拗らせ社長と契約秘書
鬱崎ヱメル
敏腕社長と就活高校生
社長とは出会い方から変わっていた。
18歳で地元を離れて、初めて参加した合同説明会の会場で右往左往しているときにとある人物に声をかけられた。
「おや、どうしたんだいこんなところでキョロキョロして。もしかして迷子だったりする?」
低めの女性の声だった。耳に心地の良い落ち着いた声。その主はなんと、柊 瑞希社長その人だった。
「あのですね、その、今日の説明会の参加者です。御社のコーナーを探していたところで⋯⋯」
こういう時にうまく話せない自分が嫌になる。
「おぉ、それは良かった。ちょうどブースに戻るところだったからついておいで」
彼女は、二十代のうちに起こしたIT企業「Free mind」が開発した次世代型SNS「CyberNation」が、既存の大手SNSからの移住先としての注目を受け、若くして一気に時代の寵児となった人物である。
何が新しいと注目されたのかというと「枠の定められた本意での自由」を運営指針に掲げているという点が斬新であったからだ。
何でも書き込める路地裏の落書きではない。一定の規範の元、AIと保全ユニットがネットワーク内を常に監視しているため、悪質な投稿をする事ができず、恐喝、個人への悪質な投稿、ヘイトスピーチ、誤情報、デマの拡散などの犯罪行為につながる行為を行わないという最低限のルールを守らねばサービスを利用する事ができないようになっている。
さらに、利用者側からの意見を積極に取り入れることで柔軟に仕様変更ができる。
交通規則が適用された公道のように全員が安心して利用することのできる場所、それが電脳国家サイバーネイションである。
この後の人生で、体に染みつく程に発することになる文言だ。その理由については、また後で語ることにしよう。
私にとってはニュースで見たことのある著名人だったので、大いに緊張し萎縮してしまったものの、しかしここは自分を売り込む一世一代のチャンスだと思い、押しに押してアピールをした。
「井上 葵くんって言うんだ。良い名前だねぇ、ご両親に感謝だ」
口のうまさだけは自信があった。文系でも極めれば武器になる。
「推薦でそこの高校に入って、しかも特待生だなんて凄いよ。ところで聞きたいんだけど、もしかして文系だったりする?」
「えっ⋯⋯何で分かったんですか、まださわりの方しか話してないですよ?」
「語彙の高さかな。理系の子と違って情緒があるんだよ君の話って。でもウチはITだからねぇ⋯⋯」
マズい、このままだと門前払いになってしまう。ここは食い下がらないとダメだ。なんでも良いからとにかく傷跡を残さないと⋯⋯
「いえ、文系の私であるからこそ、御社の役に立つと思いますよ。例えば、いわゆる雑務ってやつを引き受けられるのは守備範囲の大きい文系だといえます。それ以外ですと一般的に必要なPCを使った資料作成技能もありますし、基礎的なことはできるので伸び代だらけです」
「ふむ、自信があるのは分かったけど、その自信に根拠はあるのかい?」
「ありませんがやる気は誰にも負けません!」
思わず吹き出したようだった。刺さってるならもっと行かなければ!
「ははは、今どきの子でそんなことを言うなんて珍しいね」
「そうですかね、分かりませんが、兎にも角にも私は優良物件だと思いませんか。早くしないと競合他社に取られてしまうかも」
この猪突猛進の前のめりの姿勢が社長に気に入られたのか、面接もなしに採用が決まって、この会社に拾われることとなった。
自分で言い連ねたお喋りの通り、雑務をこなすための下っぱとしての採用だったが、入社してからも真面目に仕事をしながら、足りない知識を補いながらも会社員として必要なスキルを身につけた。我ながら私は、やる気と生真面目さ、仕事の覚えも早い方だと思っているので、ひたむきに努力した。
そんな私の前に現れた一人の女性がいた。
「葵くん、君の先生が決まったよ。総務部の都くんだ」
入社したばかりの時期に、しばらくの間の教育係として私に付いてくれたのが都さんだった。
「えっと、総務部の長谷川 都です。これからよろしくね」
年下の私に気を遣ってか、控えめに握手をしてくれる人だった。右も左も分からない私に根気強くせっしてもらって、本当に優しくしてくれて、仕事のアドバイスは勿論のこと、プライベートでも色々と世話を焼いてくれた。
上手くいかず悩んでいる時も励ましてくれた。まさに恩人である。
自分が高校生の時に一方的に好いていた保健室の先生と柔らかい雰囲気がよく似ていた。私の初恋の相手だったからよく覚えている。告白したがあえなく撃沈、その後に退職してしまいそれ以降会うことはなかった。
都さんは、第一印象から魅力的で、頼りになる先輩だと感じていた。その通りに頼り甲斐があって表裏のないような理想の上司で、素敵な人だった。
