悪の華



 エリックのそばに居ると、色々な人と出会うことができる。

 ただ、彼らを不気味に思っているのは、きっと私だけなのだろう。



 ◆◆◆◆◆




「彼女はマキラ。僕のとても大切な人なんだ」

 エリックの仲間たちは、正義のために戦う彼に賛同するだけあって、誰も彼も気の良い人ばかりだ。


 隠した顔半分にそもそも触れずに接してくれた人が居た。

 食事を摂らなくても良いと知りながら同じように食事を振る舞ってくれた人が居た。

 壊れた顔を大きな傷があると勘違いし、腕の良い医者を教えてくれた人が居た。

 口数の少ない私に静かに寄り添ってくれる人が居た。

 長く生きただけの知識に目を輝かせてくれる人が居た。


 化け物と知って、それでも変わらずに居てくれた彼らは確かに居た。


 友として、家族として、仲間として、エリックの死後もそばにいてくれようとして。

 ただ、わたしはワタシの衝動が怖かった。老いていく彼らを見れば、またあの衝動に囚われてしまいそうだから。

 エリックの死に合わせて、私は彼らの前から姿を消すことにしていた。


 世界を救うため、弱い人を守るため。エリックと輝かしい冒険をしてきた英雄たちはそれぞれがそれぞれの形で私を受け入れていた。



 ◆◆◆◆



 最初の違和感は、ある獣人の女性だ。


 奴隷として虐げられる彼ら一族を悪の貴族から救ったエリック。彼女は一族を離れ、世界を救おうとするエリックの力になりたいと申し出た。

 エリックは彼女を仲間として受け入れ、共に旅をする。

 その中で彼女はエリックに想いを寄せていたし、他の仲間もそれを知っていた、はずだ。


 冒険の途中、エリックは私と出会い、いつも通り嬉しそうに笑った。そしていつも通り仲間に私を紹介した。

 その時の仲間たちの反応は様々だが、誰も彼も気まずそうな顔をして、獣人の女性はひどくショックを受けていた。

 夜、仲間たちは宿の一室に集まり、獣人の女性とそれから私への接し方について話し合う手はずをしていた。


 だからこそ、私も仲間も翌日の彼女にひどく面食らった。

 昨日の憔悴っぷりが嘘のように明るくなっていたのだ。

 最初、仲間は強がって演技をしているのだろうと考えていたはずだ。だが、日を追うごとに彼女の態度が嘘ではないと気付き、余計に混乱していた。彼女は私に嫉妬を欠片も向けず、むしろ友人になりたいと接してきて。


 それは、それはまるでエリックへの恋心そのものを失ってしまったようだった。



 ◆◆◆◆




 別の世界で、私は世界的な指名手配犯になってしまっていた。


 その世界では薬を作ることには資格が必要で、魔法を使った薬となると王族直轄の薬師以外には許可されていない。

 そんな事も知らずに1つの都市で流行っていた疫病を救ってしまった私は指名手配犯として追われる身となった。

 あちこちに人相書きが貼られ、森の奥でひっそりと隠れ住むことにし、誰とも会わずに過ごしていた。


 やってきたエリックは事情を知ると「誤解を解くね」と言って行ってしまった。


 1ヶ月、森の奥に建てた小屋にわざわざ薬師たちのお偉い様が来て私に特別な薬師の資格を渡しに来た。指名手配も取り消され、彼らは申し訳ないときれいでもない床に頭を擦りつけた。



