29話 節制の教え

 国会議事堂という国の意思決定をする場所のすぐそばで爆破事件が起きてから1週間が経過した。事件直後は朝のニュース番組、お昼のワイドショー、深夜の特番で飽きるほど取り扱われた。しかし、1週間も経てばその数は徐々に数を減らし、人の目に触れる機会が減る。そうなれば話題性のない事件の事など、人間の記憶の中から消去される。


 はずだった……。

 


 

                +             + 

 


 

「……」


 一定のリズムで車体が揺れる。周りには比較的多くの人間がいる。普段は使う事のない電車を利用しているのには理由がある。先日起きた国会議事堂の駐車場での爆破事件。警察は多くの人員を割いて、解決しようとしている。必死になるのも当然だ。自分たちの国に喧嘩を吹っ掛けられたようなものだからだ。


 警察の必死さとは裏腹に事件は一向に解決へと向かっていない。そもそも我々の見立てでは警察には解決できない。相手はおそらく異能力者。現実離れした力を持った奴らが相手では警察の捜査能力も無意味だろう。


「♪~~♬~」


「ん?」


 どことなく音楽が聞こえた。電車で聞くようなアナウンスの前後になる音楽ではない。歌。音は小さいので誰かしらのイヤホンから音漏れでもしているのだろうか。いや、音漏れではない。目の前に居る男が持つスマートフォンから男が聞こえてくる。男の耳にはイヤホンやヘッドホンらしきものは無く、耳にスマホを押し当てていることから直接スマホで音楽を聴いていると推測できる。明らかなマナー違反だ。


「あの……」


 男の隣に座っているスーツ姿の男性が声を掛ける。おそらく音の事について指摘するのだろう。誰も居なければ自分で注意しようと思っていたが、必要なさそうだ。


「あ?何?」


「音楽聞くならイヤホンとかしてくれませんか?」


「あ……あ?……何?」


 様子がおかしい。スーツ姿の男性は隣に座っているのだから、距離的に聞こえないという事はほぼない。耳元に補聴器らしきものが無いので耳が悪いという訳でもないのに……。


「音、消してくれませんか?」


「……何?何?」


 スーツ姿の男性は最初よりも大きめの声で指摘する。この車両に居る人間の多くが彼らの方を少なからず1回は見ている。しかし、それでも不審な男は聞き返すばかり。


「だから……」


 男性がさらに語気を強めて、三度目の注意をしようとした……瞬間。

 

「テンパランス様のお声が聞こえねぇだろうがああぁぁぁぁああぁ!」


「イッテェ」


「なっ!?」


 不審な男は懐から大きめのカッターナイフを取り出して、それを思い切り隣に座っていたスーツ姿の男性の太ももに突き刺した。決して少なくない量の血液が傷口から滴っている。


 多くの人が次々に大音量で声を上げながら席を立ち、別の車両へ移動するため車両の両端へ走っていく。


「ぐっ……うぅ……」


 スーツの男性は傷口を抑えながら声を漏らしている。これだけの事をしでかした男はスマホを耳に当ててまだ音楽を聴いている。そしてもう片方の手でカッターナイフを引き抜き、再び振り下ろそうとする。


「あ?」


 しかし、それは空中で静止する。席を立ちあがり、向かいに座っている男の手を掴みカッターナイフを止める。男の腕は細めで力もあまりないため、簡単に掴み、動きを止めることが出来た。


「凶器を捨てろ!」


「誰だ……誰ぁぁぁあああ?」


 不審な男は情緒を乱しながら立ち上がり、カッターナイフを振ろうとする。しかし、不審な男は何回か体を揺らすばかりで腕を動かすことが出来ない。


「もう一度言う。凶器を捨てろ!」


「がっ……イッテェ」


 手首を掴んでいる手に徐々に握力を咥えていくと、不審な男はうめき声を上げながらカッターナイフをポロリッと落とした。凶器を捨てたことを確認する。すかさず相手の襟首に手を回して体を捻る。


 柔道における体落としで相手を床に投げる。重めの衝撃音と共に相手が悲鳴を上げる。相手をうつ伏せにしてから両手を後ろに回して拘束する。少なくとも私が押さえている間は動けないはずだ。


「公安局の木ノ下です。不審者を拘束しました。警察を呼んでください」


 車両と車両を繋ぐ扉の隙間からこちらを見ている乗客に向けて自身の身分と状況を簡単に伝えて、警察を呼ぶように促す。何人かの乗客はカメラのレンズをこちらに向けて画面を見つめていたが、そのさらに後ろに居る男性が画面を操作してスマホを耳に当てる動作が見えた。


「あぁ……イてぇ……イテェエ……なぁ?」


「!?」


 突然の衝撃。風圧?いや、何かしらの衝撃が自分の全身を叩いた。そして、187㎝、88㎏の恵体が宙に浮き、それでも止まらず車両の天井に激突した。衝撃の反動で反射的に手を離してしまった。男はうつ伏せの状態から起き上がろうとしている。


「うぐっ」


 重力による自由落下で今度は車両の床に叩きつけられる。


 ……何が起きた?爆薬?特殊な装置?いや、そんなものを装備しているようには見えなかった。となると答えは自然と1つに絞られていく。


「……異能力」


「あぁ……テンパランス様……神の力を行使することをお許しください」


 テンパランス……Temperance。タロットカードの大アルカナ14番目のカード。


 今、東京では3つの大きな事件が起きている。1つ目は異能力者同士による殺し合い。2つ目は異能犯罪者集団による爆破事件、そして3つ目は同じくとある異能力者によって感化された隠れ異能力者による非異能力者への傷害事件。1つ目はメディア等で一切報じられることなく、東京の影で行われている。しかし2つ目と3つ目は連日事件を起こしているため、メディアでも大きく取りざたされている。


 異能力者集団による非異能力者への傷害事件は海外の異能犯罪者集団とは違い、プロの犯行ではない。異能力を隠して生きて来た一般人が「テンパランス」と呼ばれる異能力者によって感化され事件を起こしている。こいつもおそらく同系列の犯罪者だろう。


「くそっ」


「ハハハ……公安か……我々のように神の力を授かったマイノリティを抑圧して支配しようとしている政府の犬がぁ」


 やはりそうだな。他者にはない異能力という力を持ちながらそれを隠して生きている隠れ異能力者による犯行。「テンパランス」の教えに感化された口だろう。


「異能力者であれば、俺の管轄だ」


 そういって両足を開き、右手を体の傍に、左手をまっすぐ相手に向けて戦闘態勢を取る。


「ふっ……」


 そして一歩目を出そうとした瞬間、爆発音が轟いた。

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