入社して半年経ったあたりで、広告会社へのプレゼン用の資料を渡すとき、全く違う数値の載っているものを渡してしまったことがあった。
当時、私はしばらくミスに気が付かなかった。社長はすぐさま気づいて、殆どの部分をアドリブで乗り切ってみせたのである。
そのミスを社長は咎めなかったが、都さんは違っていた。同じミスを二度としないようにきちんと反省して次に繋げるんだからね、と優しくも厳しい言葉をかけてくれたのを覚えている。
叱咤激励してくれる人は貴重だ。それだけ自分に期待してくれているからこそ、厳しいことであっても言ってくれるということを知っているからだ。
社長は次の日になると全く変わらずに声をかけてくれる。私のせいで、一歩間違えたら大切な商談がおじゃんになってしまうところだったというのに。
「昨日は申し訳ありませんでした」
「ん? 何の話だったかな」
「資料の間違いをいてしまってですね⋯⋯」
「あぁ、そんなことか。反省はするけど後悔はしない人生というのが私のモットーなんだ。反省を次に活かせば良いと思うよ。そのうちに責任感に潰されてしまうからね」
この日から、私は社長に足を向けて眠れなくなった。神様仏様柊様、ありがとうございます。
期待してくれている頼れる上司と、偉大で優しい社長の薫陶のおかげで、新人と言われる一年目二年目の間に、若手の中では一目置かれる立場になっていた。
私の手に入れた安寧の日々は唐突に終わりの時を迎える。入社三年目の朝、初出社してすぐのことだった。社内用の端末にメッセージが届いており、どうやら社長から呼び出されたようだった。重厚な扉の前に立った。
ヤバい、何かやらかしたかな。全く思い当たる節がない。恐る恐る扉を開けると、社長ご自身が、見たことのない満面の笑みで待ち構えていたのである。
嫌な予感がする。こう言う悪い場合の予感だけは、私のカンの当社比で手相占いよりも高い的中率を誇っている。
「やあ、よく来てくれたね!座って座って。あ、なんかお茶とか飲むかい?」
社長が笑っている時は、何かを企んでいる時か、何か新しい突拍子もないアイデアを思いついた時の二種類しかない。最近やっと分かってきた。どっちにしろ振り回されることに変わりはない。
そして、私の眼前にとある契約書を突き出してきた。その内容とは「私立の個人的な秘書として、自分を仕事とそれ以外の部分を支えて欲しい」というものだった。
「そう、私だけの特別な秘書になって欲しいんだ」社長はそう告げてきた。
要するに侍らせておくための慰み者なって欲しいと言ってきたのである。あるはずもない、根も葉もない「都市伝説」としての噂、という程度には聞いてはいたがまさか実在していたなんて。今どきそんなことを言ってくるなんて昭和かよと思った。
「私専属の秘書ってことなんだけど、どうかな」
確かに、私は能力も高いし仕事へ取り組む姿勢も真面目にやっているので、評価されていると思ってはいたのだが、その努力がこんな形で、昇進の機会として現れるとは思っていなかった。こんなふざけた提案を、普通の人間であれば聞くまでもなく断るだろうが、私は事情が違う。
私には地元に置いてきた生活の苦しい家族がいる。小さい時から両親が共働きだったが、私をせめて高校に入れさせてあげたいが為に、ただひたすらにずっと頑張ってくれていた。
歳の離れた妹達ともお互いを励まし合いながら生きてきた。我慢させてきた妹達の学費を賄うために、仕送りをせねばならないので、ゴリ押しのように就職をしなければならなかった。
飲酒解禁の飲み会の時に、裏側の家庭事情をつい社長に話してしまっていたことが仇になってしまったと言うわけだ。迂闊だったと言わざるを得ない。
こんな回りくどい卑怯な手を使ってまで、私のことをを自由に使いたいようだ。なんて人だ。
「勿論、大幅に昇給もするし、手当も付くし福利厚生も手厚くするよ」
笑顔が怖すぎる。目の奥が全く笑っていない。どぎつい交渉に向かう時の獰猛な獣の目だ。こんなしょうもない時に本気を出さないで頂きたいし、そもそも、そんな急になれるものじゃない事くらい分かっている。
辞書を引けば、秘書というのは主に企業のトップである社長や役員をはじめ、政治家や弁護士、医師などの庶務業務をサポートすること。その業務は多岐に渡ると書かれている。自分にその様な仕事ができるとは思えない。出来もしないことを引き受けるのは無責任だ。
「そんな急に言われても困りますよ、私に秘書の経験なんてないんですよ」
反論しようと口を開くが、気迫、というか有無を言わせない圧力に頭が真っ白になってしまった。出てこい無駄に培った語彙力よ、なんとか言葉を捻り出すんだ。ああ駄目だどうしようもない⋯⋯!