 ◆◆◆◆




 一方的に傾国の化物としてのドゥ=マキラの名前を与えられたあの世界。

 あの世界の人間でさえ、ワタシが殺した誰かの家族でさえ、エリックの友人となると私を受け入れた。




 ◆◆◆◆



 どうして誰とでも仲良くできるの。なんてそんな事をエリックに聞いたことがあった。


「僕には人の魂が見えるんだ」

 魂。概念は知っている。人の心に例えられたりする目に見えないもの。体の中に入っているという人がいれば、外にあると仮設を立てる学者もいる。


「人類にも動物にも悪魔にも魂はあって…悪い人は魂が暗い色をしているんだ。

 僕が仲良くなれるのは、魂に光を持っている人だよ」

 大抵の人は皆強弱はあれど魂に光があるのだとか。

 長いこと辛い思いをしていたり、悪の道に染まると光はどんどん弱くなっていくのだとか。

「僕はその光を希望って呼んでいるんだ。

 光さえあれば、どんな人でも前を向けるから」


「私とラルフはどんな色の魂なの?」


 そう問うと、エリックはにこりと笑って人差し指を自らの唇に当てた。

「ひみつ」


 わたしの魂は、わたしの心にはまだ光はあるのだろうか。




 ◆◆◆◆




 エリックと仲良くなれるのは、魂に光がある人。

 きっとエリックの魂は彼が希望と呼ぶ光で輝いているのだろう。だからこそ、強い希望を求めてエリックへと皆が惹かれていく。


 でも、強い光は強い影を作る。


 エリックから離れれば、その影に呑まれてしまいそうで怖くなる。だから、誰もエリックから離れない。エリックを疑わない。

 エリックの強い光さえ信じていれば、影を恐れることは無いから。



 でもそれって、とても不気味じゃない?





 ◆◆◆◆




「おう、マキラ。あっちでエリックが呼んでたぜ」


 不気味。


「ねえマキラ。また薬草のこと教えてくれないかしら」


 不気味。


「マキラ、これ君の…その、傷に合わせて眼帯を作ってみたんだ。これなら風を気にしなくて良いだろ?」


 不気味。


「マキラ!昨日は助けてくれてありがとう!

 触手、というのかしら。ちょっと驚いたけれど…ううん!とにかく助かったわ!」


 不気味。




 不気味不気味不気味不気味不気味不気味!!

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!


 受け入れないでよ!!怖がって、恨んで、恐れてよ!!


 気味悪がってよ気持ち悪がってよ!!


 わたし、こんな姿は嫌なの!!




 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆





 エリックの手がラルフへ伸ばされる。


 ああやめてラルフ。その手を取らないで。

 私を殺して欲しいの。私を殺すとき、貴方には私を化け物として映したままでいて欲しいの。

 化物にされた可哀想な一人の女の子マキラじゃなく、ドゥ=マキラとして殺して欲しいの。


 エリックと一緒にいたら、貴方はまたわたしをマキラとして見てしまう。マキラを殺した事実を背負わせてしまう。

 ワタシが醜い化物では無くなってしまう。ワタシとわたしを一緒にしないで欲しいの。


 お願いラルフ。わたしはもう死んだの。


 ワタシとして、ワタシを殺して。




 ◆◆◆◆◆





「ラルフ!!!」





 ラルフを呼ぶ。

 あのまま物陰でじっとしていれば、息を潜めて二人の和解を待つのが最適だと理解しながらマキラはラルフを呼んだ。

 長い付き合いだから、こんな状況で自分がラルフを呼べばどうなるか、彼がどう考えるかを理解しながら、それでもマキラはラルフを呼ぶ。

 振り返って、ラルフはマキラを見て顔を歪めた。そこには失望もあるだろうし、救いを跳ね除けられたことへの怒りもきっとあるだろう。


 マキラがラルフを理解するように、ラルフもマキラを理解していた。

 マキラが化物として殺されたがっていることを。


 苦痛に苛まれながらラルフはエリックを振り返り、その手を払った。




 ◆◆◆◆◆




「はぁ、はぁ」

 肩で息をしながラルフは思考する。

 それはエリックの手を拒めなかったあの時の感情と心情への思考。

 エリックへ確かに怒りを抱いていたはずだ。マキラを化物へと変えた事へのエリックへの怒りを。

 だが、それと同時にマキラを殺せる活路がエリックにしか無いとも理解した。そこには再びエリックと共に歩めることへの僅かながら喜びがあった。


 幼稚でも楽観的でも何でも良いからとラルフは自らの感情を一つ残らず拾って考える。久方ぶりに色を宿した目は少しずつ色彩を失い始めていた。

 確かに抱えていた闇をまとめて消し飛ばされるようなあの光。

(まるで、まるで催眠か何かのような、)

