第37話 詰めの甘さ と ささやかな仕返し


 ――すべては数日前にさかのぼる。


 世界に神話大戦という名の歴史的出来事がダンジョン史に刻まれた日。


 ネット掲示板でノグチと夏目の功績と考察で盛り上がるなか。

 なんとか消滅寸前で同化を解除し、ギリギリのところで転移魔法に成功していたネギスは、都庁にある巨大なビルの中を歩いていた。


「くっ、どうにか逃げられたか」


 眷属の出現の影響でインフラがマヒした今、高度な隠蔽魔法を使ったネギスを捉えられるものは誰もいない。

 しかし、上級魔族のネギスにとって、生き残るためとはいえコソ泥のように逃げるのは屈辱の極みだった。


 それこそ――


「下等種族の、それまた劣等極まる女に敗北するとは、この俺様がこの様な無様をさらすことになろうとは何たる屈辱だッ!」


 夏目の放った規格外の一撃で、ネギスの肉体は魔族の身体を維持できないほどボロボロだった。

 それでもネギスがこうして生きているのは、必殺の奥義を放つ瞬間、夏目が無意識に手を抜いたからに他ならない。

 それこそ、あれだけの破壊規模だ。

 ダンジョンどころか地球そのものが崩壊してもおかしくなかったが――


「ふん、だがその甘さと迂闊さが命取りだ人間! この俺様がまだ生きているとも知らずに呑気なものだな」


 スマホを見れば、あの出鱈目な二人組を称賛するかのような書き込みが。

 たしかにあの戦いで、ネギスは負けた。

 だが結果的にネギスは生きている。

 生きてさえいれば復讐などいくらでもできる。

 

(今度こそ、この俺様を生かしたことを後悔させてやる)


 そのためにはもっと大きな組織に取り入り、力を蓄えなくては。

 そのためには――


「ふははは、そうだ。最初からあのような無能なヘンタイを使い外堀を埋めるのではなく、本丸を手にしてしまえばよかったのだ」


 迷宮理事会の長たちが会合に集まるとされる【ダンジョン統括管理ビル】を見上げ、唇をゆがめる。

 ここ――【ダンジョン統括管理ビル】には、一般職員には知られていない秘密の通路がある。

 噂ではその地下に巨大な組織が存在し、この世界を裏側から牛耳っているという。


 迷宮コネクションを得た今。ネギスの催眠魔法で支配下に置くことなど容易いことだ。


「相手は矮小な人間。手始めに、あの女との戦闘で得た情報を手土産に公的にも奴らの権限を奪い去ってやろう!」


 ゆくゆくは一人一人を洗脳下に置いて、迷宮理事会そのものを己のものとしてしまえばいい!

 

(そうすればあの頭の固い連中も、重い腰を上げてあの女から猫を奪いにかかるだろう。そうなれば今度こそこの地上は名実ともに俺様のものだ!)


 生意気な夏目たちが慌てふためく姿を思い浮かべ、笑いながら会議室に続く重い扉を勢いよく開ける。

 だけど、その会議室には人間の気配は一人もいなく――


「無人、だと?」


 たしか今日は、あの忌々しい猫の所有をどうするかで、迷宮理事会の幹部たちが勢ぞろいしているはずだ。

 しかしいくら見渡しても人の気配はない。すると胸にしまった携帯端末に身に覚えのない番号から連絡が入った。

 

「これは秘匿回線。なぜこのタイミングに?」


 そうしてメールを開けば、ネギスは目を見開いて声を荒げた。


「なんだこのメールは! 『残りの余生をかみしめて生きるがいい』だと⁉」


 形式も何もかもを無視した解雇メール。

 長年人間として擬態してきたネギスでもわかる。

 嘲りがにじみ出る文面。これは明らかな処刑宣言だ。


「この俺様が人間ごときに切り捨てられた、だと――」


 計画の失敗より人間に拒絶されたという事実が、夏目というふざけた存在に負けたネギスのプライドを刺激する。

 怒り任せに部屋のものを破壊すれば、ネギスは吠えたてるように部屋から飛び出した。


 こうなったら迷宮理事会に所属するすべての重鎮を血祭りにあげてやる。


「俺様をコケにしたことを後悔せてやるぞ人間! 貴様ら下等種族は俺様のような上位存在の駒となればよいものを! それがなぜ上級魔族たる俺様が人間ごときに切り捨てられねばならんのだ!」

