第18話 背中合せの想い

 それからというもの、栞は毎日うちに来るようになった。初日の帰り際、母さんから「いつでもいらっしゃい」と言われたのをいいことに。これは社交辞令でもなんでもなくて、母さんは毎日やってくる栞を本当に大歓迎していた。


 俺としても毎日栞に会えるのは嬉しいわけで、さらに宿題も捗るので言うことはない。母さんが事ある毎に俺達の仲をからかってくるのが鬱陶しいくらいなものだ。


 花火大会前日の今日も栞は相変わらずうちにいる。


 今日の宿題のノルマをこなした後、俺の部屋でお互い適当に本を読んだり雑談をしたり。特別なイベントがなくてもこれだけで俺は結構満足していた。


 栞はうちに来た初日、母さんに指摘された後くらいから日に日に俺との距離を詰めてくるようになった。最初は図書室で座っていた時と同じくらいの距離から、拳一つ分になり、肩が掠るくらいになり、ぴったり隣にくっつくようになって、今はお互いに背中を預けてもたれ合っている状態だ。


 背中から伝わる栞の体温が心地良くて、でもドキドキする。さすがにここまでされておいて好意がないとは思えない。


 これなら告白してもいけるんじゃないか?


 そう思ってしまうくらいに。でも俺の心配事は解消されていないし……。


 もしかして俺から言うのを待ってるとか?


 俺の心配が杞憂であるならそういうことも考えられる。そうだった場合、もし栞が待ってくれているのだとすれば、いつまでもウジウジしていては愛想を尽かされてしまう可能性もある。


 それは嫌だ。栞のことが好きだから。俺に勇気をくれる栞が離れていくなんて考えたくない。


 やっぱり告白しよう。


 そう決めた。幸いチャンスはすぐそこにある。明日は一緒に花火を見に行く約束になっているし、終わった後なら気分も盛り上がっているだろう。そこでなら……。


 意気地なしの俺はもういない、と思いたい。断られた時は……、いや、今それを考えたらダメだ。すぐマイナスなことを考えるせいで今まで友達の一人もできなかったんだから。



 ◆黒羽栞◆



 私は毎日涼の家に通うようにした。涼のお母様、水希さんに「いつでもいらっしゃい」って言ってもらったから。っていうのは建前で、なるべく涼の側にいたかった。


 涼のことが好きだからっていうのも当然あるんだけど、それだけじゃなくて。涼と一緒の時間を過ごしている間は心が穏やかでいられたから。


 だから私は涼に縋りつくように寄りそうことにした。恥ずかしいけど、とっても勇気がいるけど、距離を詰めていった。毎日数cmずつ、今では背中をぴったりくっつけて座っている。背中に伝わる涼の体温が私の心をじんわりと温めてくれる。


 …………。


 なのに、それなのに、この底知れない恐怖感はなんなの……。


 本当に私は情緒不安定だ……。


 最近は涼のおかげで大丈夫だと思えてきたのに、涼の存在に恐怖していることに気付いた。


 恐怖の原因は……わかってる。過去のトラウマ。私が忘れたくて仕方がない出来事。そこで私は一番信じていた人に裏切られた。そのせいで人との関係を築くのが怖い。


 涼にだけは大丈夫だと思ったのに。


 寂しいという目の前の感情を優先しすぎたのかもしれない。きっと近付きすぎたんだ。近ければ近いほど、壊れた時の痛みは大きくなる。そして私はその痛みをすでに知ってしまっているのだ。


 私は涼と恋人同士になりたいって思ってる。これは紛れもない本心。でもあのトラウマが私の心にストップをかける。


 恋人になれたと仮定して、もしいつか涼に捨てられてしまったら……。そう思うだけで私の心は震え上がってしまう。付き合えるかどうかもわからないのに何の心配をしてるんだとは思うけど。


 涼の性格はなんとなくわかってきた。涼ならそんなことにはならないって信じられるくらいには。別れることになってもお互いがしっかり納得できる形をとってくれるだろう。涼はそういう人だ。相手のことを思いやれる優しい人。そうじゃなかったら私の欲しいと思っていた言葉をあんなにもくれるはずがないんだから。


 わかってる、そんなことは。でもこれは頭で理解していてもどうしようもないことなんだ。勝手に心の底からわいてくるんだから。



 何処かから声が聞こえる。


 ──『どうせまた裏切られる』


 『違う! 涼はそんな人じゃない……』


 ──『違わないよ。他人なんて皆同じだ』


 『一緒にしないで!』


 ──『同じだよ。信じるだけ無駄なんだから』


 『お願いだから信じさせてよ……』


 ──『もう一度あの苦しみを味わいたいの?』


 『それは……、絶対にいや……』


 ──『じゃあここまでにしておきなよ』


 信じたい、信じるな。


 相反する感情が私の中でグチャグチャに混ざり合う。頭がおかしくなりそうだった。こんな精神状態で先に進めば、涼までそれに巻き込んでしまう。信じられないってことは、常に何かを疑っているということだから。それはきっと涼を苦しめることになる。


 本当にここまでにしたほうがいいかもしれない。今ならまだ傷は浅くて済む、と思いたい。


 明日は……、もう約束をしてしまっているから一緒に花火を見には行く。


 あぁ、そうだ。せっかくなら綺麗な思い出で終わらせよう。なら明日は思い切り楽しんで……。心は痛むけど、涼への気持ちを抑えるのもやめて……。


 それで花火の後の少し寂しい雰囲気なら……。


 素直に事情も話してしまおう。優しい涼ならきっとわかってくれる。それでこの関係はおしまい。後はその思い出を抱いて、また静かに一人で生きていこう。


 自分の考えてることがめちゃくちゃだってわかってる。つい先日、髪を切った後とは大違いだもの。でも今はこうするしかないって思ってしまっている。浮き沈みの激しい自分の感情に嫌になる。


 どうして私ってこうなんだろ……。

 近付いたり突き放したり、本当に自分勝手だなぁ……。


 涼には辛いことを言うつもりだけど……。大丈夫、今の涼なら他にも友だちを作るくらいなんてことないはずだもん。涼は変わったから、私なんていなくてもやっていける。


 そうだ、お母さんにも謝らなきゃ。会わせてあげる約束、守れなくなっちゃったな……。


 楽しい夢のような時間をありがとう、涼。

 だから明日まで、その時までもう少しだけ寄りかからせてね。


 あぁ、でも……辛いなぁ……。

 こんなことなら好きにならなきゃよかったなぁ……。

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