壷中天《こちゅうてん》

明日出木琴堂

壷中天《こちゅうてん》

京都市南区九条町にある東寺。

ここでは、真言宗の開祖でありはる弘法大師・空海の月命日(ご縁日)である毎月21日に東寺弘法市(こうぼういち)が行われとります。

弘法市では骨董品・古道具・衣類・食べ物・植木なんかを販売しはる1000店以上もの屋台露店が立ち並びます。

ご縁日は、神様仏様がこの世と「縁」を持つ日とされ、この日に参詣しますと大きな功得があると昔から言われとります。

せやさかい、京の都のひとだけやなく、遠路はるばるからぎょうさんの方々がこの日を目掛けて東寺に訪れはりますの。えろう混雑しますのえ。


ほんでもって、東寺にはもいっこ市がございます。

それが東寺がらくた市どす。

がらくた市は毎月第一日曜日に行われとります。

がらくた市は毎月21日に東寺で行われとる弘法市に比べますと規模は小っちゃい小っちゃいねんけど、境内の南側・西側を中心に骨董品・手づくり品などを販売する約100店ほどが出店されますの。

がらくた市で売られとるもんは、骨董品ちゅうよりかは、古道具、古雑貨、不用品、ちゅう感じのもんが大半でおます。

人によってはええ風に「アンティーク」なんて言いはる方もいはりますけど…。

まぁ、ほんまのほんまに、稀にお気に入りに出会えることもございます。

かく言うあても、毎月第一日曜日に足繫く東寺に通うがらくた市フリークでおます。

膝が悪うて混雑が苦手なあてにとっては、せわしない弘法市よかちんたらしとるがらくた市の方が重宝しとりま。


今日も今日とて、上賀茂から還暦超えたぽんこつ亭主を連れ立って、がらくた市へ参りました。

本日のお目当ては水瓶みずがめだす。庭でメダカを飼おう思いまして、口の広いもんを探しに来ましてん。

前はがらくた市ちゅうたら閑散としとりましたけど、この頃は色々と宣伝されてそれなりに人出もおます。

お目当ての品を探し出すのも結構難儀なことになってきとります。連れて来たぽんこつは、おどれの興味あるとこにさっさと消えてしまいますし、膝の悪いあては動き回る事も出来まへんし、なんもかんも融通利かぁしまへん。

しゃあなしに南大門辺りの露店をちょろちょろしとりましたの。

ほしたら、不幸中の幸いとでも申しましょうか、あてが想像してたもんに近いもんがありましてん。

高さが30センチ位で、口径が25センチ位の水瓶みずがめが…。

『これや!』ちゅう感じで一目惚れですわ。

こっちの気持ちを悟られんよう露店のおっちゃんに声をかけますの。欲しそうな顔見抜かれると高い買いもんさせられますよって。

「おっちゃん。その水瓶みずがめ見せてんか?」

「おっ。姉さん、お目が高い。」

『あほ抜かせ。何が「姉さん」や。そないに若ないちゅうねん。世辞もたいがいにさらせ…。そないなもんで気良うしませんで…。このおっちゃん、曲者ちゃうか…?』

おっちゃんの腹を探りながら、とりあえず、水瓶みずがめを手に取ってみます。悪ない感じですわ。

「思てたよりも重たいわ。」

値切るのに、いちゃもんはつけとかなあきまへん。

「これは大和の国の土ん中から出てきた逸品でっせ。」またまた、口から出まかせを…。

「へぇーそうなん。でも、どないしょ…。」ここは駆け引きが必要ですな。

「なんやったら、勉強させてもらいまっせ。」きたきた。

「おいくら?」

「ほんまはこんなもんやけど…、お姉さんやったら…、こないなもんで。」おっちゃんは大きな電卓で値段を示しはった。口八丁手八丁ですわ。

「あてな、膝悪いねん。重いのはかなわんのよ。欲しいけどなぁ…。重いんはなぁ…。」

「ほな、こんなもんで。」おっちゃんは再び電卓で値段を示しはった。

あてはその電卓を取り上げて数字を入力。その電卓をおっちゃんに返します。

「うわぁ。かなわんな。こんな値段じゃ孫に小遣いもやれまへんがな…。」出た出た。よっ!千両役者!

