第16話「意外」

 アルフォンスとの修行の翌日。曇り空の日中、レオナルトは北部の街—インネルへやってきた。理由は、ユリコに食材を買ってくるように頼まれたためである。

 人々が行き交う通り。左右に立ち並ぶ屋台や商店は客で賑わい、繁盛している。

 人々の笑顔や笑い声が、通りに明るい雰囲気をもたらしている。そんな中、レオナルトは意気消沈していた。

「身体が重い…」

 そう呟くと、小さな溜め息を吐いた。

 身体中にのしかかる疲労感。そして、動く度に足や腹といった部位に痛みが生じるため、気が滅入っていた。

 レオナルトの左を歩くノアが、心配げに見つめてくる。

「大丈夫?」

「大丈夫、じゃないね」

「だろうね。だって、歩くの遅いもん」

 ノアは心配のあまり、眉を八の字にする。重い物を持ちながら歩くかのようにゆったりとした足取りのレオナルト。そんな彼を見ていると、余計に心配になる。

 身体中の痛みに耐えながら、レオナルトは昨日の出来事を思い出す。

 アルフォンスとの修行では、さまざまなことをやった。筋力トレーニングを始め、スタミナ強化の走り込み、実戦を意識した模擬試合などである。

 それらがほぼ休みなく行われ、音を上げればアルフォンスに叱られる。その結果、腕や足、腹筋といった様々な部位に筋肉痛と疲労感をもたらしたのであった。

 機嫌良さげに鼻歌を歌っているノア。そんな彼を見て、レオナルトは少し複雑な気持ちになる。

「ねえ、ノア」

「ん?」

「君もアルフォンスさんの修行に参加し…」

「嫌だ」

 ノアは話を遮って否定する。反応の早さに、レオナルトは少し面を食らう。

「どうして?」

「僕には無理無理。そんな根性ないもん」

「確かにキツいけど、強くなれると思うよ」

「だいじょーぶ!僕はそれなりに強いから」

 ノアは口角を上げ、右の拳を胸に添える。自信ありげに語る姿を見て、レオナルトは半信半疑になる。

--芋虫から全力で逃げる姿からは、想像できないんだけどな…。

 レオナルトは薄ら笑いを浮かべる。

 それからしばらくし、レオナルトは以前から気になっていたことを尋ねる。

「ところでさ」

「ん?」

「君がアルバにいる理由は何?」

「アルバにいる理由?なんでそんなことが気になるのさ」

「ビビリな…」

「ん?」

 ノアが怪訝な顔を浮かべる。失態に気付いたレオナルトは、慌てて言い直す。

「いや!団員たちのことを知っておきたいかなーと思ってさ」

「あー、そういうこと?」

「そう!そういうこと」

--あぶなかった。「ビビリな君がアルバにいるのが不思議だからさ」、なんて言ったらどうなってたことか。

 何とか誤魔化せたことに、レオナルトは胸を撫で下ろす。

「ふーん。僕に興味があるんだ?」

「う、うん」

「嬉しいな。僕がアルバにある理由はね、アダリーナ姉さんの側にいたいからだよ」

「アデリーナ姉さん?」

「そう。僕にとっては憧れの人で、人生を変えてくれた女性さ」

 ノアは感慨深そうに目を細めると、続きを語り出す。

「アルバに入る前の僕は、ごろつきだったんだ」

「えっ、そうなの?」

「意外だった?」

 ノアの問いに、レオナルトは驚いたまま頷く。

「僕には両親も家もなかったんだ。当時いた場所はね、治安がすごい悪いところだったんだ。脅迫や暴力で人から物や金を奪ったり、集団で強盗を働いたり。時には殺人があったりと、正しく無法地帯さ」

「それはつらかったね」

「まあね。僕は臆病だし、まして人を屈服させる力もない。だから、"スリ"をすることにしたんだ。やっちゃいけないってのは分かってるけどさ、当時の僕にはそれしかなかったんだよ。法律よりも、食べ物や金の方が大事だったからね」

 ノアはそう語りながら、寂しげに微笑む。

 レオナルトはどう返せばいいのか分からず、ただ黙って聞くことにする。

「それで細々と生きてきたんだけど、とある事件に巻き込まれちゃってね」

「事件?」

「ギャング集団に捕まっちゃったんだ。運悪いことに、スリをした相手がそこを仕切ってきたギャング集団の1人だったんだよ」

「あらま」

 レオナルトは驚きのあまり、変な反応をした。そんな彼の反応を見たノアは、クスリと笑った。

「アジトに連れ込まれて散々殴られた挙句、結局は人身売買されることになっちゃったのさ」

「人身売買?なんでそんなこと」

「世話係が欲しい裕福な家庭や貴族なんかのためだよ。それに、ストレス捌け口用のサンドバッグや性の捌け口用など、用途はいろいろあるのさ。これが結構いい稼ぎだったみたいでさ、人攫いなんて珍しくなかった」

