崇高な愛 1
カミルに連れてこられたのは、館の応接室だった。勝手知ったるその場所は、昼にハンスとお茶をしたお部屋だ。廊下はすでに消灯されている。しかし誰もいないはずであるのに、応接室の扉の隙間から、小さく光が漏れている。
『静かにね』
そう声を潜めて言いながらカミルは扉に近づいて、そっと耳を当てた。フィーネもそれに習って、同じように息をひそめながら、扉に耳を近づけた。
「……、……。……」
「……、……」
中からは少し聞き取りずらいが、声が聞こえてきた。それに声音から、見知った二人の男女の声であることはすぐに理解できて、目を見開く。
内容を聞くまでもなく、こんな夜更けに二人だけで会っているらしい時点で、前のフィーネの記憶を信じるしかなかったが、それだけならまだ、なんとかベティーナがフィーネを裏切っていない理由を思いつけそうだった。
ここらでやめておけば傷つかなくて済む。それは明白だった。しかし、離れようとするフィーネの手をカミルの子供っぽいまろい手がつかんで、彼は視線だけで、ちゃんと聞けと伝えてきた。
……聞きたくない、って、言わせてくれないのね。
それは、残酷でもあったし、優しさでもあった。カミルはフィーネのことを思ってその手を握っている。そんな手を少しだけ勇気を出して握り返して、息をのんで、ぴったりと扉に耳をつけた。
そうすれば、簡単に声は聞こえてくる。
「それでね。今日の夕食の席は傑作だったの!」
「ほう?それはまたどうして」
「姉さまったら、ハンスさまの機嫌を悪くしたのを相当、落ち込んでいるみたいでね、途中で気分が悪くなってしまったようだったの」
楽しそうに話す、ベティーナの声が聞こえてくる。ハンスの声はフィーネと話しているときよりよっぽど明るかった。
「退室しようとしたら、お母さまが止めてね、すべて平らげさせたのよ?その時点で苦しそうだったけれど、今日のデザートは私の嫌いな物だったから、私の分まで食べさせてあげたわ!そうしたら顔を真っ青にして変な顔をしていたのよ?もう私、笑いをこらえるので必死で、ふふふっ」
……無邪気に、私にくれたのでは……なかったのね。
確かに、ベティーナの言ったことは事実だった。それに、少し体調がおかしくなったのも本当。しかし、デザートをフィーネにくれたのは、ベティーナの体調が悪そうなフィーネへの配慮なのだろうと思って、残さず頂いたのに、ベティーナの意図は別にあったらしい。
「ははっ、その話を聞いてスッキリしたな。今日のアレとの会話も苦痛そのものでしかなかった」
「姉さまったら、つまらない事しか話をしないでしょう?二人っきりでお茶なんて私だったら、頭がおかしくなっちゃうわ」
「ああ、本当に。……君と寄り添う日が待ち遠しいよ。こんなに恋焦がれているのに、人目を憚ってしか会うことができないなんて、苦しい恋慕が募るばかりだ、ベティーナ」
甘ったるいセリフと、胸やけしそうな声が聞こえて、心にナイフが刺さったみたいに血の気を失って冷たくなっていく。
「ハンスさま、私も、貴方のフィアンセがあんなつまらない姉さまだなんて、許せない。どうして私たちは、こんな身分差で生まれてしまったのかしら」
……つまらない。
「きっと精霊のいたずらさ。けれども恨みはしない。私たちは引き裂かれることによってより強く愛し合える。もうしばらくの辛抱だ。ベティーナ、アレの地位を手に入れられれば私たちは結ばれることができる」
「ええ!いまから楽しみだわハンスさま。貴方の胸の中で眠れる日が来るのをずっと待ってる」
まるで、純愛のような言葉。その後に聞こえてきた、微かな、短い二人の吐息。
フィーネは思った。二人にとってはとてもそれは、重要視されるべきで何よりも優先されなければいけない、とても美しい感情なのだと思っているのだろうと。
しかし、実際はどうだろう。前の私は、そんな二人に騙されて貶められて、利用されて悪役にされた。それだけのことをしておいて、その愛情が美しいままのはずがない。
それは誰かの犠牲の上に成り立つ、嘘の美しさをもった愛情だ。盲目的になっているだけだ、思想だけで行動を起こさない夢想家とおなじ、口先ばかりで人を助けない宗教家と同じ、その裏には、グロテスクな他人の犠牲が存在している。
どんなにキレイに取り繕ったって裏側は醜悪な愛情なのだ。
「きっとうまくいくわ。それに、きっと姉さまは少し怒っても、私が言えば許してくれるわ!」
「そうか? あの女、頭が固いだろ」
「確かにそうだけれど、そんなの問題じゃないわ!だって姉さまは私の事、愛してくれているんだもの!」
「ハッ、たしかに、おきれいな家族愛なんて如何にもアレがすきそうだ」
「そうよ!馬鹿でしょう?くだらなくて、笑っちゃう!」
……笑うようなこと、なの?私の愛情はそんなにおかしい?
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