「…。」あては帰る素振りを見せます。

「分かった分かった。姉さんの言い値で。」

「ほんま、おおきに。」商談成立。スマホでぽんこつを呼び寄せて、おっちゃんの気が変わらんうちに、笑顔を残して退散だす。




がらくた市の戦利品の水瓶みずがめをぽんこつ亭主に頼んで水洗いしてきれいにしてもらいました。

ほんでもって、観察するために居間兼寝室のテーブルの上に置いてもらいました。

水気が切れて乾きだすと汚なかった水瓶みずがめは、素焼きの上に赤い釉薬がかけられた上品なもんであったことが分かりました。

内も外も赤みを帯びたガラス質の釉薬がしっかりかけられとります。これなら水を張っても漏れることはおへん。

『我ながらええ買いもんしたやん。』思わずの自画自賛でおます。

その水瓶みずがめの赤みを帯びた肌をよくよく見てみると、胴の真ん中より上辺りに「注水畢生ひっせい」と文字が刻まれておりました。

注水畢生ひっせい…?なんのこっちゃ…?』

あてはぽんこつを呼びつけて「これ、なんやと思う?」と、刻まれた文字を指差して上から目線で質します。

注水畢生ひっせいねぇ…。この水瓶みずがめに水を張ったら何かの一生が見えるちゅうことちゃうんか?」

「なんやそれ?何でそないな事、分かりはんの?」

「注水は、水を注ぐやんか。」

「へえ。へえ。」

畢生ひっせいは一生やとか、生涯やとか言う意味や。」

「ほんまでっかぁ…?」

「ほんまや、ほんま。」

「ほな、これに水を張ったらどなたかの人生を見ることが出来るんでっか?」

「知らんがな。一回やってみたらええがな。」

「せやね。ほな、水汲んどくれやす。」

「わしがかい…。」とか何とか言いつつ、ぽんこつは水瓶みずがめいっぱいに水を張ってくれはりました。

しかし、別に何も起きまへん。

まぁ、ほんまに何か起きた方がビビッてまいますけど…。




「おい。起きいや。」

「なんよ…。」痰絡んだ濁声で朝早ようからぽんこつがあてを起こします。

「見てみ。見てみ、これ。」汚い声で何を言うてんの?

ぽんこつはアホの子みたいに何回もテーブルの上の水瓶みずがめを指差しとります。いったい水瓶みずがめがどないしたん。

「ほんま、なんよ…。先、トイレ行っていい? …。 はぁ?なに?これ?」驚きました。昨日、水を張ったままテーブルの上に置いとった水瓶みずがめがおかしな事になっとりました。