「君にはきちんと仕事は教えるし、指導教官は前任者だよ。まぁ、元秘書の副社長なんだけどさ」
あの美人な副社長が元秘書だったことに妙に納得し、さらに社長が手元に置いておいたという事実にも無性に腹が立った。というかそんな人の後釜なんて荷が重すぎる。やはり私には無理だ。
「なっ⋯⋯そうなんですか。いや、で、でも副社長にそんな暇があるようには思えないんですが」
社長は困ったように頭を掻く。説明が面倒だと思っている時の癖だ。無理矢理に、意地でも説き伏せてやるという形態になられたら流石の私であったとしても、どう手をつくしても太刀打ちできないのは目に見えている。
「いやぁ、二代目を募集することを相談したら、やるなら勝手にすればいいですが教育係は最低限私が勤めますって言って聞かなくてねぇ、本当に困った子だよ。急にそんな無茶振りされた方が可哀想とまで言っているんだよ。酷いと思わないか」
良かった。やはり変なのは社長だけのようだ。この場に副社長が居てくれればどうにかなったのかもしれない。何故今日に限っていないんだ。
「やるなんて言いませんよ⋯⋯」
社長の目が細められる。蛇に睨まれた蛙の気持ちが今やっと分かった気がする。
「あまりこの手は使わないつもりだったがこの際仕方ない。葵くん、君は親御さんに仕送りをしているんだろ。何かと入り用な筈だ、今月だって厳しいんだろう?」
「⋯⋯そう、ですね」
社長の方に抱き寄せられる。香水だろうか、爽やかな柑橘系。
「悪いことはしない。取って食おうって訳じゃないんだからさ、秘書の契約を引き受けてくれないかい」
一度でも聞きたくない悪魔の囁きであり、二度とは訪れない天の導きでもある。脳内によぎる家族の顔に胸が締め付けられる。私を送り出してくれたみんなに恩返しがしたいと思っていた。
「本当に昇給していたけるんですか」
口内が干上がっている。この感覚は進路指導で担任に、進学せずに就職すると決めたことを、初めて伝えた時の緊張感をはるかに超えていた。
「うん、君が思っている以上にね。桁が一個増えるかもしれないよ」
「いきなり、はい今日から秘書ですとは無理があるし現実的じゃない思うから、明日の業務より秘書見習いってことになるからそういうつもりでいてね。異動になるのはまだまだ先の話だけど、まぁ、正式に辞令が下るまでに仕事覚えてくれればいいからさ。その間も給料出るから安心してね」
「⋯⋯分かりました」
纏う空気がやっと柔らかくなった。
「その言葉を聞きたかったんだ。よし、いい子だ。あ、そうそう、もう辞令は降りているから、今日のうちに自分の荷物の整理しておいてくれ。ダンボールとか諸々、準備させておくよ」
社長が何か言っていた気がするが、私は振り返らずに社長室から飛び出して、自分のデスクへと向かい荷物の整理を始めた。近づいてくるヒールの音。
「まぁ、急な辞令で混乱してると思うけれど、葵くんなら大丈夫。愚痴はいつでも聞くから」
都さんが心配してくれたのか、励ましに来てくれた。ずっとお世話になっているからと言うのもあるが、人柄と雰囲気に惹かれた彼女と、いつかはもっと親密になれたらと思っていた。
随分前にではあるが、社長対して話したたことがあった。その筈だった。何も知らぬふりですぐに降りた異例づくめの配置換えの通知だったこともあり、気持ちを落ち着けるには時間が必要だった。
私にとっては辛い時期として刻み込まれている高校生時代、私は惜別というものを経験したことがある。
それ以降人に思いを寄せることを必要以上に恐れていた。だがこの人なら傷つくことになってでも想いを伝えたいと思える女性だった。
「ありがとうございます。たまに愚痴らせてください」
「じゃあ、異動先でも頑張ってね。何かあったらすぐ駆けつけるから」
一歩踏み出せる勇気が持てるまで、もう少しだけ待っててください。都さん。
────もう一度言う、私は断ると言う選択肢はない。何があったとしても、たとえ都さんと距離ができたとしても。
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