第1話 愚者は世界と出会う
『愚者』……タロットカード大アルカナ0番目のカード。
欲求に忠実に行動し、未知の世界にも飛び込む無謀さと勇敢さを持つことを示します。
意味のない行動やコロコロと変わる気分を示します。未来が未確定の場合に出ることもあります。
フランスのタロットゲームにおいては切り札とは別の特殊カードとして扱われる。一方、オーストリアなどの中央ヨーロッパでは愚者は22番目の最強の切り札として扱われる。
+ +
「あれ?……何これ」
授業終わりの駐輪場に人はあまりいない。ほとんどの生徒は部活に勤しんでいる。野球部の掛け声、吹奏楽部のチューニングの音、剣道部の残心の叫び声が聞こえてくる。
「落書き?いや、そんないたずらする友達なんていないしなぁ……」
自分で言っておきながら悲しくなってくるな。高校に入ってから友達なんて数えるくらいしか出来たことがない。
「タトゥー……かな?」
いつの間にか右手の甲には「0」の数字があった。痛みも痒みもないが、擦っても消えない。今朝起きた時や、授業中、トイレで手を洗ったときもこんな数字は無かったはずだ。
「まぁ……いっか」
2,3日経てば勝手に消えているだろう。楽観的に考え、駐車していた自分の自転車のロックを開錠して自転車群の中から引っ張り出す。そのままサドルに跨りペダルを漕ぎだす。
「あれ?」
校門から出て右に曲がる瞬間、視界の端に黒塗りの車が映った。見た感じ、かなりの高級車だった。車内には男が一人、スマホで誰かに連絡を取っていた気がする。一瞬見ただけなのでどれくらいしか分からなかった。
+ +
「うっそだろ……」
それはまるで本物のタトゥーのようで、ハンドソープを付けて何度も擦ってもまるで落ちる気配がない。もう既に5回ほど擦って、洗い流す作業を繰り返している。
しかし、違和感はそれだけではない。
「何でそんなに手、洗ってんの?」
「落書きが落ちないんだよ」
「落書き?なんもないじゃん」
「え?……ほら、ここ。0って書いてあるじゃん」
「はぁ?なんも書いてないよ」
大学から帰って来た姉は洗面所で長い時間、苦悶している俺を見て不思議に思い様子を見に来た。しかし、何故か呆れたようにそのままリビングに戻っていった。
「いやいや、絶対あるって」
俺は洗面台に付いている鏡に向かい合って独り言を漏らす。学校から帰ってきて、もう既に15分ほどが経っていた。
「まぁ……油性でも2,3日で落ちるか」
そういって、横に置いておいたタオルで濡れた手を拭き、リビングに向かう。
姉はリビングのソファで横になりながらスマホを見ている。スマホからは若い男のものと思われる声が漏れて、こちらにも聞こえてくる。大方、韓国アイドルの配信の切り抜き動画でも見ているのだろう。
「ねぇ……姉ちゃん、本当にこれ見えてないの?」
「ん?……だから、なんも無いって」
「そっか」
姉は昔からメガネをかけているほど目が悪い、大学生になってからはコンタクトを付けているため分かりづらいが。
「とうとう、いくとこまでいったな」
ボソッと姉には聞こえないくらいの声量で呟きながら二階に向かうため階段を登り始める。
+ +
「ん?……あれ、寝てた」
目を擦りながら薄暗い部屋を眺める。時計はすでに18時半を回っている。学校から帰ってきて、すぐに寝てしまい一瞬で時間が過ぎてしまった。
「まだ消えてないし……」
右手で部屋の電気を付けたため部屋が明るくなった瞬間に、右手の甲が見える。やはり右の手の甲には「0」の数字がある。あれだけ擦ったのに薄くなっている様子もない。
「はぁ……腹減った」
付けた電気をすぐに消し、部屋を出る。一階に降りるため、階段の方に向かうがおかしなことに気付く。リビングに電気が付いていない、いつもは多少聞こえる声も無い。
「姉ちゃん?寝てんの?」
一段降りていくごとに暗闇が近づいてくる。返事もない上に人の気配すらしない。不安よりも先に不思議がやって来た。今の時間なら母も家に帰ってきているはずのなのだが……。
