墓場に入る

@rona_615

第1話

 入籍した。

 たった六音節のフレーズへの返答は、実に様々だった。


 「おめでとう」と口にしながら、なぜか目は逸らす人。

 黙って首を横に振る人。

 手を打ち鳴らすような所作をしてみせる人。

 熱いものに触れたかのように耳たぶをつまみながら、「良かったね」と云ってくれる人。

 「どっちが苗字を変えたの?」なんて無意味な問いは、鼻で笑ってやった。


 式は挙げない。両家顔合わせなんて以ての外。タキシードにもドレスにも興味なんてない。

 仕事を辞める気だって双方ないから、新幹線で二時間の遠距離は変わらないまま。当然、引越しの予定もない。

 ないない尽くしの結婚だけど、指輪だけは買った。シンプルなプラチナのマリッジリング。

 届を提出した後に入った居酒屋で、互いにそれを付け合ったことだけが、儀式といえば儀式だった。


「で、新婚早々ってのに、毎晩こうやって飲み歩いてるわけ?」

 ジョッキをカチャリと打ち鳴らしてから投げられた問いは、ビールを煽ることで、一旦黙殺する。

「今日は単なる木曜日。仕事も一段落して、時間も空いている。生活自体は一緒なんだから、今まで通りでいたって問題ないだろう」

 お通しのポテトサラダを箸でつつきながら、やっと返した答えに、相手は形よく整えられた眉を大げさに寄せてみせる。

「人生の墓場へようこそ、とでも云ってやろうかと思ったけど、何にも変わってないなら、バカバカしい台詞だな」

「一応、戸籍上の名前は変わった。仕事上は旧姓を使ってるけど」

「”新姓”っていうのかな、要は新しい苗字、そっちは全く知らせてないわけ?」

「旧姓をそのまま使うには届を出さなきゃいけなかったから、書類に印を押した偉い人たちは目にはしているはずだけど」

「よっぽど珍しい名前じゃなきゃ、覚えてはないか」

「あぁ、それより」

 通りすがる店員を呼び止め、牛すじ煮込みと追加のビールを頼んだ。


「そう云えばさ、さっきの”人生の墓場”ってやつだけど」

 ビールを4,5杯も空け、お腹もすっかり満たされたころ、ふと気になったフレーズを混ぜっ返してみたくなった。

 日本酒を猪口に注ぎながらの首を傾げる仕草に促され、下らないやり取りなんだと通じるようにニヤニヤ笑いながら言葉を続ける。

「一度入ったら出ない方が良いって点では、悪くない意味で共通点があるよな」

「そりゃあ、出たところで腐ったゾンビみたいになってるわけだから、一理ある」

「永遠の眠りってイメージなら穏やかなもんだし、『お気の毒様』みたいなニュアンスになるのは、解せない」

「屁理屈をこねて遊ぶの、相変わらず好きだね。けどさ」

 相手はここで言葉を区切ると、銚子を持った右手をこちらにぐっと差し出した。

「そんなことを言っちゃうくらいには、満足してるってのは、よくわかった」

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