アオハルは諦めた

「復讐……?」

「そう、復讐」

 あまりにもさらりと謎の宣言をした彼女についていけない。というか、その前に、一つの疑問がずっと気になったままでいる。まず先に、それを彼女にぶつけることにした。

「織羽、中一まで友達多くなかったか? なんで今こんな風になってるんだ? あっ、もしかして転校したとか……」

「そんなんじゃないわよ」

 彼女は眉を微かに下げ、口を窄めて細長い溜息を吐いた。

「中学入ったときさ、『小説や漫画を読むのが好き』って友達がすぐできたの。ほら、あおさんとかおおぬまさんとかね。それで、その四人組で文芸部に入ったのよ」

「ああ、そんな女子いた気がする。なんとなく覚えてるぞ」

 入部希望用紙を見せ合いっこしたな。俺は科学部、彼女は文芸部だった。

「それで、六月に同人イベントがあってさ。申込間に合ったから、オススメ小説・漫画の紹介と、オリジナルの短編小説を入れた同人誌を作ってみることにしたのね。でも、他の三人のうちの一人が、短編に私と同姓同名のキャラを出したのよ。傲慢が仇になって最後にフラれるキャラで。みんなすっごくウケててさ」

「それは……ダメだろ」

 相手はどうせ「ネタだよ」で済ませようとしたはず。でも、俺が織羽でも良い気分はしない。クラスで回し読みでもされたら、余計にイジられるだろう。

「私も一応言ったんだよ。三人とも盛り上がってたから、『ちょっと止めてほしいな』って。そしたら『うわっ、一人だけマジになってるんですけど』なんて真顔で言われて、そこから部活の居心地悪くなっちゃった」

「……それ、いつくらいの話だ?」

 俺の問いに、彼女は一瞬だけ目を逸らした後、グッと伸びをしながら答える。

「六月かな。それで結局ね、同人イベントの前に部活を辞めたの。でも、その時ってもうクラスの女子ってグループ出来上がっちゃってるじゃん? それに、文芸部に残った三人が私のこと『ノリが悪くて空気が読めないヤツ』って噂流してたみたいで。だからクラスで浮いちゃったんだよ。まあ、その三人もすぐに飽きて文芸部も辞めて動画配信とかやりだしたんだけどね。今思うと、ちょっと本が好きって言いたかっただけの陽キャだったんだろうな」

「そう、だったのか」

「二年になってクラス替えしても、噂は回ってるし、私も後引きずっちゃっててみんなとどう距離縮めればいいか分かんなくてさ。ぼっちのまま三年過ごしたってわけ」

 つまんない話してごめんね、と話を切り上げ、彼女はまた先に帰っていく。呼び止めることもできないまま、俺は呆然とその場に立ち尽くす。

 一人になった教室で、自分の机に座り、何もせずにぼんやりと過ごす。時計の長針もいつの間にか一周していた。

 俺の頭に浮かんできたのは、ただただ後悔だけ。

 彼女がさっき目を逸らしたのもよく分かる。彼女が話した文芸部の一件は、転校前、だ。

 俺は小学校のときの「お互いまた困ったときは助け合おう」という約束を守れてなかったのだ。そう思うと、窓から差し込む夕焼けも、今日はちっとも綺麗に見えなかった。


 衝撃の告白から四日経った十四日。月曜の初授業から始まって、長かった一週間を締め括る金曜日だ。

 昼休み、次の授業の宿題ができているか確認する。

「うわっ、雨原君、ノートすごく綺麗だね」

「ホントだ、お手本みたい!」

 通りすがりにノートを見た男女のクラスメイトが話しかけてくれたのに、思わず高速で手を左右に振ってしまう。

「いや、ホントに全然そんなことないよ。普通だって」

 その返答に、二人は肯定でも否定でもない「あー」という曖昧な相槌を打ちながら帰っていった。

 途端に始まる、脳内反省会。俺が俺に説教する。

 まずお前の心に浮かんだことは何だ? 「気を遣って絡んでくれてありがとう」「でもノートくらいしか話題提供できなくてごめんね」だよな。その上で謙遜の意味で「普通だって」って言ったんだよな。でも褒めた相手からしたら「これを普通って言われると自分たちは……」ってなるだろ? そこまで考えて会話しろよ?

