第20話 絵師3

 何日か経って、悠介は奈津の稽古の付き添いでいつものように徳屋を訪れた。

 相変わらず悠介は女物の色柄が好きだったので、奈津のお下がりを貰ってそれを男らしく着崩していた。それが悠介流のお洒落だった。たかだか九つの子供にしては粋で鯔背な着方をしているので町行く人々が振り返る。柏華楼でお姉さんたちにお洒落に着付けて貰ったのを自分で覚えていたのだが。

 もちろん仕事用にと男物の古着も何着か与えて貰っていはいたが、買い物や奈津の稽古の付き添いなど外に出る用事の時はいつも奈津の古着を着て出ていた。そのためか悠介は柏原ではちょっとした有名人になっていた。

 有名になるのは良いこともあるが、良いことばかりというわけでもない。同い年くらいの子供たちに「やーい、オトコオンナ」と囃し立てられることもある。正義感の塊のような奈津は、その度に子供たちをキッと睨んでいたが、悠介は全く気に留めていないようだ。

 一度などはわざわざ悠介の目の前まで来て「おい、オトコオンナ、お前そんな恰好してるのはおっ母が女郎でもやってるんだろう!」と言ってくる子までいた。もちろん本気でそう思っているわけではなく、意地悪したいだけなのだ。

 だが、事情を知っている奈津は目を剥いて「なんですって! 誰に向かって言ってると思ってるんです!」と本気で怒鳴った。相手はますます調子に乗って「やーい、女に守って貰ってる情けないヤツ!」と言い出す。そんなときは大抵、怒髪天を突く勢いの奈津の前に出て、悠介は穏やかにほほ笑んでこう言うのだ。

「そうさ。あたしは遊郭で生まれて遊郭で育った。母は正真正銘の女郎さ。それが何か問題なのかい?」

 相手はまさか自分の言ったことが事実だとは思っていないので、それっきり毒気を抜かれて逃げるように去って行った。

 そんなことが何度もあって、大人にも子供にも悠介は知られることになったのだ。

 その日は徳屋から新しく紙を貰い、帰りに野菜を買いに行こうと、奈津と一緒に神社のそばを通った。この神社はあまり人も来ないのでうら寂しいところではあるが、近道なので悠介はたまに利用する。

 しかし、その日は二人の他にも通行人がいた。悠介たちよりも四つ五つ年上の、元服したばかりくらいの男子が二人いたのだ。

「よう。お前がオトコオンナの悠介か?」

 と声をかけてくるところを見ると、どうやら待ち伏せされていたらしい。こんな年下の子供相手に待ち伏せしてまで嫌がらせとは恐れ入る。

「オトコオンナの悠介じゃないけど、あたしは悠介だよ」

「女物の着物を着てるじゃねえか」

 二人のうち、年上の方が先に絡んできた。

「綺麗な一斤染いっこんぞめだろう? この石竹の柄も気に入ってるんだよ」

 悠介はいけしゃあしゃあと着物を自慢して見せる。いつものこととはいえ、うら寂しい場所なので奈津は「早く行きましょう」と悠介を急かす。

「おめえがオトコオンナじゃねえって言うなら、その証拠を見せて貰おうか」

「なんだい、あたしの裸でも見るかい? えげつない趣味だねぇ」

「男なら拳で勝負だ」

 年下の方が言う、悠介の二つか三つ上だろう。

「あたしはそういう野蛮なのは好きじゃないんだよ。それにお兄さんたち、年下を相手に拳で勝負ってのは、ちょっとみっともないんじゃないかい?」

「まったくだ」

 なぜか兄貴分の方が納得して弟分の後ろ頭をべしっと叩いた。

「おめえは余計な事を言うんじゃねえ」

「えーっ?」

 どうやら力関係ははっきりしているらしい。

「だいたいお前さんたち、人に名前を聞いておいて自分は名乗らないってのは、いったいどういう了見だい」

 兄貴分の方が「あっ」と言う顔をした。

「おっとそいつはうっかりしてたぜ。俺は鹿蔵しかぞう、こいつは弟分の馬之助うまのすけだ」

「おいらと兄貴でウマシカ兄弟って呼ばれてるんだぜ」

「おめえは黙ってろ」

 言われて名乗ってしまう辺り、なかなかワルになり切れない半端ものという感じではある。手懐けてしまえば案外良い働きをするかもしれない。

「で、あたしに何の用だい?」

「おめえが本物の男かどうか見に来たんでい」

 と、弟分が余計な事を言ってまた兄貴分――鹿蔵に後ろ頭をひっぱたかれる。鹿蔵は馬之助に「黙ってろ」と言った後、悠介の方に向き直った。

「おめえの命より大切なものってなんだ?」

「それを話すと良いことでもあるのかい?」

 完全に楽しんでいる悠介の袖を、心配そうに奈津が引っ張る。だが、悠介が何かを企んでいることは奈津の目にもはっきりとわかった。

「俺が知りてえだけだ。俺がおめえを男と認めたら、柏原の人間にはおめえをオトコオンナとは呼ばせねえ。約束だ」

「お前さんが柏原にそれだけの影響力を持っているとは思えないんだけどねぇ」

 性懲りもなく馬之助が意気揚々と割り込む。

「大人は知らねえが、子供なら兄貴に絶対服従だぜ」

「そりゃ、大人はそんな馬鹿なことは言わないからねぇ」

 鹿蔵は一瞬考えてから妙に納得した顔になり、思い出したように強気の姿勢を作った。

「い、いいから、俺はおめえの命より大切なものを知りてえんだ」

「簡単さ。あたしはこのお嬢さんの為なら命も惜しくないよ」

「なんだと、カッコつけやがって!」

 いきなり前に出た馬之助を、後ろから鹿蔵が再びひっぱたく。

「おめえ、漢だな!」

「え?」

 この「え?」は悠介と奈津と馬之助が同時に発したものだ。鹿蔵は目頭を押さえながら悠介の前に出た。

「おめえ、漢だよ。感動したよ。俺もな、命より大事なものはこの馬之助なんだ。殺されそうになったら置いて逃げるけどよ」

「兄貴、それ命より大事とは言わねえんじゃ?」

「うるせえな、おめえはいちいち細けえんだよ。男ならもっとドンと構えてろ」

「お、おう」

 馬之助を黙らせた鹿蔵は、再び悠介に向き直った。

「俺はおめえの心意気を買った。男を見せて貰おう。これが何かわかるか」

 鹿蔵は太い針を出してきた。

「畳針だね」

「そうだ。こいつをそこのお嬢さんかおめえかどっちかに刺す。顔だ。これで逃げたらおめえは口先だけのオトコオンナで決定だ。どうする」

「なんだ、そんなことか」

「簡単そうに言うな」

「簡単だよ、ちょっと貸してみな」

 そう言って悠介が手を出すと「俺に刺すなよ」と言いながら鹿蔵が畳針を渡してきた。

 悠介はそれを受け取ると、おもむろに奈津の方を向いて針を逆手に持った。

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