頼むから俺を好きになってくれ、ください。

空音 隼

プロローグ

 桜の蕾が少し開き始めた三月一日。

 俺は、眩しいほどの青春を過ごし…たわけではないこの高校を卒業する。

 輝かしく、鮮烈に記憶に残ることもない三年の高校生活の終わりを前にして、全くもって心動くことはなかった。

 特別仲のいい友達がいるわけでもないどころか、友達は一人もいない俺にとっては、他の一般的な高校生である視界に映る彼らと心を共感させあうことなどできるはずもない。

 だが、それにどこか悲しい気持ちにもならない、いやなれない自分が変わっているとは思うが、嫌いではない。

 正直、同級生たちと比べてかなり冷めているのだろう。というのが俺が導き出した解だ。


 俺は卒業式が終わり、最後のホームルームも終わり、クラスでの記念の集合写真撮影が終わってから、ひっそりとしたつもりはないが、誰にも気づかれることなく教室を後にした。

 昇降口で靴に履き替え、校内で三年使い、所どころ破れているスリッパを体育館シューズを入れるのに使っていた袋に入れて校舎を出た。

 それから、なんとなく校舎の周りを一人ゆっくりと歩いた。

 校舎の端、三年生の教室がある棟からは最も離れた位置にある校舎、理科棟の裏へと来て、そこに聳え立つ古い大木を見上げる。


 ふと、入学式の日にもここに来たなと思い出す。

 入学式の前、学校に早く来て校舎の周りを一人で歩いた。

 そのときたしか、彼女が校舎の中、廊下の窓から俺のいる外をじっと見つめていた。

 俺が理科棟の方に振り返ると、入学式の時と同じように彼女が廊下の窓から俺の方を見ていた。

 俺は彼女を見ているが、彼女は俺のことを見ていないから、決して目が合うことはない。あの時と同じように――と思った瞬間、彼女とぱちっと目が合った。

 互いに見つめ合い、数秒の後、同じタイミングで互いに視線を外した。

 その後、校舎を一周した俺はそのまま帰路についた。



 ♢



 布団に入り、部屋の電気を消す。

 目を瞑って寝ようとすると、今日のあのシーンが脳内で再生される。

 なかなか寝付けそうにないと思ったが、どうせ明日からは早起きをする必要はないため、眠りにつくまであのシーンのことを考えて夜を過ごした。


 カーテンの隙間から入り込んできた陽光が顔を照らし、その眩しさに思わず腕で影を作り、ゆっくりと目を開ける。

 起き上がって布団から出て、カーテンを開ける。

 時計を見ると、針が四時八分で止まっていた。

 でも、もう焦ったりする必要はない。

 今日から学校はないのだか―――


「黎斗ー、そろそろ起きなさーい。今日は入学式だから早く行くんでしょ。遅くなると学校、人で溢れるよ。」


 は?何を言っているんだ母さんは。昨日高校は卒業したからもう高校には行かなくていい。それに、入学式なんてまだに決まってるだろ。高校卒業した次の日に入学式のあるそんな非常識な大学があるわけないだろ。働きすぎてついに頭おかしくなったのか?


 一瞬困惑したが、母親がおかしくなったのだと自分に言い聞かせ、充電が完了した携帯を寝巻のポケットに入れ、洗面所に向かう。

 顔を洗い、リビングへの扉を開けると母が朝飯を運んでいるところだった。

 俺は自分の茶碗のある場所に座り、食事を始める。


 食べながら母を観察すると、特に変わった様子はない。

 だが、簡単に決めつけるのはよくない。

 先程の意味不明な言動を忘れてはならない。

 今母さんは頭がおかしくなっているかもしれないのだから、慎重に判断を下さなければ。


「おはようございます。四月八日、本日の朝だねは―――」


 ん?四月八日?

 俺の脳内は混乱し、いつのまにか箸は止まる。


「黎斗何してるの?早く食べなさい。」

「母さん、今日何月何日?」

「何言ってるの?今日は四月八日、清星学園の入学式の日でしょ。」


 俺は固まってしまう。

 事態を飲み込めない、いや飲み込みたくなくて焦って携帯の画面を見る。

 ロック画面には、四月八日 六時三十二分 と表示されている。

 ロックを解除し、画面にあるカレンダーアプリを起動すると、そこに表示されていた西暦は三年前。


 2021年。


 テレビから流れてくる、携帯のネットに出ているニュースは間違いなく三年前のものと同じ…かどうかはよくわからないが、『朝だね』のMCの女子アナは俺が高校一年の夏に降板したアナウンサーがしている。


 信じられないが、確かめる方法を一つ思いつく。

 高校の入学式、俺は彼女と理科棟の裏で出会う。

 三年前と同じ時間にあの場所に行き、彼女があの場所にいれば、俺は信じるしかない。

 今自分が長い夢を見ているわけではなく、本当に三年前に戻っていると。


 急いで支度を済ませ、家を出る。

 完璧な時間は覚えていないが、乗った電車の時間は覚えている。

 あの日入学式に行くのに使った時間の電車に乗り学校へ向かう。

 学校に着いて、正門をくぐってから理科棟の裏へと足を進ませる。

 大木の前に立って、あの日のように、昨日のように、見上げる。

 来たときは校舎の中にはまだいなかったが、何か背後に気配を感じて振り返る。



 彼女がいた。


 校舎の中に。

 廊下から俺のいる方を見ている。


 あの日と、昨日と同じように。



 俺はこのとき、人生で一番大きく目を見開いていたと思う。飛び出すくらいに。

 そして、自分が高校一年に戻ったことを認めざるを得なかった。


 この日、この瞬間に、俺の止まっていた青春という名の時計の針が動き出す。


 何もなかった高校生活をやり直せて羨ましい?

 とんでもない。


 これから始まるのは、ラノベやマンガのラブコメ主人公が送るような笑いあり、涙ありの甘くて、ちょっぴり苦い。そんな青春じゃない。


 理不尽に満ち満ちた、俺の悪夢のような高校生活だ。

 

 

 

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