異世界で幽霊はじめました。~俺が憑いた公爵令嬢は、断罪劇を自ら回避する!

みこと。

前編

 最期に聞いたのは、けたたましいクラクションと悲鳴のようなブレーキ音。


 そして衝撃。


(ああ……)


 こうして俺は高校からの帰り道、幽霊になった。



 異世界の。




 ◇




 なんで!?

 異世界といえば、ふつー転生だよね? 交通事故の後、神様とかが出てきてさ。


 どうして俺、縁もゆかりもない世界で幽霊になってんの?

 しかも誰からも、なんのアナウンスも無いし。


 自分のいた世界、つまり日本で幽霊やってるならまだわかるよ?

 いや、成仏したいけどさ。


 幽霊って何か心残りがあるから、なるもんなんじゃないの?


 なのに、ここは……。



「お待ちください、ソフィアお嬢様! 逃げ出してしまっては、王子殿下に失礼です」

「うわぁぁぁぁん」


 幼い少女を、メイドが追いかけている。


 ソフィア・ラセター公爵令嬢。


 この国の第一王子との婚約が決まり、今日は初の顔合わせ。

 だったのに、婚約相手のルド王子に、開口一番言われてしまったのだ。


 ──こんなブスとの結婚なんてごめんだ──って。


 それで見合いの席から飛び出した御年六歳のご令嬢は、バラ園を突っ切って庭隅の木へと走り去っていく。

 素早さがすごいな。メイドをバラ園でいたぞ。


 うーん。"公爵令嬢"としてはNGかもしんないけど、さっきのは王子が悪い。


 大木に顔を伏せて泣いている少女は、この日のために目一杯めいっぱいお洒落していた。


 期待に頬紅潮させたドレスに、選び抜いたリボンだったのに。

 上質なレースが、震える肩で揺れている。……可哀そうに。


 "どこがブスだって言うんだ。すごく可愛いじゃないか"


「っ! 誰??」


 思わず呟いた俺に反応したソフィアは、目を丸くした。


 そのままじっと中空ちゅうくうを……、幽霊な俺を凝視している。

 さらに驚くことに、話しかけてきた。


「大丈夫ですか? 体が、透けてますが……?」


 "え! もしかして、俺がえてる?"


「はい」


 ばっちり目を合わせながら会話をしたソフィアは、俺の問いにコクリと頷いた。


(声も聞こえるのか!!)


 彼女が敬語なのは、年の差配慮だろうか。


 いや、自分より年上の護衛やメイドには、この、敬語使ってなかったよな。


 ……幽霊が怖いからかも知んない。


(マジかぁ──!)


 女の子を怖がらせる趣味なんてないのに!


 幽霊になって漂うこと数日。フヨフヨと見知らぬ世界を浮遊していたら、この公爵家にものすごい引力で引っ張り込まれた。

 そしてソフィアの近くに定着してしまった。

 離れようとしても、しばらくすると戻される。


 もしやこれは"いてる"状態と言えるのでは?!


 背後霊よろしく、まさか幼女のストーカーになってしまったけど、断じて俺の意思じゃない。


 だが自分ではどうにも出来ない。

 原因不明のまま数日を過ごした今度は、目撃されるなんて。


 これ、ホントどうしたら!!


(あ、あの、俺は怪しい霊じゃなくってね。単なる迷子というか、そんな感じで)


 十一も年下の女の子に必死に説明してみるものの、果たして理解は得られるのか。


 しどろもどろな俺を、ソフィアはじっと見つめている。やがて。


「ソフィアは、ちゃんと可愛いですか?」


 確かめるように尋ねてきた。

 "可愛い"と呟いた声を、拾われていたらしい。


 慌てて迎合する。


 "もちろん! 光に透ける金髪は眩しくて、ぱっちり大きな青い瞳。将来美人確定の美少女だよ"


「──良かったです。じゃあルド様はなぜ、さっきソフィアにあんなこと言ったのですか?」


 "えっ? えーと、それは……。緊張した、んじゃないかな"


「緊張?」


 "う、きっとそう。男の子は、可愛い女の子には照れくさくて、意地悪言ったりしちゃうものなんだ。バカだよね"


 俺も昔、身に覚えがある。

 クラスの女子に、つっけんどんな態度をとったりとか。トゲトゲしく返事して、後で反省したりした。


 ソフィアは俺を見ていたが、やがて小さな手で涙をぬぐった。


 そして元の部屋へと戻ると、部屋に残っていた王子に、ちょんまりスカートを端を広げながら、謝った。

 淑女の礼カーテシーというやつだ。


「ルド様、さっきはごめんなさい。急にお部屋から出てしまって」


(なんて偉いんだ! 元々の非は、王子にあるのに)


 なのに対する王子は、プイっとそっぽを向いて返事もしない。


 "おいこら! なんだ、その態度は!"