 順調に会話の機会を失う俺。その少し後ろの席では、相変わらずイヤホンをつけて突っ伏している織羽。彼女とは月曜日以降、話していない。

 二人とも浮いている。きっと自分の理解者はこのクラスに一人しかいないし、自分も彼女の理解者でありたい。そう思っていた。


「なあ、織羽」

「あめすけ、何?」

「ちょっとだけここにいて」

 放課後、久しぶりに彼女を呼び止める。みんなが帰るまで何を話すでもなく待ってから、俺は座っている彼女の横に立つ。

 そして、深く頭を下げた。

「中学一年生のとき、気付けなくて、助けられなくてごめんな」

 織羽は「えっ」とやや動揺して立ち上がる。

「月曜からずっと後悔してた、しっかり反省して、ちゃんと謝りたいと思ってた。中一のとき、織羽の近くにいたはずだし、休み時間にも話してたはずなのに、この前教えてもらうまで俺は織羽が苦しんでたことを知らなかった。科学部に夢中で、変化に気付けなかった。きっと何かサインがあったはずなのに、見逃してたんだ。だから、本当にごめん」

 そこまで聞いた彼女は、ひゅっと浅く息を吸って、静かに微笑んだ。

「気にしなくていいよ。別に根本の理由はあめすけじゃないしね。大丈夫、私は高校でもぼっちを貫いてやろうと思うわ。今更謝らせちゃってごめん、でも嬉しかった」

 ネイビーの横長バッグを肩に掛け、織羽は足早に帰ろうとする。彼女がこうやって先に帰ろうとするのは、もう三度目。でも、今日はこれまでとは違う。机に映った陽光のプリズムは、俺を応援するように揺れていた。



 彼女はドアの前で立ち止まり、振り返る。表情も随分大人っぽくなったけど、やっぱり顔立ちはあの頃と一緒だ。

「どんな償いができるか考えてたけど、これしか浮かばなかった。どんなことでもいいから、俺が力になる。青春を取り戻すつもりなら、ちゃんと協力するから」

 もう一度、一からでいいから、織羽との関係を築き直したい。彼女が目指していることは全く分からないけど、彼女が困ってるなら助けたい、約束を守りたい。それが、今のまっすぐな気持ちだ。

 織羽は俺をまっすぐ見たまましばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「ホントに、どんなことでも?」

 何をお願いされるのか見当もつかなくて、一瞬たじろいでしまう。でも、答えに迷うことはなかった。

「ああ、もちろん」

 すると彼女は、小学校時代に一緒にいたずらを考えていたときみたいに、にいっと笑みを浮かべた。

「じゃあ、復讐、一緒にやってね」

「お、おう」

 とりあえず協力させてもらえるらしい。安堵しつつ、俺はどうしても確認したかったことを訊いてみた。

「それでさ、織羽。復讐って実際何やるんだ? あ、ひょっとして、その文芸部だったヤツらがこの学校にいるのか?」

「いないわ。あの中学からこの高校に来たのは私くらいよ。電車で一時間かかるしね」

「だよな、めちゃくちゃ遠いもんな」

 俺は都内から戻ってきたときに中学時代とは別の市に引っ越してるから比較的近いけど、当時のあの家の辺りからなら相当遠いはず。

「あのメンバーと離れてリセットしたかったのよ」

 その言葉で、俺は全てを察した。

「なるほど、分かった。復讐って高校デビューのことだな! それで青春を謳歌して、中学時代に私をバカにしてたヤツみんなざまぁって魂胆だ」

「大はずれね」

 両手でバツを作り、そのまま彼女はゆっくりと俺に近づいてくる。

「まだなんにも決まってないの」

「へ? 決まってない?」

 なんか、青年漫画でよくあるような、いじめっ子に一人一人復讐するようなイメージを思い浮かべていたんだけど。

「ただ、青春を謳歌するってのだけは違うわ。青春は諦めたから」

 諦めた、と復唱する俺に彼女は苦み成分たっぷりの微笑を湛える。

「そう。ぼっちになったのは文芸部を気取ってた陽キャのせい。でも、クラスの陽キャも噂を信じて私のことイジったりハブにしたりしたんだから同罪よ。クラス替えの後に同じような扱いしてきた陽キャもね。中学ではホントになんにも良いことがなかった。だからアオハルは捨てたの。中学で人間の嫌な部分ばっかり触れて、今更キャッキャウフフをやれるほど心が真っ直ぐじゃなくなっちゃった。でも……」

