第四章 御隠居様
第11話 御隠居様1
今日は天気が良いので洗濯日和である。朝食前に洗濯を終わらせて朝っぱらから洗濯物を干したので、昼頃には乾くはずだ。
そうなるとあとは布団を干したくなるというものだ。
悠介は主人とお内儀、それに奈津と自分の布団を干してから御隠居様の部屋へ向かった。今日ならきっと御隠居様も布団を干させてくださるに違いない。
部屋の前の廊下に膝をつき、御隠居様が驚かないように中に声をかける。
「御隠居様、悠介でございます」
「おお、入りなさい」
障子を開けると血色の良い顔が出迎えてくれた。今日は調子が良さそうだ。
「ちょうど将棋の相手をして欲しいと思っていたんだ。天気もいいしな」
御隠居様が片目を瞑って見せる。やはり悠介が布団を干しに来るのがわかっていたようだ。
「ありがとうございます。すぐに準備を」
部屋の真ん中に将棋盤を置き、座布団を置く。大旦那は黙っていてもその座布団のところへと移動してくれる。
「駒は儂が並べておこう」
「お願いします」
その隙に悠介は御隠居様の布団を縁側に出して陽を当てる。段取りは完璧だ。
将棋盤を挟んで向かい合うと、御隠居様はいろいろな話を振ってくれる。気難しいところがあると聞いていたが、実際は気配り上手な優しい老人である。
「どうだ、安芸とは上手くやってるか」
安芸というのは佐倉のお
そのため安芸は悠介にはあまり近寄って来ないのだ。
「上手くも何も、あたしはただ家の中の仕事をこなすだけですから。お内儀さんには申し訳ないと思っています。あたしがこんなだから気持ち悪いんでしょうねぇ」
「まだ、慣れていないだけだ。気にすることはないよ」
パチン。将棋の駒が置かれる。今日は手合い割りなしでいいのかな……などと考えつつも手は抜かない。手を抜くということは相手に敬意を払っていないということだ。それだけは下男の自分がやってはいけない事だと思う。たとえそれで自分が勝つとしても。
「夏が来たな。お前は奈津と同い年だそうじゃないか」
「ええ」
「こんな暑い日は雪をかぶった山でも見たいものだ」
「ここにお布団を干していれば香炉峰の雪だって見えますよ」
御隠居様がニヤリと笑った。
「こういう話ができる相手がなかなかいなくてのう。お前は話していて楽しい」
「ありがとうございます。柏華楼のお客様からの受け売りです」
唐突に御隠居様が大きなため息をついた。以前は話し相手も大勢いたのだろう。
「また
「徳兵衛さんというお友達がいらっしゃるのですね」
「ああ、いつもは儂が徳兵衛のところへ行って二人で指していたんだ。だがもう儂はあそこまで行くことができない。歳をとるということは寂しいことだな」
ふと、悠介はいいことを思いついた。
「徳兵衛さんを呼びましょう。一筆したためていただけませんか。あたしがそれを持って徳兵衛さんのところへ行ってきますよ」
「そうだな、夜にでも一筆書いておこう」
それっきりその話は終わってしまい、悠介の仕事の話になってしまった。
夕方になって悠介は佐倉に呼ばれた。その場には奈津も呼ばれていた。
「お前はよく働く。それで考えたんだが、これからは奈津の三味線の稽古について行って貰えないだろうか。月に三回、白里師匠のところだ。送り迎えだけで良い。奈津が稽古をしている間はお前の休憩時間だ。好きな事をして良い。もちろん小遣いも渡す。それで団子を食ってもよし、蕎麦を食っても良し、服を買っても良し。好きなように使うが良い」
「で、でもあたしは下男ですから」
「私が良いと言っているのだ」
奈津も横から割り込む。
「父上がそう言ってるんだもの、そうしましょ」
結局悠介は父娘に押し切られる形で月に三回、半刻ほどの休憩をいただくことになった。
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