 絶望の奈落へ落ちるときに似た、光に引きずり込まれる感覚があった。嫌悪は無く、喜びに溢れたそれは幸福をそのまま原液で飲まされたかのようだ。


「ラルフ」

 エリックが心底かなしげな顔をすると刺すように胸が痛む。罪悪感。だがそれさえ今は疑わしい。

 正義に心を染め、正義のために生きる。それは人として素晴らしい事なのかもしれない。だが、

(ああ、そうだ。それはもう俺では無い。)


 信条も信念も個人の正義も、全てがエリックの正義へと置き換えられていく。世界すべてがそうなれば、そこには真の平和がある。

「僕と一緒に、平和な世界を作ろう?」


 他者を尊重し助け合う、だからそこに争いは無い。

 妬みや嫉みもない、だから足を引っ張ることも無い。

 恨みは持たない、だから復讐も無い。


(前の俺は)


 最悪だとエリック本人から語られたかつての自分。エリックがそう言うなら、確かに罪深く裁きを受けるべきだったのだろう。ただ、ただ一つだけラルフは理解する。その点においてはかつての自分は正しかったと。


「エリック。お前のそれは救いじゃない」


 自分よりも他人を尊ぶ。正義のために生きる。

 そうして出来た人類の行く末は、餓死だろうとラルフは考える。飢饉が起こった時、素晴らしき人類は自分の子どもや家族に自らの食料を分け与え、更には全くの他人にも手を差し伸べる。

 自分だけが、自国だけが生き残ろうなどと考えないから食料の独占は起こらず、他人を救うことばかり考える内に馴れ合いながら死んでいく。


 ああ、死んだ者たちは満ち足りているのだろう。誰かを救えた幸福の中で死んていくのだろう。


「俺は、俺はお前とは行けない」


 飢饉が起これば周囲から奪ってでも生き残る。

 疫病が流行れば病人を切り捨てて生き残る。

 戦争があれば敵国は人では無いと殺して生き残る。


 そして、化物を化物のままで決して受け入れない。


「エリック、お前の正義は俺と違う」




 ◆◆◆◆◆



 エリックは静かに手を下ろす。

 俯いた顔から表情は伺えないが、2度目の拒絶だからこそ、この後のエリックがどう出るかの想像はつく。

 あの時は同じようにエリックに希望を見たあらくれにやられたが、今ラルフの背後に敵は居ない。

 腰の剣に手をかけるが、可能ならこのまま自死して『次』へ行きたい。


「いいよ、待つ」


 唐突にエリックが言う。感情の抜け落ちた声にマキラが小さく肩を跳ねさせた。


「待つよ。63280999回だってやれたんだ。もう一度同じ回数やったって変わらないじゃないか。ラルフと彼は違うんだからラルフならきっと分かってくれる。気づいてくれる。何度殺し合ったっていい。彼は分かってくれなかったけどラルフなら。僕がマキラを殺すんじゃダメなら待てばいいじゃないかラルフとマキラが納得の行く終わりが見つかるまで。……………ふふ」


 どちらに言うでもなく、壊れたロボットのように平坦な声でエリックは早口に言う。

 顔を上げたエリックはいつも通りの笑顔で笑う。



「うん、僕は待つよラルフ。」



 同時に剣が横薙ぎに振るわれる。

 回る視界だが、次にエリックが何と言ったのかラルフの耳にははっきりと届いていた。



「でも、悪人は殺さなきゃだから。またね、ラルフ」













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