第28話「悔恨」

 エルザはフェルナンドの一撃を受け、うつ伏せで倒れたままでいる。

「ぐっ…」

 呻きながら起き上がろうとするも、身体を震わせるだけである。

 右脇腹から流れ出ている血が床に波紋上に広がっていく。傷口は脇腹からへそまでの半径近くに達しており、耐えがたい激痛と脱力感が蝕んでいる。しかし、彼女の心はまだ折れていなかった。

「ここで…倒れるわけにはいかない」

 苦痛に顔を歪めながら、気力を振り絞る。震える両手を床に突き、それを支えに立ちあがろうとする。しかし、途中で力が抜けてしまい、顎を打ちつけた。

「…まだ、死ねないのよ」

「…」

--あれほどの傷を負っても、立ち上がろうとするか。大した奴だ。

 必死に立ち上がろうとするエルザの姿に、フェルナンドは感銘を受ける。それから彼は、自身の右腕へ目を向ける。

--たった一回で、このザマか。斥力を放つ“拒絶する我がマノ・レチャーソ”を突きに乗せることで、神速の突きを放てるが、やはり負荷が大きい…。

 右腕を襲う疼痛と脱力感。"超越者エクシーダー"の再生能力により、徐々に和らいできているものの、しばらく続くと覚悟を決め、無表情で耐える。

「…」

「いやぁ、見事な一撃だったよ」

「ヴェルナー様」

「"魔槍"と呼ばれるに相応しい強さだ。全然見えなかった僕が言うのもなんだけどね」

 そう語るヴェルナーの顔は、誇らしげである。それに対しフェルナンドは、視線を落としてこう答える。

「未熟者ですよ、自分は」

「あはは、謙遜するなよ」

「いえ、ここまでの傷を負わされたのですから」

「君は“透明人間”を仕留めたんだ。自分を誇らしく思いなさい」

「…ありがとうございます」

「素直でよろしい。ところで、は大丈夫かい?」

 ヴェルナーの視線が足元のエルザへと向く。

「弱らせるだけなら、ここまでやる必要はなかったんじゃない?」

「死なないように加減はしてます。それに、には再生能力がありますから」

「ふーん、便利な身体だね」

 ヴェルナーはそう言うと、口角を吊り上げる。そして、苦しむエルザを見下ろしながら告げる。

「残念だったね。僕を殺せなくて」

「…殺してやる」

 エルザは憎悪を込めた目で睨め上げる。すると、ヴェルナーが声を上げて笑い出した。

「あっははははは!!そんなに僕を殺したいのか。大した執念だけど、これでもまだ吠えていられるかい?」

「…うっ!?あああああ!!」

 エルザが突然、悲鳴を上げる。それは、ヴェルナーが彼女の右脇腹を左足で踏みつけ、体重を乗せていったからだ。

「ほら、もっと叫べよ」

「あああああ!!」

 エルザは叫び続ける。深く抉られた痛みに合わさる圧迫の痛みに、彼女は堪えられなかった。その痛みを現すように、ヴェルナーの靴は徐々に赤く染め上げられていく。

「ぐぅ、あああ…」

「…」

 フェルナンドは眉根を寄せながら、黙って見つめている。一方のヴェルナーは、恍惚の表情を浮かべている。

「ああ、いいねぇ」

「ああ…」

「僕には理解できないな。"1番"がどうしてあんなことをしたのか」

「な…に?」

 エルザは消え入りそうな声で反応する。すると、ヴェルナーは足の動きを止めて語り始める。

「僕は優しいから教えてあげるよ」

「…汚い足を、どかせ」

「まだ折れないんだ、すごいね。"1番"はね、従順でいい子だった。仕事は丁寧にこなすし、僕に向ける笑顔が素敵だった。最初は粗相してばかりだったけど、一回優しく叱れば直してくれた」

