麗しき未亡人

石田空

 地方都市でも市議会は存在しているし、決議も一票の差で大きく変わることがよくある。だからこそ、三年に一度の任期交替に備え、市議の秘書は市民に名前を売るべく、市民の催す行事にあちこちに顔を出していた。


「今日は金村町で葬儀があるそうです」

「それでは、先生の代行として参列してきます」


 市内の冠婚葬祭の情報は常に入ってくるため、議会に参加して忙しい市議の代わりに、次の選挙に勝つために常に名前を売る癖が付いている。

 未だにデジタル選挙が活発的ではないのだから、選挙のために足を使うことは今の時代でも必要だった。

 常に用意している黒いネクタイに付け替え、車を運転していく。

 最近は葬儀もなにかと家族葬と謳われているが、ある程度規模を持って葬儀をしないと、遺品整理で忙しいにもかかわらず、自宅に押しかけてきて手を合わせさせてくれとうるさいため、結局は葬儀会場ひとつ貸し切っての葬儀はまだまだなくなることはなさそうだ。

 葬儀会場に入場する際、受付の女性に目を留めた。

 真っ黒な髪をひとつに結った女性。首元には古いが大粒の真珠のネックレスがあり、しずしずした様子で受け付けている。


「本日はお悔やみ申し上げます」


 康隆がそう言うと、女性は気怠げに頭を下げた。

 葬儀ではあまりハキハキとした態度は好まれず、彼女のようななよやかな雰囲気で行われるのを理想としている。

 康隆は不思議に思いながら会場に去って行った。

 市議の秘書は常に市議のスケジュール管理とスケジュールに合わせるための車の確保、挨拶回りを行っている。有り体に言うと、記憶力には自信があるほうなのだが。

 前にも彼女には会ったことがあったのだ。

 彼女には違う葬儀会場でも受付で出会った。最初は葬儀場で働いているスタッフなのかと思ったが、葬儀会場同士がライバル企業のところでも出会うのだから、彼女は葬儀場のスタッフではないのだろう。

 だとしたら、毎度喪主の関係者なんだろうか。

 そう考えると、葬儀の対象はいつもいつも老若男女違うために、それで合わせてしまっていいのかと考えてしまう。

 彼女はなんらかの目的があって、常に葬儀の喪主の関係者になっているんじゃないかと。

 彼女の大粒の真珠のネックレス。はっきり言ってバブル期のものであり、今ではまず買うことができないというか売っていない代物だ。そんなものを手に入れる方法と言ったら形見分けでない限り、まず無理だ。

 それに彼女は出会うたび、違う喪服を着ていた。

 基本的に男の場合は黒いスーツとシャツ、黒いネクタイがあればなんとかなるが、女性の場合は喪服が細やかに違う。

 ワンピースでもスカートの丈からアンサンブルまで形が違うし、中には喪服以外にも着こなせるようにデザインしてあるものまである。

 基本的にリクルートスーツと喪服は一着あればなんとかなる方なのに、わざわざ違う喪服を着ている……ちなみに、葬儀の対象が女性だったことも、今まで数件ある。

 彼女はまさか、葬儀の対象の喪服を勝手に着ているんじゃないだろうか。

 康隆は面倒な気分になった。

 一票のために通っている葬儀で、なんらかの事件に巻き込まれかけてないか。そう思わずにはいられなかったのだ。


****


 その日、康隆が葬儀に参加し終えたあと、雨が降っていた。

 まだ親族が焼却場に移動するまでに時間があり、葬儀に来た人々は出入り口で香典返しをもらいつつも立ち往生している。

 かくいう康隆もまた、持ってきていた傘を広げようとして「あ」と思わず呟いた。傘に穴が空いていたのだ。

 この近くにはコンビニもなく、今は葬儀会場のスタッフが慌ててビニール傘を参列者に配っているところであった。

 ビニール傘をもらうべきか。そう考えている中「あのう」と声をかけられた。

 またしても出会った、喪主の関係者の女性であった。その日の喪服は真っ黒なワンピースであり、ふくらはぎまですっぽりとスカートに覆われていた。いつも気怠げな彼女が気のせいか少女のように見えた。