朝日が差し込んだ水瓶みずがめの口辺りが若草色に見えます。

『なんやこれ。昨日は水を張っても赤みを帯びた釉薬の色やったのに…。一晩で苔でも生えたんか…?』

恐々、あては真上から、その水瓶みずがめの口から中を覗いてみます。

水瓶みずがめの口の水面が何かを映し出しとりました。それは大草原の草が風に吹かれて揺れてるような光景でした。目糞だらけのつぶらな瞳を凝らしてよう見てみます。

中に見えるんは確かに草原だす。風向きとともに草が揺れ、向きを変えとります。

しばらく見てますと、黒い1センチ位の粒が3粒、水瓶の中の草原を右から左に動いて行きます。

『なんやあれ?虫か?気色悪う…。』

そのあと、灰色の2センチ位の粒が1粒、さっきの粒を追っかけるように動いて行きます。

あては真上から水瓶みずがめの中を覗くんを止め、45度位のとこから水瓶みずがめの中を覗いて見ました。

すると、真上から見とる時は豆粒に見えとったもんには足がありましてん。

それが草原を走とったんです。

「何ですの?あれは…。」

どう見てもトカゲだす。それもかなり大きい…。二足歩行の…。と、思とったら、目の前を大きな翼の何かが通り過ぎましたん。

コウモリみたいな羽に尖った小っちゃい頭…。

「…恐竜やん。」一緒に見とったぽんこつがあての解答を横取りしよった。

「これなんなん?」

「恐竜時代の映像ちゃうか?」

「いやいや、そないな事はええねん。何で水瓶みずがめの中に映像があんねやちゅう事が問題でっしゃろ。」

「それは、あれやがな。魔法の水瓶みずがめやからやないか…。」

「泥亀がなに言うてんの。」

あてはぽんこつに水瓶みずがめの中の水を捨てるように頼みました。ぽんこつは「おもろいし、もうちょいこのまま置いとこうや。」と、無責任極まりないことを口にします。

『何か起きたらおどれが責任取れよ。』そう心の中で罵りつつ、あてはぽんこつの言う通りにしときました。




「おい。おいって。」

「うっさいなァ…。」ぽんこつの生臭い息があての脂性肌の顔にかかります。

「見てみ。見てみ。」また、アホ面で水瓶みずがめを何度も何度も指差しとります。

「またかいな。先にトイレ行っていい?」

あては昨日の早朝よろしく水瓶みずがめの中をチラッと覗き見ました。

「はぁ…?はぁ…?」

水瓶みずがめの中は相変わらずの草原でした。けど、昨日とはちゃいました…。

草原に幾ばくかの茶色の小山の様なもんが出来とります。

水瓶みずがめの口に脂性肌の顔を近づけてよう見てみますと、それは人工的に造られたものでした。大昔に歴史の教科書の挿絵で見たことあるような住居でした。

すると、その住居から何かが出て来ます。あては思わず後退りしてまいます。びっくりして思わずこの年で粗相をするとこでした。

それは出てきたもんが人やったからです。教科書の挿絵にあった原始人ちゅうやつでした。

「何なの…、これって…?」

「多分、昨日の時代から時間が進んだ、ちゅうことちゃうか。」

「そないな事は分かっとるがな、せやのうて、この水瓶みずがめの中がどないなっとるんちゅうことやがな。」

「そんなもん知るかいな。」

「こわい。こわい。」

「何もこわないがな。」

「うっさいな。呆け茄子が。」

こないな言い争いをしよっても、何でか知らんけど、あてらは暗黙のうちに、水瓶みずがめはこのままにしとく事になっとりました。




「うっ。トイレ。トイレ。」

次の朝、あてはトイレで目を覚ましましたん。何の気無しに水瓶みずがめの口に視線をやってまいます。

「えっ…?」驚き桃の木山椒の木…。

あては死んだ様に寝とる木偶の坊のでかい顔に唾を飛ばしながら声をかけとりました。

「起きいや。あんた、起きいや。」

「はい…。はい…。」

「これ見て!これ見て!」

「はい…。はい…。」

水瓶みずがめの口からのぞく色が変わっとります。緑色やのうなっとります。それは

白色でしたん。

あてはぽんこつと水瓶みずがめの口から中を覗き込みましてん。

ほしたら、昨日までの緑豊かな草原は一変、一面の銀世界になっとりました。

その寒さ、冷たさがあての体にも伝わってくるような思いを覚えます。『あかん、チビってまう…。』あては光の速さでその場を離れました。


あてが最優先事項を済ませ戻りますと、ぽんこつは微動だにせず水瓶みずがめの口を覗いとりました。

『なんや、銀世界の寒さで固まってしもたんか…。』なんて思とると、ミッション完了のあての帰還を知ったぽんこつが手招きをします。『声出せや。ジェスチャーゲームかっ。』

とりあえずぽんこつの指示通り、あても水瓶みずがめの口を静かに覗いてみました。

あては目に飛び込んで来た映像に思わず声を上げそうになります。

それは沢山の原始人はんらが大きな何かを攻撃しとる映像でしてん。

原始人はんらは、大きな何かに石や木の棒を投げつけとります。

「なんなん?これ?」

「狩りや。」

「狩り?」

「せや。みんな必死やで。」

「獲物は何なん?」

「マンモスやがな。」

あての頭の中で昔見た歴史の教科書のページがパラパラと開かれていきます。ほんでそれは該当ページで止まります。『あぁ…。こんなんやったねぇ…。』

あての記憶を持って、再度、水瓶みずがめの口から中を覗きます。

「ほんまや…。あれ、マンモスや…。」

水瓶みずがめの中は、今は氷河期っう感じかな。」

「やっぱり時間が進んどるんでっか。」

「多分、そういうこっちゃ。」

「不思議やねぇ…。」

「ほんに。」

「このまま放っぽとったらどないなるんでっしゃろ?」

「このペースで時間が進んだら…、1ヶ月位で現代まで来てまうんちゃうか…。」

なんか楽しなったあてらは、このまま見守ることにしました。




次の日には、水瓶みずがめの中は氷河期が終わり、原始人はんらは狩猟生活から農耕生活へ推移してはりました。ほんでもって、その日の夕方には、しっかりした建築物が建ち並ぶ時代へ移り変わっておりました。建物の様式から考察すると、ここに映し出されとるのは日本の昔のようです。