「でも……?」


「アオハルしてる人たちがズルい!」


「うおっ!」

 顔を突き出し、急にずいっと迫ってきた織羽に、思わずドキッとしてしまう。猫っぽい目をさらにキッとつり上げたその表情は、怒りと悔しさに満ち溢れていた。

「私だって何か歯車がズレればああなれたかもしれないのに。部活楽しんで、趣味を謳歌してる人たちがズルい! 私は毎日学校がしんどかったし、メンタル削られたから新しい趣味も始められなかった。みんなズルい!」

「……そうだな」

 心の底から彼女に同調する。ああ、織羽は俺と一緒なんだ。ほんの少しの偶然で、俺も彼女も、全然違った中学生活になったかもしれない。俺はその結果、自己肯定感が下がったけど、彼女は怒りのボルテージを上げたんだ。

「私は上昇しなくていいの。だから、! 私の高校生活は復讐劇に使うって決めたから!」

「そういうことか」

 織羽が物理的に戦ったり、クラス内カーストを上げたりして優位に立つわけじゃない。足を引っ張って、青春を奪い取ろうとしてるんだ。

「だから私は、なんとかしてアイツらの鼻を明かすわ」

「アイツらって具体的に誰だよ」

「とりあえず陽キャね」

「無差別攻撃じゃん」

 絞り込み要素が少なすぎる。

「陰キャだって青春してる人はいるからそれはそれで腹立つけどね。でも優先順位が高いのは陽キャよ」

「それで、陽キャの足を引っ張って青春を奪って、最終的にどうなってほしいんだ? まさか全員に部活辞めてほしいとか言わないだろうな?」

 それを聞いた織羽は、「極端だなあ」とわざとらしく溜息をつく。

「今やってる部活はそのままでいいわよ」

「そっか、そうだよな、ごめん」

「私が目指す世界のイメージを、お・り・は、の作文でまとめてあるわ」

「なんでだよ」

 披露するか分からないのに用意してたのそれ。

「全員がワイワイと会話しないで過ごしてもらうのが理想よね。基本はぽつんとしてて、たまに話すみたいな」

 そう言って、彼女はグーにした右手を出し、順番に指を立てていく。


「私の目指す世界はこれよ!

  お → お昼休みは誰とも机をくっつけない

  り → リーダー格の女子が髪型を変えても美容院を聞かない

  は → 初詣行って年を越そうとか提案しない

 どうこれ。いいでしょ?」


「そんな世界がいいのか……?」

「願ったり叶ったりね」

 右拳にグッと力を入れて、俺の顔の前に翳す織羽。全力で握って赤くなったグーに、彼女の意気込みが見て取れる。

「あめすけ、こんな不純で悪意のある復讐だけど、首席様は手伝ってくれるの?」

 首席様、を強調する織羽。でも少しだけ楽しげな口調は、どこか挑発するようなトーンに聞こえる。

 他の人の頼みなら迷わず断っただろう。でも、そんな気にはなれなかった。中学のときに助けられなかったという後悔ももちろんある。それに、俺自身は「仕方ない」「自分が悪い」と色んなことを諦めて過ごしていたのに、彼女はまだエネルギーを滾らせて何かを企てようとしていることが、俺の心にもカチリと火をつける。

「もちろん。手伝わせてくれ、織羽」

「ありがと! よろしくね、あめすけ」

 差し出してくれた右手に触れ、しっかり握手する。


 これが波乱万丈な高校生活の幕開けになることを、俺はまだ知らなかった。

 まあ、知っていたら先に自己肯定感が下がっていただろうから、何も考えずに引き受けて正解だ。

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