「傘ありますよ。どうですか?」


 そう言って差し出してきたのは、シンプルな真っ黒な傘……コンビニでたびたび売っている、男女兼用のいい傘であった。

 しかしフェミニンな雰囲気の彼女にはややアンバランスにも見えた。


「いいんですか? 焼却場まで行くのに濡れませんか?」

「大丈夫です」


 そう言いながら彼女はなおも傘を差し出してくる。

 康隆は困った顔をする。正直葬儀で何度も何度も顔を合わせるなんて、本当ならありえないのだから、彼女は訳ありだし、あまり深入りしてはよくないような気がするからだ。

 しかし彼もスケジュールが迫っている。今日は市民館で行われているイベントにも市議に替わって顔を出さなければいけないからだ。

 傘をもらって帰ろう。彼女に返すかどうかは、そのときに考えればいい。


「ありがとうございます」

「また返しに来てくださいね」


 そう言われたとき、康隆はザラリとしたものを覚えた。

 葬儀でしか会わない女性と次に会うのは、どうせまた葬儀だ。どうしてそんなに葬儀で出会うのか、意味がわからない。

 ぱっと傘を開くと、雨の中に出た。

 小雨でスーツを湿らせる程度の雨だったが、傘のおかげで視界は良好だ。そう思うことにした。


****


「八百屋お七って知っていますか?」


 市議の事務所で働いている事務員の加奈子から唐突に言われた。

 冠婚葬祭で出かけようとした際に、天気にそぐわぬ傘を持っていこうとしたので、彼女に「先生の名前使って変なことしちゃ駄目ですよ」と咎められたのだ。

 仕方がないから、傘のいきさつを話したら、彼女にはこう尋ねられた。


「歌舞伎の演目ですっけ?」

「まあ江戸時代のお話ですよね。八百屋で働いていたお七さんは、ある日火事で家をなくし、しばらくの間寺で避難生活を送っていました。そこで働いている小姓と恋に落ち、仲良くなったものの、家が建て直されたら当然ながら帰りますが、そこでお七さんは考えてしまったんです……もう一度家が燃えたら、またここで暮らせるんじゃないかって」

「江戸時代に放火は死罪だろう? そんな馬鹿な話だったのかい、これって」

「いやいやいや。元々恋愛っていうのは脳のエラーだっていう話だってありますし。脳がエラー状態だったら、そんな司法的な考えできないんじゃないですか?」

「……まさかと思うけど、傘の人を八百屋お七だって言いたいのかな?」

「わかりませんけど。でも鈴本さん、今は議員秘書で大きく名前出てる訳もないですし、普段先生の名義で仕事なさってますから、相手だって名前知らないでしょ。知らない人とどうやって会うかと言ったら、会える方法考えるんじゃないですか?」

「……馬鹿なこと言うんじゃない」


 そう言い残して、出かけることにした。

 市議秘書に恋するあまりに、そう何人も殺されていたらかなわない。

 そう思いながらも、あまりに会う彼女に返すために、傘は持っていくことにした。

 外は晴天。雲ひとつない中で傘を持ち歩くのは気恥ずかしい気がしたが、仕方がないのでそれを持って背筋を伸ばした。


****


 意外なことに、彼女はその日、葬儀には来ていなかった。

 それどころか。


「え……」


 今日の葬儀の相手は女性だと思っていたが、まさかの傘を貸してくれた本人であった。

 周りはひそひそと話をしていた。


「本当にお気の毒ね、光恵さん。結婚するたびに相手が死んでいたんでしょう?」

「ずっと看取り続けていたら、そりゃ心身病むわね。若いのに」


 噂は概ねこうだった。

 彼女が結婚相談所で出会った人は、彼女よりもだいぶ年を取っていたらしい。くも膜下出血で即死だったらしい。

 彼女はどうにか葬儀を行っていたところで、参列者からひと目惚れされて求婚される。ひとりで葬儀の準備と遺品の処理をしなければいけなかった彼女は心身ともにくたくたで、誰かいないとやってられなくて、年が離れていることも考えることなく、そのまま受け入れたという。

 それを繰り返し、彼女に遺産が転がり込むたびに、周りから揶揄される声が響く。

 彼女はもしかして、後妻業を行っていたのではないかと。しかし彼女はいつも身内がひとりしかいない夫のために生活していただけ。くたくたで考える暇もなく、次の結婚をしただけ。

 どの夫もたしかに彼女を愛していたらしいが、残念ながら看取りのことまで考えていたとはお世辞にも言えないという。

 康隆はなんとも言えない顔で、念仏を聞き、やがて帰ろうとする中。


「あのう……市議さんの秘書さんってあなたですか?」


 声をかけられて振り返ると、今日葬儀を終えていた女性の面影のある人であった。


「姉が傘を貸せたと言っていたので。天気がこれで傘をお持ちしていたので」

「ああ……傘、お返しできませんでした」

「……姉、最初の結婚からなにもかも駄目で、遺産だけは増えていくものの、どんどん周りが冷たくなっていくのに耐えきれなくなったんですよ」

「……それは」

「自殺ではありませんよ。ただの栄養失調です。それで頭を打ち付けて亡くなったそうですよ」


 康隆は彼女に傘を返すと、彼女の妹らしき人は心底ほっとした。


「……姉は、運がありませんでしたけど、あなたと会ったときだけは幸せだったみたいですよ」


 それだけ言われた。

 康隆はなんとも言えないしこりを胸に、葬儀会場を後にする。

 結局、なにが真実はなにもわからない。

 ただなぜか顔見知りになった女性に傘を貸したと思ったら、その傘の持ち主に先立たれただけ。

 彼女を悲しむほどの仲にはならなかったが、知り合いがいなくなったという、心のどこかの擦り切れた音だけは聞こえた。


 彼女は八百屋お七ほどの奔放さもなく、相手に会いたいという欲深さもなく、流され続けた人生の中で、ただひとつ見つけた大切なものを抱えて生きていただけだった。


<了>

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