彦星番付

姫棋キキって、どうしてそんな粗野な喋り方なの?」

 山奥の方は皆そうなのかしら、と鈴眀りんめいが姫棋に話しかけた。

 二人は尚食局しょうしょくきょくの休憩室、その一郭で、干した杏子あんずをお供に茶を飲んでいるところだった。

 鈴眀の声にはもう、以前のような蔑む色はない。

 姫棋も鈴眀が自分の周りをウロチョロすることに慣れてきていた。自分と、それから鈴眀の分の茶も注いでやりながら、彼女の問いかけに答える。

「これは、男よけだよ」

 本当は、家の周りに住んでいた匪賊ゴロツキと渡り合うために学んだ言葉遣いだったが、それを一々説明するのも面倒なので適当な理由でごまかした。が、むしろ鈴眀の興味を刺激してしまったらしい。

「何で男をよけるのよ。あなた嫁に行く気はないの?」

 ないね、と即答する姫棋に、鈴眀は納得のいかない顔をする。

「じゃあ一生、宮女として働くつもり?」

 絵の売り上げで食べていけなければ、それもあり得る。

「うん。男に飼われるよりは、ましだし」

「うそ、冗談でしょ? そんなの信じられないわ。嫁ぐより宮女をしてる方が良いの?」

「乙女がみんな、嫁に行きたいわけじゃないんだよ」

「そんな娘がいるなんて、思いもしなかったわ……。私は早くお金持ちで優秀な男つかまえて、楽したいもの」

 と両の手を合わせる鈴眀を、姫棋が呆れたような目で見つめる。

 その目に鈴眀は「なによ」と不貞腐れた。

 鈴眀は根本的に男に頼って生きていこうと考えている女である。男に愛でられることこそ至幸、であるわけだ。

 だが現実というのは、そう甘い蜜ばかり吸い続けられるものではない、と姫棋は思う。

「男なんかあてにしてたら、後々身を亡ぼすのは自分だよ」

 鈴眀は、えっ、と眉を寄せた。

「ちょっと悲観しすぎじゃない? 良い方をつかまえられたら一生安泰で暮らせるでしょう」

 そう言って鈴眀は両頬に手を当て、うっとりした表情になる。

「絹の襦裙じゅくんを着てさ、豪華な宝玉の首飾りを買ってもらうの。毎日、美味しい食事を下女たちに作らせて、異国の菓子なんかも取り寄せちゃったりして……」

 鈴眀の目は眩しいほどに輝やいていた。

「となると、やっぱりそこそこの役職つきの官吏がいいわよねえ。まあ、さすがにこう次官や蔡次官のような方々となんて、おこがましいことは思ってないけど」

 鈴眀が挙げた名に、姫棋の手がぴくりと動く。

「その二人……は、どういう?」

「ええ……姫棋、知らないの? 本当にこういう話に疎いのね、あなた」

 そう言う鈴眀は急に立ち上がったかと思うと、休憩室の棚裏に隠してあった薄い本を取って姫棋の隣に戻ってきた。

 本の表紙には『彦星番付ランキング』と書かれている。

 その文字を見て眉をひそめる姫棋に、鈴眀は得意そうな様子でページをめくった。

 すると中に書かれていたのは宮廷で働く官吏たち、しかも男の名ばかりだった。

「これはね、宮廷にいる男性たちを順位づけしたものなの。みんなこれを見て、お相手を探してるのよ」

 お相手、というのはつまり婚姻を交わす相手というわけである。

 彼らの名の下には、容姿、家柄、科挙での順位、役職、趣味、好みの女士じょせい像に至るまで事細かに、彼らに関する情報が書き込まれていた。

 鈴眀は、さらに頁をくって「黄次官」の欄を指さす。

「黄次官はすでに正妻がいらっしゃるけど、武官として今一番期待されてる方なの。しかも大貴族の方だから、資産も凄いんだって。彼になら妾でもいいって娘はたくさんいるのよ」

