だから僕は魔術を奪う
水色の山葵/ズイ
第1頁 終始の魔術
――私の魔術を受け取って。
――そう言って、彼女は死んだ。
◆ 第一項 終始の魔術
廊下を歩く僕は目につくらしい。
理由は、僕が魔術を使えないから。
「また来たよ、無能が」
「早く追放されればいいのに」
「ていうかなんで居るの?」
「魔術も使えないクセに」
「みっともない」
「往生際が悪い」
「しょうもない」
「どうしようもない」
その声は僕の耳に入って来る。
誰も、聞こえない様に話してないから。
それでも僕は、声を無視して歩いた。
向かう先は『学長室』だ。
ノックをして「入ってくれ」という声を聴き、扉を開いて中へ入る。
「やぁ、よく来てくれたねノエル。
好きに座りたまえ」
部屋中央。二人掛けのソファが二つある四人掛けのテーブルの片方に、僕は腰を下ろす。
僕の前に学長はコーヒーの入ったマグカップを置いた。
「お構いなく」
僕の言葉を聞き流し、彼も僕の対面に座る。
「では本題、君を呼んだ理由の質問だ。
君はどうして、この学校に拘るんだい?」
長い髭を腰まで生やした老年の男性。
丸い眼鏡に、頭の上には長いハット帽。
青い瞳で僕を指し、しがれた声で問いかける。
この如何にもな魔術師のお爺さんは、僕の通う学院の学長先生だ。
ランデール・ペガシス・フェルニクス・ドレイトニア。
僕と彼の立場の差は明確で。
僕が彼の問いに答えない選択肢は無い。
「ヒナがいるからです」
「ヒノエ・ヒナか……
学院始まって以来の天才。
君の幼馴染らしいね。
けれどどうして、彼女が在籍している事が君がここに居る理由になるんだい?」
「学長先生は、どうしてそんな前時代的魔術師のコスプレに励んでいるのですか?」
「昔はこれが流行っとったんじゃい!」
帽子の鍔を弾き、学長先生は咳払いを一つして、僕と彼の間のテーブルの上にあったコーヒーに口を付けた。
「ゴホン……
それで、理由を聞かせてくれるかね?
君は不思議な生徒だが魔術を使えない。
そんな君が何故、魔術学院に居るのか」
「学長先生は僕に退学して欲しいのですか?」
「いいや、それは違う。
私は門下を拒まない。
善良で入学を許された全ての者を、彼等がその意志で拒まぬ限り卒業まで見届ける。
それを私は生涯誓っている」
「では、どうしてそんな事を僕に聞くんです?」
「辛くは無いのか?
この学院に通う者は例外なく魔術師だ。
まだまだ雛ではあれど、君とは違う。
そして人は己と違う者に対して、3つしか反応を持ち合わせない」
僕は聞く。
彼の言葉を。
魔術の最高学府。
魔術学院の長。
魔術学院の生徒の端くれとして、例え魔術を持たずとも、聞かない理由は無いからだ。
「一つは排斥。
一つは支配。
一つは……友愛。
確立的に、君は嫌われる可能性の方が高い」
「それは、主観的な問題です。
友愛は、友情と愛情に分けられる。
支配と排斥は、嫌悪に纏められる」
「そうだな。これは主観だ。
私は半生を世界中を見て過ごした。
そして半生をこの学院で過ごした。
数多くの生徒を見た。
その私の、これは主観だ。
――君は、虐められているね?」
「だから、辞めろと?」
「その方が君には幸せだと私は思う。
魔術の使えない君の為になる様な事が、この学院にあるとは思えない」
「学長自らが、その排斥と支配を推奨するのですか?」
「では、私の魔術の全てで君を救おうか?
