隣人

@penta1223

隣人

私の新しいアパートメントは静かな住宅街に位置していた。移転の際、周囲の住人たちからも暖かい挨拶を受けた。特に左隣の部屋に住む杉本さんは、とても親しみやすく話しやすい人だった。


「何か困ったことがあれば、遠慮なく声をかけてくださいね」と彼は笑顔で言った。


杉本さんとはすぐに打ち解け、よく廊下で立ち話をするようになった。しかし、ある日のこと、杉本さんが突然私の部屋に来た。


「実は、君の部屋から毎晩不気味な声がして…それが少し気になっているんだ。」と言う。


私は驚き、「私は毎晩静かに寝ているだけですが…」と答えた。


彼は首を傾げ、「それなら何だろう…不思議だな」と呟きながら去って行った。


その後、数日が経ったある夜、私が寝ていると、突然部屋のドアノブがガチャガチャと音を立てた。驚いてベッドから飛び起きると、ドアの向こうから低くてゆっくりとした呼吸の音が聞こえてきた。


不安になり、ドアの向こうに誰がいるのか窺おうとするが、覗き穴を覆っているかのように何も見えない。だが、その低い呼吸音は断続的に続いていた。


数分経ってもその音は止むことはなく、とうとう私は勇気を振り絞り、ドアを開けた。すると、廊下には誰もいない。ただ、私の部屋の前に小さな紙袋が置かれていた。


紙袋の中身は、私のアパートの鍵と、その隣に「明日の夜、また来る」と書かれたメモが入っていた。


心臓がバクバクと高鳴る中、私はすぐに鍵を変えることに決めた。翌日、管理人に事情を説明し、鍵を新しいものに変えてもらった。


夜になり、昨晩の出来事が夢だったのではないかと思うほど、平和な一日が過ぎた。しかし、夜中、再びドアノブの音が聞こえてきた。そして、再び低い呼吸の音。


心の中で絶望しながら、ドアに近づくと、ドアの下に手紙が滑り込んできた。手紙には「鍵を変えたのか。残念だったな。でも、入る方法は他にもある」と書かれていた。


私は怖くて動けなくなり、その場にへたり込んでしまった。そして、窓のカーテンがゆっくりと揺れ始めた。どうやら窓を狙って、何者かが入ろうとしていたのだ。


私は勇気を振り絞り、警察に通報しようと携帯を手に取ったが、携帯の画面には「電池切れ」の表示が。


私の恐怖は頂点に達した。窓から入ってくるその人物は、果たして誰なのか。そして、私の運命はどうなるのか。


電池切れの携帯を持って、私はベッドの下に身を隠すことに決めた。窓ガラスの音が静かに鳴った後、部屋の中に人の足音が聞こえてきた。その音はゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。


私は息を潜めていたが、突然、携帯のバイブレーションが響き渡った。ベッドの下から出る気配のあるその人物の動きが止まった。そして、私の携帯が鳴る方向へ向かって足音が移動し始めた。


私は携帯の着信を見ると、杉本さんの名前が表示されていた。何を考えたのか、私は勢いよくベッドの下から飛び出し、最寄りの出口であるベランダへと駆け込んだ。バルコニーの下には低い塀があり、飛び降りることができる。恐怖で脚が震えていたが、無事に地上に降り立つことができた。


外に出ると、すぐ隣のアパートから杉本さんが走ってきた。「大丈夫か?」と彼が心配そうに声をかけてきた。


「ありがとう、杉本さん。あの…何か、部屋に入ってきた人が…」


杉本さんは慌てて警察を呼ぶと言い、すぐに携帯を取り出した。私は彼の背中に何か違和感を感じながら、彼が警察へ通報する姿を見つめていた。


警察が到着すると、部屋は手を付けられていたが、不審者の姿はなかった。警察は近隣の住人たちに聞き込みを始め、杉本さんも事情を話していた。


警察が去った後、杉本さんが私に言った。「とりあえず、今夜は私の部屋で過ごしてはどうだろう。安全を保障できるとは言えないが、一人よりはまだ安心だろう。」


私は彼の提案に感謝し、その夜は彼の部屋で過ごすことになった。杉本さんの部屋は整然としていて、何もかもがきちんと整理されていた。しかし、私の部屋からの眺めとは少し違い、杉本さんの部屋からは私の部屋の窓がはっきりと見えた。


私はベッドで休んでいると、杉本さんがこっそりと部屋を出て行く音が聞こえた。不審に思いながらも、彼が何をしているのか確認する勇気がなかった。


その後、しばらくして彼が部屋に戻ってきた。彼は私に向かって、微笑んで言った。「何も心配することはない。君の部屋の鍵、また変えてきたよ。」


私は彼の言葉に安堵し、そのまま眠りについた。


しかし、夜中になると再び奇妙な音が聞こえてきた。今度は杉本さんの部屋の窓の方から。カーテンの隙間から、何者かの影が伸びてきた。


窓のカーテンの隙間からの影がゆっくりと動いているのが見えた。恐怖で身動きが取れない私を尻目に、影はどんどん部屋の中に入ってきた。


その時、隣のベッドにいたはずの杉本さんの姿が見当たらなかった。そして、窓からの影と部屋の中の静寂が合わさって、あの恐ろしい事実に気づく。影は、杉本さんそのものだった。


私は身を隠す場所を探しながら、部屋の中を見渡した。そして、クローゼットに入ることに決め、そっとドアを開けて中に隠れた。


クローゼットの中は狭く、暗かったが、中には衣類の他に、何やら冷たい金属の感触があった。それは、鍵の束だった。そして、その中には私の部屋の鍵も含まれていた。


そこで理解した。杉本さんが私の部屋の鍵を持っていたのは、彼自身が不審者だったからだ。彼は私を怖がらせて、自分の部屋に招き入れる計画を立てていたのだ。


その時、クローゼットのドアがゆっくりと開かれ、杉本さんの顔がそこに現れた。「ここにいたのか」と彼は微笑みながら言った。


私は恐怖で声も出ず、彼に捕まってしまうと思ったその時、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。警察だった。どうやら、近隣の住人が杉本さんの怪しい動きを見て、警察に通報してくれたのだ。


杉本さんは驚いて私をクローゼットに閉じ込め、逃げようとした。しかし、警察はすぐに彼を取り押さえた。


後で警察から聞いた話によれば、杉本さんは以前から近隣での同じような犯罪を繰り返していたという。彼の目的は、新しい住人を怖がらせて、自分の部屋に招き入れ、犯罪を犯すことだった。


私は彼の罠に落ちてしまったが、幸いにも被害には遭わなかった。


この出来事から数ヶ月後、私はそのアパートを引っ越した。新しい住まいは、人々の温かさを感じる場所だった。しかし、あの恐ろしい経験は私の心に深く刻まれ、隣人との関係を築くことが難しくなってしまった。


私は常に、人々の背後に潜む闇を感じ取るようになり、信頼することの難しさを痛感する日々を過ごしている。


人は、時として予測不可能な存在だ。それが、私が学んだ唯一の教訓だった。

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