第8話 猫の『おん』がえし


 初音ちゃんが地上に帰った数日後。

 ついに念願のお隣さんを獲得したわたしは、「いつまで浮かれてんだ」とノグチにキレ気味に叩き起こされそうになっていた。


 今日は、半年に一度の買い出しの日。


 大切な生活用品の買いだめするため地上へ赴く大事な日なのだが、外に出たくないわたしは登校を拒む小学生のように布団の中で駄々をこねている真っ最中だった。


 なんでかって? 人間、20代過ぎるとメンタル回復にも時間がかかるようになってくるからに決まってるでしょ!


 正確には、地上にいるキラキラした同世代と顔を合わせたくない!

 せっかく働かなくても生きていける環境が整いつつあるのに、「労働最高です!」なんてキラキラした社会人の顔なんて見でもしたら、


(死ぬじゃん! 具体的には、なんだか怠惰な日々に申し訳なくなって、浄化されて精神的に死んじゃうって!)


 そんなわけで体調不良の二日酔いを理由に布団の中でミノムシになっているのだが、どうやら猫には人間の苦悩がわからないらしい。

 全力で布団を引きはがしに来る。


「いやーだー! もう少し寝かせてぇよ~ッ!」

「うんにゃ!」


 だけど、我が家の愛猫に知恵比べで勝てるはずもなく。

 抵抗むなしく、朝食の香りでおびき寄せられたわたしは、ノグチのでっかい前足で布団を引っぺがされ、掃除用具を持たされて、玄関から送り出されていた。


「ううっ、行きたくないって言ってるのに」

「うにゃ」


 さっさと日課を済ませろとばかりに、鼻を鳴らされ、バタンとアパートの扉が占められる。


 はぁ、ほんとこういう時だけ容赦ないよ。


「仕方ない。引きこもり作戦は諦めるか」


 そして掃除用具を片手にアパートの裏手に回れば、そこには小さな祠があった。


「まったく。ノグチも飼い主使いが荒いんだから」とぶつくさ文句を言いつつ、雑巾で汚れを落として、祠に手を合わせる。

 祠の参拝。

 それがアパートの管理人であるわたしの朝の日課だ。


 何を祀っているのかはわたしも詳しくは知らない。だけどノグチがやたら大切にしているので、今では【タイヘイ莊】の守り神として祀っているのだ。


 まぁ意味はないんだろうけど、管理人として一応ね。


「今日も一日、自堕落に幸せに生きれますように」


 パンパンと手を合わせ、祠に向かって軽くお辞儀をする。

 すると、唐突にズキリと額が痛んだ。


「く~っ、あたまいったー」


 何度やってもこの二日酔いだけには勝てない。

 ヴェノカムドリンク、おいしいんだけど、


「この副作用の二日酔いがなぁ」


 毒耐性を貫通してくるとか、ノグチのポーション効果ヤバすぎない?

 エリクサーでも自然治癒しかないって、ヴェノム毒より強いじゃん。


 ぼやけた頭を振り払い、ただいまーとアパートに戻れば、壁に掲げられた額縁を見て、無意識に頬が緩んだ。


「ふへへー、やっぱり夢じゃないんだよねぇ」


 そこには、初音カスミとサインの書かれた未完成の契約書が。


 おとといの夜は、本当に楽しかった。

 楽しすぎて久しぶりに羽目を外しすぎた気がする。

 ここしばらく、一人酒が続いて退屈してたというのもあるけど、偶然とはいえ、ついに念願のお隣さんをゲットしたのだ。


 これからアパートの住人が増やしていくと思うと、にやけ顔が止まらない。


「危ない危ない。またトリップしてノグチにひっぱたかれるとこだった」


 危うく女として何か大切なものを失っちゃうところだった。

 仕方ない。このままジッとしてても、ノグチに口やかましく説教されるだけだし。

 

「気は進まないけど、買い物行きますか」


◆◆◆


 そんなわけで、比較的地上に近い【上層】で食糧調達をすることしばらく。

 地上での買い物ついでに寄り道の途中で『事件』は起こった。


 今日の朝ご飯はシンプルにおにぎりと味噌汁らしい。

 魔法瓶に入ったノグチ特製の味噌汁をすすれば、わたしはピクニック気分で手ごろな岩の上で休憩をとっていた。


「だあー生き返る」


 ほっ、息を吐けば、幸せな気持ちが全身に染みわたる。

 二日酔い明けの身体に味噌汁は、ほんとサイコーだね。

 酔い覚ましの効果があるのか、シジミっぽい素材が入っているのが地味にうれしい。


「あとはこれで、周りが血みどろじゃなければ言うことなしだったんだけど」


 そっと血抜きされたモンスターの死体から目をそらせば、そこには死屍累々な『食材』の山が器用に積みあがっていた。


 現在、わたしとノグチは地上に向かう最中。

 上層エリアの一つである【森林地帯】で、食材調達をしている真っ最中だった。

 危険なダンジョン。

 それも普通なら気を抜くことも許されない危険地帯で、こうして呑気でいられるのにはもちろん理由がある。


「ぶっちゃけ、この辺でノグチに敵うモンスターがいないんだよねぇ」


 喧騒のする方を見れば、ロックバードと呼ばれるそこそこ強いモンスターがノグチの猫パンチによって倒されているところだった。


 この階層は地上から比較的に近く、手ごろなモンスターしかいないことで有名な場所だ。

 普段、下層の方で暮らしているモンスターを相手にしているノグチにしてみれば、ここら辺一体に住むモンスターはぜんぶ食材にしか見えないのだ。 


 見れば、たったいま倒されたロックバードが、きれいなお肉に解体されているところだった。

 相変わらずの手さばき。ほんと感心するね。

 