「そんな…」

「何人も入ってる小さな檻に閉じ込められて、気分は最悪だったよ。買い手が付くまでのずっとこう思ってた。「ああ、つまんない人生だったなぁ」ってね。けど、そこに1人の女性が現れた」

 語っていくうちに、ノアの目が輝き始める。

「それがアデリーナさんだった。剣を握り、たった1人で何人もの武装した組員を倒していく様は、とてもかっこよくて、美しかったんだ」

「たった1人で?そんなに強い人なんだ」

「うん。それで全員倒した後、檻に近づいて来て、中にいる僕たち一人一人の手を握ってくれたんだ。そして、こう優しく声をかけてくれたんだ。『もう大丈夫だ。よく頑張ったな』ってね。その時の微笑みがとても素敵で、女神のように思えた」

 ノアは感慨深そうに、優しい笑みを浮かべる。彼の表情を見たレオナルトは、口角を上げる。

「僕は、この人に付いて行きたいって思った。だから、彼女に連れて行ってくれるように頼み込んで、今に至るっていうわけさ」

「正しく、運命の出会いだね」

「そうだね。後で知ったんだけど、彼女が来た理由は、何人もの子供を攫っては売り飛ばしているギャング集団がいるって聞きつけたからなんだって。攫われた甲斐があったよ、あははは」

「本来なら笑えない話だよ」

 レオナルトがそうつっこむと、ノアは笑い声を大きくした。

 臆病で剽軽者ひょうきんもののノアから語られた意外な過去。レオナルトはそれを知って、交友を深められたような気がして嬉しかった。

「そういえば、レオはまだ会ったことないんだよね?」

「うん。でも、顔と名前は知ってるよ。新聞に載ってたから」

「世間からは、悪い意味で有名人だからね」

 レオナルトは反応に困り、とりあえず頷いてみせる。

 アルバに入ってから、まだ会っていない女団員—アデリーナ。手配書には名前と似顔絵しかなく、どんな声かや背格好は分からない。

 素性がほとんど分からない彼女。しかし、似たような人物に会ったことがあるかもしれないという感覚がレオナルトにはあった。

 もしかしたら、何かを思い出すきっかけの人物なのかもしれない。そんな彼女が今日、アジトに帰還してくる。ボリスという男も一緒だと、テオドールからそう聞かされた時は、2つの感情が綯い交ぜになった。

