第30話 悠一郎3
数日後、悠介は買い物に行くという奈津に付き合わされて町に出た。聞けば匂い袋が欲しいという。そういえば奈津はいつも何かの香りをさせていて、それは母の香りとは違っていた。なるほど匂い袋というものが売っているなら、人によって持つものが違うだろうと悠介は納得した。
秋もだいぶ深まって来ているが、今日は比較的暖かい。奈津の着物の紅葉が目に鮮やかだ。秋の柔らかい陽光によく映える。
川沿いを歩きたいという奈津の要望で椎ノ木川の河原の道を歩いていると、「お嬢さん」と声をかけられた。
二人で同時に振り返ると、悠介が初めて見る五つくらい年上の少年が小走りにやって来るところだった。彼はまるで牛蒡のような風貌で、走ると青鷺のようにも見えた。
「ああ、やっぱりお嬢さんでしたか」
「あら、三郎太さんじゃない。どうしたの、仕事?」
三郎太は背中のふいご箱を見せて「へい」と笑った。
「あ、三郎太さん、こちら悠介さん。この前のウマシカ兄弟の似顔絵を描いた絵師さんよ。うちの屋敷で働いて貰っているの」
「あ、どうも、鋳掛屋の三郎太です」
「悠介と申します。先日はお嬢さんがお世話になりましたようで」
ウマシカ兄弟のところに奈津を案内してくれた人らしい。風貌までは聞いていなかったが、予想を大きく外してひょろりと背の高い男だった。
「ってことは徳屋さんの茶袋の封の絵を描いてるのはあんたか」
「そうです」
三郎太は途端に相好を崩した。
「あの絵師さんか。見てくれよ、おいらも持ってるんだ」
三郎太は懐から何枚かの紙を出した。それは悠介が徳屋のために描いたもので、水仙と百日紅と烏瓜の絵だった。
「今、巷じゃこれを集めるのが流行ってるんだぜ」
「そうなの? 徳屋さんは何も言ってなかったわ」
「徳屋の茶袋の絵師って言やぁ、超有名だぜ」
知らぬ間に大変なことになっているらしい。
「あ、そうそう、絵師さんで思い出したよ、おいら凄い話を聞いたんだ。船戸様っているだろ。お城の。お城つっても木槿山の柳澤様じゃねえぜ、潮崎の船戸様だ」
二人がうんうんと頷くと三郎太は話を続けた。
「その船戸様のお屋敷の唐紙を全部変えるんだそうだ。一体何枚あるんだか。恐れ入り谷の鬼子母神てなもんだ」
「あ、それで絵師」
「さすがお嬢さん、察しがいいや。その通り、唐紙の絵を描く絵師を探してるんだってよ。それでこの辺の絵師って事で、潮崎からは
「悠一郎さんなら悠介さんと二人でお宅にお邪魔したことがあるわ。繊細な植物画を描く人ね」
三郎太は掌でビタンと額を打った。
「なあんだ、もう顔見知りかい。
悠介はブンブンと首を振った。
「違います、そんな恐れ多い」
「そうだよなぁ、悠一郎さん弟子を取らないって有名だからな。でもそれ、つい昨日決まったばかりらしいぜ。悠一郎さんのところにも今日話が来たばっかりなんじゃねえかなぁ。船戸様の趣味から考えて、悠一郎さんが有力らしいけど」
「潮崎と楢岡の絵師さんの絵はご覧になったことがあるんですか?」
悠介が聞くと、三郎太は苦笑いしながら手を振った。
「よしてくれよ、おいらはただの鋳掛屋だ、お嬢さんじゃねえんだから悠介は普通に喋ってくれ。紅秋斎も鉄宗も名前だけは有名だけど、おいらみたいな鋳掛屋には縁がねえからな。今度悠一郎さんに会うことがあったら聞いてみるといいよ」
「三郎太さんも良かったら佐倉の屋敷に遊びに来てくださいな」
「滅相もねえ、鋳掛屋如きが行ける場所じゃありませんって! それじゃおいらは仕事がありますんで」
「お引き留めしてごめんなさいね」
「いえいえ、おいらが声かけたんで。じゃ、ごめんなすって」
三郎太は現れたときと同じようにサッと踵を返してあっという間にいなくなってしまった。
「嵐のような方ですね」
「とてもいい人なのよ。ウマシカ兄弟のこと聞いた時に、わたしが会いに行くと言ったら一人じゃ心配だってついて来てくれたの」
「お嬢さん、なんだか嬉しそうですね」
「そうかしら?」
「ええ、とっても」
「さ、行きましょ」
そういえば匂い袋を買いに行く途中だったのだ。小間物屋の紅屋はどこから行けば近かっただろうか。
「紅屋さんてどの辺りでしたっけ」
「いやだ悠介さんたら。紅屋さんはまた今度よ。まずは悠一郎さんのところへ行かなくちゃ。その前に万寿屋さんに寄って、悠一郎さんの大好きなお饅頭を仕入れなきゃ。今ならきっと栗饅頭や芋饅頭も売ってるわ」
言い終わらないうちに奈津は歩き始めた。こうなった奈津は誰にも止められない。行動力が綺麗な着物を着て歩いているような人間だ。悠介は黙ってついて行くことにした。
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