異世界学園の魔導機士

矢代大介

プロローグ



 朝の日差しがさんさんと差し込む、やや古めかしさを感じる居室。

 その一角、壁際にくっつけるように設置された勉強机の前で、プリント用紙を片手にした黒い髪の少年が、机に鎮座するボストンバッグの中身を改めていた。


「教科書、よし。ノートとファイル、よし。モバイルバッテリー、よし。財布と携帯と、学生証はポケットの中……よしと。〈実技〉の授業はまだないし、しばらくはこんなもんかな」


 通学用に用意したボストンバッグの内容物を確認していた少年は、ふと壁にかけられたアナログ時計を見やる。短針の位置は、そろそろ家を出なければいけない時間を示していた。

 時間割が記載されたプリントに目を落とし、最終確認をしていた少年は、そこで不意に「あっ」と声を上げる。


「〈魔術学〉の教科書入ってないじゃん。あっぶな……気づいてよかった」


 出発前に気づけたことを安堵しつつ、少年は本立てに収まった教科書類を再確認。目当ての教科書である「魔術学I」と書かれた背表紙を見つけると、鞄の中へしっかりと収める。


「ん……よし、今度こそバッチリだ。――っしゃ、行くか」


 ファスナーを閉じたスクールバッグを肩に担いで、少年は自室の扉を開けて、階下へ続く階段を下っていった。




「おっ、ハルト君。もう行くの?」


 玄関扉を開けて外へ出ると、少年を一人の女性が出迎える。

 二十代前半ほどの容姿をしたその人物は、玄関口に置かれた小さな立て看板にチョークを走らせながら、ハルトと呼んだ少年に向けて、快活に笑いかけた。


「忘れ物はない? 今日は雨降るかもしれないって言ってたけど、傘は持った?」

「大丈夫です。一応折り畳みが鞄に入ってるんで」

「そっか、ならよし。あんまりキツく降ってるなら迎えにいくし、連絡ちょうだいね」

「ありがとうございます。――じゃあ、行ってきます」

「はい、いってらっしゃい。オツトメ頑張ってね〜」


 ひらひらと手を振る女性に見送られながら、本日の学業をこなすため、ハルトは学校への通学路を歩き始めた。



***



 木の葉をざわめかせながら、爽やかな風が吹き去って行く通学路を、少年はゆったりと歩いていく。

 レンガで舗装された歩道には、少年と同じく通学途中の学生や、スーツを着こなした社会人など、たくさんの人影がある。遠くを見れば、たくさんの人を乗せているであろう列車が、軽快な音を鳴らしながら線路を走っていくのが見えた。



「――よっ、おはよう!」


 そんな穏やかな通学時間を切り裂くように、ハルトの背後から軽快な声が響く。

 くるりと振り返れば、そこに居たのはハルトと同い年ほどの容姿を持った、学生服の少年。風になびく深紫色の頭髪と、それをかき分けて伸びる二本一対の「角」が特徴的なその少年は、精悍さの垣間見える人相とは裏腹な、人懐っこさを滲ませるニカッとした笑みを見せた。


