第26話 栞の決心
正午ちょうどくらいに母さんから昼ご飯に呼ばれた。朝ご飯を食べそこねた俺はようやくそこで空腹を自覚した。呼ばれるまでは寄り添ってくる栞にばかり意識がいって、気にもならなかったのに。
母さんの用意した昼ご飯は冷やし中華だった。ちなみに俺の分だけ野菜がマシマシになっているのは朝ご飯に用意したサラダをそのままのっけたかららしい。ついでに朝に食べそこねた冷めたトーストまで並んでいる。
普段は俺と母さんの二人の昼食の時間に栞が加わって。こうして日常の風景の中に栞がいることがとても特別なもののような気がした。
「すいません、ご馳走になっちゃって」
午前中から我が家に来た栞は、昼食のことを全く考えていなかったらしくて、なんだか申し訳なさそうだ。
「いいのよ、これくらい。ちょうど3食入りだったから、半端にならなくて助かっちゃった。あ、そうだ。栞ちゃん、もしよかったらだけど、お夕飯も食べていかない? ほら、娘と一緒に料理するのとかちょっと憧れあるし。あいにくうちには涼しかいないから」
「そんな、悪いですよ」
「俺しかいなくて悪かったな」
「でも、栞ちゃんがご飯作ってくれたら涼も嬉しいでしょ?」
「それは、まぁ……」
母さんの前なので恥ずかしかったが、嬉しいのは事実なので、栞に向けて小さく頷いておいた。申し訳なさそうにしていた栞はそれで少し表情を明るくする。
「ほら、涼もこう言ってるし。もちろんおうちの許可がもらえたら、だけどね。どうかしら?」
「それなら……。えっと、ちょっと聞いてきますね」
スマホを握りしめて廊下に出ていった栞は、しばらくして嬉しそうな顔で戻ってきた。
「あの、お母さんから許可もらってきました」
「それはよかった」
「でもその代わり、次は涼をうちの食事に連れてくるようにって言われちゃいました。ねぇ、涼。今度うちにも来てくれる? 具体的には明後日、なんだけど……」
「いいじゃない。いってらっしゃいよ」
何も知らない母さんは簡単にこう言うんだけど、明後日というのがまず問題だ。
「明後日って……」
「うん……。な、なんかね、お父さんも涼に会いたいって言ってるらしくて、近いところだと仕事の都合でそこしか無理なんだって。ダメ、かな……?」
ちょっと待って。昨日の栞のお母さん、文乃さんとの対面に続いて今度はお父さんって、次から次にハードなイベントが……。女友達のお父さんなんて、いったいどんな顔して会えばいいんだ?
そもそも明後日は美紀さんにも会わないといけないし、その後でってことになるんだが。
そう考えると俺よりも栞の方が心配になる。
「……大丈夫なの?」
「私は平気だよ。だから涼さえよければ、になるかな」
栞が平気というなら俺から断る理由は思いつかないし、逃げ場はないらしい。つまりは腹をくくるしかない。
少なくとも文乃さんは歓迎してくれると思う。それに栞にこんな期待に満ちた目で見られたらダメなんて言えないし。
「わかった。お邪魔させてもらうよ」
「ほんと?! よかった!」
ここまで喜ばれちゃったら、ねぇ。
栞のお父さんとの対面はとりあえず出たとこ勝負ということで。それに栞と恋人になりたいなら、いずれは避けて通れない道だろうし。
そこまで考えて気付いた。ちょっと前までなら絶対無理って逃げてただろうなって。俺も少しずつ成長してるってことかな。たぶん……、いや絶対に栞のおかげだ。
こういうふうに思わせてくれるから、俺は栞のことが好きなんだ。
「それじゃ話がまとまったところでお買い物でも行きましょうかね。ねぇ、栞ちゃんも一緒に行きましょ? あ、涼は留守番だからね」
「え? でも……」
栞は俺の方をチラッと見る。
いつもなら一緒に宿題を始めるくらいの時間だ。きっとそういう事が言いたいんだと思う。
「俺だけ除け者?」
「そりゃあ女同士の方が話しやすいこともあるでしょ? ね、どう? 涼の昔話とかしてあげるけど」
「お、おい。余計なことは──」
「あ、それ聞きたいです」
なんかすごい食付きだった。俺の昔話なんておもしろくもないだろうに。
「じゃあ決まり! 涼、ちょっと栞ちゃん借りてくわね」
そう言うと栞を連れてさっさと家を出ていってしまった。もうこうなっては母さんが余計なことを言わないよう祈るしかない。
こうして取り残されると、やることもなくなって暇だ。ここのところはずっと栞がいたから、一人でどう時間を潰していいのかわからなくなってしまった。
前はこれが当たり前だったんだけど……。
栞がいないだけでこんなにも退屈だとは。
腹も膨れて暇を持て余してるうちに、眠気が襲ってきて、俺はいつの間にかリビングのソファで眠っていた。
◆黒羽栞◆
「ねぇ、栞ちゃん。涼のこと好きでしょ?」
買い物へ向かう車内、水希さんに突然尋ねられてドキッとした。
継実さんといい水希さんといい鋭すぎない?
それとも私がわかりやすいだけ?