「へえ、そうなんだ……」

 姫棋の薄い反応を気にすることもなく、鈴眀は次に「蔡次官」と書かれた項目を指さす。

「で、文官の中では蔡次官の人気が根強いのよねぇ。まああの若さで理部の次官だしね。しかもびっくりするほどの美丈夫なのに、まだ誰も娶られてないときたら、そりゃ皆放っておかないわ」

 そして鈴眀は、わざとらしく声をひそめる。

「それに蔡次官って、色々と謎に包まれたお方なの。だからか、熱狂的な信者ファンもいるのよ」

 姫棋は木蓮の母が芸妓だったという話を思いだした。官吏になる者というと大抵は名家か金のある商家の出身であることが多い。木蓮は自分の素性を知られたくなかったのだろうか。

「人それぞれ、秘密にしておきたいことの一つや二つあるでしょ」

 姫棋が素知らぬ顔で言うと、鈴眀は神妙な面持ちで話を続ける。

「でもね、蔡次官が宮廷に来られた経緯を誰も知らないって、変だと思わない?」

 姫棋は首を傾げた。

「誰も知らないって、官吏なんだから科挙を受けて宮廷に入ったんじゃないの?」

 鈴眀は神妙な顔から段々と、したり顔になる。姫棋の興味をそそったのが嬉しいようだ。

「それがね、蔡次官は科挙を首席で通られたって話もあるんだけど、どうもその記録がない・・・・・らしいのよ。不思議でしょ? 才能あふれるお人だから、他国から引き抜かれてきたんじゃないかっていう噂もあるけど、真実は誰も知らないの」

 確かに鈴眀の言うことは不可解だった。官吏なのに科挙の受験記録がないというのは妙な話だ。

 姫棋が、ふうむと考え込んでいると、鈴眀は得意げな様子で『彦星番付』をまたパラパラとめくっていた。

「でね、さっき言ってた熱狂的な信者ファンだけど、尚食局うちにもいるわよ。まあ彼女たちには、蔡次官を崇拝するだけの理由はあるんだけど」

 そう言うと鈴眀は、近くにいた毒味役の宮女たちに声をかける。

「ねえ、ちょっと。また『彦星番付』の近況欄に、蔡次官のことが載ってるわよ」

 それを聞いた毒味役の宮女たちは、サッと目の色を変えたかと思えば、飢えた猛獣のごとく走ってくる。姫棋と鈴眀を押しのけ『彦星番付』に食らいついた。

 やれこちらにも見せろ、と『彦星番付』の取り合い合戦がはじまる。

「まあ、ほんとだわ! 木蓮様、今度は洗濯のりを改良してくださったのね」

 私の深衣にも使いたーい、と言いながら一人の宮女が自分の肩を抱いて不自然に体をくねらせる。さらに他の毒見役たちも互いに呼応し合うように、色っぽい溜息を吐いていた。

 啞然としてその光景を眺めていた姫棋は、鈴眀に尋ねる。

「も……、蔡次官は何でこんなに?」

 鈴明はまた得意げに、顎をくいっとあげた。

「あらだって、彼女たちにとって蔡次官は救世主様ですもの」

 そう言う鈴明が見つめる先で、神を崇めるように恍惚な笑みを浮かべる宮女たち。

 やはりまだ首を傾げている姫棋に、鈴眀が説明を加える。

「毒見紙ってあるでしょ。あれを作られたのは蔡次官なの」

 鈴眀の話によると、木蓮が開発した毒見紙を使用することで、毒味役の死亡率が格段に減ったらしい。全ての毒をそれで検知できるわけではないが、特に致死率の高い毒だけでも回避できるようになったことは、毒味役たちが木蓮を崇拝するに至る理由としては十分だった。

 それにしても、毒味紙に洗濯のりとは。木蓮は宮女に思い入れでもあるのだろうか。

 そんなことを考えながら、姫棋は残っていた杏子を口の中に放り込んだのだった。

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