「暴力で…分からせたんでしょうが…」

「…失礼だな。"しつけ"だよ」

 ヴェルナーは足に力を込め、再び傷口を圧迫する。それにより、エルザが呻き声を上げる。

「ぐっ!」

「従順なのに加え、美しかった。つやのある金髪に、透き通った白い華奢な身体。何より、笑顔が素敵だったんだ」

「だったら、なんで…?」

「僕に噛みついたからだ」

「…は?」

「一度も反抗的な態度を見せなかった。なのに、どうしてだと思う?それはね、

「え」

 エルザの目が見開かれる。

「どういうこと…」

「ある日のことだ。いつものように"しつけ"をしている時、僕は出来の悪さに苛ついていて、こう言ったんだ。『君が今まで関わってきた連中は、金も学もないクズどもだ。だから君も同じクズなんだ』ってね」

「…」

「その瞬間、彼女の笑顔は怒りへと変わった。『私のことは、どう言ってもかまわない。でも、私の大切な人たちを悪く言うことのは許さないわ!』ってね」

 ヴェルナーは悪びれることなく、語り続ける。あろうことか、軽薄な笑みを張り付かせたままでいる。

「ハンナねえ…」

 エルザの頬を涙が伝う。そして、顔が悲しみで歪み始める。

「…」

「僕を睨みつける目、とても不愉快だった。だから、いつも以上に"しつけ"を施したけど、態度を変えなかった。身体中が腫れて血塗れになってもね」

「もうやめて…」

 エルザが涙ぐんだ声で呟く。しかし、ヴェルナーは構うことなく続ける。

「それでも折れなかったから、首に付けた爆弾を作動させると言った」

「…」

「彼女は結局、最後まで屈服しなかった。だから処分した。僕に逆らう不良品はいらないからね。それにしても、彼女の頭が弾け飛ぶ瞬間は最高だったよ。あははははは!!」

 ヴェルナーの下卑た笑い声が響き渡る。一方のエルザは、涙で顔を濡らしながら嗚咽を漏らしている。

「ハンナねえ…」

「最期に親友の話を聞けてよかったね。さて、続きと行こうか。僕を二度も殺そうとしたんだ。この程度で終わらせないよ?次は、その汚い顔を…、ん?」

 ヴェルナーは動きを止め、ゆっくり振り返る。そこには、彼の肩に手を置くフェルナンドが立っていた。

「ヴェルナー様。それ以上は」

 そう告げるフェルナンドの表情は険しい。

「何を言ってるんだい」

 ヴェルナーは笑みを張り付かせたまま返す。彼の表情は明るいように見えるが、フェルナンドを見る目と返事には冷たさが含まれている。

「離してよ」

「そこまでする必要は、ないかと」

「…離せよ」

「…」

「はぁ、君は優しすぎるな。こいつは君の主人である僕を殺しに来たんだよ?」

「確かに、彼女はあなたを殺しに来た。彼女のような存在を、私は全力で排除します。だが、敗者を必要以上に痛めつける下衆な趣味は持ち合わせていない」

 そう返したフェルナンドの言葉には、静かな怒りと威圧感が含まれていた。しかし、ヴェルナーは怯むことなく続ける。

「君がそこまで言うなんてね。

 ヴェルナーは笑みを消すと、冷ややかな目でフェルナンドを睨みつける。

 主人と護衛による冷戦。室内を張りつめた空気が包んでいく中、エルザは嘆いていた。

「ハンナ…、ハンナねえ…」

 声を震わせながら、親友の名を呟き続ける。真実を知った悲しみ、そして仇を取れない悔しさが混ざり合い、エルザの心を蝕んでは気力を奪っていく。

「ごめん…、ごめんね、ハンナねえ…」

 エルザが悲しみに暮れている中、フェルナンドはヴェルナーに申し出る。

「ヴェルナー様。彼女から足を退けてください」

「僕に命令とは。ずいぶんと偉くなったねぇ」

「そういうつもりでは…、っ!ヴェルナー様!」

 言い争いの最中、フェルナンドは異変を察知した。そして、ヴェルナーに呼び掛けたと同時に、彼を押しのけて前に躍り出た。

--俺としたことが…、気づくのに遅れるとは。

「何のつもりだい、…っ!おやおや」

「彼女から離れろぉ!!」