 一つは、彼女から何か思い出すきっかけが齎されるかもしれないという期待。もう一つは、何も思い出せないのではないかという不安であった。

 ノアは口角を上げ、目を輝かせる。アデリーナにもうすぐ会えると思うと、顔が自然と明るくなる。

「楽しみだな、レオ」

「うん」

「もしかして、不安?」

「どうしてそう思うんだ?」

 レオナルトは首を傾げる。

「だって、顔が暗いもん」

「そんな顔してる?」

「うん、してる。っふ、大丈夫だよ!アデリーナ姉さんは優しい人だからさ。あまり笑顔を見せないし、物静かだけど、ナタリーちゃんみたいにキツい人じゃないから!」

「それなら、安心かな」

--ナタリーが聞いたら、間違いなく怒るだろうな。

 レオナルトの脳内に、ナタリーの怒り顔が浮かび上がる。想像しただけでも恐ろしく、この場にいなくてよかったと安心する。

「よし!買い物をちゃちゃっと済ませちゃおう!」

「そうだね」

 ノアが先導し、レオナルトが後に付いていく。2人は人混みに揉まれながらも、逸れずに進み続ける。


 買い物を終え、レオナルトとノアは帰路についていた。彼らの両手は、食材や酒が入った袋で塞がっている。

 すでに日が沈みかけている。それでも街中には相変わらず、人が大勢いる。

 レオナルトたちは、買い物の疲れと人混みにうんざりしながらも進み続ける。その時だった。

「おっと」

 右脚に何かがぶつかったレオナルトは、反射的に声を上げる。右脚へ目を向けるも、そこには何もない。しかし、目と鼻の先で一人でに走る少年の姿を捉えた。

「あの子かな?さっきぶつかったの」

「どうした?レオ」

「あの子。さっきぶつかったみたいなんだけど」

 レオナルトが前方を指差す。ノアは少年の姿を見るなり、「ああ」と声を上げた。

「謝りもしないで、そのまま行っちゃったのね。まあ、僕らは大人だからさ。許してやろうぜ」

「うん、そうだね。さっ、帰ろうか…、ん?」

 レオナルトは異変に気づき、立ち止まる。ズボンの右ポケットに手を入れて、弄り始める。そして、背筋が凍る感覚に襲われる。

「…あれ?」

「レオ?どうしたんだよ」

 心配するノアに、レオナルトは青ざめた顔で答える。

「…ない」

「えっ?」

「財布がないんだ!ズボンの右ポケットに入れてたはずなのに!」

「はぁ!?」

 ノアは驚き、目と口を大きく開く。レオナルトは青ざめた顔のまま、正面を見つめる。そして、遠ざかっていく少年を見て気付く。

「あっ!さっきぶつかった子の左手に財布が!」

「マジか!?」

「大変だ。財布無くしました、なんてユリコにバレたら…」

「…半殺しだろうね」

 そう話すノアは顔を青ざめる。しかし、すぐさま気を取り戻し、表情を引き締める。

「前言撤回だ!大人でも許しちゃいけないことだってある!行くぞ、レオ!」

 ノアは人混みをかき分け、前を進んでいく。遅れを取るまいと、レオナルトも追いかけ始める。

 両手を塞ぐ荷物と全身の筋肉痛が追跡を妨げる。しかし、レオナルトは抗いながら進み続ける。財布を取り戻せず、半殺しにされるのは回避したいという思いが強いからである。

 前へどんどん進んでいくノア。距離が遠ざかっていくのを感じ、レオナルトは驚く。

「足早いな。早く追いつかないと。頑張れ、僕」

 レオナルトは驚きながらも、自分を鼓舞する。そして、逸れないように全力で走り続ける。


 陽の光も入らず、人気が全くない路地裏。そこにいるのはガラの悪い男に、レオナルトから財布を盗んだ少年。

 建物の壁沿いに積まれた樽に腰掛ける男に、少年が財布を手渡す。

「持って来ました」

「おう、ご苦労さん」

 男は労いの言葉をかけると、財布を開けた。中に入っている硬貨とお札の数が想像以上に多く、思わず笑みを浮かべる。

「へぇ、結構入ってるじゃん」

「ねえ」

「ああ?」

「これでおしまいにしてくれる?」

 男の子は悲痛な表情で訴える。しかし、男は面倒臭そうに顔を顰め、言い放つ。

「何言ってるんだ?ガキ」

「お金を取るのは悪いこと。だから、これ以上やりたくないんだ」

「うるせぇ!」

「うわっ!」

 男は少年の頬に裏拳を放つ。殴られた少年は地面を転がり回ると、その場に蹲った。そんな少年を、男は冷たい目で見下ろす。

「ガキがつけ上がりやがって。テメェはただ、俺のために金を盗ってくればいいんだよ。また痛い目に遭いたくなかったらなぁ」

「う、うう…」

 少年の目に涙が浮かび上がる。そして、涙が頬を伝うと顔を歪め、泣き始めた。

 男は、わざと大きな舌打ちをする。

「これだから、ガキは嫌なんだよ。泣けば、なんとかなるとでも思ってんのか」

「見つけたぞ!」

「ああ?」

 男が声のする方へ目を向ける。そこには、両手に買い物袋を提げているノアの姿があった。

 ノアは倒れている少年に目を向ける。少年は泣いていて、頬に殴られたような痕があった。

 次に、少年の傍に立つ男に目を向ける。彼の左手には、少年が盗んだ財布が握られている。そして、右手の甲が赤くなっていることに気付くと、怒りを覚え始める。

「…お前がやったのか?」

 ノアは男に鋭い眼光を向ける。すると、男は悪びれる様子もなく答える。

「そうだよ。もっと金よこせっていうから、お仕置きしたんだよ」

「何でこの子に盗みをさせたんだ?」

「そんなもん、決まってんだろ?安全に金を手に入れられるからだよ!」

 男の回答に、ノアは眉間に皺を寄せる。

 緊迫した雰囲気の中、レオナルトが息を荒くしてやって来た。

「はあ、はあ。やっと追いついた。ノア、さっきの子は?」

「そこにいるよ」

「えっ?…っ!大丈夫かい!?」

 レオナルトは両手の荷物を地面に置き、少年に駆け寄る。少年をそっと抱き寄せると、ノアの近くまで戻った。

 ノアは一安心し、男に向き直る。

「さっきの答え、よく分からなかったんだけど」

「お前、頭悪いな!いいか?大人が盗みを働いたら当然捕まる。そうだろ?だがな、ガキならどうだ?捕まることはないし、せいぜい少し痛めつけるくらいで許される。だったら、利用するまでよ!どうだ、天才だろ!?」