あてらは、毎日毎日、暇さえあれば二人して水瓶みずがめの口から中を覗き込んどりました。

それはスペクタクル映画の如く、移ろい変わる日本の時代を映像として見ることが出来たんだす。まるで早送りで日本を時代旅行しとるような感覚どした。文明が芽生え、文化が花開く、一時も目が離せんちゅうのは、こんなことを言うてんのやろねぇ…。

戦の時代も平穏な時代もどれもこれも見逃しとうおへん。それ程魅力的でおした。

ただ、残念なんは映像がトーキー映画やのうて無声映画やったちゅうことだけですわ。




それから1週間もしますと水瓶みずがめの中はもう、明治維新を迎えるとこまできとりました。

鎖国から西洋文化に侵されごちゃごちゃ、ごちゃ混ぜになった日本はほんま色とりどりで絢爛豪華。日本人もカラッカラッに乾いたスポンジどしたから新しいもんを吸収すること吸収すること。ちんまい日本人の背伸びした西洋かぶれは、結構笑えるもんがありました。

自ら引きこもった400年間を力技でこじ開けられて、停滞してた時間が一気に進められる。毎日毎日が目新しいもんばっかりで息つく暇もなかったことでっしゃろ。

こんな楽しい未成熟の時代の後は、日本にとっていっちゃん嫌な時期に入っていきます。




近現代に入ると、水瓶みずがめの中の時間進行が少々遅なったみたいです。明治の文明開化から大正の日清・日露戦争、近隣諸国の統治、第一次世界大戦、等々で、日本は欧米諸国と肩を並べる程の強国としての力をつけよりました。この間、実際の時間では60年。水瓶みずがめの中では2日と半日で過ぎましたん。えろお活気のある時代でしたわ。

水瓶みずがめの中の日本の風景も近代化でえろお変わりました。水瓶みずがめの中で蠢く人々の足取りもえろう軽う見えました。




その晩、ぽんこつ亭主と普段通りに居間兼寝室で肩を並べて寝とりましたん。

どれぐらいの時間やったか定かではないんですけど、なんやちっちゃな雑音が聞こえるんですわ。

それもぎょうさんの…。うるさいなぁ…。夢かなぁ…。と、あては寝ぼけ頭で思とりました。

ちっちゃな雑音は全然治まりまへん。ちゅうか、どんどん騒がしなっとります。

あては辛抱たまらんで起きましてん。

ほしたら、水瓶みずがめの口がピカッ、ピカッと光っとります。あては大急ぎで水瓶みずがめの口から中を覗きましてん。

水瓶みずがめの中では、あちこちで轟々と音を立てて燃えとりました。あちこちが「ドッカンドッカン」と、爆発しとりました。悲鳴を上げながら豆粒のような人々が逃げ惑とります。

そのまま見とると、水瓶みずがめの中のあちこちでサイレンが鳴り響き始めました。

「ごぉぉぉぉぉ」ちゅう音とともに大きなプロペラの飛行機が水瓶みずがめの口の中を横切りましたん。そのとたんに地上が「ドッカンドッカン」と、爆発していきます…。

『空襲や…。』あてはそう感じました。あては空襲なんぞ経験あらへんけど、この映像とこのけたたましい音は間違いのう空襲…。

『…?』

音って…?

