第2話「実態」

 真っ暗な空の下、レオナルトは草っ原に立っていた。左右に並ぶ何軒かの家屋からは、赤い灯りが漏れ出ている。そして、どれもが壁や窓にヒビが入っている。

 レオナルトはその光景に見覚えがあった。ここは、スプ村の中央広場だと。しかし、それと同時に疑問を抱く。

--どうして、こんなところにいるんだ。

 レオナルトは困惑しながら、辺りを見渡す。そんな時だった。

「レオ」

 自分を呼ぶ男の声。その声と呼び方には聞き覚えがあった。しかし、レオナルトは信じられなかった。そんなはずはない、そう否定しながらも振り返る。そこには、赤いランプを片手に持つトーマスがいた。

「よ、レオ」

「トーマス…」

 レオナルトは目の前の光景に目を見開く。死んだはずの友人が笑顔を浮かべて立っているからだ。

 レオナルトは驚いたと共に、再び友人に出会えたことが嬉しかった。驚きと嬉しさが綯い交ぜになっている感情のまま、トーマスの前に立つ。

「トーマス。お前、どうしてここに?」

「俺がいなくて寂しいか?」

「何だよ。当たり前だろ」

 レオナルトは照れながらも、正直に答える。

「それより、僕たちはどうしてここにいるんだ」

「俺がいなくて寂しいよな」

「えっ?」

「だったら、

 次の瞬間、レオナルトは背後に気配を感じた。驚いて振り向こうとするも、すでに遅かった。

 両脇に何者かの腕が滑り込み、羽交締めにされる。レオナルトは振り払おうと必死になる。しかし、びくともせず、焦り始める。

「そう嫌がることないだろ?」

 耳元に囁く男の声。その声に、レオナルトは聞き覚えがあった。

「ジャック?なんでお前が」

「お前とまだ遊べてないだろ?だから続きだよ。ははははは!!」

 ジャックの狂気的な笑い声が、レオナルトに恐怖を与える。

 トーマスが口角を限界まで吊り上げた不気味な笑顔を見せる。彼の背後には、ジャックと共にいた3人の兵士が立っている。そして、トーマスと同じく笑みを浮かべている。

「まずは俺からだな」

「トーマス!止めろ…」

 レオナルトは唇を震わせながら、制止を呼びかける。しかし、トーマスは右手で握り拳を作る。

「トーマス!!」

 レオナルトが叫ぶ。しかし、トーマスの固く握られた拳はレオナルトの顔面に向かっていた。そして、目と鼻の先まで来たところで、レオナルトは再び叫ぶ。


「止めろぉ!!」


 叫ぶと同時に、身体が飛び上がる。そして、目の前の光景が変わっていることに気づく。

「何だ、夢か」

 事態を理解したレオナルトは安堵し、ため息を吐いた。

 今までに見たことのない友人の狂気的な笑み。その姿がまだ頭に残っており、レオナルトら胸が苦しくなる。

「ごめん、トーマス」

 友人への謝罪を呟く。そして、救えなかった悔しさを表すように、歯を強く食いしばる。


 徐々に落ち着きを取り戻したレオナルトは、ベッドから立ち上がる。

 そこは、3階建ての宿屋の一室。正面には四角い窓。白いカーテンが開かれ、外から日差しが差し込んでいる。そして左右には白いシーツのベッド。

 これまでの生活とかけ離れた光景。さらに、白いバスローブを身につけている自分の姿は、見慣れないもので困惑するしかなかった。

 レオナルトは後ろに振り返る。2つのベッドの間に、照明が置かれたナイトテーブルがある。そこには、綺麗に折り畳まれた白シャツに黒いジーンズがある。そして、ナイトテーブルの足下には黒いロングブーツが置かれている。

「何だろ、これ」

 レオナルトが不思議そうに見つめる。すると、部屋のドアが突然開かれた。そこには、赤い短髪の青年が立っていた。

「やっと起きたか」

 青年は呆れたようなため息を吐いた。

 青年の名前は、クラウス。格好は青いシャツにベージュのジーンズ。そして、黒色のロングブーツに黒色のマント。さらに額に巻いている青いバンダナといい、どれも汚れ一つなく清潔感がある。

