第22話 絵師5

 佐倉の家に戻ると、お内儀がすぐに傷の手当てをしてくれた。悠介が「この穴はふさぎたくないのです」と言うと、わずかに難色を示したものの、すぐに納得してくれた。彼の普段のなりが彼女を納得させたのだろう。お内儀はお嬢様育ちで、目新しいものを受け入れるのに時間がかかるが、ひとたび受け入れてしまえば力強い協力者になってくれることはわかっていた。文箱や硯がそうだったように。

 御隠居様はよくやったと褒めてくれた。他人と同じことをしているようでは時代に乗り遅れてしまう。時代を牽引する人間というのは誰もやらないことをやるものだ、と。そして何か刺しておかないとすぐに穴が塞がってしまうと言って、急いで知り合いのかざり職人に耳飾りを注文してくれた。御隠居様からの贈り物である。

 女ものの着物に耳飾りまで来てしまうと、もう誰も彼をからかおうとはしなくなった。彼の堂々たる様に腰が引けてしまうのだ。

 悠介は買い物へ行くにも奈津のお稽古について行くにも、可憐な女性用の着物を着て、耳からは御隠居様から貰った錺の耳飾りなどをぶら下げ、一本の線の上をたどるように美しく歩いた。決して男のように蟹股だったり、どすどすと土ぼこりを巻き上げたりしない。服も裾をからげたり、前を必要以上にはだけたりしない。それが遊郭で育った悠介の矜持でもあった。

 それでいて上流階級のお嬢さんのような堅苦しさが無く、柳のようにしなやかに流れに身を任せる、そういう色気のある少年だった。

 悠介本人がそうやって有名になっていくのと機を同じくして、徳屋の方でも茶袋の封の絵を描いた絵師が話題になっていた。ただの花の絵なのに匂い立つような女の色香が感じられるというのだ。それを描いているのが九つの男の子だと知っているのは、徳兵衛と番頭くらいのものだろう。わざと伏せているわけではないが、客がああでもないこうでもないと絵師を推理して楽しんでいるのを徳兵衛自身が面白がって見ていた。

 奈津はと言えば、ウマシカ兄弟の人相書きを悠介に描かせ、それを持って町で子供たちに声をかけて回った。あの兄弟、十日後に取りに来いと言ったのに、未だに畳針を取りに来ないまま六曜が二巡している。悠介の描いた人相書きは恐ろしく似ているからきっとすぐに見つかるだろうと思ったが、みんなが知っている割になかなか見つからなかった。

 そんな中、奈津は五つくらい年上の元服したばかりくらいの少年に出会った。彼は名を三郎太と名乗った。鋳掛いかけ屋をやって生計たつきを立てているといい、ふいご箱を背負って商いをしていた。

「それ、ウマシカ兄弟だろ? 鹿蔵と馬之助」

 そういう三郎太自身はひょろりと背が高く牛蒡のような手足をしていて、青鷺か何かのようである。三郎太を改め、鷺郎太にした方が似合いそうだ。

「そう。知ってるの?」

「ああ、二人は血のつながりはねえんだが、二人とも両親が死んじまってから兄弟みたいに助け合って生きてるんだ。馬之助はたまに棒手振りとか荷物運びの手伝いをして駄賃を稼いでるし、鹿蔵の方はたしか畳職人のところに修行に行ってたな」

「畳職人ですって?」

 三郎太は奈津の丈に合わせるように、少し腰を折った。

葦吉いきちさんのところじゃねえかな、天神屋さん知ってるだろ、呉服問屋の。あすこのちょいと奥だ。弐斗壱にといち蕎麦と反対の方」

「天神屋さんの奥ですね。行ってみます。どうもありがとう」

「一人で行く気か?」

「ええ、うちの使用人があの二人に怪我させられたんです。抗議に行かなくては」

「おいらが一緒に行くよ。使用人が怪我させられたんだろ。女の子が一人じゃ危ねえ」

「でも、お仕事お忙しいのでは」

 三郎太は折った腰を伸ばすと、背中のふいご箱を見せた。

「今日は全然お客がつかまらねえんだ。要らぬお世話の焼き豆腐かもしれねえけど、お嬢さん一人じゃ心配だ。案内するぜ、ついて来な」

 三郎太は先に立って歩き始めた。

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