第一章 謎解きは陽キャを殲滅する手段である
放課後の作戦会議
「んっと、じゃあこの問題、ちょっと難しいけど……雨原、できるか?」
「はい」
数学の先生に指されて黒板の前に行き、チョークで回答を書いていく。ある程度予習しておいてよかった、これなら解ける。
「さすがだな、みんなも見習えよ」
半分冗談のような口ぶりで黒板に丸を描く。いや、俺なんか見習ったら、みんなこんな風にすぐしょんぼりする人間になるからやめた方がいいよ。俺かオジギソウかって感じですぐ項垂れてるんだから。
「え、そのクリームのパン何?」
「購買部に売ってたんだよ、新商品だって!」
「昨日のチューニング・ガムの投稿動画見た?」
「見た! やっぱりあの二人のキャンプ企画は鉄板だよな」
昼休みの解放された空気の中で、クラスメイトの楽しそうな声が響く。
織羽の復讐を手伝う、という謎の約束をして十日が経った四月二四日の月曜日。実際のところ、何の活動もしていない。他のクラスメイトは先々週に体育館でやった部活紹介イベントを経て早速入部し始め、ウッキウキのハイスクールライフを送り始めているというのに、俺はといえばクラスでのポジションも全く変わってない。今も、家から持ってきた弁当を一人で頬張っている。窓際で前から二番目の席だから、他の人の邪魔にならずに食べられるのだけが救いだ。中央にいたら申し訳なくて「ビンゴの真ん中のマスかな」って思うくらいすぐに場所を空けるぞ。
それにしても、高校にもなるとみんな「学校慣れ」してるな。自分と同じ匂いの人を見つける能力が研ぎ澄まされてるから、クラス内は既に男女ともに幾つかのグループに分かれている。もちろん、中心にいるのはオシャレで話も上手なリーダー格の男女グループだ。前世でどういう徳を積めばこんな風になれるんだろう。何人か蘇生させてるのかな。
俺はといえば中学三年間で自分から話しかけるのが滅法苦手になってしまったので、貫きたくもない孤独を貫いている。話しかけてくれるのは、同類の一人だけ。
と思ったら、トイレから戻ってくると彼女がいなくなっていた。彼女の席には別の女子が座り、隣の女子と話している。どうやら席を譲ったらしい。ちょうどスマホが震えたので見てみると、織羽からメッセージが来ていた。
【ちょっと渡り廊下まで来てよ】
【おう】
クラス教室がある南校舎と、職員室や理科室などの特別教室がある北校舎。それを繋ぐ二階の屋外渡り廊下に、織羽はいた。口を尖らせて思いっきり文句を吐き出しながら、購買部で買ったらしいサンドイッチを立ち食いしている。
「なんなのあの子たち! 私がまだ食べてるのに机使いたいアピールしてきて! いいじゃない、立ったまま話せば。机をくっつけないと死ぬの? テトリスの亜種? こちとらアンタたちのせいでブロックじゃなくてストレスが積み上がってるわよ!」
「ゲームオーバーにならないようにしてくれよ」
ふくれっ面で玉子サンドを一気に食べる織羽。一週間過ごして分かったことだけど、調子が良いと毒舌が増すらしい。どんな体質だよ。
「さて、食べ終わったからちょっと校内散歩しようかな」
「教室戻んないのか?」
「あめすけ、今行ってもあのテトリス女子がくっついてるわよ。昼休み終了五分前くらいになって戻れば、『あ、ごめん』ってどいてくれると思うわ」
「さすが慣れてるな……」
そんなわけで、俺と織羽は昼休みを北校舎の散歩に使ったのだった。
放課後、今日は幾つかのグループが残って、オススメのヘアアクセサリーやゲーム実況動画の話をしている。彼や彼女からしたら普通のことでも、俺からすればそうやって話せるだけで十二分に羨ましい。
こういうことを言うと「えー、気にせず混ぜてって言えばいいじゃん!」って言ってくる人とかいるじゃん? 舐めてんのか。それが! 出来たら! 苦労しないんだよ!