 クラウスがドアに寄りかかる。そして、仏頂面で告げる。

「そこにお前の衣装がある。着替えろ」

 クラウスの視線がナイトテーブルを向いている。彼の視線を追ったレオナルトは、そこにある白シャツと黒いジーンズ、そして黒いブーツに注目する。

「お前の衣装は処分した。血まみれのシャツじゃ、目立ってしょうがない」

「すまない。でも、これって」

「俺の金じゃないから気にすんな。とにかく、まずは顔洗ってこい。飯食いに行くぞ」

「はい」

「1階で待ってる」

 クラウスはそう言い残し、ドアを閉めた。

 レオナルトは遠ざかっていく足音を耳にしながら、新しい衣装に注目する。

「新しい服なんて、いつ以来だろ。ありがたい」

 そう感謝を告げると、彼は洗面台へ向かった。




 宿屋を出たレオナルトは、目の前に広がる大通りの光景に目を奪われていた。

 大通りの向かいには、レンガ造りの茶色い5階建てビル。1階にはテントを張った八百屋があり、女性客と楽しそうに話す店主らしき男性がいる。

 八百屋の右隣には、カフェがある。店内と野外に設けられた数席のテーブルは客で埋め尽くされており、繁盛しているのが一目で分かる。

 大通りを様々な人々が行き交っている。子供と手を繋ぐ母親、楽しそうに微笑み合う2人組の男女、そして老人といった老若男女の活気に溢れている。

 ここは、"エイン"という名前の街。南部と中部の境目付近にあり、南部地方で一番大きな街だとレオナルトは聞いていた。

「すごいな」

「あまり見慣れてないんだ?」

 感心するレオナルトに、一人の女が話しかける。彼は左を向き、女と目を合わせる。

「村の生活が長かったんだ。こんな大きな建物も、人もいなかったし」

「ふーん、そうなんだ」

 女が興味深そうに答える。

 彼女の名前は、エルザ・ロイス。ノースリーブの赤いワンピースに黒のロングブーツといった格好。

 髪型は水色のショートヘアーで毛先だけが白い。小さな顔に二重のぱっちりとした黄色い瞳が特徴的。しかし、レオナルトにとって特徴的なのは別にある。彼女の顔の中心にある傷跡だ。右頬から左の眉根まである大きく細長い傷跡。刃物でできたようなその傷は、とても目立っている。