君を虐める、君を悪く言う生徒を、この手で、世界最強と謡われた私の魔術で懲らしめようか?」
青く、けれど濁ったその瞳が、どの様な人生を送って来たのか。
僕は彼の事を多くは知らない。
知っているのは、学長はこの世の殆どを見て経験した旅人だったという事だ。
だからこそ、僕よりもずっと多くの知見を答えの導にできる。
「精神的に追い詰めても良い。
肉体的に呪いを与えても良い。
全てを無に帰しても良い。
精神病に陥れる事も、四肢を捥いで生かす事も、殺す事も、私なら容易い事だ。
けれど、君はそれで幸せなのかい?」
「いいえ。
僕はそんな事を望まない」
「だろうね。
私の目は狂わない。
私の頭がボケない限りね」
笑いを付けて学長は眼鏡をクイッと持ち上げる。
「そうですね」
僕も笑みを返して続けた。
「僕がここに居る理由はヒナが居るから。
それに嘘はありません」
「どうしてそこまで……」
まるで、本当のお爺ちゃんの様に切ない顔で学長は僕に聞く。
お爺ちゃんなんて居た事無かったや。
「でも大丈夫ですよ。
もうじき僕は居なくなる」
「何? 早まっては……」
焦った様に彼は言った。
僕はその反応に首を横に振る。
「勘違い。です。
僕は、死んだりしない」
どうしてだろう。
たった三年。
教卓の上の彼しか知らない筈なのに。
この人の目は切なく、僕を捉えて離さない。
「そうか……良かった……」
ホッとする彼の視線は、まるで『見守っているぞ』と語っている様であった。
「では私が言うのも何だが、どうして今更居なくなるのかね?」
だから、話してみようと思った。
僕が隠し続けて来た秘密。
僕の、僕だけの魔術を。
「学長、僕は貴方の魔術を知っています。
有名ですから」
「それがどうしたのだ?」
「これを見て下さい」
手を彼の顔の前に差し出す。
瞬間、その上に本が現れた。
動物の骨と皮で造られた魔本。
「これは……君の魔術なのか……?」
「流石ですね」
学長の魔術は【魔術解析】。
発動された全ての魔術を理解する力。
「どうぞ、視て下さい」
僕は彼に本を渡す。
受け取った彼は、それをまじまじと見た。
「対象の魔術を奪い、本へと封印し、所有者の物とする魔術本だ」
「それが、僕がここに居る理由です」
魔術は一人一種。
僕の魔術は、その通例を完全に無視する。
本のページは全100ページ。
1ページが少し厚いから、辞典くらいのサイズがある。
この100のページには、他者の魔術を封印する事ができる。
更に、封印した魔術を僕は自由に使える。
そして当然、封印された相手は魔術を金輪際使えなくなる。
それが、僕の魔術。
「では、君がここに居る理由は……」
「そういう事です。ヒナの成長を待って、その魔術を僕の物にする為ですよ」
その為なら、無能と蔑まれようが、出ていけと虐められても、どうでも良い。
ヒナはこの学院始まって以来の天才。
その魔術とその成長速度は、他の追随を許さない。
才能、完成度、共に学院最強の魔術だ。
「そんなはずはない……」
ポツリと彼は言葉を零す。
震える瞳で僕を見た。
「君は、優しい子だ。
優しい子の筈だ。
他者の魔術を奪うなどと言う、恐ろしい事をするような子では無い筈だ」
「意外と人って分からない物ですよ」
「――私の目を侮るなよ?」
目が輝く。
魔力が宿る。
萎縮や恐怖には何度も覚えがある。
僕以外は全員魔術師。
そんな環境で、相手は僕に嫌悪的。
命の危機を感じた事だってある。
でもこれは、その時なんかとは比較にならない。
確死の悟り。
それでも僕は臆さない。
臆す訳には行かないのだ。
「では、その目を信じて僕を出て行かせて下さいね」
「何故、今まで一度も魔術を奪わなかった……
何故、この本は未だに白紙なのだ?
三年間、君には時間があった筈だ。
育つ前の魔術が嫌なら、教師から奪えば良かった筈だ。
それすら君はしなかった、理由はなんだ」
「さぁ、力の露見と事件への発展を恐れたのでは?」
「違うな。君は違うさ。
見る目には自信がある。
出て行きたまえ。話は終わりだ」
「……いいんですか?」
「いいと、言っている」
そうか。少し残念だ。
「失礼しま……
……お世話になりました」
コーヒーを飲み干して、僕は学長室を後にした。
「ノエ君、やっほ。
付き合って」
何処から僕が学長室に居ると知ったのか。
それは知らないけれど、彼女は……
【ヒノエ・ヒナ】は学長室の前で、僕を待っていたらしい。
「勿論。何処にでも付き合うよ」
黄金の髪、赤い瞳。
しなやかで、同時に女性的な豊満さを持つ彼女が、嬉しそうに廊下を歩く。
そんな彼女を僕は追った。
「なんであんな奴が……」
「学院首席と一緒に歩きやがって」
「知り合いなの?」
「釣り合って無さすぎね?」
「マジ調子乗ってるわ」
「いい気になってんじゃねぇっての」
「無能の分際で」
僕が廊下を歩き始めるとオーディエンスは騒ぎ出す。
けれど実に興味深い事に、気分は最悪だ。
そう思っていた矢先。
僕の前を歩く彼女は、大きく息を吸い込んだ。
「うっっっっせぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!
バァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアカ!!!!!!!!!!」
時が止まる。
誰も彼も。
教師も生徒も関係ない。
その声が届いた全ての人が、目を丸くして停止した。
響く声は、夏下に騒ぐ蝉の音くらい。
「行こ」
そんな世界を創り出した彼女は、澄ました表情で僕にそう言った。
「はは、凄く目立っちゃってる」
「今までは耐えて来たよ。
ノエ君が耐えてたから。
でも、今日は嫌」
僕は小さく笑って彼女を追う。
歩みは止まらず。
学園の敷地すら跨いで出て、それでも彼女と僕は一言も話さずただ歩いた。
この街の崖の上には墓地がある。
目的地はそこだった。
「奇麗ね」
青が無限に続く海を眺め、彼女はストレートの金髪を靡かせる。
その姿から目を離せない。
海なんて一瞥もくれず、僕は「そうだね」と返していた。
「ねぇ、ノエ君。
愛してる」
振り返りながら愛を囁く彼女の声に、僕は……
「そっか」
小さく返事をして。
そして。
眉間に寄った皺をほぐし、笑みに変えてからヒナへ言うのだ。
「僕も君を愛してる」
僕はヒナを抱き締めた。
そして僕等はキスをする。
最後の口づけを。
満足が行くまで、相手の存在を刻む様に、一心不乱に唇を重ね合った。
「今までありがとう。
ずっと一緒に居てくれてありがとう。
迷惑一杯かけちゃってごめんね。
自分勝手なお願いをしてごめんね」
「いいや、これは僕が自分で望んだ事だよ。
君と一緒に居たいから居たんだ。
嫌な事なんてなんにもないよ」
泣きそうな君に僕が微笑むと、目尻の涙を一層増やして君は言う。
「本、出して?」
「うん」
出現させた魔本を受け取り、彼女は自分の魔術回路がある右肩を本の1ページ目へ押し当てる。
魔術に覚醒した全ての者が体の何処かに持つ紋章、正式名を魔術回路。
それを魔本のページに押し付ける。
「私の魔術を受け取って」
それが、魔本が魔術を奪う方法だ。
「全ページ真っ白。
約束、守ってくれてありがと」
「僕には君以外の一番なんていない」
「うん、超嬉しい。
また、迷惑な事言っちゃうんだけどさ……」
堪え切れなくなった涙が地面に零れる。
僕も釣られて、涙が頬を伝った。
「私の事……憶えていてね……」
「憶えてる。一生忘れない。
絶対、絶対に君を忘れたりしない。
ずっと君だけが僕の一番だ」
彼女は僕を押し倒す。
僕のお腹の辺りに顔を乗せて、強請る様に言った。
「頭、撫でて」
「分かった」
僕が彼女のすらすらの髪を撫で始めると、そのまま彼女は気持ち良さそうに目を瞑る。
涙の溢れは止まった。
「こんなイチャイチャしてると、埋まってる人達に怒られそうだね」
「ふふ、いいじゃん最後なんだから。
私が代わりに謝っておくよ」
他愛のない話をしながら、僕はヒナを撫で続ける。
1時間でも、2時間でも、ずっと、ずっと。
「これからどうするの?」
「特に何も決めてなかった。
でも……うん。
旅に出ようかと思ってる」
「いい、楽しそう!」
「尊敬する人が、昔そうしてたらしいんだ」
「そうなんだ……
私も一緒に……」
少し目を逸らしてから、彼女はぎこちなく笑って聞き直す。
「私の魔術も、一緒に連れて行ってくれるんだよね?」
「……あぁ、当然だよ」
「ありがとう、満足だ」
君が息を止めるまで。
ずっと。
僕は君の頭を撫で続けた。
◆ 僕と彼女を中心に、膨張した魔力が草木を倒して円形に広がった。
彼女は生まれつき病気だった。
魔力膨張症。
体に入って来る魔力が多すぎるという病気だ。
この病気の人間は魔術師として高確率で天才と称される。
けれど、確実に短命となる。
その事からこの病気は【精霊愛され病】とも呼ばれる。
死に至る原因は、体内の魔力許容が何れ限界を越えるから。
吐き出す方法は魔術を使う事のみ。
それも、並大抵の魔術では無く大魔術を使うしかない。
それこそ、物語に出て来る【魔法】の様な規格外の魔力放出をする事。
それだけが精霊の愛から逃れる方法だ。
でも、学院始まって以来の天才でもその領域へは至れなかった。
だから、僕は君を墓に埋めた。
少し前から、ヒナの墓は作っていた。
僕は嫌だったけど、ヒナがどうしてもって言ったから。
流されてばかりだね。僕。
他人に判断を委ねようとしたりして。
僕は多分……学長先生に止めて欲しかったのかもしれない。
青い空を見る。
周りには誰も居ない。
ヒノエ・ヒナの墓標に涙が落ちた。
我慢何かできそうもない。
寂しい。辛い。苦しい。無理だ。嫌だ。
それでも、僕は笑わなければならない。
泣きながらでも、笑みを作って言わなきゃいけない。
「さようなら、ヒナ。
心配しないで、僕は大丈夫だから」
さて、これで学院に居る理由は何も無い。
世界を見て周る、僕の一人旅。
始めようか。
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