混ぜてって言ったら、絶対みんな心の中で「まあ仲間外れにするのも良くないしな」みたいな思考になって混ぜてくれるのよ。で、俺もこのぼっち業界慣れてるからそれにちゃんと勘付けるのよ。「あ、この人たち、『まあ仲間外れにするのも良くないしな』って思ってるんだろうな」って分かるのよ。そうするとどんどん「気を遣わせてごめんね……」って落ち込んでいって最終的に用事があることにして抜ける。そうやって不器用に生きてきました。
教室を出ようとすると、織羽もバッグを持って立ち上がる。「一緒に出よう」なんて誘うことはないけど、お互いなんとなく空気を読み合って同じタイミングでドアに向かい、クラスの呪縛から逃れる。
「外に出て良かったの? 教室でそのまま話してもいいけど」
「イヤだ。みんなが俺たちのこと見て、『あの二人、誰も話す相手いない同士でつるんでるのかな』って思われたらしょんぼりする」
「ふふっ、面白いなあ、あめすけは」
右手を口に当て、織羽はクックッと笑い声を漏らす。俺が中学時代に転校先でぼっちだったことも、そのせいで勉強ができるようになったことも、全部彼女には話した。
「さて、今日はどこに行くかな」
「この前は地学準備室だったわね」
どうやって復讐するか、何日かに一回、織羽と一緒に作戦を練るようになった。でも、教室を出ると行き場がない根なし草。ファミレスに行ってクラスメイトにばったり会ったりでもしたらおちおちドリンクバーも利用できないので、先週からは放課後こうして空き教室を探すようになっていた。
「じゃあ三階にあった社会科準備室に行ってみるか?」
「いいね、他の人が使う前に行こう!」
織羽が数歩前を走り出し、俺も早足で付いていく。心配は杞憂に終わり、数分後、俺たちは誰も使っていない北校舎の社会科準備室に入り、ぽつんと置かれていた机と椅子に座っていた。
「はあ、早く復讐したいなあ」
「ライブ行きたいなあ、みたいなノリで言うなよ」
椅子に寄り掛かり、後ろの二本の脚で揺れている織羽が小さく溜息をつく。
「でも、そろそろどんな風に復讐するか決めないとな。対象も多すぎるし、全然想像がつかない」
「ね、どうしよっか。私も具体的なアイディアはないのよね……この学校で人気のイケメンの裏アカでも暴こうかな」
裏アカウント。SNSで、本来のアカウントとは別にこっそり作成している匿名アカウントだ。
「裏アカなんて、持ってるかどうか分かんないだろ」
「いいや、持ってるはずよ! 陽キャなんだから、表では『今日もサッカーの練習頑張るぜ!』なんて書いておきながら、裏ではとんでもない自慢してるに決まってるわ。プライベートマネージャーって名目のファン五人からはちみつ入りレモネードもらって一番美味しかった女子とその場でキスするみたいな遊びやってるのよ、どうせ」
「屈折した偏見がひどい」
何もしてないのに貶められてるサッカー部がかわいそう。
「百万歩譲ってやってたとして、別にネタとして表のアカウントで自慢すればいいだろ」
「あめすけ、分かってないわね」
彼女は芝居がかってチッチッチと指を振ってみせた。
「そんなこと表で出したら感じ悪いじゃない? 裏で投稿しておいて、友達にこっそり自慢する方が『オレ、実はみんなに言えないヤバい秘密あるんだよ』感があって、より楽しいに決まってるわ!」
「サッカー部に恨みでもあるのかよ……」
「ある! というか部活に入ってるだけで恨む! ズルい!」
鬱憤を晴らすやりとりをした後、復讐の作戦会議をするけど、名案は出てこない。そりゃそうだろう。陽キャに簡単に近づいて復讐できるようなら、そもそもこんな風になってない。遠い距離からでも攻め込める手段が必要だ。俺たちは合戦でもするのか。
「あめすけ、いっそ『これを三人に回さないと不幸になります』って手紙とか送ってみるのどうかな?」
「高校にもなってそんなの信じるヤツいないだろ」
「確かに。それをネタとしてSNSに投稿して、異性から『笑っちゃった。でもちょっと怖がってるの可愛い』とか『怖いねー笑 ところで久々にカフェデートしよ!』とか十件くらいコメントついて終わりね」
「そこまでは言ってない」
ちょこちょこ毒が入ってくるんだよな。
「というか、ずっと気になってたんだけどさ。サッカー部だからって陽キャとは限らないんじゃないか?」
「えええっ!」
彼女の唐突な叫び声で、俺の方が驚いてしまった。
「そんなことないわよ! 全員陽キャに決まってるわ! まずネットで『陽キャ』を調べると、こう出てきます。『性格が明るく、人づきあいが得意で活発な人』」
「織羽、それ暗記してるの?」
脳のメモリをそんなことに使うなよ。
「まずサッカーなんて万人に人気のスポーツをやっている時点で明るい性格なのは間違いないわよ。暗かったり後ろ向きだったりしたら、『俺なんかがやっていいのかな……レギュラーになんてなれないだろうし、泥だんご部の方がいいんだろうな……』ってなるに決まってるもの。それにチームプレイだから人付き合いも大事よね。最後に活発さ。校庭で毎日あんな風に練習して、たまに代表戦をスタジアムとか友達の家でワイワイ見たりして、活発以外の何物でもない。よって、サッカー部は陽キャである! はい、あめすけ、聞いててどう思った?」
「よくそんなにスラスラと出てくるなあと思った」
あと泥だんご部って何なの。真球に近いだんごを作る大会とかあるの。
「んー、やっぱり復讐のアイディア浮かばないね。ちょっと散歩しながら考えよっか」
「だな、ずっと閉じこもって考えてても良い案出ない気がするし」
部屋での熟考を諦め、廊下を歩いて、二階へ降りていった。昨日は雨だったけど今日は快晴で、窓ガラスから夕暮れになる手前の陽光が漏れ、織羽の暗めの茶髪を黄金色に照らす。ちらっとこちらを見た彼女の、まつ毛の長さに見蕩れてしまう。
やっていることは作戦会議という名の雑談で、実際はただの傷のなめ合いのような時間で。だけど、少しずつ織羽と普通に話せるようになっていることが嬉しかった。
「暑いのによく外で部活なんかやるなあ」
「分かる、俺もすぐバテそう」
校庭から運動部の声が聞こえる。ホイッスルを鳴らしているのはサッカー部だろう。俺たちがろくでもないことを企てている間に、彼らはアオハルに浸っている。
復讐なんて考える方が間違ってるんじゃないか、俺たちが頑張って陰から陽に変身していく方がいいんじゃないか、なんて出来もしない妄想を巡らせていた、その時だった。
「あれ、どしたんだろ?」
織羽が少し遠くを指差す。
北校舎の一番西側、突き当りの教室で、男子生徒が三人、なにやら入り口のドアの前で騒いでいた。
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