「なんで、わかるんですか……?」
「今の栞ちゃん見てればたぶん誰だってわかるわよ。毎日うちに来るし、涼のこと見てる顔が大好きって言ってるもの」
「うっ……」
そんなに顔に出てたの……? 恥ずかしいなぁ……。
「いいじゃない、そんなに恥ずかしがらなくても。大丈夫よ、涼に言ったりしないから。私はね、嬉しいのよ。今まで友達の一人も連れてこなかった涼が、こんなにいい子を連れてきて、その子が涼のこと好きになってくれたんだもの」
「私そんないい子じゃないですよ。すぐ悩むし迷うし、涼にも迷惑ばっかりかけてるんです」
私ってやっぱり卑屈なんだろうなぁ。褒めてもらってるのにこんなこと言っちゃうなんて。
思い返せば私は涼のことを振り回してばかりだし。自分勝手に近付いたくせに、構うななんて言ったこともあったし、友達にしてくれたのにまた離れようとしたり。
あぁ、こういうのがダメなんだ。また迷ってる。ちゃんと好きだって伝えたいのに。
「昨日のこととか?」
昨日の夜のことを、私が泣いたことを水希さんは覚えていた。私が冗談を言って有耶無耶にしたけど、気にしてくれていたらしい。
「……そうですね。あの時も涼を困らせちゃって。でもそんな私を涼はいつも助けてくれるんです。私の必要としてる言葉をくれるんです。でも、私は涼に何も……」
してあげられてない。涼はそんなことないって言ってくれたけど、私がもらったものに比べたら本当に些細なものだ。
「そんなことないと思うけどねぇ。栞ちゃんは栞ちゃんがいない時の涼のこと知らないからそう思うのかもしれないけど。栞ちゃんがうちに来るようになってから涼もだいぶ明るくなったのよ。それまではいっつもつまらなさそうにしてたんだから。それにね、困ってる時は素直に頼られたほうが涼も嬉しいと思うよ?」
「そうですかね?」
「そうよ。男の子なんて単純なんだから。女の子に頼られたら守りたくなっちゃうものよ。ましてや栞ちゃんみたいに可愛い子なら尚更ね」
「そういうもの、なんでしょうか?」
私が可愛いかどうかは今は置いておくとして、頼ってばかりで迷惑って思われないのかな?
「そんなものよ。きっと涼も……、ってこれは私が言ったらダメなやつか」
水希さんから見たら涼も私のこと……、なんて都合よく考えすぎかな? でも、そうだったらいいな。
「もし頼ってばかりいるのが気になるならさ、何もしてあげれてないなんて言わずに、まずは美味しいものでも作って涼の胃袋掴んじゃいましょ? 私も協力してあげるから、ね?」
そっか。だから夕飯に誘ってくれたんだ。一緒に料理っていうのもきっとそういうことなんだ。
水希さんも優しいな。さすが涼のお母さんってことかな?
「……はい!」
ウジウジしてたってしょうがないもんね。やっぱり涼のことが好きだから。振り向いてもらえるように、私は私のやれる範囲のことをしたらいい。
水希さんの提案通り、今日はちょっと頑張ろうかな。それに上手にできたら少しは私のこと好きになってくれるかもしれないし。もし美味しい、なんて言ってもらえたら……、私も、死んじゃうくらい嬉しい、かも……。
昔はお母さんの手伝いとかしてたから、ある程度のことはできる、はず。いや、やるんだ。
後は、美紀との件が片付いたら想いを伝える。こう思うのは何度目かわからないけど……、今度こそ迷わない。明後日、ちゃんと言おう。先延ばしにすればするほど決意なんて鈍ってしまうんだから。
それから買い物の間、水希さんは涼のことを色々教えてくれた。
好きな食べ物とか、小さい時から人見知りで、外に出るといつも水希さんにひっついて影に隠れてた話とか、外では大人しいくせに家の中ではやんちゃだった話とか。
私の知らない涼のことを知るたび、また涼のことを好きになっていく。
もう友達じゃ満足できない。受け入れてもらえるかわからなくても、私の気持ちを涼に知ってほしい。
*
ちょっと話が盛り上がりすぎて時間がかかってしまったせいか、家に戻ると涼はソファで眠っていた。
「涼、寝ちゃってますね……」
「あらあら。こんなだらしない顔しちゃって」
「でも、寝顔可愛いです」
「涼のこと好きなの隠さなくなったわね」
「水希さんにはバレちゃいましたから」
「そうそう、それでいいのよ。その調子で涼にもぶつかってけばいいんだから。大丈夫、きっと涼はちゃんと受け止めてくれるわ」
「はいっ!」
あぁ、でも……、本当に寝顔、可愛いなぁ。こんなに気持ちよさそうに寝ちゃって。
あ、そうだ。
「あの、水希さん。涼の写真撮ってもいいですか?」
「いいわね。うまく撮れたら私にも写真送ってくれる?」
「もちろんです!」
先に水希さんと連絡先を交換して、スマホのカメラを涼に向けた。
これでいつでも涼の顔が見れるようになる。そう思うと、心が弾んだ。
まぁでも、盗撮、なんだけどね……?
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