07 ちゃっかりしてる
◆◇◆◇◆
「ああ~やっぱり海沢くん、押しに負けちゃったか」
「ああ、じゃないです。これ、犯罪とかになりませんよね?」
ルンルンとスキップをして、鼻歌交じりに帰っていった幸達を見送った後、カウンター席に座って、僕は顔を伏せていた。ひんやりとした冷たさが机から伝わってきて、身震いする。
結局僕は押しに負けて、幸と付き合うことになった。彼女はきっと僕がどう避けようとしても諦めなかっただろう。僕はああいう子に弱いんだと改めて自覚した。僕の従妹も強引でおせっかいというか、熱いところがあるからそういうのが似ていると思ったのかもしれない。
田代さんは、まあまあ。と僕をなだめているのか、諦めなさいと言っているのか分からない言葉をかけてきて、途端にきゅっと肩身が狭くなったような気がした。
僕は大人で、幸はまだ子供。
そんな子供に一泡ふかされたというか、後から気付いたけど、ポケットにちゃっかり連絡先をねじ込んできているところを見ると本気らしい。でも、これが初めてじゃないんだろうなとも思った。慣れている感じがしたから。
「僕捕まったら、ここで働けなくなります」
「それは、俺も嫌だね」
と、わりと本気めで田代さんは返してきた。
幸には周りに言いふらしちゃだめだよと言っておいたが、あの子の性格を考えると、どうも信用できないのが申し訳ない。ついうっかりぽろっと……なんてことになったら。そう考えるだけで眠れなくなりそうだ。
「まあ、でも海沢くん、そんなに落ち込むことないんじゃない?」
「落ち込んでなんていません。でも、本当に僕のどこが良かったのかなって思ってしまうんです」
取柄なんてない。そう自分では思っている。人には言えない奇病を持っているが、それはアイデンティティじゃなくて、コンプレックスだ。だからこそ、自分には何もないのに、容姿だって普通だって思ってるから、本当に幸は何に惹かれたんだろうと疑問に思ってしまう。
田代さんは、「そんなに自分を卑下しなくていいのに」と、言ってくれるが、自分に自信がないせいで、少しマイナスなことを言ってしまう。言ったら、幸せが逃げるって昔お母さんに言われたことがあったけど、本当なのだろうか。
僕は立ち上がって、モップを手に取り、店内の掃除を始めた。
厨房で田代さんは、コーヒー豆を挽いて、明日の仕込みをしているようだった。僕は、どちらかというと接客がメインだから、まだ作ったことはない。でも、いつか幸や僕が感動したようなシフォンケーキが作れればいいと思っている。
「田代さん」
「何? 海沢くん」
「さっき、幸達が喜んでいました。シフォンケーキが美味しいって。やっぱり、お店閉めるなんてありえないですよ。ああやって、田代さんのシフォンケーキを美味しいって言ってくれている人がいるんですから」
「そうだねえ、もう少し頑張ってみようかな」
田代さんはそう言ってはにかんだ。僕もつられて笑いつつ、あのシフォンケーキのことを思い返す。シフォンケーキの作り方は、多分一般的なものと変わらないけれど、型崩れせずにしかもフォークが吸い込まれるような柔らかさはいったいどうやって作っているのだろうかと思った。一度家で作ってみたけれど、表面が固く、中もふわふわといよりかは、すかすか、強力粉を入れたようにもちもちとねばついて、舌触りもぱさぱさとしていた。きっと、コツがあるのだろうと思う。
前に、冗談だったかもしれないけれど、店を継ぐ気は? とか、正社員にならないか? と持ち掛けられたことがあったから、そうならなかったとしても、田代さんのシフォンケーキは受け継いでいかなければというこのカフェの店員としての意地と誇りがあった。
モップをキレイにかけて、次に布巾で使っていないテーブルの隅々までふく。木目のきれいなテーブルは、磨くとじんわりと赤くなった。
「田代さん、掃除終わりました」
「ご苦労様。お店も閉めたし、帰ろうか。海沢くん」
「はい、お疲れさまでした」
田代さんに深々と頭おさげ、僕は荷物をまとめて店の外に出た。日はすっかり沈んでおり、黒い空には転々と星が輝いていた。季節は秋ということでかなり冷え込んでいた。上着を忘れたこともあって、寒い思いをしながらアパートに戻る。
「ただいま……」
暗い玄関に響くのは自分の声。出迎えてくれる人もペットもいない為とても寂しく感じる。こんな生活が数年も続いている。全てはあの日、あの事故によって失ったもの。
「……」
靴を脱いで、リビングに行き電気をパチンとつける。棚に飾られた何年前か分からない家族写真を見て僕は、罪悪感を感じてしまう。こんな暗い気持ちでいたらだめだと、他のことを考えようと、何かないか探していると、幸にもらった連絡先が出てきた。ご丁寧にメールも電話も書いてある。
「ほんと、ちゃっかりしてるな……」
自然と笑みがこぼれたが、やはり、高校生と付き合うのはいけないんじゃないかと大人として思い、今度幸が来た時、もう一度話し合おうと僕はもらった紙を握りしめ決意した。
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