第1楽章

第1話 再会

 それから二年ほどが経ち、奏音かなねは私立燕学院高校に進学した。


 新品のセーラー服に身を包み、廊下を歩いている。


 しかし、その視線は床を向いていた。



 ホルンを棄てた日から、奏音は学校に行けなくなった。部活仲間と顔を合わせるのが怖かった。三年生になってからも保健室登校が続いていたのだ。


 だから、母校から遠いこの燕学院高校を選んだ。それでも少し怖くて。


 ふと顔を上げると、壁に貼られたポスターが目に入った。吹奏楽部勧誘のポスターだ。それを一瞥した奏音は再び歩き出した。その時、


「……奏音?」


 突然声をかけられた。驚いて振り返ると、黒縁のメガネを掛けた前髪の長い男子生徒が立っていた。


「……やっぱり、奏音か?」


 男子生徒は目を見開いて尋ねた。


「え……裕真ゆうま……?」


 奏音も驚いて目を見張る。


 今まで聞こえていた生徒の話し声が急激に小さくなっていった。


「……奏音も、ここだったんだ。よかった……」


 裕真は優しく微笑んだ。


「……っ」


 奏音は何も言えず、裕真に背を向けて走り出した。


「奏音!」


 裕真が珍しく叫んでいるが、奏音はそれを無視して階段に向かった。階段を駆け上がり、屋上に飛び込んで扉を閉める。


(私は……もう裕真に合わせる顔なんて……)


 肩で息をしながら、奏音はその場にしゃがみ込んだ。


「……奏音?」


 遠慮がちな裕真の声が、扉の向こうから聞こえてきた。奏音が扉の前にしゃがんでいるため、扉を開けられないのだ。


「……何で逃げるんだ」


 裕真の声が心配している。普段無表情であまり感情を出さない裕真だが、声色はよく変わる。小学生の頃から一緒に過ごしてきてわかったことだ。


「ほっといて……私は……」


「……ここに入学したってことは、まだ続けたいんだろ? ――吹奏楽」


 奏音の心臓が跳ね上がった。


 この学校を選んだ理由は、もう一つあった。燕学院高校は全国でも有数の吹部強豪校なのだ。あれだけ吹部が怖かったのに、なぜか進路希望調査書には燕学院と書いていた。母校から遠い高校なんて、他にもいくつかあったのに。


「奏音のことだから、絶対ここに来てると思ったんだ。だから探してた」


「放っといてよ……」


「……奏音……」


 普段寡黙な裕真が珍しく熱く話している。けれど、奏音は聞きたくなかった。逃げたかった。


「……部室で、待ってるから」


 その言葉を最後に、なにも聞こえなくなった。裕真が降りていったのだ。


「…………待ってたって……」


 もう、あの音楽に明け暮れる日々には、戻れないから。


(私には、そんな資格、ないから……)


 奏音は予鈴が鳴るまでその場にうずくまっていた。

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