2023年12月30日
「アハハハハハハハハハ!!」
シュランゲは笑う。気づいてしまった、あまりに滑稽な事実に腹を抱えて笑った。
傍ではツェツィーリアとリンクスが、ホコリまみれの地面に崩れ落ちて笑うシュランゲを不思議そうに眺めていた。
「ぐっ、がはっげほっげほっぉ」
案の定、咳き込み始めたシュランゲの背を、リンクスはそっとさする。ただでさえ免疫が弱いのに、興味があれば躊躇いもなくゴミ溜めに手を入れ、死体を漁る主人には慣れていた。
ツェツィーリアはあたりを見回す。いつもの拠点から随分と離れたここは、何年か前に潰れた遊園地のレストランの中だ。窓は割れ、不良か物取りが入り込んだのか荒らされた店内。偵察の蝿によるとエリックは着々とここを目指して悪魔を倒しながら向かってきてるらしい。
「我が王、どうしマス?」
「いやあ、逃げても無駄でしたか。まあ、分かっていましたけど」
「エエ…」
「ツェツィーリア。次は貴方の番ですよ」
「エエ………」
エリックの足止めをして死んでこい。案にそう含ませたシュランゲの言葉にツェツィーリアは心底嫌そうに顔を歪ませた。
買い物にでも行けと言わんばかりの気軽さで死ねと言われたツェツィーリアは、「ハァ、めんどくさ」と最後に捨て台詞を残してレストランを出て行った。
「レイヒツ。リンクスは?」
「まだ遠いです、シュランゲ様」
名前を間違えられても、リンクスは気に求めることも無く片割れの状況を告げる。
ある日突然「逃げましょう」とシュランゲが言い、配下たちを犠牲にここまで述べ1ヶ月ほど破壊と略奪の逃亡劇を見せたが、どうやらここが墓場になるらしい。
「ツェツィーリアは大して役には立たないでしょうね」
「はい、まあ。」
「貴方は逃げないんですか?」
「俺たちは、シュランゲ様に仕えると決めていましたから」
「なぜ?」
「それは─────」
リンクスの言葉に、シュランゲはその笑みを深めた。
悪意が全面に出たその凶悪とも呼べる笑顔に、リンクスはほんの少し首を傾げる。
「おもしろかったですか?」
「ええ。おもしろいことを閃きました」
こんな状況でも何一つとして変わらない主人に、リンクスは喜んで笑った。
◆◆◆◆◆
「逃げるのは、これが初めてだったんですよ」
「何の話?」
翌朝。廃遊園地にマキラはやって来た。
相も変わらず少女の姿で、その異形の頭の左半分を髪で隠して。
レストランでかろうじて無事だったテーブルの上に腰掛けるシュランゲは、疲労のせいか、薬が無いせいか、幾分か顔色が悪く見えた。
「文字通り煮ても焼いても食えない男でしたから。
呪いは届かず毒は効かず。数で押しても人質を取ってもだめ。現れた時、私は詰んでいる。」
「だから、なんの…」
「エリックですよ」
マキラが息をつまらせたのを見て、シュランゲは優しげに笑う。
「数え切れないほど、殺し合ってきましたが。私が彼から逃げるのはこれが初めてなんですよ。
どうせ『次』があるのだから、命を惜しいと思ったことがありません」
幾度となく、そこがどんな世界であってもシュランゲは村や街を蹂躙し、略奪して。そうして得た物で悪趣味な城を建てた。
ヒトの国を支配することもあったが、権力そのものに興味は無く、それは悪魔たちを呼び出す生贄を得る手段だ。欲しいものは無いし、恨みも無い。
「何度かひどく辺鄙な場所に城を建てたことがあったんですよ。」
シュランゲは埃が薄く積もったテーブルに指を這わせ、小さな円を書く。
「悪魔たちの遊び心だったり、気分だったり。それでもね、彼は来てくれるんですよ。そういうものだと思っていましたが、こうして追われて見ると…ふふ。おもしろいですよね」
逃亡中のことを考えながら、シュランゲは丸に向かって曲がりくねった線を引く。山を越え、谷を越え、川を越えて国を越え。
自分に従う人外の者たちの手でここまで逃げてきた。
「どんなルートを通っても、彼は必ず追ってくる」
廃墟であっても、山奥であっても。人の群れに紛れても、それが例え他国の領事館であっても。
何かしらの手段を用いて彼は自分の喉元へ刃を突きつけるためにやってくる。
「ふひ、ひゃはははは」
腹の底から漏れた笑いにシュランゲは肩を震わせる。
逃亡自体に意味は無い。ただ、エリックを待ち構えるシュランゲにベルデが「逃げないのか?」なんて聞いてきたから。
どうなるのか興味が湧いて、逃げてみた。
一番最初にベルデを囮に逃げた時、車の窓からすれ違いざまに見たエリックのあの驚いた顔が忘れられない。