--こんな大きな傷があって、辛いだろうな。

 レオナルトは憐れみの感情を向ける。思わず経緯を尋ねたくなるも、そうはしなかった。それが彼女にとっての苦痛に違いないと考えていたからだった。

「さて、レオナルト君。何食べたいの?」

 エルザが尋ねてくる。

「そうだな。えーっと…」

「さっさと決めろ」

「こら。急かさないの」

 エルザがクラウスに注意する。しかし、クラウスは鼻で笑うだけだった。

 具体的なものが浮かんで来ず、レオナルトは迷い続ける。そんな時、視界に入りこんだ親子の姿が気になった。

「パパ。美味しいよ」

 美味しそうにアイスクリームを食べる男の子。その子と手を繋いでいる父親が笑顔を向ける。

「それはよかったな。でも、ちゃんと前見なきゃダメだぞ」

「はーい」

 父親の注意に、男の子は間伸びした返事をする。

 親子の微笑ましい姿。レオナルトは笑みを浮かべながら、その姿を見つめていた。

 仲睦まじい親子の前に、カーキ色の軍服を着た男が歩いてくる。軍人が男の子とすれ違う。その時だった。

「あっ」

 男の子が大きな声を発した。彼の持っていたアイスクリームが軍人のズボン右足に付いてしまったのだ。

「このガキ」

「ご、ごめんなさい…」

 顔を険しくする軍人。男の子は今にも泣きそうな顔で謝る。すると、軍人はズボンの右足を注視する。

「誇り高い軍服が汚れたじゃないか。どうしてくれんだ」

「申し訳ございません!!」

 側にいた父親が血相を変え、地面に跪く。そして、額を地面に打ち付ける。その行為により、辺りが騒然とし始める。

「どうか!この子をお許し下さい!悪いのは私です!」

 父親は額を地面に打ち付けながら、許しを請う。男の子は嗚咽を漏らしながら泣いている。

 街中で突然起きたトラブル。それを見ているレオナルトは、遠くにいる軍人に呟く。

「あれだけ謝ってるんだ。許してやれよ」

「そう思うか?」

「えっ?」

 クラウスの問いに、レオナルトは眉根を寄せる。

 額を地面に打ち付けながら謝る父親。すると、彼を見下ろしている軍人の口角が上がった。

「もういいから。顔上げろよ」

「本当に申し訳…、がっ!?」

 父親が苦痛の声を上げる。顔を上げた瞬間、軍人が左足で彼の顔を思いっきり蹴ったのだ。

「そんなわけないだろ」

 軍人が冷ややかな目で告げる。強烈な一撃を受けた父親は、左半身を上にして倒れる。目は見開き、唇をぱくぱくと動かしながら声を震わせている。

「そうだよな。子供の責任は親の責任だよな!」

 軍人が声を張り上げると、すかさず父親の脇腹を蹴った。

「うっ!」

「こんなんじゃ終わらないぞ!」

 軍人がさらなる蹴りを浴びせる。父親はただ苦悶の声を漏らしながら、蹲っている。

「パパァ!!」

 男の子が軍人の右足にしがみつく。涙と鼻水まみれの顔で訴える。しかし、軍人は顔を険しくし、手で振り払った。そして、地面に倒れた男の子に蔑みの目を向ける。

「汚ねぇんだよ!近寄るな」

 軍人が罵声を浴びせる。男の子は起き上がると、大声で泣き始める。

「パパをいじめないでよぉ!!」

 男の子の悲痛な叫びが大通りに響き渡る。しかし、彼の助けに応じようとする者はいない。皆が申し訳なさそうに表情を曇らせ、ただ見つめている。

 一方のレオナルトは、怒りに満ちていた。

「こんなの酷すぎる。僕が…」

「止めろ」

 クラウスがレオナルトの肩を掴む。レオナルトはすかさず非難の目を向ける。

「離せ」

「軍に刃向かえば処罰され、拷問にかけられる。面倒なことになるだけだ」

「そんな…」

 レオナルトはショックを受け、その場に立ち尽くす。

「いいから、耐えるんだ」

 クラウスは平静に告げる。彼の言葉と平然とした表情から、怒りが感じられない。レオナルトは冷酷な男だと感じていた。しかし、それは間違いだとすぐに気付かされる。

 レオナルトの肩に強い圧迫感を感じる。クラウスの徐々に強まっていく手の力が、内なる怒りを現れているように感じたからだった。

 軍人は尚も父親に蹴りを浴びせ続けている。側にいる男の子の泣き叫ぶ声が、レオナルトの心を抉り続ける。




 空が真っ暗になり、人通りがかなり少なくなってきた頃。レオナルトはクラウスに連れられ、酒場にいた。

 天井から黄色い明かりが照らす木造の店。全てのテーブルが2人以上の団体客で埋められ、どの席も酒が飲み進んでいて盛り上がっている。

 店内は笑い声に包まれ、和やかな雰囲気である。しかし、レオナルトは彼らとは反対の気分であった。