あてはもう一回水瓶みずがめの口から中を覗き込みましたん。音がしてます。ちっちゃいけどけたたましい音が間違いのう水瓶みずがめの口の中からしてます。

あてはぽんこつ亭主のでかい顔を支えとる加齢臭漂う首根っこを掴みおもいっきり揺さぶります。

「アホ、起きい。アホ、起きい。」

「苦しい。苦しいて。勘弁してや。」

「早う起きい。これ見い。」

「何なんや。こないな真夜中に…。」

あてはぽんこつに水瓶みずがめの中から音がしとることを説明しました。

ぽんこつ亭主も寝ぼけ頭ではっきりと音を聞きました。

「どういうこっちゃ?」

「あてにも分からしまへん。」

「急にかえ?」

「へえ。うるさあて目、覚めたんどす。」

あてはぽんこつの問いただしを受けながら、頭を冷やしてみましたん。

ほなら気が付きましたん。水瓶みずがめの水がえろお減っとることに…。

『なんでや?』あては薄暗い居間兼寝室を目を凝らしてよう見回してみましたんや。ほなら、水瓶みずがめを置いとるテーブルに常夜燈の光を柔らこうに反射する物体が…。

あては居間兼寝室の照明を付けました。テーブルの上を確認します。天板にはおびただしい量の水が…。テーブルの下にもこぼれとります…。成程…。成程…。成程。成程。成程。なぁ~。

「真実はいつもひとつだす。」

「なんやねん、急に?」

「犯人はあんたや!」

「へぇ???」

あての推理ショウの始まりでおます。

うちのぽんこつ亭主は顔はでかいし、図体もでかい。その上、アホ程の寝相が悪い。

このぽんこつが寝とる間にテーブルの脚を蹴りよったんやな。その振動で、満々に張っとった水瓶みずがめの水がザパーンっと盛大にこぼれよる。その結果、今まで聞こえなんだ水瓶みずがめの中の音が、水が減った事により聞こえるようになったんや。

「どや!新一。」

「誰や?新一って?」

アホなやり取りは置いといて、そう考えると、水の量が適切やったら元から音は聞こえとったちゅうことになります。

あては水瓶みずがめの中の水の高さを見てみました。今の水位は、水瓶みずがめの胴に刻まれとる「注水畢生ひっせい」の文字の辺りだした。

『これが適量ちゅうことなんやろねぇ…。』などと己の推理に得心してますと「ちょお。見ろ。」と、ぽんこつ亭主がせかします。

「なんどすえ?」あてがぽんこつの横で水瓶みずがめの口から中を覗き込みますと、水面にはまだ薄暗い空を飛ぶ大きなプロペラの飛行機が映とりました。

それは悠々と雲の上を飛び、エンジンの轟音とともに一直線にどこかを目指しとりました。

少しずつ空が明るくなってきよりました。プロペラの飛行機の銀色の機体が太陽の光を反射します。幻想的な光景でおます。ほんま「浪漫飛行」ちゅう感じですわ。

銀色の機体の先端部分には黒いペンキで名が書かれとりました。「ENOLA GAY」と…。


『エノラ・ゲイ』…。聞き覚えありますなぁ…。『エノラ・ゲイ』…。『エノラ・ゲイ』…。あきまへん!!!




雲の切れ間から地上が見えます。背の低い建物がぎっしり並んでおります。胡麻粒程黒い点がちょこちょこ動いとります。朝げの準備か出勤でしょうか…。

大きなプロペラの飛行機が黒い擂粉木すりこぎみたいなもんを落とさはりました。それはゆっくりと雲に穴を開けながら降下してます。

擂粉木すりこぎはどんどん地面に近づいていきます。どんどん、どんどん。

地面の建物もそこに居る人間もはっきり見えるようになってきました。あとちょっとで地面…、ちゅうその瞬間…。

水瓶みずがめの中は直視でけん程の光であふれかえります。水瓶みずがめも水面も揺れていないのに映し出された映像は大きく揺れとりました。

今まで生きてきた中で聞いたことあらへんものごっつい爆音、轟音、騒音、雑音、等々が、水瓶みずがめの中からしとります。

あては思わず両の手で耳を塞ぎました。阿鼻叫喚ちゅうんは、これを言うんでっしゃろな。

ぽんこつは瞬きもせんでジッと水瓶みずがめの中を見とりました。


これは広島に原子爆弾が落とされた時の映像でした。

この後、しばらくの間、あては水瓶みずがめの中を覗くことが出来なんだ。反対に、ぽんこつ亭主は人が変わったように一心不乱に水瓶みずがめの中を見るようになっとりました。