 男の答えを聞いた途端、レオナルトは怒りの眼差しを向ける。

 一方のノアは、怒りをさらに募らせていた。

「お前の方が頭悪いだろ。このゲスが」

 ノアが一歩足を踏み出す。その瞬間、男は上着の裏から拳銃を取り出した。そして、下卑た笑みを浮かべ、ノアの顔に銃口を向ける。

「これ以上は近づかない方がいいぜ?」

「…」

「おいおい、だんまりしちゃってよ!カッコつけたのに情けないな!」

「…レオ」

「何だ?」

「その子を頼んだよ」

 ノアは正面の男に目を向けたまま、レオナルトに指示する。

 普段は剽軽で臆病な彼が、真剣な表情を浮かべている。そこから相手への怒りを感じ取ったレオナルトは、彼の指示通りにする。

 ノアは脅しに屈することなく、一歩足を踏み出す。そして、また一歩踏み出した途端、男が唾を撒き散らしながら喚く。

「おい!!本当に撃つぞ!!」

「撃てよ」

「…っ!」

 男が動揺する。先ほどの余裕は消え失せ、額からは汗が滲み出てきている。

 あと10歩もない距離まで近づいたノア。そして、挑発するように口角を吊り上げる。

「どうした?もしかして、人を撃ったことがないのかな?まあ、子供に金を盗ませに行く臆病者なら、納得だね」

「うるせぇんだよ!!…ちくしょう、やってやるよ。死ねェェェ!!」

 男の叫びと共に、1発の銃声が響き渡る。しかし、ノアは首を右に傾けて躱した。

「叫びながら撃つなんて、躱してくれって言っているもんだよ」

「…はあ?」

 男は目をひん剥き、口から情けない声が漏れる。

 ノアは腰元に差しているロングナイフを右手で引き抜く。そして、ゆらりと近づき、男の首に刃を当てる。男は身体を震わせ、上下の歯をガチガチと打ち鳴らし始める。

「今度は、僕の番だね」

「す、すみませんでした!こ、こ、殺さないでください!」

 男は息を荒げながら、命乞いを始める。しかし、ノアの考えはすでに決まっていた。

「やだ」

 ノアは却下し、ナイフを手前に引く。刃が首を少し切った瞬間、男は絶叫した。

「あああああ!!ああ…」

 男は叫んでる途中で気絶し、その場に倒れた。白目を向いたままの男の口は、あんぐりと開いたままでいる。そして、ズボンの股間部分は大きなシミができており、地面に少し漏れている。

「こんくらいの脅しで気絶だなんて。やっぱり、大したことない奴だったな」

 ノアは呆れのため息を吐くと、ロングナイフをしまった。

 後ろに振り返り、少年に近づいていく。すっかり泣き止んだ少年はノアをじっと見つめたまま、口を開く。

「助けてくれて、ありがとう。それと、お金を取ってごめんなさい」

 少年が頭を下げる。そして、頭を上げると、今度はレオナルトに謝罪した。

 ノアは少年の前に膝をつく。そして、彼の右手を取って話し始める。

「いいかい?この手は、悪いことに使うんじゃない。大好きな人の手を握るために使うんだ」

「うん」

「さあ、行った行った」

 ノアが促すと、少年はその場を去って行った。

 事の終始を見届けたレオナルトは、ノアに声をかける。

「さっきの言葉だけどさ」

「うん?」

「自分の経験を基に言ったの?」

「まあね。どう?カッコよかった?」

 ノアは顎に添え、笑みを浮かべて尋ねる。そんな彼を見て、レオナルトは思わず口角を吊り上げる。

「うん、カッコよかったよ」

「でしょ?」

「そんなキメ顔で言わなかったら、もっとカッコよかったけど」

「えっ、マジ?そうか、自然な表情の方がいいんだな。…てか、早くここから逃げよう!」

「えっ?」

「銃声なんてただ事じゃないでしょ?軍に見つかれば面倒なことになるし、最悪今日は帰れなくなるよ」

「それは避けたいね。あの男は軍に任せるか」

 レオナルトはそう呟き、地面に置いた荷物を両手に持つ。

 ノアも荷物を両手に持つと、来た時は違う道を走り出した。レオナルトは置いていかれないように、必死に食らいついていく。そして、彼の背中を見つめながら、ふっと笑みを浮かべる。

--ただのビビリだなんて思ってて、ごめんよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る