第27話 栞の手料理と涼の心配

 眠りの中、近くで人の気配を感じた。


「───ね。う──────私に────って─れる?」


「も───です!」


 なんか話し声も聞こえる気がする。何を言ってるかまではわからないけど……。


 ──カシャッ。


 カメラのシャッター音のようなものが俺の耳に届いた。


 ん?


 その音で意識がはっきりしてきて、目を開く。まだぼんやりする視界の中に栞の姿がある。栞はスマホを手に俺の顔を覗き込んでいた。


「あっ、涼起きましたよ。おはよ、涼。よく寝てたね」


「おはよ。ねぇ、もしかして、今俺のこと撮った……?」


 栞のスマホのカメラの部分が俺の方に向いてる気が……。


「き、気のせいじゃない?」


「じゃあなんでそんな動揺してるの?」


「し、してないけど?」


 そっぽを向く栞。たぶんこれは確定だ。


「なら、スマホ見せてよ。撮ってないなら見せれるでしょ?」


「だ、ダメだよ。人のスマホを無理矢理見ようとするなんてよくないことだと思うよ? ですよね、水希さん?」


「そうよ。ダメよ、涼」


 『ねー?』っと顔を見合わせて笑う栞と母さん。


 どうしたんだ、この二人は。

 なんでこんなに仲良くなってるの?

 俺の寝てる間に何があったの?


 出かけていく前とはまるで違う二人の様子にただただ戸惑うばかりだ。


「それより涼、こんなところで寝てちゃダメじゃない。夏休みだからってだらけすぎ。栞ちゃんを見習ってもう少ししっかりしなさい」


 なぜか始まった説教。朝はもっと早く起きろだの、夜更かししすぎるなだの、夏休みの宿題早く終わらせろだの。朝と夜に関してはその通りなので言われても仕方がないけれど、宿題はちゃんとやってるはずなのに。栞を見習うも何も、一緒にやってるから進捗は同じはずだし。


 これによって、写真を撮られたかもしれない件は闇に葬られてしまった。理不尽極まりない。


 栞なら誰かに見せたり、おかしなこと使ったりしないと思うから別にいいんだけど。俺の寝顔なんて撮ってどうするのかはわからないが。


 説教が終わると、母さんは栞と一緒にキッチンで夕飯の支度を始めた。


 なんだか今日はずっと母さんに栞を取られてる気がする。母さんが俺を放置するのは別になんとも思わないけど、栞にまでほったらかしにされていると思うと少しだけ面白くない。母さん相手に嫉妬しても仕方がないのだけど。


 母さんと楽しそうにしている姿は、それはそれで悪くはない。もし恋人になれるのなら相手の親とも良好な関係が築けている方がいいに決まってるから。


 ……あ。つまり俺も頑張らないといけないってことか。明後日、栞のお父さんと初対面することになっているわけで。今から緊張で胃が痛いけど、みっともない姿だけは晒さないようにしなければ。


 ちなみにだが、俺の父さんと栞は一度だけ顔を合わせている。俺と同年代の女の子とどう接していいのかわからないらしい父さんは、挨拶だけすると引っ込んでしまった。仕事の日は帰りが遅いし、休みの日くらいしか家にいないので、栞と顔を合わせる機会も少ないと思って放置している。


 最近少しだけ改善の兆しがあるとはいえ、俺の人見知りは父さん譲りだと思う。母さんはあんなだから、人とすぐ打ち解けてしまうし。


「ん? どうしたの、涼? ずーっとこっち見て。お腹空いちゃった?」


 俺は考え事をしながらも、ずっと視界に栞をおさめていた。まさか嫉妬してました、とは言えるわけもなくて。


「いや、楽しそうだなって」


「んー、そうだね。楽しいよ。ごめんね、構ってあげられなくて」


「いや、別にそれはいいけど……」


「素直に寂しいって言ってもいいんだよ?」


 俺の顔を覗き込んで、心を見透かすような栞の目。パッチリとして深く澄んだ二つの瞳に見つめられると、俺の考えてることなんて全てバレてしまうんじゃないかって気になる。


 でも目が離せない。俺の心の内をわかってほしいとも思ったりする。


 寂しいって言ったら俺の相手してくれるのかな?

