第7話 誘いの列車-2
「邪魔、離れて」
扉の向こうから突然、誰かの声がする。
パニックで混乱した頭は考えるより先に、その声の従うままに動いた。わたしの身体は扉から倒れるがごとく離れる。
電車の床にお尻をつく瞬間、わたしはぐずぐずのスポンジみたいに破れたあの扉と、それを凄い勢いで突き破ってきた人影を目にした。
女の子だった。
髪も短く大きな赤いマントを羽織ってるせいで一瞬わからなかったけど、大きく膨らんだ胸と制服らしきスカートのおかげで女の子だと理解できた。
車内に突如飛び込んできた女の子は赤いマントを
「ああ、待っていたよアリス! さあ、俺と一緒に来よう!」
「黙れっ! ハンプティ・ダンプティっ!」
スーツ男は火焔放射器を構えて、炎を放つ。
橙の火焔が黒煙を撒き散らしながら意志を持ったように口先から飛び出て、女の子を包み、襲いかかろうとする。
だけど女の子の方が一瞬早かった。ぶぅん、と剣を大振りに振り回して炎を吹き飛ばす。
女の子は間髪入れずに床を蹴り飛ばして飛び上がり、空中で一回転してから、さらに今度は天井を蹴って男の真ん前に落ちた。
「これで……っ!」
そして女の子はそのままスーツ男に一刀を叩き込もうとする。
が、今度はスーツ男の方が早かった。
持ち替えた火焔放射器の銃身で振り下ろされた剣を受け止め、押し込んで払いのける。
地下鉄の電車の中で剣を持った女の子と火焔放射器を持った男の斬り合い。
まるで拓のやってるゲームさながらのやりとりに、わたしは床に尻餅をついたままその光景に釘付けになってしまい、立つに立てないでいる。
スーツ男と剣の女の子の攻防は女の子がスーツ男を圧していたが、スーツ男は余裕を崩すことなく、単に後退しているだけにも見えた。
「上手くなってるじゃないか。でも、これならどうだ?」
スーツ男は突如ネクタイを緩め、シャツのボタンを開ける。
天を仰いだ次の瞬間、ごおおぉぉぅ! と、スーツ男の口から、テレビの中のライオンが上げるような野太い咆哮が発せられた。
それと共に男の後ろから、黒くて背の低い何かが現れる。
ドーベルマンに黒いペンキをぶちまけたような姿をしたそれは、男の側をゆっくり通ったと思うと、わたしの方目がけて四本の足を蹴って高速で迫ってきた。
対するわたしは、恐怖とパニックで足が震えて立ち上がることすらできなくなっている。
「何! 今度は何なの! もう嫌! いやあっ!」
「黙って! とにかく避けて!」
高いけど、ドスの利いたアルトが怒鳴りつける。
わたしは女の子の言う通り、身体を捻って半ば這いずるように、突進する黒いものを避けようとする。
間一髪でそいつの突進をなんとか避けることが出来たわたしの視界の端で、女の子は大振りに振りかぶって、ドアを巻き込むようにスーツ男に一撃を落としていた。
「ええいっ!」
ズドン、と重い音の後に金属がひしゃげるような凄い音を上げてドアが電車の外側へと吹き飛ばされ、スーツ男はドアと共にトンネルの中へ落っこちていった。
がら! がらがしゃん!