家は依然静かなままだ。いつもならいるはずの人間がいないだけでここまで雰囲気が違うものなのかと感嘆すら覚えてしまう。
「……誰も居ない」
「あなたが……『愚者』?」
「え?」
背後から声が聞こえる。少女の声だ。
振り向く。
「だれ?」
背後には俺と同い年くらいの女の子がいた。知らない学校の制服に身を包んだ黒髪の女の子だ。柔らかそうな白肌と丸い目を持っている物腰柔らかそうな少女。
「私、世界」
「はぁ?」
「私、
「あぁ……えっと……
何故が尽きない。何故、彼女がここに居るのだろうか。何故、家に誰も居ないのか。何故、俺の手には消えないタトゥーのようなものがあるのだろうか。何故……。
「なんで君はここに居るの?」
「説明のためだよ。君が全然動かないから、念のため
「はぁ?ゲーム?」
「うん。異能力者によるゲーム≪タロットゲーム≫」
彼女の言っている意味が分からない。タロット……ゲーム?タロットって……あの、占いとかのやつか?全然答えになっていない。
「22人の異能力者同士の殺し合い。優勝者には自分の望む『世界』をプレゼントするよ」
「……殺し合い……何言ってんだ、君」
「あれ?やっぱり忘れてる?まぁ……しょうがないか。説明したの、だいぶ前だしね」
「前?……いや、君とは初対面……」
分からない。しかし、何故か恐怖という感情が湧いてこない。妙な親近感すら覚えるほどだ。この家には俺と彼女の気配しか感じない。家族の気配は全くない。
「家族は……姉ちゃんは、母さんは、まさか……」
「ここには居ないよ。いや、この世界には居ない」
「クッソ」
彼女は一切表情を変えないが所々に愛嬌を挟んで淡々と説明をしていく。この異常事態に理解が追い付かない。まさか、家族はこの女に……。
「あっ!……別に殺して~とかじゃないよ。逆、逆。この世界は別の世界。私が創った世界だよ」
「はぁ?創ったって……なんだよ」
「私の異能は世界を操る能力なんだよ。私は21番の『世界』だから」
「だから!何なんだよ。異能だの、ゲームだの訳の分からないこと言いやがって!」
感情の昂ぶりを抑えられずに声を荒げてしまう。訳が分からない。急に家族が消えて、知らない少女がいきなり現れて、異能だの、ゲームだの訳の分からないことを言っている。
「う~ん……本当に分からないの?」
「分かんねぇよ」
「じゃあ……一から説明するね」
+ +
「ここは……現実の世界とは違う異能の世界で、異能力者しか入ってこれない。俺は異能力者だからこの世界にいる。そんでもって俺はそのタロットゲームとやらの参加者」
知りたいことをすべて聞きつくした。異能とは、ゲームとは何なのか。どのくらい時間が経ったのだろう、さっき時計を見たが俺が目覚めた時から時間が進んでいなかった。この世界はおそらく本当に別の世界、異世界なのだろう。
「うん、君は0『愚者』。本当は存在しないはずの0番目の参加者」
「それで君がXXI『世界』。君はこうやってみんなにゲームの説明をしているってわけか……」
「そう」
「その……拒否権は無いのかな」
「無いよ。私の決定は世界の決定。絶対だから」
少女の目は丸みを失い、光を失い細くなっていく。それはまるで人の事など一切考えていない別の生き物のような目だ。得体の知れない気配を受けて、何故か今になって恐怖を感じる。
「もう聞きたいこと無い?」
「いや……無いわけじゃないけど、聞いても理解できなさそうだから……」
恐怖を感じたせいで身が竦み、言葉が喉に詰まる。これから殺し合いに巻き込まれると考えると緊張と恐怖の混じり合った感情が腹の中で蹲っている。
「じゃあ、早速君には戦ってもらおうかな」
「え?君と?」
「違う違う、私じゃないよ。私は最後に残った人としか戦わないの」
「じゃあ……誰と……」
「う~ん……近くにいるのは……」
少女はさっきと同じように柔らかそうな雰囲気に戻り、ポツリと呟く。
「『皇帝』君かな」
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