第八話
今頃村は大騒ぎになっているだろうなと思う反面、久しぶりに自由に歩けるという事実が、マーヤの足取りを軽くさせた。甚だ不謹慎ではあるが、つい深呼吸してしまうのを禁じ得ない。
「おいおい、随分気楽なもんだな。君は僕に攫われたようなものなんだぜ」
「だって、こんな自由に過ごせるのは久しぶりなんだもん。村にいるときは、いっつもアインの目があるから」
村にいるときはいつだって彼が側に居て、危険だなんだと言われて自由に歩かせてはもらえない。彼が狩りに行っている間だって、村人達の目がある。
「彼だって、君のことを大事に思っているんだろ」
「それはわかってるけど……」
勿論、みなしごの自分に対し、兄のように振る舞ってくれている彼に感謝はしている。だが、少し窮屈に思う時がもあるのは事実だった。
「わたしだって、もう赤ちゃんじゃないのにな。あと五年もすれば、大人になれるのに」
儀式のために村を抜け出したのは、両親の事を知りたいという目的のためだったのは勿論、少しだけ悪いことをしてみたいという気持ちがあったのかもしれない。」
「まあ、君を冒険者に誘ってる僕が彼の肩を持つのも筋が通らないな」
「ねえ、本当にあの文字が読めるだけで冒険者になれるの? わたし、ヒューイみたいに剣なんて持ったことないよ。アインみたいに銃だって上手く扱えない」
「なれるとも!」
マーヤの問いに、ヒューイは大げさに両腕を広げて答えた。
「戦ったり身を守ったりする方法は剣と銃だけじゃないんだぜ。魔法や錬金術だって立派な武器だ。あの本には、古の強力な呪文が隠されてる。その辺の魔法使いが腰を抜かす──いや、邪神にだって渡り合えるぐらいのね」
「ねえ、ずっと気になってたんだけど、邪神って言うのはなんのことなの?」
「やっぱり知らなかったか。まあ、ここまで来たら今更だよな」
ヒューイは少しだけ悩んだようだが、すぐに口を開いた。
「君が知らない外の世界は、邪神に支配されている」
「それは悪いことなの?」
「僕とノエル様は、良いことじゃないと思っている。だから、邪神を倒すために色々と冒険しているんだ」
「冒険者って、邪神を倒すお仕事なの?」
「そういうわけでもない。僕達みたいな冒険者もいれば、もっと別の理由で冒険している人達もいる」
別の理由というのも興味を引かれるが、今は邪神の事について聞きたかった。
「どうして邪神を倒さないといけないの?」
「邪神と上手くやっている人もいるけど、いじめられてる人もいるからね。それに元々、世界は邪神じゃなくて人間が自分達で治めていたんだ。自分達のことは、自分達でやっていくべきだろ」
「よくわからないけど、その世界はこの村みたいに穏やかじゃないってことなんだね」
いつの間にかマーヤは立ち止まっていた。考えながら歩くのは、少し苦手だ。
「みんな、わたしに邪神のこととか、冒険者のこと、教えたくないみたいだった。お父さんとお母さんのことみたいに」
「……どうやら、そのようだね」
「お父さんとお母さんは、冒険者だったのかな」
彼に聞いても答えが出るわけではないとわかっていたが、そう口に出さずにはいられなかった。
「もしそうだったら、君はどうする?」
急いでいるだろうに、ヒューイは立ち止まってマーヤの顔を覗き込む。大鹿を倒したときと同じように。
「探しに行く。わたしを置いてまで冒険に行った理由が、きっとあったはずだから」
マーヤは歩き出す。
「みんな、わたしが弱いからなにも教えてくれないのかもしれない。だから、ヒューイを採掘場に案内して、わたしだって冒険ができるんだってことを証明しなきゃ」
「これは頼もしいな」
夜明け前から始まった二人の行軍は絶え間なく続き、いつしか太陽は真上に昇っていた。山歩きには慣れているとは言え、流石に半日も歩いていれば疲れてくる。
