Eden

春巻き

第1話


「まずいな」


雨の匂いがする。

気絶した妹を背負って、ナハルは一人つぶやいた。

なるべく草が多く生えた木の根元に腰を下ろし、妹を寝かせる。

そして、最後のパンを小さく千切って妹の口に押し付けた。


「食え。食えよ」

「う……」

「頼むから食べて…」


少しだけ意識が戻ったのか、パンを口に含む。

が、次の瞬間目を見開いて飛び起き、パンを吐き出した。

「ごほっ、げほっ」

「やっぱり駄目か」

「げほっ、ご、ごめんね、ナハル……」


小さく謝ると、妹__ルシャナはまた眠りについた。それを確認して、ナハルも隣に横になる。

(【贈り物ギフト】……。ギフトさえ受けなければ、こんなことにはならなかった……)


雨が降り出した。

しとしとと降る雨の音に誘われ、ナハルもまた、眠りへと落ちていった。




「……子供?」


それは日課である見回りの最中だった。

青年___名をジュークという___は二人の子供を見つけた。

(いや、おかしい。【時計の森】に子供二人で入って生きていられるはずがない)


【時計の森】とは、メラトリカ王国の辺境の地であり、歩き慣れていない者が入るにはあまりに危険な森だった。

曰く、「時間の感覚が狂ってしまう」らしい。

時間の感覚が奪われ、足を踏み入れた者は自分の体の限界を忘れ、永遠に森を彷徨いいずれ果ててしまう。

だから、【時計の森】が領地の内に入っているクルーシェル領の人間はこの森に近づかない。

はず、なのだが。


「仕方ないな……」


行き倒れている子供を見て見ぬフリをすれば、主君に合わせる顔がない。

ジュークは一人を自分の乗っていた馬に乗せ、もう一人を自分で抱えて、その場を去っていった。


          ⭐︎


この世界には【贈り物ギフト】と呼ばれる能力がある。

その力は、異能力のようなもので、良くも悪くも、人生を簡単に変えることができてしまう。

そして、ギフトはその力が強力であればあるほど代償も大きくなり、所有者を苦しめるのだった。


そんなギフトにも様々なものがある。

代表的なものは【勇者】や【賢者】など、所有者はそのまま歴史に名が残るような、偉大なギフトや、一つの個性の範疇に入る程度のギフトまで。

世界を変えることも可能な大きなギフトは、与えられた時から人ではなくなるなどと言われている。


また、【勇者】がいるとなると当然【魔王】も存在するのだが、【魔王】は1000年から2000年の間【この世の果て】と呼ばれる場所から動いていないらしい。


人ではなくなるようなリスクを負いながらも、ほとんどの人間がギフトを授かる為儀式に参加するのは、現在、その【魔王】を倒す力を唯一与えられる【勇者】のギフトの所持者が現れていないからだ。


ひょっとしたら人生の全てを変えられてしまうかもしれないギフト__。

これはそんな力によって運命を変えられてしまった、双子の物語。


          ⭐︎


柔らかい何かが頭に触れる感覚に、目を覚ました。


「お、起きたか」

そう言ってこちらを覗き込み、自分の頭を拭いている男。

心配そう、というわけでもなくあくまで淡々とした作業のように男はナハルの頭を拭いている。


「なんだ、お前は!?」

「命の恩人にお前って、失礼だな」

「そうだ、ルシャナは!?俺の隣に、女の子がいただろ!?」

「あぁ、いた。今は隣の部屋で休んで……」


最後まで聞かずに、ナハルは部屋を飛び出し、隣の部屋に駆けていく。

後ろから声が聞こえたが、聞く耳も持たずにルシャナの元へと走っていった。


「ルシャナ!」


勢いよく開けた扉の先に、ルシャナはいた。

が、ルシャナは大きなベッドの上に横になっており、その隣には見慣れない金髪の男がいた。


「ルシャナから離れろ!」

「えっ」

「さもなければ、斬るぞ!」

「それは聞き捨てならないな」

「!」


ナハルが懐に忍ばせておいた短刀に触れたその瞬間、背後からぬっと腕が伸び、ナハルを拘束しようとする。それを咄嗟に避け、跳躍し部屋の中へ転がりこんだ。


「反応は良い。だが……」

「!」

「それで俺からは逃げられない」


そこからは早かった。

体勢を立て直そうとするナハルをいとも簡単にねじ伏せ、その上に馬乗りになり体重をかける!


「やめろ、ジューク」

「ポレオ様」

「お前が連れてきたお客様に、無礼な真似はよすんだ。

クルーシェル家の品格を落とす気か?」

「いえ。申し訳ございません、ポレオ様」

「わかったなら良い」


男__ジュークはナハルの上から素早く降り、ルシャナの側にいた男へ恭しく礼をした。

彼はそれを認めると、


「君は、彼女の家族?それとも友人かい?」


と、微笑みながらナハルに尋ねた。

ナハルは敵意を隠そうともしない。まっすぐ彼を睨みつけ、獣のように唸った。


「あぁ、すまないね。僕は君たちに何かしようとしているんじゃない。

僕はポレオ・クルーシェル。【時計の森】を含むクルーシェル領の領主だ。さっき君を捕えようとした彼はジュークと言って、僕の従者。

君たちが【時計の森】で倒れていたところを、ジュークがこの城まで連れてきたんだよ」


クルーシェル。クルーシェル領。

確かにそんな名前は聞いたことがある。ナハルは唸るのをやめ、周りを見渡す。一介の市民では住めなさそうな部屋。ふかふかのベッドにクッション、ソファ。壁際には明らかに高そうな調度品が並んでいる。


(彼らが本当にクルーシェルの人間かはともかく、金持ちなのは確かだろうな)

面倒事の匂いしかしない自分たちを保護してくれたことは、本来ならば感謝すべきなのだろう。実際、あの状態で旅を続けるのには無理があった。

只、ナハルとルシャナには、素直に感謝出来ない理由がある。


「今すぐルシャナの側から離れろ」

「お前……!」

「この子の名前はルシャナって言うんだね」

「………」

「ごめんね、言えない事情があるなら深くは聞かない。でも、いつか……君の名前も聞けたら嬉しい」


ポレオはそれだけ言って部屋から去った。

ジュークもナハルを睨みつけ、舌打ちをし、その後を追う。

二人が部屋から去ったのを確認すると、ナハルはルシャナが横たわるベッドへ向かった。

彼女はずっと眠ったままだ。

最近はベッドでゆっくり眠ることなんてできなかったから、多少気持ちよさそうに眠れているのが、救いだった。


「ルシャナ。俺たちはいつまで、こんな生活をするんだろうな……」


誰も聞いていない部屋で、一人そう呟く。

そのままルシャナの手を握って、彼女の寝顔を見つめ、疲れが残っていたのか、安心したからなのか、また眠りに落ちていった。

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