「おはよ、シェイド。朝から元気だな」

「おうとも。そういうハルトこそ、今日も元気そうで何よりだ」


 紫の頭髪と双角が特徴的な少年、ことシェイドの言葉に、ハルトは肩をすくめて返事する。


「いやぁ、言うほど元気じゃないよ。まだ〈こっち〉での生活には慣れないし、授業だって知らないことだらけで、着いていくのが精いっぱいさ」

「あー、わかるわその気持ち。オレもこっちに越してきた時は、マジで異世界にでも来たのかって思ったなぁ。なんつーか、文明としてのレベルが違うって感じでさ」

「そっか、シェイドは郊外の方の出身だったっけ。お互い大変だな」


 まったくだ、と返しながら隣に並んだシェイドと共に、ハルトは再び通学路を歩いていく。

 と、すぐ目の前の分かれ道から通学路に合流してきた人影を見て、シェイドがおっと声を上げた。


「おーい、おはよう!」


 よく通る声に振り向いたのは、これまたハルトたちと同じ学生服に身を包んだ少女だ。

 一本に結わえた尻尾のような長い金の髪と、その合間から伸びる「笹の葉のような形状の長い耳」が目を引く少女は、ハルトたちを見とめると、ぱっと表情をほころばせた。


「あっ、おはよう! 今日も二人で通学?」

「まあなー。男二人でむさ苦しいから、フィルが居て助かったぜ」

「先に絡んできたのはシェイドさんじゃないっすかね……まぁともかく、フィルもおはよう」


 ハルトが軽く手を挙げて会釈すると、フィルと呼ばれた金髪の少女が、ふわりとはにかむ。


「うん、おはようハルトくん。じゃあ、せっかくだし三人で教室まで行こっか」


 フィルの言葉にハルトとシェイドが揃って頷き、3人は連れ立って通学路を歩き始めた。




「なんていうか、こうして三人で行動すると、入学してすぐの頃を思い出すな」

「あー、言われてみりゃ確かにそうだな。……あんときは正直、だいぶヤバかったよなぁ」


 神妙なシェイドの言葉に、ハルトとフィルは揃って頷く。


「でも、俺としてはあれのおかげで、改めて自覚ができたような気もするかな。いくら自分に力があるって言われてたとしても、自分が〈マギウス〉だなんて、なかなか理解なんてできなかったし」

「うん、私もかな。あの一件があったからこそ、自分も戦う人間なんだなーって、自覚できたような気がするな」

「なんだなんだ二人して、心構えが足りてないんじゃねえか? ……ま、本音を言えばオレもなんだけど」


 冗談めかしてシェイドが話をまぜっかえすと、その場に和やかな笑いが生まれた。




「……正直、今でもここが夢の世界の中なんじゃないかって思うよ」


 ひとしきり笑った後、ぽつりとハルトがごちる。

 その瞳は、向かう先にそびえる学園の校舎とはまた違うどこかに――ここに至るまでの「過去」に思いを馳せるように、虚空を見つめていた。


「お? ひょっとしてまだ寝ぼけてるのか?」

「違う違う。なんていうのかな……数ヶ月前には予想もしてなかった世界にいる、っていう現実が、まだイマイチ実感湧かなくてさ」


 ふぅん? とやや腑に落ちていなさそうなシェイドとは裏腹に、隣を歩くフィルは合点がいったらしい。


「ハルトくんって確か、〈もう一つの世界から来た人〉なんだよね? ハルトくんがいた世界には、〈魔法〉や〈魔力〉の概念が存在しないんだ……って、自己紹介の時に言ってなかったっけ」

「あー、そういやそうだったか。そりゃ、たしかに現実感湧かねえわな」

「そゆこと。まぁ、2人からすれば俺の話の方が実感湧かないと思うけど」


 納得するそぶりを見せる2人から視線を外して、ハルトは懐かしむように空を見やる。

 白い雲を泳がせ、頭上いっぱいに広がる蒼穹。にあろうとも、世界を包む空の色彩は、ハルトの知る空と変わりなくて、それがまた、ハルトの実感を薄めていた。



「なぁハルト。今の今まで聞いてなかったけど、なんでこっちに来ることになったんだ?」

「あ、私も知りたいな。どうしてこっちの学園に入ることになったの?」


 興味津々、といった2人にそう問われて、今更ながら自身の過去について話していなかったことを思い出す。


「そうだな……話せば長くなるけど、いい?」


  2人の友人が揃って頷くのを確認すると、ハルトは小さく咳払いを挟んでから、当時の出来事を語り始める。




 遡ってみればわずか二ヶ月弱ほど前の、しかし今となっては懐かしさすら覚える、ハルトにとっての大きな転機。


「始まりの日」とでも呼べる在りし日の出来事を語って聞かせながら、ハルトは〈セントリオン魔導機士学園マギウスアカデミー〉の名を掲げた校門を通り、学友たちと共に校舎へと向かっていった。

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