「それはね。貴方が同じように周囲を切り捨てて生きてきたからですよ」


 ふと背後から聞こえた声に振り返れば、暗がりの廊下から一人の優男が現れた。


 曲がりなりにも迷宮理事会と呼ばれる選ばれし人間のみが知る秘密の場所。

 最上級の防護結界がいくつもなされており、蟲の一匹どころか、親の七光り程度が紛れ込むことなどできないはずなのだが、


「なぜ貴様がここにいる物部モリヤッッッ!!!」

「なぜもなにも、お貸した使い魔たちを返してもらうため、貴方と同じ方法を使って来たに決まってるじゃないですか根岸さん」


 そういって取引した時と変わらぬ胡散臭い笑みを顔にはりつけ、微笑んでみせるテイマー会長・物部モリヤ。


 たしかにネギスは、物部とテイマーを借り受ける契約をした。


 召喚魔法の代価として、モンスターと魂の結びつきの強い者たちを『使う』必要があったし、計画が成功していれば身代わりとして消費する生贄が必要だった。

 それこそ計画が終わろうと、死ぬべき男との契約など端から守るつもりはなかったが、


「約束だと? 貴様はそんなもののために律儀に秘匿された禁忌の場所に踏み込んだというのか?」

「ええ、三千人の部下を束ねる長として、約束を守るのは大事ですからね。それでお貸しした彼らは今どこに?」

「ふん、そんなもの使いきったに決まってるだろうが!」


 迷宮理事会に使われる下っ端の分際で、この俺様が下等な人間との契約に律儀に守るとでも思ったか!


「それとも無様に敗北した俺様を笑いに来たか! 人間!」

「いやいや、いくらボクでもそんな底意地の悪い真似はしませんよ。ただ、そうですね。使い切った、ですか。それならボクはテイマー協会の長としてかわいい配下のお礼をしなければなりませんね」

「礼だと? ただ下等なモンスターをめでるしか能のない貴様が、俺様を始末しに来たというのか!」

「うーんそうですね。解釈的には言えばそうともいえますね」


 あっさりと認め、首肯する優男の言葉に、ネギスのプライドがさらに刺激される。


「どいつもこいつも舐めやがってッッ! 俺様は上級魔族だぞッ、たかが親のコネで成り上がった人間が敵うはずがないだろうがッ!」


 地上にいるすべての人間を支配する。

 そのために長い年月をかけて、ネギスはあらゆる魔術を用いて人間を操ってきた。

 幸いにもネギスには人間に取り入る才能があった。

 上級伯としての力を手に入れたのも、ネギスを信用する多くの配信者を闇に落とし、生贄として自分の糧にしてきたからだ。

 それもこれも一族の長として大いなる使命を与えられたが故――!


(魔王へと至る前に、人間なんぞに殺されてたまるか! 俺様は選ばれし魔王の後継者なのだッッ!)


 すべては真なる魔王軍再興のため。

 ゆえにネギスはこんなところで死ぬわけにはいかぬのだ! 


「消え去れ矮小な人間め!」


 魔族の魔力弾をぶつけ、ドバン! と大規模な爆発が起きた。

 あのふざけた女には通じなかったが、本来なら当たったそばから消し炭になる瘴気の塊だ。

 温度にして1000℃。人間ほどのもろい生き物であれば、触れた瞬間、絶命するほどの威力を持っている。


 案の定、魔力弾がさく裂した瞬間、赤い黒い霧が爆散し、ネギスは高笑いを上げて自分の強さを改めて実感した。


「ははーっ、跡形もなく蒸発しおった。上級魔族である俺様に逆らうからこうなるのだ人間! 弱っているからと油断したようだが例えあの忌々しい喪女にやられても、人間一人吹き飛ばすなど造作も――」

「いたいなー。もう新調したばかりのスーツにしわが付いたらどうしてくれるんですか」

「なん、だと?」


 上級魔族の俺の一撃だぞ、探索者でもないひ弱な人間が受けて生きていられるはずが


「いやーなかなかの魔力ですね根岸さん。魔力弾だけでこの威力、さぞ有名な氏族なんでしょうけど、もしかして女神カオスにでも魅入られてたりします?」

「なぜそれをッ!」

「ああ、やっぱりそうでしたか。あの女なら適当に魔王候補を選ぶと思いましたけど。それだけに残念ですね。お約束通りテイマーの皆さんを返してくだされば、この結末はなかったでしょうに」


 魔族の神をあの女呼ばわりだと⁉

 それどころか人間が知るはずのない女神カオスの真名まで知っているなど、


「なんなんだ。貴様はッ! 何者なんだッ⁉」


 曲がりなりにも『神』から王たらんと選ばれたネギスの攻撃を受けて、平然とできる人間はず――


「何者? いやだなー根岸さん。ボクはただの会長ですよ、ありとあらゆるモンスターをこよなく愛するいたって平凡な、ね」


 そういって笑顔で一歩一歩こちらに近づくたびに、言い知れぬ寒気がネギスを襲い始めた。

 背筋が震え、かじかむ歯の根が合わなくなる。

 な、なんだ、この異様なプレッシャーは!