 でも邪魔するのは悪いし。

 

「なんだよそれ……?」


 そう言うのが精一杯だった。言葉はこんなにも不器用だ。思っていることを素直に出すこともできない。


「だってそんな顔してるもーん。でももうちょっと待ってて。頑張ってご飯作ってるから楽しみにしててね」


 楽しそうに笑いながら、また作業に戻ってしまった。


 買い物から帰ってきてから、俺が起きてから栞はずっとこんな調子だ。本気のような言葉を冗談とも取れる態度で言い、俺を困惑させる。


 それに、なんというか元気すぎるんだ。昨日あれだけ泣いて、明後日に美紀さんと会う予定も控えているというのに。俺に話をしてスッキリしたとは言っていたけど、それでも俺は心配だった。無理してなきゃいいけどって。俺の杞憂なら問題ないんだけど、聞いた話が大きすぎてまだ処理しきれてない部分もある。


 俺がこんなんじゃ逆に栞を不安にさせてしまうかもしれないのに。




「涼、お待たせ! ご飯できたよ」


 栞がそう言って俺を呼んだのは18時になろうかという頃だった。


 今は出来上がったばかりの料理を母さんがテーブルに並べているところだ。何を作っているのかは知らされてなかったけど、さっきからいい匂いがしていて俺の食欲を刺激している。


「えっとね、水希さんに涼の好きなもの教えてもらったの」


「すごいでしょ? これほとんど栞ちゃんが作ったのよ」


 テーブルの上には綺麗に盛り付けられた料理が並んでいる。母さんが普段作るものと遜色ない、というか母さんがするよりも丁寧に盛られてる気がする。母さんはそのあたり大雑把だから。


 メニューは豆腐と鶏肉のハンバーグ、これは和風だしの餡がかかっている。それから揚げ出し豆腐にサラダと豆腐とワカメの味噌汁。栞の言う通り、俺の好きなものばかりだ。


 豆腐が多くないかって? 

 しかたないだろ、好きなんだから。


「うん、すごいよ。栞は料理もできるんだな」 


「昔はお母さんの手伝いとかしてたからね。でも本当に基本的なことしかできないよ」


「いや、これだけできたら十分でしょ」


「へへ。昨日のお礼にね、頑張っちゃった。あ、でも口に合わなかったら正直に言ってね? そしたら次もっと頑張るから」


「この見た目でまずいわけが……、ってまだ昨日のこと気にしてたの?」


 お礼なんて昨日言ってもらったので十分だったのに。恩を売るためにしたわけじゃないので、あまり気にされると逆に申し訳なくなってくる。


「いいでしょ? あれだけじゃ私の気が済まなかったし、ちゃんとしたお礼がしたかったんだから。それともいらないって言うなら食べなくていいけど?」


「いやっ、食べます、食べます!」


 そんなもったいないことできるわけがない。食べないと飯抜きになるとかそういう問題じゃなくて。栞が、俺の好きな子が俺のために俺の好きなものを作ってくれたんだから、食べないという選択肢はない。お礼だろうがなんだろうが、栞の手料理には変わりないんだから。


 心配だなんだと言いながら、これで浮かれてしまう俺はチョロいんだと思う。


「最初からそう言えばいいのに。ほら、冷めないうちに食べよ?」


「う、うん。いただきます」


 昼に引き続き、三人で食卓を囲む。そういえばさっきから母さんが静かだ。こういう時は鬱陶しいくらいからかってくると思っていたのに、今は微笑ましげな顔を浮かべて俺と栞を交互に見ている。触れると面倒くさそうだから放置するんだけど。


 とにかく今は目の前の料理だ。まずはメインのハンバーグを箸で切り分け口に運ぶ。


「ん、美味しい」


 見た目通りに味も完璧だった。

 栞も不安そうな顔で俺の食べるところを見ているし、こういうことはちゃんと言うのが筋ってものだと思う。それに言わなかったら食べ始めなさそうな雰囲気だったし。


「本当に……?」


「うん。こんなことで嘘なんか言わないよ」


「ふふっ。よかったわね、栞ちゃん?」


「はいっ」


 心配そうに俺が食べるのを見ていた栞もようやく食べ始めた。


 他の料理も美味しくて。味付けは母さんが教えただけあっていつもと同じ、なはずなんだけど普段食べてるよりも美味しく感じるのは栞が作ってくれたから、なんだろうな。


 栞の手料理を食べているということがとても特別な気がして、幸せな気持ちになる。ついつい頬も緩んでしまう。


 そんな俺を栞はニコニコしながら見ているし、母さんは俺達を交互に見てニヤけてるし、なんか少しだけ気恥ずかしくなってきた。


 それでもしっかり味わって全てをお腹に収めた。


「ご馳走様でした」


「お粗末様でした。ねぇ、顔見てたらなんとなくわかるし、さっきも言ってもらったけど……、どうだった? 上手にできてたかな?」


「うん。どれも美味しかったよ」


 作ってくれた栞には感謝しているし、なにより本当に美味しかったのでちゃんと言葉にする。


「よかったぁ。じゃあ……、また作ろっかな?」


「今度はなんのお礼?」


「お礼じゃないと食べてくれないの……?」


 まただ。またこういうことを言う。

 俺の心をくすぐるような顔をして。


 期待ばかりが大きくなっていく。


「それってどうい──」


「なんてね。涼にはお礼をしたいことたくさんあるから、次も素直に受け取ってね?」


 振り回されてるなって思う。悪い気はしないけど、どうしていいのはかわからない。俺の意気地がないとか、そういう話なら簡単なのに。


 これで、いいのかな……?


「うん、わかったよ」


 今はこう言うしかなかった。

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