「きっと彼もね、私を見たら追わずにはいられないんですよ」
調べた限り、エリックは大学へと通っていた。友人も多かった様だ。しかしエリックは、大学での平凡な生活を捨て、シュランゲを追ってきた。
人々を攫い、殺し、人外共のエサにする悪を、討つ為に。
「エリックはね、ずっと私と遊んでくれるそうですよ」
そうして笑うシュランゲは、本当に、本当に邪悪で心底うれしそうだった。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆
エリックは来た。
薄暗いレストランへと足を踏み入れた。体のあちこちは怪我を負っていたし、ツェツィーリアがなにかしたのか顔は青く苦しそうに肩で息をしながら。
例えこの状態のエリックと戦っても、自分は死ぬとシュランゲは確信している。なにせもう、銃の引き金を引けるほどの握力も残っていない。
「お互い、満身創痍ですねエリック」
ひどい頭痛の中、シュランゲは座ったまま気だるそうに手を振る。
「ラルフ。もう、終わりだよ。
…今からでも罪を償って、一緒に生きよう?」
あれだけ殺されかけたくせに、まだそんな事をエリックは言う。ラルフを心底信じているのだろう。友人として、また歩んでいきたいと願っているのだろう。
「提案なんですが、エリック」
ただ、シュランゲにとってはそんなエリックの願いなぞどうでも良かった。
ここまでなんとか生きていたが、前述したようにひどい頭痛がしていた。それに呼吸も苦しいから本当は話していたくもない。視界は回って気持ちが悪いのに、心臓だけは元気に鼓動し続けている。
だからリンクスに、罠を張らせた。エリックの足止めに行く前に、レストラン中に爆弾を仕掛けるようにと。
何となく自殺を面倒くさがってやらせた。待つのが嫌になって自殺を決意する頃には、その元気が無くなってしまっていた。こんなに苦しくなるなら、さっさと死にたかったのに。
「たまには一緒に死にましょうか」
スイッチを押す。
一瞬で真っ白になる視界の中、シュランゲは次からは毒でも持ち歩こうと心に誓った。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆
◆◆
目を開けて、そのまま動かず世界を見る。
シュランゲは自分が頭を置く枕の形や、そこからベッドやその先、部屋の中の家具の配置や形を事細かに観察する。
目を閉じて30秒ほど考え、それからようやく体を起こした。
一糸まとわぬ肌は白く、肉のあまりついていない体には僅かに肋骨が浮いている。光を灯さない黒い双眸と、艶のある黒髪が重力に従ってさらりと落ちた。
ベッド脇に置かれた手鏡を手に取る。14歳ぐらいの、表情の無い顔を見て、頬に張り付いた髪を1本1本丁寧に取って払う。
少しだけ、天井を見上げる。途端に蘇る記憶に、シュランゲは体を小さく丸めて咳き込んだ。
「コホッ、ゴホッ」
無いはずの痛みは脳裏に刻まれ、一旦辞めた呼吸を恐る恐る再開する。
やや冷えた空気が肺へと流れる。喉にも、気管にも引っかからず。わずかに膨らんだ胸にも痛みは無い。ゆっくりと息を吐き出し、無意識の呼吸へと切り替えていく。
アハ、という笑い声に顔を上げると、ノックも無しに部屋に入ってきたツェツィーリアが愉快そうに笑っていた。
「おはよございます、我が王。夢見はいかがでした?」
青白い顔を見ればそんな事、聞かずとも分かるだろうに。
おそらく朝食が入っているであろうバスケットを手にベッドへ腰掛けたツェツィーリアに、シュランゲは肩をすくめて答えてやる。
「まあまあですよ。貴方の死に様を見ておけば良かった、とは思いますが」
「興味も無いくせに?」
べろりと長い舌を出し、ツェツィーリアはシュランゲの顔の汗を舐めた。生暖かい舌の感触が頬を這うが、シュランゲはこれといって気に留めない。
「朝食はなんですか」
バスケットに手を伸ばすと、ツェツィーリアが蓋を開ける。中にはスコーンとジャム、それから紅茶のティーポットが収められていた。
「あの人間、よく働きますネ」
「ええ。だから、まだ殺さないでくださいね。
もし殺すなら、私好みのサンドイッチは貴方が作ってください」
できやしないでしょうが。と意地悪く笑うシュランゲに、ツェツィーリアはぐっと眉をしかめる。
「前は虫スープも食べてくれたノニ?」
「残念ながら、グルメになりました」
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