ドアとあのスーツ男がトンネルの床を転げ回ってるんだろう、物凄い金属を叩きつける音がドアのあった空洞からけたたましく響き渡る。
女の子はすぐさま振り返ると、わたしの方――正確には犬のような唸り声を上げながら、這って逃げたわたしとの距離を詰めようとしている黒いもの――を向く。
「ふっ!」
一瞬だった。女の子は床を蹴って、すさまじい勢いで迫ったと思うと、既に黒いものを一刀両断してしまう。
黒いものは女の子に斬られた途端べしゃっ、と液体状になり、電車の床に染みを作った。
「あっ、あのっ!」
わたしは目の前の彼女に向き直る。随分背が高いらしく、ちんちくりんのわたしでは目線にはマントの下の見覚えのある制服に包まれた、彼女の胸しか見えない。
そして混乱した頭でまず何を訊くべきか、とあわあわ口ごもってると、頭の上から低くて早口な声が降ってきた。
「これから言うことにすぐ、一切深く考えずに全部答えて。自分の名前、生年月日、出身地、勤めてる会社と部署と役職、奥さんと子供の名前。できる?」
突然土砂降りみたいに浴びせられる、高圧的な口調の質問。
お前は誰で、なんでお前がここにいると言いたげな口ぶり。
そんな態度に、新宿駅以来今まで起こってきた理不尽と混乱でメチャクチャになっていたわたしの頭は、急に彼女に対する強い怒りを抱きはじめる。
自分でも意味もわからないまま声を荒らげながら「そんなの答えられますよ!」と大声で
「わたしは百瀬灯里! 生年月日は昭和三七年四月二二日! 出身地は香川県
ヒートアップに任せてわたしは彼女のお仰せの通りに自分のプロフィールを頭に浮かんだまま、次から次へ喚き散らす。
「勤め先は
そこまで言い切って、息継ぎの後に頭の中に浮かんだ奥さんの名前を口にしようとして、わたしは外れ調子の声を上げる。
自分の口から出た言葉が全くおかしいと気づいたのだ。
わたしは平成二桁の冬生まれで、東京出身。
女子高校生で奥さんなんかいるはずもない。
なのに、さっきまでのわたしは頭に浮かんできたままに、自分の物のように誰かのプロフィールを読み上げていた。
「認識、直ったみたいだね」
明らかにおかしなことを口走ってまだ戸惑っているわたしに、女の子はさっきと違う落ち着いた声で柔らかく語りかけた。
「素質がある子でもこの場所に生身で長くいると、色んな意識が混ざるから。今のはそのズレを自覚するためのショック療法みたいなの……不躾だったかもしれないけど、許して」
「えっと、つまり……さっきまでわたしじゃない人の記憶とか考えとかが、わたしに混じってたってことですか?」
「そう」
そう言えば、とさっき、火焔放射器男を見た時のことを思い出す。
彼のスーツや靴が外国の物と見抜いて、気障とかまともな職業の人じゃないと感じたのも、火焔放射器の映像のフラッシュバックも、完全にわたしの知識や感覚じゃなかった。
すぐにでもお礼と喚き散らしてしまったお詫びを言わなきゃ。
そう思って視線を上げたわたしは、その顔を見て、また調子外れな声を口にする。
「……千里さん?」
「……昼休みに尋問されてた子?」
特徴的な髪型や顔を見間違えるはずがない。
蓬色のジャケットでなくゲームのキャラみたいなマントと剣を持っているけど、見上げたその人は、千里アリスのものだった。
「あの、千里さん、なんでこんなとこに……」
「……降りる方法を知ってるから。着いてきて。ここは長居すべき場所じゃないから」
千里さんは急に無感情気味にそう言って、踵を返して電車の前の方へと歩き出した。
わたしも彼女の言葉に従って、着いていく。
「助けてくれて、ありがとうございます」
「別に良いよ。勝手に死なれても困る」
千里さんはクールかつ辛辣に答える。
「ええと、百瀬灯理、さんでいいんだよね」
千里さんは淡々とした口調で言う。
わたしは「はい」と答えた。
千里さんがさっき剣で貫いた電車の連結部分を渡り、次の車両に移る。
そこにもまた生きてる人とは思えそうもない人影が、うなだれたように座席に座っている。
「あの人たちって……」
「関わらなくていい。あれは死体みたいなものだから」
「死んでるんですか?」
わたしは吊革につかまる女性を見る。確かにその頬は血色が通っていなくて青白いようにも見えたし、目の色は塗り潰されたみたいに平坦な色彩だった。
「心が食われてるから自発的に動けなくなった、生きてる死体みたいなもの。ただそこにいる構成物みたいなものだと思って」
千里さんは乗客を次々にかわして進んでいく。
それを追うわたしは彼女のドライさに、釈然としない気持ちでいっぱいだった。
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