてあげるべき言葉は決まってる。ただ栞の考えに寄り添うこと。
「栞が頑張って考えて、悩んで出した答えでしょ? なら、それでいいと思う。俺は栞のことすごいなって思って聞いてたよ」
辛い思いをしたはずなのに、美紀さんの謝罪を受け入れて、許すための道を見つけ出した栞の姿はとても立派で尊いものだった。
そんな栞と友達になれたことが誇らしくて、そんな栞を好きになったことが嬉しかった。
「そっか……。涼はそう思ってくれたんだ……。なら、うん。ありがとう、涼」
「どういたしまして」
「でもやっぱり涼がいてくれたおかげなんだよねぇ。涼は何もしてないって言うけどね、隣にいてくれて心強かったよ」
「そっか。役に立てたなら、よかったよ」
あまり意固地になって否定しても仕方がないので、ここは素直に受け取っておく。
栞も笑ってくれているし、きっとこれでいいんだろう。
とりあえず美紀さんとの件はこれで一段落。この後は黒羽家に招かれて夕飯をご馳走になるというイベントが待っている。つまり今度は俺が頑張る番というわけだ。
店を出てから栞に合わせて歩いているのだが、話をしているうちに黒羽家はすぐそこに迫っている。
やばい、だんだんドキドキしてきた……。
美紀さんとの時とはまた違う緊張だ。
「ねぇ、緊張してる?」
そんなのはすぐバレてしまうわけで。
「そりゃするでしょ……」
「ふふっ、大丈夫だよ。今度は私がついてるからね。ほら、早く行こっ」
栞は俺の手を取ると駆け出した。突然のことで俺は足をもつれさせながらも後を追う。もうすぐそこに見えているというのに。でも楽しそうに笑いながら走る栞を見て、少しだけ緊張が解けた気がした。
栞がインターホンを押すと、前回同様に文乃さんが出迎えてくれる。
「おかえりなさい、栞。それから、いらっしゃい、涼君」
「ただいま、お母さん」
「えっと、お邪魔します」
「無理に呼び出してごめんなさいね。それにいつも栞が入り浸ってるみたいで、ご迷惑かけてない?」
「いえ、大丈夫です。母さんも喜んでますし、俺も、その、楽しいですから」
「そう、それならよかったわ。とにかくあがってちょうだい。主人も待ってるから」
栞のお父さんが待ってると聞いて緊張がぶり返してきた。うん、全然解けてない。
リビングに通されるとソファに座ってその人はいた。俺の存在に気付くとにこやかな顔で立ち上がる。
「やぁ、涼君、待っていたよ。はじめまして。栞の父の
「えっと、はじめまして。高原涼といいます。今日はお招きいただいて……」
「あぁ、いいんだ。そんなに硬くならなくても。ちょっと君に会ってみたくて、それだけなんだ。しかし栞、なかなかいい子そうじゃないか。真面目で優しそうで」
「でしょ? でもお父さん、涼をあんまり怖がらせたらダメだよ? さっきから緊張でガチガチなんだから」
「栞?! そういうことは言わなくても……」
「はは……、そんなつもりはないんだけどなぁ……。まぁ、気を付けることにするよ」
栞にたしなめられて苦笑を浮かべる聡さん。いい人そうなのはわかったけど、緊張しなくなるかと言われると、それはまた別の話だ。
そして更に追い打ちをかけるような栞の発言が。
「それじゃ、私はお母さんのお手伝いしてくるから」
「え? ちょっと栞?!」
ついてるからって言ってたのに、まさかの放置。
「今日のお礼にね。ってまた私の料理で悪いんだけど」
「いや、それは嬉しいけど」
「本当?! じゃあ頑張る!」
嬉しそうな顔をして俺を残してキッチンへと行ってしまった。
確かに先日、素直に受け取るとは言ったけど。こんな早く次が来るなんて思ってなかったわけで。それに我が家ならまだしも、栞の家で栞抜きの状態にされるとは。
文乃さんも栞を追ってキッチンに行ってしまったし、残されたのは俺と聡さんの二人きり。さすがにどうしたらいいのかわからず途方に暮れてしまう。
「涼君、ちょっとだけ話をしようか」
聡さんに声をかけられて、無意識に身体がはねた。
「そう怯えなくても大丈夫。別にとって喰いやしないよ」
「は、はい」
聡さんに促されて、ソファで隣合って座ることに。腰を落ち着けると、聡さんは静かに口を開いた。