 ソフィアが困ったように俺を仰ぎ見るので、俺は汗かきながらニッコリ頷いた。


 "ごめん、ソフィア。あれは本心じゃないんだ。……たぶん"


 俺の声がどう響いたのか。ソフィアはその日、ルド王子に対して寛容だった。


 霊である俺は、相変わらず誰の目にも映らないようだったけど、ソフィアにだけはしっかりえていて、王子が帰った後も、俺たちはふたりで話した。


「……お帰りにならないのですか?」


 "ん? う、うん。なぜかこの場所から離れられなくて"


「そうなのですね。不思議ですね。えっと……」


 呼び方を探してるのかな?


 "俺のことなら、真心マコトって呼んでくれればいいよ"


 下の名前を伝える。苗字は省略。こっちの世界に馴染みにくい響きだろうし。


「マコト?」


 "本音や本心、マゴコロって意味"


「まあ! ではマコト様のお言葉こそが、本当のお気持ちなのですね?」


 "う、ん?"


 ソフィアはなぜか驚き、噛み締めるように頷いた。


(どういう意味だろ? 俺だって口に出すこと全部、本心ってわけじゃないけど……。ま、いっか。わざわざ言うようなことじゃないしな)



 こうして。

 ソフィアと俺の不思議な関係は翌日からも続き、日々のこと、他愛ないこと、好きなこと、苦手なこと。


 いろんな話を、たくさんした。


 いてるせいで、ソフィアからは離れられない。


 俺はソフィアと一緒に、彼女の授業に参加する。礼法を学び、この世界の歴史を学び。

 たまにこっそり算数の答えを耳打ちすると、ソフィアは「マコト様すごい!」と目を輝かせた。


(そりゃあね、日本で高校生やってたから、子どもの算数くらいはね)


 けれどもあっという間に授業はハイレベルになり、いつしか俺も真剣に聞くようになっていた。


 だってソフィアにいいとこ見せたいし。

 かっこ良く知ってるフリしたいじゃないか。


 そんな中、気がついたのは、ソフィアが何事にも一生懸命で、自分よりも周りを考える性格だってこと。


 まだ子どもなのに、大したもんだ。

 これが公爵家の総領姫で、未来の王子妃ってことなのか。


 今日も彼女は書類とにらめっこしながら、父公爵から出された課題を思案している。



「マコト様。アザーレ地方の生産性を上げ、領民の暮らしを豊かにしたいのですが、何か良い方法はありませんか?」


 "うーん。アザーレは温暖な場所なんだろ? 二期作が出来るんじゃないか? 主に作ってる作物ってなんだっけ"


「ニキサク?」


 "そう、他には再生二期作とか、二毛作というのもあって……"



 前世の知識を伝達しながら、彼女の意欲に感心する。


 "さすがだな、ソフィアは!"


 俺が褒めると、ソフィアは「私なんてまだまだです」と、はにかみながら笑う。そんな様子は、実に愛らしい。


 そうこうするうちに、数年。

 ソフィアはどんどん成長し、十七で時が止まったままの俺とは、次第に年齢差がなくなっていった。


(こんな良い、バカ王子には勿体ないよな。俺の妹だったら、ソフィアを大事にしないようなヤツには、絶対嫁にやらないのに!)


 ルド王子との婚約は依然として続いていたが、あっちに精神的成長は見られない。

 相も変わらず、ルドはソフィアに素っ気ない態度をとっていた。


 定例会でもろくに会話もなく、杜撰ずさんに扱われていることは明らか。なのに彼女はいつも変わらぬ笑みを、俺にも向け続けている。


 しかもどうやら、ルドを恋慕ってまでいるらしい。


(なんでだよ! 男を見る目が壊滅的過ぎだろ!)