「しかし、険しい山だな」
冒険者として様々な場所を歩いてきたヒューイも、流石に疲れを隠せないようだ。
「あとどれくらいかかるかわかるかい?」
「村の大人達が歩いて一日かかるくらいかな」
「集団で一日か……休憩しよう、先は長い」
二人は太い木の根に腰掛け、木陰で休憩を取った。
「二人ならもう少し速いかもしれないが、それでも夕方くらいにはなりそうだな」
「魔石を掘って帰ってくるときは、丸二日くらいはかかるみたい」
「不便な生活だ。よくこんな生活を続けられるな」
「不便だって思ったことはないかな。ずっとそうやって暮らしてきたし」
そんな風に会話を交わしていると、ふとマーヤの視界に赤色の果実が目に入った。あれは村でも滋養がつくとされているものだ。とても甘くて、村の子供達はこぞって木に登り、おやつとして楽しんでいる。
「あれ、採ってきてあげるね」
「おいおい、随分高いところにあるぞ」
「大丈夫、いつも登ってるから」
疲れてはいるが、これぐらいの木登りなど村で育ったのなら朝飯前だ。雨に濡れて少々滑りはしたが、それも織り込み済みだった。果実をもいで木の上からヒューイに投げ渡し、降りようとすぐ足下の太い枝に足を乗せた。
ばきり、という嫌な音がした。枝が根元から折れて、地面に落ちていくのが見えた。咄嗟に手を伸ばして別の枝に捕まろうとしたが、雨で湿ったそれはするりとマーヤの掌から逃げていった。
しまった、落ちる。
「イア・ハスタア!」
そう思ったとき、一陣の冷たい風が吹いた。それはマーヤを包み込むように渦を巻く。ふわり、と体が宙に浮くような感覚がする。先程まで勢いよく木から滑り落ちようとしていたマーヤの体は、鳥から抜け落ちた羽のように緩やかに落ちていく。そして、ヒューイの腕の中に収まった。
「ほら、言わんこっちゃない」
目線のすぐ先に、ヒューイの顔がある。大きな眼鏡の存在感が強くて気がつかなかったが、睫毛がとても長い。また、顔が熱くなった。
「全く、寿命が縮んだよ。君は大切な預かり物なんだから、無茶しないでくれよ」
マーヤを抱いたまま、ヒューイは長々といかにに肝を冷やしたか語り始める。
「ご、ごめんなさい。あの、もう大丈夫だから、降ろして」
「もうこんなことは勘弁してくれよ。君に傷でもつけたら、あの猟師のお兄さんに穴だらけにされちまう」
ようやくマーヤの足が地に着いた。心臓がどくどくと脈打っている。木から落ちかけて、また気持ちが落ち着いていないんだとマーヤは自分に言い聞かせた。
「さっきの風って、ヒューイの魔法なの?」
気分を変えようと、先程の不思議な風について問い掛ける。
「まあ、一応は」
「すごい。炎だけじゃなくて、風も魔法で起こせるなんて」
「僕が一人でやってるわけじゃないよ。ちょっと力を拝借してるだけさ。それより、折角危険を冒してまで採ってもらったものをいただこうじゃないか」
そう言って、彼はマーヤから受け取った果実に齧り付いた。
「うん、これは驚く甘さだ。精神的な疲労まで吹き飛びそうだ」
マーヤも彼に続いて果実を囓る。こうすると、口いっぱいに蜜のような甘い果汁が溢れるのに、今日はなんだか、あまり味がしなかった。
「食べ終わったら、休憩は終わりだ。どんなに急いでも採掘場に着く頃には日が暮れるだろう。あんまり長いこと君を借りておくわけにもいかないからね」
そう言われて、もしかしたら明日には彼との冒険も終わってしまうのか、と思ったら、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。なんだか今日は、調子がおかしい。
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