「おもろおすか?」

「あぁ…。」

「全然おもろなさそうですがな。」

「せやな…」

「見たないんやったら、見るの止めよしや。」

「せやな…。」

「なんやの。生返事かいな…。」

「…。あんな…。」

「神妙な顔色で、何なん?」

「さっきな、ついせんどまで終わったんや…。」

「へえ…。そしたらもう終わりだっか?」

「いや。今は先の事が映っとる…。」

「はぁ? 先って、未来だっか?」

「せや。これは現か幻か…。」

「あてにも、あてにも見せとくれやす。」

あてもぽんこつ亭主の横に座って水瓶みずがめの口から中を覗き込みました。

水瓶みずがめの中の時間はまた早うなっとるようで、見たことある建物が解体され、見たこと無い建物が建築されていく…。それを何度か繰り返しとりました。

地面にある道路はいつしか無くなっており、一面、花が咲き誇る大地に風変わりしとります。

人々は得体の知れない空飛ぶ乗り物に乗っとったり、ローラースルーゴーゴー(キックボード)みたいなもんに乗って空中を移動しとりました。

『先になったら、人間は地面を歩かへんねやねぇ…。膝の悪いあてにはええ時代かもねぇ…。』




この日から再び、あても水瓶みずがめの口から中を覗き見ることが日課になったんだす。

毎日毎日、毎時間毎時間、水瓶みずがめの中の未来の映像は変化しとります。

それまでは地面に建っとった建築物は空中に浮くようになりました。

どないな方法で浮かせとるんかは分からしまへんけど、陸の上でも、海の上でも、どこにでも空中に浮いた建物が建てられとります。

人々ももう、何も使わんでも空を飛べとります。

なんや人が空を飛ぶと、飛んだあとにキラキラした鱗粉みたいなもんが舞ますんや。

ほんまお伽噺に出できそうな光景でおます。

ただ、皆さんピチピチの全身タイツみたいなもん着とりますの。

おばあちゃんのあては、あないな格好はようしませんわ。

せやけど、ほんま皆さん楽しそうですわ。覗き見しとるあてまで楽しなりますわ。

地上は電車もバスも車も、人間さえおらん緑の大地になっとります。

風が吹くと緑が波のようにうねりますの。初めて水瓶みずがめの口から中を覗いた時の光景を思い出しますわ。

『あん時は恐竜や翼竜が出できはったけど…。』

あてらはほんの20日程で全く違う時代のよう似た光景を目にする事になったんですわ。

「歴史は繰り返す。」ですな。




この後しばらくは大きく変化することはありませなんだ。

水瓶みずがめの口から中を覗いても、自然豊かな大地と空中に住まう人間たちの平穏無事な日々を眺めるだけどした。

ほんま、あてら人間は、こないに平和な時を遅れるんでっしゃろか…。

令和5年の今現在は、不穏な話ばっかりだす。

お隣さんの大国が攻めて来るだの、半島からミサイルが飛来するだの、わけ分からん感染症がまた流行るだの、きな臭い不安を煽るような話ばかりだす。

ほんまに将来、あてらの子孫はこないに楽しそうに過ごせるんでっしゃろか…。

あては、水瓶みずがめの中に映とんのが本当の未来であることを、実際の将来であることを、願うだけだす。




そないな事を思いながら、ぽんこつ亭主と毎日のように水瓶みずがめの中を眺めとりました。

せやけど、1日経っても、2日経っても、1週間経っても、水瓶みずがめの中の映像は然程変化しまへん。

余りに変わらんもんやから、10日目にはぽんこつ亭主は覗き込むのを止めてまいました。

流石にあてもただただ楽しそうにしとる未来を見とるだけでは飽きてきました。

『こんな平和過ぎる世の中で、この人らはほんまに楽しんでっしゃろか?』あての中に些細な疑問が芽生えます。




次の日も、その次の日も水瓶みずがめが映し出すもんは変わりまへん。

せやけど、いっこ気ついた事がありますの。

それは、水瓶みずがめの中に映し出されとる人間の数が日に日に少のうなっとることですの。

元々はメダカを飼うために買うた水瓶みずがめだす。あての胸の内で『頭数あたまかず減らしたらあきまへんがな…。』ちゅう考えが思い立ったように湧きましたの。

そんな時に思い出しましてん。うる覚えどすけど「人間や動物は安心安全やと個体数を増やさん。」ちゅうような話を…。

やから、ちょいとばっか悪戯心が芽生えてしもて、あては庭から小粒の砂利を数粒、持って来ましたん。ほんでもって、その内の1ミリにも満たへん一粒を水瓶みずがめに放おり込みました。