 ルドにソフィアは勿体ない。


 何度となく、"ルドはやめておいたらどうか"と提案したけれど、その度に「諦めるつもりはありません」と一途な視線で返された。


「たとえ障害や妨害があったとしても、私はルド様と結ばれたいです」


 障害や妨害って何だろう?


 それを置いても、熱を持った眼差しで見つめられると、俺が好かれてるんじゃないかって、錯覚しそうになる。

 天然女子って怖い。


 どのみち家同士の婚約関係。ソフィアの意向で解けるものでもなく。


 仕方ないから、ルド王子との逢瀬の後、俺はソフィアが傷つかないようにフォローするのが常になっていた。


「ソフィア、あの、今日の冷たい無視だけど……」


「……承知しております。今日のルド様の護衛も、王妃様の息がかかった者でした。王妃様はルド様と私が結び、公爵家が後ろ盾となることを快く思われていませんもの。だからルド様は私に危害が及ばないよう、距離をとってくださっているのでしょう?」


 そう言って寂しそうに微笑まれると、何も言えない。

 ルドはきっとそんなことまで配慮してないと思う、とは間違っても口に出来ない。


 現王妃はルドの生母ではなく、隣国から迎えた後妻。

 彼女は実子である第二王子アランを次の王に据えるべく、ソフィアのことは"アランの妃にこそ迎えたい"と何度も国王に提案していた。


「それでもいつか私も、ルド様と手をつないだり……してみたいです」


 モジモジと顔を赤くしながら、俺を見上げるソフィアはとても健気で、俺は"いつかルドがソフィアの気持ちに優しく応える日が来ればいいのになぁ──"、なんて見守っていたけれど。



 そんな願いもむなしく、ソフィアが十七になった年、彼女とルドとの間には、不穏な噂が流れ始めた。



「ルド殿下とソフィア様のご婚約、解消されるのも時間の問題だそうですわよ」


「あら、わたくしもそのお話、聞きましたわ。殿下は近頃、男爵家のご令嬢シルビア様を、"運命の恋人"だとご贔屓ひいきされているとか」


「"真実の愛"を見つけたと公言されてはばらないそうね。殿下とソフィア様は同じ年。ともに十八になればご成婚ということでしたのに、これではねぇ……」


 赴いた会場で、貴婦人の小声が耳に届く。

 俺に聞こえているということは、すぐそばにいるソフィアにも聞こえているはずで。


 もの問いたげに、ソフィアが俺を見る。


 "大丈夫だ、ソフィア。あの男爵令嬢……シルビアは、良からぬことを画策しているフシがある。ルドが彼女を近づけているのは、その証拠を掴むためだ"


 ルドの事情や思惑は知らないが、シルビアは王妃と繋がっている。


 ソフィアが寝ている間だけ、俺はソフィアから離れることが出来る。

 霊として夜道を散策していたある日、偶然シルビアを見かけ、さらに王妃との密会を目撃した。


 呑気者のルドは気づいてないかもしれないが、ルドを陥落させ、ソフィアとの婚姻を阻止しようとしているのかもしれない。


 ルドが現在"王太子"の地位にあるのは、ソフィアを通じて公爵家がついてるからなのに。


 ルドのことはどうでもいいが、ソフィアの恋は叶えてやりたい。



 俺は王妃の動きに気づくたび、ソフィアに内容を伝えていた。


 王妃が求めた不審な指輪や、時々届く密書。第二王子に渡った隣国からの宝石類。シルビアがルドの部屋から持ち出した書類。その中には各砦の予算や、兵の配置図なんかも含まれる。


 王妃、アラン、シルビア。あの連中は、なんやかんやとキナ臭い。


 もしかしたら王妃の実家がある隣国と繋がって、何か企んでいるのかもしれない。

 ソフィアに話すと、彼女も真剣な表情で「調べてみます」と言っていた。



 そんなある日。

 あの馬鹿王子が、ついにやらかしやがった。



「俺はソフィア・ラセター公爵令嬢との婚約を破棄する!!」



 王宮の夜宴に響いた、ルド王子の声。

 彼は意中のシルビアを抱き寄せたまま、ソフィアに婚約破棄を宣言した。

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