絵画教筆の秘密

@penta1223

絵画教室の秘密

新宿区の片隅にあるアトリエ「夢見る画廊」は、多くのアーティストや趣味の絵画愛好者たちに知られていた。ここで開かれる絵画教室は、その講師・松原誠一郎先生の名声と、何よりも生徒たちの成果物のクオリティが高いため、常に定員を超える申し込みがあった。


柊美月、23歳の若い女性も、その教室の1人として毎週アトリエに通っていた。彼女は、都内のデザイン事務所で働く傍ら、絵画のスキルを磨くことを望んでいた。


ある日、美月が教室で取り組んでいる風景画の前に誠一郎先生が立ち止まった。「柊さん、もう少し線の強弱を意識してみましょう。」とアドバイスをしてくれた。


彼の手が、彼女の手に触れる。指先がキャンバスに滑るように動き、彼女の描いた線をなぞった。その瞬間、彼女の頭には誠一郎先生が描いた絵が浮かび上がった。それは教室で見たことのない絵だった。背景が真っ黒で、その中に一人の女性が縛られた姿で立っている。彼女の顔は涙で濡れており、その瞳は恐怖に満ちていた。


「先生、これは…?」驚きの声を上げる美月。


しかし、誠一郎先生は何も答えず、ただ微笑んで彼女の絵を見つめていた。


その後の授業は何も起こらず、通常通り終了した。しかし、美月の心には、先生の描いたその絵と、その微笑む顔が焼き付いていた。


帰宅後、彼女はその絵を忘れるために自室のイーゼルの前に座った。彼女が描いていたのは、自分自身の肖像画だった。しかし、筆を取りながらも、彼女の心は落ち着かなかった。突然、部屋のドアがノックされた。


「だれ?」


「宅配便です。」


彼女がドアを開けると、宅配便の男が一つの小さな箱を手渡した。「これ、柊さん宛の荷物です。」


箱の表面には「夢見る画廊」のロゴと、彼女の名前が書かれていた。興味津々で箱を開けると、中には一枚の絵が入っていた。その絵は、先ほど誠一郎先生が描いた絵と同じ、縛られた女性の姿を描いたものだった。


しかし、違ったのはその女性の顔。それは美月自身の顔だった。


彼女の頭の中はパニックに陥った。なぜ自分の顔がこの絵に描かれているのか、そしてなぜこの絵が彼女のもとに送られてきたのか、理解できない。


彼女はすぐに携帯を取り、誠一郎先生に電話をかけようとしたが、電話は一向に繋がらなかった。


夜が深まる中、彼女は不安と恐怖に打ち震えながら、明日の絵画教室で誠一郎先生に直接話をすることを決意した。しかし、その夜、彼女は一睡もできなかった。


美月の耳には、絵の中の自分の泣き叫ぶ声が響き渡っていた。


次の日、午後の陽光が射す中、美月は再び「夢見る画廊」のアトリエに足を運んだ。アトリエのドアを開けると、普段通りの風景が広がっていた。生徒たちが真剣にキャンバスに向かっており、誠一郎先生も生徒の作品を見てアドバイスをしていた。


しかし、美月の目にはその普通の光景がとても異様に映った。彼女は誠一郎先生の元へと足を運び、「昨日の絵について話をしたい」と切り出した。


誠一郎先生は驚いた顔をした。「昨日の絵? 何のことだ?」と、まるで知らないふりをしているかのようだった。


美月は昨夜受け取った絵の写真を携帯から見せた。先生はしばらくその写真を眺めた後、「これは僕の作品ではない」と冷静に答えた。


「でも、この絵を送ってきた箱には、先生のアトリエのロゴと私の名前が...」


先生は静かに美月の言葉を遮った。「美月さん、最近、この絵画教室には不審な出来事が続いている。特に、私の元生徒からのストーカー行為が酷くなってきた。彼は私のスタイルを真似ることに執着しているようだ。」


先生の言葉を聞き、美月はようやく昨夜の出来事の謎が解けたかのような気がした。しかし、それに対する恐怖は増していった。


「私は警察に通報しているのだが、まだ具体的な手がかりは掴めていない。美月さんも気をつけてください。」


美月は先生の言葉を頷きながら、教室を出た。外に出ると、彼女の背後から、病的なほど細い声が聞こえてきた。「美月さん、あなたの絵、とても素敵です...」


彼女は振り返ると、一人の男が立っていた。その男は、彼女が先日アトリエで見かけた生徒の一人だった。彼の手には、美月が描いた自画像が握られていた。


彼女は慌てて走り出し、男を振り切った。彼女の心臓は高鳴り、恐怖と驚きで息が詰まるようだった。


家にたどり着いた美月は、すぐに警察に通報した。しかし、警察からの返答は「具体的な脅迫行為がない限り、対応は難しい」というものだった。


夜が来ると、美月はまたあの恐ろしい絵を思い出し、眠れなくなった。突然、窓ガラスに何かがぶつかる音がした。彼女は窓を覗くと、外には誰もいなかったが、窓ガラスには一枚の絵が貼り付けられていた。それは、美月がアトリエで描いた自画像だった。しかしその絵には、彼女の目が真っ赤に塗られていた。


恐怖に打ち震える美月は、何も考えられなくなってしまった。


美月は彼女の親友である涼子に連絡を取り、彼女の家に避難することを決意した。涼子は美月を心配し、彼女を迎え入れることになった。


「美月、大丈夫よ。ここなら安全だから。」涼子の言葉に、少し安堵する美月。しかし、彼女の心の中の恐怖は消えることはなかった。


その夜、二人は長い間、あの絵画教室や、不審な男について話し合った。涼子も一度その教室に通っていたことがあり、誠一郎先生の言及していた「元生徒」についても知っていた。


「彼の名前は健太郎。彼は先生の絵画技術に異常なまでの執着を持っていて、自分の作品が先生に認められなかったことから、次第に先生を恨むようになったの。」涼子が語る。


「だから、私に...?」美月は戸惑っていた。


「もしかしたら、君が先生の気に入りであることが彼の嫉妬を引き起こしたのかもしれない。」


二人は夜更かしして話し続けた。突然、涼子の部屋の窓に軽く叩く音がした。恐る恐る窓のカーテンを開けると、窓の外には健太郎が立っていた。彼の手には新しい絵が持たれており、その絵には美月と涼子、二人が絵の中で手を繋いで立っていた。


涼子はすぐに警察に通報した。健太郎は逮捕され、彼の自宅で多数の絵が発見された。それらの絵には、夢見る画廊の生徒たちの姿が描かれており、それぞれに何らかの異様な変更が加えられていた。


警察の取り調べの結果、健太郎は精神的な問題を抱えていることが判明。彼は適切な治療を受けるため、精神病院に入院することとなった。


美月は涼子とともに、その後の日々を過ごしていった。絵画教室への出席は控え、新たな趣味を見つけることになった。誠一郎先生は彼女たちに対して深い感謝の意を示し、夢見る画廊を閉じることを決意した。


事件から数年後、美月は新たな絵画教室を開くことになった。彼女の教室は、安全で心地よい場所として多くの生徒たちから支持され、彼女自身も絵を描く楽しさを再び取り戻すことができた。


絵画は、人々に感動や安らぎを与えるものであることを改めて感じた美月は、過去の恐怖を乗り越え、新しい人生の扉を開くことができたのだった。

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