第二話:全裸でドゥオーモ

 女子寮へ戻り、玄関から食堂へ向かった。間抜けそうな女性行員が、テレビを観ていた。スーツ姿のままで、胸元に若葉マークがあることから、新入行員だろう。部下か、と、心の中でため息をついた。なるべく彼女の席から離れた、ぎりぎりテレビが見える位置に腰かけた。時刻は十九時で、ちょうどニュースが始まったところだった。私はコンビニで温めてもらったカルボナーラをすすりながら、それを眺めた。

「オンラインサロン、苦情が急増」というテロップの元で、どいつもこいつも同じ顔に見える女性アナウンサーが、無個性な声で淡々とニュースを読み上げている。被害者からのインタビュー映像が流れた。

「なんか、有名な人だし、フォロワー数も多いから、信頼できると思って……」

 被害者は二代後半の男性だった。ビジネス書でベストセラーを出した経営者のサロンに入ったが、コンテンツはお粗末で、イベントはオンラインのみ。本人はビデオ会議でしか登場せず、複数人が相手なので一対一で話す機会はない。不満を抱いて退会したが、入会金の十万円、年会費の十二万は戻らないという。私は彼の経歴を見て驚いた。なんと京都大学を出ていた。最も自己実現系の詐欺と縁がなさそうな大学で、彼は何を学んでいたのだろう。日本はもう終わりだな、と思いながら、ペットボトルを開け、午後の紅茶・無糖で喉を潤した。すっきりとしていて、苦くなく、美味だった。得体のしれないビタミンCのお陰なのだろう。有糖は甘すぎて、飲めたものではない。その不味さは、ビタミンCでも覆い隠せない。渇望の日々が、何をしても満たされないように。

 ニュースは天気予報にうつり、私は退屈しのぎに新入行員を観察した。肉付きが良く、背が低い。銀行でデブは採用されないから、きっと入社後半年間で太ったのだろう。合コンで「とりあえず呼んでおこう、自分よりかわいくないけど、苦情も来ないだろうし」という類の女の子だから。髪の毛はつやつやと輝く茶髪で、丸顔を隠すのに役立っていた。

私は彼女にならい、スマホでSNSを見た。速水代理のFacebookを開く。イタリア旅行の写真がアップされていた。最も私を憂鬱にさせたのは、フィレンツェのドゥオーモの前で撮られた写真だった。ランジェリーショップで広報マネージャーを務める妻、二人の息子、一人の娘と写っている。せめてもの救いは、娘がまるでかわいくないことだった。二人の息子に両親の美貌は受け継がれたらしい。娘には、父の強欲さと、母の冷酷さだけが残されていた。いずれにせよ、私には何もない。まあいいさ、と私は思った。今は九月で、既に今期の営業実績の達成は見えている。店の頂点であり続けることだけが、私を支えてくれていた。職場での居心地は、二十七歳で既に、完璧と言って良いくらい良かった。皆に信頼され、良好な人間関係を築いていた。私の事を目の敵にしてきたババアは、産休で幸運にも早々に休みに入った。あれから生まれるガキに心底同情するが、意外と家庭での顔は違うのだろう。速水代理も、奥さんとは不仲だと聞く。彼の鍛え上げられた肉体を思い出し、身体の疼きを感じた。部屋に戻ることにした。独りで思い出して行為をするには、金曜日の夜というのは最高だ。フィレンツェ旅行でも妄想しようか。そう考えて部屋に戻ると、ベッドには思いがけず、先客がいた。


「こんばんは」

 青年が、ベッドに腰かけていた。ファンタジー映画に出てくるような、魔法使いの格好をしている。

「ハロウィンまであと二ヶ月あるけど。悪い冗談はやめてくれる?」

 私の敵意が意外だったのか、彼はきょとんとしていた。少し伸びた茶髪、すべすべの肌、少し背が低いが悪くない。

「ここ女子寮だから、管理人に見られると、追い出されるし……」

「三十歳になると、出て行かなきゃいけないんですよね?」

「私はまだ二十七歳だよ」

 スーツでいると、長身のせいか、長い黒髪のせいか、年上に見られることが多い。声に憎しみがこもった理由には、他にも訳だある。二十代後半になると、結婚で女子寮を出て行く者が多いのだ。確か速水代理が結婚したのもそれくらいの歳だった。そうですか、と彼は軽く受け流した。男におって二十五歳を超えると、後はどうでも良いのだ。

「僕、七枷です。来週から五菱銀行目黒支店で働きます」

「え。まさか、私の部下って……」

「そういうことになりますね。先にご挨拶です」

 彼は微笑んだ。目にはまだ光がある。未来はきっと良くなると信じている類の人間が宿す光だ。私は食堂で見かけた、どんよりと濁った目の女を思い出した。大きな嘘という労働は、魂を疲弊させるのだ。

「どうやって、ここに侵入したの?」

「あぁ。この世界では珍しいかもしれませんが、僕、魔法使いなんです」

 今度は私がきょとんとする番だった。

「はは、やっぱり。本当にこっちの世界って、魔法がないんですね。言うより、見せた方が早いかな」

 彼が指を鳴らすと、部屋が光に包まれた。次の瞬間、私は見覚えのある場所にいた。先程、SNSで見かけた、フィレンツェのドゥオーモ前だ。しかし、やけに寒い。違和感を感じて身体を見つめると、なんと丸裸だった。

「う、うわ!?」

 慌てて身体を覆うも、周りの人々に私は見えていないらしい。

「それが、黒川さんの欲望なんですね。上司が露出狂でも、僕は構いませんよ」

 どこからか声が響く。七枷の声だ。

「違う。いや、合ってるけど、色々と違う」

 彼に体を見られている羞恥心で、論理的に反論ができない。目の先に、速水代理がいた。しかし横には家族もいる。私は何をしているんだ、と思った。本当に欲しいものは、何だろう。小さい頃は、すぐに言うことができた。今は……そうだ、と私は思った。

「今期は表彰される。それが私の欲望だよ」

 男は私を裏切る。努力は裏切らないが、努力すること自体が目標になってはいけない。それでは自慰行為と同じだ。目先の誘惑に惑わされてはいけない。目標は達成されないと意味がない。

「そうですか、じゃあ、一緒に頑張りましょう!」

「は?」

「あれ。河田課長から聞いてませんか? 僕と黒川さん、合算の目標になったんですよ!」

 目の前が真っ白になった。それは魔法のせいか絶望のせいか、定かではなかった。



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