「まずは涼君、栞と仲良くしてくれてありがとう」
「いえ、俺の方も栞さんには……」
「さっきは呼び捨てにしていただろう? 私の前だからって気にしなくてもいい。いつも通り呼んでくれて構わないよ。その方が君も話しやすいだろうしね」
優しい言葉と口調に少しだけ安心した。なんというか、娘とはどういう関係だ、みたいな問い質される展開にはならなさそうだ。まだ友人関係なので、そもそも問題にはならないだろうけど。
「えっと、はい。それじゃ……、俺も栞には感謝してるんです。俺なんかと仲良くしてくれて」
「なんか、か……。涼君は自分に自信がないのかな?」
「えっ……。えぇ、まぁ……」
いきなり痛いところをついてくる。最近少しはマシになってきてると思うけども。それは栞がいてくれるのが大きくて、こうして初対面の大人の人を前にするとどうしても前の自分が出てきてしまう。
「私はそこをとやかく言うつもりはないけどね。でももう少し胸を張ってもいいとは思うよ」
「えっと……、それは?」
「私はね、涼君にお礼を言いたくて呼んだんだ。これが今日の本当の理由だよ」
「お礼、ですか?」
「そうだよ。栞が塞ぎ込んでいたのは君も知っているだろう?」
「はい」
入学式で初めて姿を見たことから始まり、自己紹介、クラス内での振る舞い、花火の日の出来事から今日の話し合い。中学時代のことは話に聞いただけだけど、今の栞に至る経緯は知っている。
「親としては恥ずかしい限りなんだけど、栞がなにか抱え込んでるのはわかっていても、何もしてやることができなかったんだ。話を聞こうにも何もないって言って教えてもらえなくてね」
聡さんは寂しげに笑った。
大事な娘が苦しんでいる時に何もできなかった。それは親として、きっととても辛いことだったんだろう。
「けどね、最近の栞は少しずつ笑うようになって、今ではほら、あんなに楽しそうにしてる」
聡さんの視線を追ってキッチンに目を向けると、そこには文乃さんと笑いながら会話する栞の姿があった。
「そうですね。明るくなったと思います」
最初に会話をした時に比べると、栞はそれこそ別人かと思うくらいになった。全く笑わなかった栞が口元に少し笑みを浮かべるようになって、顔を隠してた髪も切って、今ではあんなに……。
「そうだろ? でもそれはね、たぶん、涼君のおかげなんだよ」
「俺、ですか?」
「私は話を聞いただけだけどね。栞は妻に君のことをちょくちょく話してるみたいでね。栞があんなふうに笑うようになったのは、涼君の名前が出るようになってからなんだ。だから、私達は君に感謝してる。私達ができなかったことをやってくれた涼君に、ね」
「俺が……」
「うん、涼君のおかげだ。少なくとも私はそう思ってる。だから今すぐとは言わないけど、もっと自信を持ってくれると私も嬉しいかな。もちろん、栞もそう思ってるだろうしね」
確かに栞が変わっていく途中、ずっと隣りにいたのは俺だ。初めてできた友達に浮かれて、友達ならこうするのが普通じゃないかと思ってやってきたことが栞の力になっていたとしたら、そんなに嬉しいことはない。俺にもそんな事ができたなら……。
「わかり、ました。すぐには無理かもしれないけど、覚えてはおきます」
俺の答えに聡さんは満足そうに頷いてくれた。とりあえず認めてもらえたってことでいい、のかな?
「涼君、これからも栞のことをよろしく頼むよ。きっとあの子には君が必要だ。もちろん私達とも仲良くしてくれると嬉しいけどね」
今日は色んな人から栞のことをまかされてる気がする。それだけ人から見て俺と栞の距離が近いということで。美紀さんとの件も一応の決着を見たし、俺の気持ちにもそろそろ向き合うべきかもしれない。こちらはもう少し機を見る必要はあるだろうけど、もう一度しっかり覚悟だけはしておこうと心に決めた。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
俺と聡さんはキッチンにいる栞にバレないように固く握手を交わした。
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