第28話 魔法少女活動-1

 土曜日にわたしの訓練のための『マホカツ』を突然提案したのは、千里さんからだった。


 千里さんが怪我してから数日もしていないのに、そんなことをしていいのかと気に懸けたものの、むしろ自分が戦力に換算できず、あのゾンビ灯里が健在な今だからこそやる必要がある。と押し切られて、わたしも千里さんの圧に負けて了承した。


 思えば、訓練らしい訓練はこれが初めてだ。

 現実では土曜の正午を少し過ぎた頃だと言うのに、リングバーンは相変わらず、灰色の半透明の幕で覆われたような黄昏空を映している。


 巨大な高架橋の外側。

 パステルグリーンのボールのお化けみたいなガスタンクが見える空き地の真ん中に立ち、銀の鋏を銃に替えて、映画の女刑事みたいに構えていた。

 狙いの先には、わたしたちの気配を感じ取ってやって来た、柴犬みたいな大きさと形の市獣。

 わたしと千里さんに襲いかかろうとするそいつに銃口を向ける迎撃する。

 銃のお尻のコッキングピースを引く。

 ちゃきっ、と小気味いい音と共に赤銅色の銃弾の嵌まった薬莢が薬室の中に装填される。

 瞬間的に狙いを定めて、わたしは引き金を引いた。

 乾いた破裂音の後に、黒い柴犬風の市獣の頭には穴が空いて、後ろに吹っ飛んでいく。


 次の狙いはもう一匹現れた柴犬風の市獣。ぐるる、と犬が唸るような鳴き声を上げて向かってくるそいつに足を組み替え、羽織った薄いパーカーを翻し、流れるように照星に狙いを捉える。

 そして人差し指に軽く力を込めて、再び撃ち抜く。


 今度は真後ろからした唸り声に向かって振り返ろうと、再び足を組み替えようとした。


 そこでわたしの足は具合の悪い形でクロスしてしまう。


 両方の足が交互に引っかかり、払われる感覚を覚えたと思った次の瞬間には、わたしは盛大に音を立ててその場に尻餅をついていた。

 その瞬間を狙って襲いかかろうとする市獣を、「わわ」と慌てながら迎撃する羽目になる。


 ぱん、ぱん、ぱんと間抜けな銃声が三発、虚しくリングバーンの外縁の街に響き渡った。


「痛ったぁ」


 落ち着いてから、硬い土の地面にしたたかに打ってじんじんと痛むお尻をさする。


 そうしているとリングバーンの夕陽を遮るように、わたしを包むように人型の影ができる。

 千里さんがわたしを覗き込んでいるのだ。


「一応聞くけど、大丈夫?」


 千里さんの問いに情けなく「はい」と答えるわたし。

 立ち上がってお尻に付いた土を払うと、わたしは銃弾を撃ちつくし、薬室が空っぽになりスライドが引かれたままの自分の銃の弾倉を抜き、パーカーのポケットの中に入れる。

 しばらくして空の弾倉の重みが消えて反対側のポケットに重みを感じ、銃弾が入った弾倉を取り出し、再び装填する。


「構えて狙うことは出来るみたいだね」


「はい……拳銃の構え方や狙い方なんて全然知らないんですけど、身体が勝手に狙いを定めて撃ってくれるっていうか……身体が撃ち方を知っているって言うか」


「拳銃が撃ち方を教えてくれてる感じ」


「そうです、そう」


 まさに千里さんの言った通りだった。

 わたしが自分の力で狙いをつけて撃っていると言うより、銃がわたしの腕と目を動かして、弾の込めかたや狙い方、それに弾倉の取り替え方を身体に教えている。そんな感じがするのだ。


「ぼくがこの剣を持った時もそんな感じだったから。剣に振るってもらっている感じ」


 千里さんも鋏を銀の剣に変えて、ひゅん、ひゅんと軽く振ってみせる。

 前に見た拓の剣道の打ち込みとはだいぶ違うけど、わたしの素人目でもその剣舞は綺麗に見えて、剣に振るってもらっているという感じはしない。


「今もそう……じゃないですよね」


「ここまでになったのは訓練と実戦の成果だよ」

 千里さんはもう一度剣を振るう。

「ぼくの場合、師匠に教えてもらった後は全部我流だからあんまり参考にならないけど」


「師匠って、他の輪上の乙女さんですか?」


 千里さんは軽く首肯する。


「ぼくが最初にリングバーンに入った時に助けてくれた人で、立ち回りが物凄い上手い人だった。ぼくの見てないところで市獣にやられて、心が半分食われて、今はどっかの病院にいるって話」


 千里さんは淡々と述べながら、右足のスニーカーに視線を下ろす。

 千里さんの捻挫は想像してた以上に重症で、全治二週間程度とのことだ。

 もちろんリングバーンの中でも怪我は存在し、千里さんは歩く度に顔をしかめている。


「完全な輪上の乙女も市獣に絶対に殺されないわけじゃない。ぼくもこんな状態だから口でしか指導できないし、基本的な立ち回りができるようになるのは百瀬さん次第かな」


 千里さんはあくまでポーカーフェイスを崩さぬままに口にする。

 これは多分、できるまで帰れないコースだろう。


 わたしが苦笑で返そうとした千里さんのポーカーフェイスを破ったのは「ぷきゅぷ」と突然乱入した声のようなものだった。

 市獣によく似た、しかし市獣の黒より少し色づいていて、害意を持たずこちらに近づいてくる生物のようなもの――ウロが広場に入り込み、しずしずとわたしと千里さんの間に割り込んできたのだ。

 二対の耳のように撥ねた部分のおかげでちょっとだけ兎のように見えるそれは「きゅぷきゅぷ」とか言いながら、わたしたち二人の間でお尻を降ろして休み始める。


「……またお前か」


 千里さんが少し迷惑そうな様子で呟いた。


「知ってるウロなんですか?」


「リングバーンに長い時間潜ってると、よく会うんだ。ぼくに興味があるのかさ、いつも着いてくる」


「ウロって動かないものだとばかり思ってたんですけど」


 今まで見たウロのおかげで、大体改札機や電車の席で揺れながらきゅぷきゅぷ鳴いてる存在だと思っていたので、自分で考えて動けるものなのだと初めて知った。


「ウロはリングバーンが消化しきれなかった拘りとか誇りとか執着とか――そう言うちょっとだけポジティブな想いの欠片が意志を持ったモノなんだよ。普通はリングバーンや市獣の悪意に負けて安全なところに居ることが多いけど、想いが強いと平気でリングバーンを歩けるし、色んな所に出てくるんだ」


「じゃあこの子はそのくらい強い想いのウロなんですね」


「そうみたいだね。多分ぼくじゃなく輪上の乙女シャフレーンに懐いてるのかもしれないんだけど」


 そう言う千里さんのかおは複雑な表情だった。

 街に食べられてしまった輪上の乙女シャフレーンがこのウロの正体なんじゃないか。とでも言ってしまいそうなぐらい。


 千里さんはウロを抱いて避けると、わたしに向かってさっきのポーカーフェイスをもう一回浮かべて、言う。


「さ、もう一度練習行こうか。百瀬さんのゾンビに殺されたくないなら、頑張って」


 そう言いつつ、市獣の代わりにそこらに転がっていた空き缶を標的に用意する千里さん。

 こんなふうに脅されたら、わたしも頑張るしかなかった。

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