「あの親子、どうなったのかな」

 レオナルトがぽつりと呟く。彼の目の前には、オレンジジュースがある。提供されてからしばらく経っていたが、彼はまだ一口しか飲んでいなかった。

 日中に見た親子への仕打ち。蹴られ続ける父親を見て泣き叫ぶ男の子。誰一人助ける素振りを見せない異様な光景がレオナルトの脳裏にこびりつき、気を滅入らせていた。

「まだ引きずってんのか」

 クラウスが尋ねる。彼は仔牛のカツレツを頬張っている。

「確かに気がかりだよね。でも、そこまで思い詰めてたらこれから先、大変だよ」

 エルザはそう忠告すると、ビールを呷った。

「それはそうだけど」

「優しいな、お前。優しいのはいいことだ。だがな、非情さを持ち合わせてないと、その優しさに身を滅ぼされる」

「どういう意味だ」

「何でもかんでも思い詰めてたら、テメェが壊れる。そうならないように、非情さも持たないといけないってことだよ」

「あの親子のことを気にするなってことか」

 レオナルトが尋ねる。すると、クラウスは首を横に振った。

「そういうことじゃねぇ。なんて言えばいいんだ?あー、バカだから上手く説明できん。とにかく切り替えろ」

「クラウス。あんたねぇ」

 エルザは呆れ、ため息を吐く。レオナルトは納得いく答えが得られず、彼女と同じ反応を示す。その時だった。

 ギィと音を立ててドアが開かれた。そこには、カーキ色の軍服を着た巨漢の男が立っていた。

 2メートル以上はあるであろう身長と分厚く付いている脂肪。熊のようなその体格は、見る者に強烈な印象を与える。さらに、もみあげしかない髪型と背中に背負っているメイスもそうだった。

騒然としていた店内が一気に静まり返る。

「酒をありったけ持って来い」

 野太い声でウエイトレスに注文する。すると、ウエイトレスは何杯かのジャッキを乗せたおぼんを片手に厨房へ駆けつけて行った。

「おい!そこの眼鏡!空けろ!」

「は、はい!」

 カウンター席にいる眼鏡の男性は声を震わせ、慌てて席を立った。そして、巨漢がどすんと座り込む。

「くそ、イラつくぜ。おい!さっさと持ってこい!」

「はい!!ただいま!!」

 巨漢の怒号に対し、厨房から大きな返事が来る。

 巨漢の入店により、店内の話し声が小さくなった。大声で騒げば咎められる、そんな空気に変わった。

「来たな」

「そうね」

 クラウスの言葉に頷くエルザ。レオナルトは、真剣な表情を浮かべている2人に尋ねる。

「何の話だ」

「奴はダミアン・クラウゼ。昨日、お前が皆殺しにした小隊の隊長だ」

 クラウスの答えに、レオナルトは強い衝撃を受ける。

「あいつが隊長…」

「ああ。イラついてやがるな。部下を皆殺しにされたからだろうな」

 クラウスがダミアンの背中を睨みつけながら答える。ダミアンは提供されたビールを飲み干すと、叩きつけるようにジャッキを置いた。そして、苛立ちを表すように大きなため息を吐いた。

「奴には異名があるの」

 エルザが話を再開させる。レオナルトは彼女と目を合わせる。

「「暴れ牛のダミアン」。得意のメイスで相手を叩き潰すことで有名なの」

「なんで"暴れ牛"なんだ?」

「奴のもみあげが牛の角みたいに見えるからだよ」

「…なるほど。それで暴れ牛か」

 レオナルトはダミアンの頭を見て、納得した。そして、エルザに次の質問をぶつける。

「どれくらい強いんだ?」

「並の人間じゃ、10人がかりでも勝てないよ」

「何?」

「実際、10人の反勢力を相手にして、1人で皆殺しにしたって聞くしね」

 予想外の答えに、レオナルトは唖然とする。すると、2人のやり取りを聞いていたクラウスが鼻で笑う。

「何だ。怖気付いたのか?」

「そんなまさか」

 レオナルトは真剣な眼差しをクラウスに向ける。

 レオナルトはすでに覚悟を決めていた。相手がどんな強敵であろうとも、必ず自分の手で討ち取ると。

「よし、そしたら作戦開始だ」

 クラウスがそう指示すると、席を立つ。エルザとレオナルトも彼に従う。

 彼らの側をウエイトレスが通りかかろうとする。すると、クラウスはズボンのポケットから金を取り出し、テーブルに置いた。

「ごちそうさん」

「ありがとうございました!」

 会計だと理解したウエイトレスが明るい声で応じる。そして、クラウスたちは酒場を出て行った。

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