 室内に響き渡る男の雄叫び。その主は頭上に剣を構え、鬼気迫る顔で近づいてくるレオナルトであった。

「おおおおお!!」

 レオナルトは怒号と共に、剣を振り下ろした。しかし、フェルナンドはサイドステップで躱してみせた。その直後、レオナルトの剣が床を激しく叩きつけた。

「終わりだ」

 フェルナンドは腰を低くし、カウンターの突きを放とうとする。しかし、その直後だった。

「させるか!」

 レオナルトはすでに、次の攻撃である逆袈裟斬りを放っていた。

「なっ!?」

 フェルナンドは驚き、動きが一瞬止まる。

「ちっ!」

 フェルナンドは顔を奥歯を噛みしめながら、バックステップで躱す。素早い反応であったものの、彼の胸元は浅く裂かれていた。

 回避により距離を取ったフェルナンドは、その場に留まる。そのまま敵の様子を窺っていると、彼は目を見開いた。

--額の雪華紋様に、黄色く輝く双眸そうぼう。まさか、2人も現れるとは。

 フェルナンドが驚いていると、辺りが白煙に包まれて行く。

--奴の異能か?いや…。

 そう考え直したのは、足元に転がっているグレネードに気づいたからだった。

--ヴェルナー様の安全確保が優先だ。それに、奴は仲間の避難で攻撃は仕掛けてこないはずだ。

 考えをまとめたフェルナンドは、後ろにいるヴェルナーの元へと向かった。


 視界が白煙に包まれていく中、レオナルトは足元にいるエルザの安否を確かめる。

「エルザ!」

 その場に跪きひざまず、膝にエルザを乗せて呼びかける。

「エルザ!しっかりしろ!」

「…レオ君?」

「そうだ!」

 エルザの返事を受け、レオナルトは安堵の笑みを浮かべる。しかし、その笑みはすぐに消え去り、苦しい表情へと変わった。

--なんて傷だ。こんなになるまで、彼女は一人で戦ってたのか…。

「…ごめん。俺がもっと早く来てれば…」

 エルザの手を握りながら、悔恨を口にする。すると、エルザが弱弱しい声で応じる。

「ううん…、来てくれてうれしいわ…。私の方こそ、ごめんね…」

「何言ってんだ」

「私、何もできなかった…。ごめん、ごめんねぇ…」

「…っ」

 泣きじゃくるエルザの姿に、レオナルトは声を詰まらせる。

「…忘れてないよな?」

「…えっ?」

 エルザが反応した途端、レオナルトは彼女を優しく抱き上げた。すると、彼は真剣な眼差しで見つめながら告げる。

「ナタリーとノアの逃走劇での賭け。負けたら何でも言うこと聞くんだろ?だったら、死ぬな」

「うん…」

 感極まったエルザは、声を震わせながら答える。レオナルトは返事を受けると、彼女を抱えたまま壁際まで歩き始める。抱える手を真っ赤に染めながら。


 壁際まで近づき、レオナルトはエルザを凭れさせる。すると、エルザが小さな笑みを浮かべて呟く。

「こういう時のレオ君って…、頼もしく見えるね…。何だか、別人みたい…」

「それは嬉しいな。君に助けられてばかりだったから」

「ふふっ、そうね…。…レオ君、聞いて」

「何だ」

「あいつの異能は…、周囲を吹き飛ばすもの。握った手を開くと…、その能力が発動される」

「分かった。ありがとう」

「…気をつけて」

「ああ」

 レオナルトは力強く答えると、ゆっくりと立ち上がった。そして、フェルナンドがいる方向へ進んでいく。

 

 白煙の中にうっすらと見える黒い影。白煙が徐々に晴れていく中、その姿が露わになっていく。

「貴様は何者だ」

 そう問いかけるフェルナンドに対し、レオナルトは剣を向けて答える。

「革命軍"アルバ"の一人、レオナルトだ」

「俺はアドラ帝国軍のフェルナンド・ムルシア。国を脅かす貴様を、ここで排除する」

 フェルナンドが槍を構え、戦闘態勢に入る。その様子を見たレオナルトも戦闘態勢へと入る。そうして、2人の戦いが始まる…。

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