(この俺様が恐れている、だと⁉ 女神に認められ、魔王に最も近しい存在となったこの俺様が⁉)


 そうして不自然に震える腕を押さえつけようとすれば、正面からやけに明るい調子の声が飛んできた。


「いやー、それにしても今回の騒動は本当にご苦労様でした。貴方があの二人を焚きつけて、地上のダンジョン化を進めてくれたおかげでボク等のチカラも少しだけ取り戻せたみたいです」

「ボク等、だと? 貴様いったい何のことを言っている⁉」

「あれ? 言ってませんでしたっけ? ボクが迷宮理事会の長なんですけど」


 その驚きの事実に、身体がこわばると同時に、何もない暗がりに重圧が満ち、優男から目が離せなくなる。

 それに――


(この底知れぬ魔力、そしてこの禍々しい気配は――)


 すると優男の姿が闇に飲まれたように雰囲気が変わり、神々しい闇をまとった『御方』が現れた。


 透き通るような肌に、緋色の瞳。

 すべてを飲み込む狂気の白い長髪は、その御方の印象をより一層『死』に近づけているように見える。

 そして側頭部から生えた一対欠けた角は伝承にある勇者の聖剣によって失われたものと酷似していて――


「まさか、あ、あなたさまは――」


 そうしておぼろげに口を開いた瞬間――。

 上級悪魔ネギスという魔族は、すべてを語る前に灰すら残さずこの世から消え失せた。


 そうして月明かりが差し込むほどぽっかりと空いた穴が天井を見上げることしばらく。

 たった今、大魔法を放った掌を見ながら、その男はなんでもないようにぼやいてみせた。


「うん。今の地上だとこの程度か。地上の侵略するにはまだまだかかりそうかな。これは迷宮理事会のみんなにもっと頑張ってもらわないとダメですね」


 そうして『部下』たちに後始末の連絡を入れ、可愛らしく鳴ったスマホに視線を落とせば、男は馴染みのある掲示板の書き込みを見て、小さくこみ上げる笑いを抑えた。


 あれだけ世界を救うような所業をしておいて、炎上騒ぎとは。


「世界を救う救世主になっても相変わらず先輩は先輩みたいですね。――そう思いませんかノグチさん?」


 そういって後ろを振り返れば、いつの間に背後を取っていたのか。

 こちらの様子をじっと見つめる三毛猫の姿が。


 おそらく町中に蔓延る魔族の眷属を駆逐し、その大元たる元凶を『掃除』しに来たのだろう。


 幾分かサイズダウンしているが、それでもその迸る存在感を無視することなどその男にはできない。


 それに、魔力こそが魔族の生命の源であるように。

 魔力の薄い地上では、魔族は本領を発揮できない。


「先輩のうち漏らしを片付けるためにここに来たんですよね? ですが、先輩の平穏を乱す者は見ての通りこのボクが始末しておきましたので、安心してください」

「……にゃう」

「ええ、確かにアレにきっかけを与えたのはボクですけど、前にも言いましたが『今』は貴方と事を構える気はありませんよ。残念なことにアレは女神のたくらみに唆されただけみたいです」

「にゃうう」

「ええ、我らが女神ながら、ほんとはた迷惑な女神もいたものです」


 低く唸る三毛猫に釣られ、物部も疲れたようなため息を吐く。

 どうやら納得してくれたらしい。

 神々の気まぐれとは言え、面白半分に力を与えるとは本当に迷惑な存在だ。


 まぁ今回の先輩の活躍であの女もしばらくは大人しくしてるでしょうけど、


「一応、昔馴染みであの女を知っている者として忠告です。今度暴れる場合は先輩一人で暴れさせないほうがいい。あんまり派手にやらかすと、面白がって推し認定される可能性がありますから」

「にゃう」

「それができれば苦労はしませんか。確かに目立ちたがり屋の先輩じゃ難しいかもしれませんね」

「にゃう」

「ふふっ、苦労されているんですね。ああ、なんでしたら何かあれば今度は一緒にコラボ配信でもどうですか? それならあまり目立たずに事を運べるはずですよ」


 なんでしたら親睦を深める意味で今度一緒に食事でも――


 そういってどさくさに紛れて食事の約束を取り付けようと後ろを振り返れば、そこは月明かりに照らされた暗がりしかなかった。


「行ってしままいましたか――」

 

(まぁ先輩は無事のようですし、また今度、誘えばいいか)


 今度こそ、ノグチさんの料理を食べられると思ったんですけどね。

 すると先ほどの喧騒を聞きつけたのか。高らかなサイレンが鳴り響いた。

 ああ、そうか。

 街中で大魔法を行使したのだ、そりゃ誰かしら連絡するというものか。


「しかしおかしいですね。ボクは部下の皆さんに隠蔽工作を頼んだはずなんですけど」


 この迅速な対応。

 思い当たる犯人といえば一匹しかおらず――、


「なるほどこれが貴方流の意趣返しというわけですか」


 どうやら今回の暗躍はノグチさんの逆鱗に触れる一歩手前だったらしい。

 むしろこの程度で済んで助かったと言うべきか。


「まぁこちらの不始末を押し付けちゃいましたし、これは近々、夏目先輩にもお詫びをしなくてはいけないですかね」


 そういって大魔王べリヤノールは楽しげに鼻歌を鳴らすと、改めて迷宮理事会で物部の報告を待っているであろう部下たちと連絡を取る。


 そして人間の姿に戻ったモリヤは、今も煌々と輝く人並みの世界を見下ろすと、ノグチに与えられたであろう試練を前に、嬉々として頭を悩ませながら人生初の残業に筆を走らせるのであった。

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