ほしたら、水瓶みずがめの中の人らの慌てること慌てること。「蜘蛛の子を散らす。」ちゅうのはこういうことを言うんどすな。

ちゃちゃ入れたこの時、初めて、水瓶みずがめの中があてのいる世界の影響を受けるちゅうことを知りました。

あては何かそれがおもろなってもて、何度か同じことを繰り返します。

水瓶みずがめの中の人らは、慌てふためいてあちこちに逃げ惑います。

まるで小魚の群れの中に小石を放り込んだ時のように…。

砂利の大きさをちょっとずつ大きして放り込みます。

そしたら、何回目かに放り込んだ砂利が建物に当たりましてん。

ほなら建物がピカピカって光ったと思たら煙が出だしましたの。

あては見とるもんが、段々、夢なんか現なんかよう分からんようになっとりました。

なんか、テレビゲームでもやっとるみたいで…。


そうなるとあての遊び心が止まりまへん。あては再び庭に行き、今度はピンポン玉大の小石を拾て来ましたの。

こん時のあては、なんや知らん変な興奮状態やったと思います。

何も考えんと、ごくごく自然にピンポン玉大の小石を水瓶みずがめに投げ込んどりました。

「ポチャン」ちゅう音のあと、波立った水面が穏やかになっていくと、もうちょいでピンポン玉大の小石が地面に当たるとこでしたわ。

ただ、水瓶みずがめの中ではピンポン玉大の小石はピンポン玉大の小石やのうて、巨大な岩石でおました。

それが地面に接触した瞬間、水瓶みずがめの中が赤黒く輝く光を放ちましてん。と、同時にえげつない音が水瓶みずがめの中からしましたん。

赤黒い光が収まってから、あては恐恐、水瓶みずがめの中を覗き込んでみました。

それはまさに地獄絵図でおました。

大地も空も真っ赤に燃え盛っとります。

空に浮いとった建物は地面に叩きつけられ、空に飛び交っとった人々は、ある者は黒焦げで、ある者は溶けて、ある者はバラバラで、ほんである者はのたうち回っとりました。

あてはわなわなと焦りを覚えると同時に、なぜか、何とも言えん快感を覚えとったんだす。

頭は「どないしょ…。どないしょ…。」ちゅう感じやのに、心は何とも言えん爽快感や達成感や満足感で満たされとりました。

これは、もしかすると己が全能の神にでもなったような勘違いやったかも知れまへん。

小ちゃい時に、己も小ちゃいのに、より小ちゃい蟻を踏み潰したり、バッタの触覚を抜いたり、トンボの羽を千切ったり、むごたらしい行為ではあるんやけど、よう分からん征服感があった…。

命ちゅうのを玩具のように扱こうてんのに、無邪気さと残酷さの紙一重の感覚…。

そんなもんを感じてしまいましてん。


『なんてえげつない女なんやろ。』て、あては己のことを思とりますと、「見てるのでしょう。」「存在は分かっています。」「お願い、助けて。」「見てるだけじゃなくって。」「助けて。」「助けて。」「助けて。」ちゅう声がします。

『どこや?どこや?』あちこちに目配せしますと、その声は水瓶みずがめの中からでしたん。

あては急いで水瓶みずがめの中を見てみました。

そこには真っ赤に燃え盛る中で天を仰いで、あてに向かって、語りかける人々がおりました。

「ひぃ…。」あては怖なって深く考えること無く水瓶みずがめの中の水を捨てようと思いましたん。

水瓶みずがめを持って庭に…。

水瓶みずがめを持ち上げた瞬間、膝に痛みが走ります。全身に激痛が走ります。あては思わず水瓶みずがめから手を離してまいました。

支えの無くなった水瓶みずがめは重力に引っ張られ床に…。

床に触れた瞬間、きれいに真っ二つに…。

刹那、「神様たすけ…。」「神様たす…。」「神様た…。」「神様…。」「神様…。」「神様…。」「神様…。」ちゅうぎょうさんの人間の叫び声が…。


あては水浸しになった床を見ながら、なぜかちびりそうな程興奮しとりました。




あの後も、あてはぽんこつ亭主を連れ立って東寺のがらくた市に足繁く通っとります。

次の水瓶みずがめを見つけるために…。




終わり



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壷中天《こちゅうてん》 明日出木琴堂 @lucifershanmmer

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