「うん、あの大きさなら一週間分の食糧はこれで十分かな」


 残りのお肉は【探索者組合】に売りつけるとして。

 となると、あとは日用品だけか。


 そんなことを考えていると、先ほど命からがらロックバードから逃げていた探索者パーティが、恐る恐るといった様子で近づいてきた。


(はぁ、またか……)


 これで通算三度目だ。

 いつもなら、ノグチとの戦闘にびっくりして逃げていくはずなんだけど、今日に限ってよく話しかけられる。


(あんまり悪目立ちしたくないんだけどなぁ)


 すると案の定、リーダーらしき女性がロックバードの肉をエプロンポケットに収納していくノグチを見てから、確認でも取るようにわたしに話しかけてくるではないか。

 

「あの、あの猫さん、ノグチさんですよね?」

「え、あ、はい。そうですけど――」


 そういって肯定するなり「やっぱりそうでしたか!」と喜びの笑みを浮かべる探索者たち。


「あの先ほどは本当に助けていただきありがとうございました!」

「いや、こっちこそ獲物の横取りしちゃって申し訳ないというか。別に大したことやってないんだけど――」


「本当にあれもらっちゃっていいの?」と聞けば「もちろんです!」という肯定の言葉が返ってくる。

 その後「応援してます」の「大変ですけど頑張ってください」だの、よくわからないお礼を言っては缶詰らしきものを手渡し、そそくさと去っていく探索者たち。


 どうやら彼女らは、ノグチの名前を知ってたみたいだけど、なんで急に話しかけられるようになったんだろ?


「はっ⁉ もしかして今の子たち。わたしのチャンネルのファンだったりして!」

「にゃう?」


 そういえば、なんかやけに尊敬のこもった目で見られていたような? 

 もしかして、何かの弾みでわたしのチャンネルが配信ランキング入りしちゃったとか?


「いやー困るなぁ。そんないきなり応援してますなんて言われても」


 でもそうだとすると、応援してますの言葉につじつまが合う。

 すると、なぜか可哀そうものでも見るような目でこちらを見てくるノグチが、唐突にエプロンから自分のスマホを渡してきた。

 

「うん? どうしたのさノグチ。改まって自分のスマホなんか取り出して」

「にゃう」


 スマホを見ろ?

 やけにブーブーとスマホが鳴っているけど、なんかしたの?

 そしてそのやや気まずそうに顔をそむけるノグチの反応を見て、ピンと来た。


「ははーん。さてはノグチ、お前。通販で変なもの買っちゃったんだなぁ」


 そういえば昨夜、何やらスマホをいじって何かをしていた気がする。

 もしかして、お隣さん契約おめでとうのサプライズでなにか買ってくれたとか?

 いやー困るなー。愛されすぎちゃってほんと困るわー。


「あッ⁉ だから今日は何が何でも外に出かけさせようとしたのかー」


 ふふーん。主思いなのはいいけど、ダメだよーノグチ、勝手に買い物しちゃ。

 世の中にはね、悪いこと考えてお金も受けしようとする人がいっぱいいるんだから。


「どれどれーノグチはどんなプレゼントをくれたのかなーっと」


 そうしてとノグチのスマホをのぞき込めば、その『うちねこチャンネル』と見覚えのあるチャンネルの横に書かれた数字を見て、わたしの口から間抜けな声がこぼれた。


「は? チャンネル登録者数10万人!?」


 え、しかも、なんだかよくわからないけどめちゃくちゃバズってない⁉

 どの動画も再生回数100万回超えてるんですけど⁉


(この間まで、再生回数二桁だったのにここ数日のうちにいったいなにが⁉)


 震える指で画面をスクロールすれば、【オススメ】にどこか身に覚えのあるタイトルの切り抜きが上がっているのに気が付いた。


 なになに? 最下層に、使い魔にお世話してもらってるテイマー現る?

 なにこの動画。そのほかにも――


【衝撃! 自堕落テイマーのすべて】

【アパートの管理者。○○する⁉】

【未成年に毒を盛る】


 と明らかに、身に覚えのありすぎる切り抜きが上がってるけど⁉

 

「え、なにこれ? 盗撮⁉」


 というかどこのどいつ! こんなふざけた切り抜き作ったの。

 たとえ合成動画だったとしても悪質すぎない⁉ 


「――って、よく見たらこのアカウント、ノグチのじゃん!?」

「にゃう」


 結構前に自分も動画撮りたいっていうからアカウント作ってあげてたけど、ノグチにこんな編集スキルがあるなんて。


「というかいつ撮ったのこんな動画!」


 わたしの配信ドローンは切れてるし、我が家に隠しカメラなんてあるわけがない。

 ということはもしかして――


「初音ちゃんのライブ配信続いてた、とか?」

「にゃう」

「その通りって、気づいてたのなら言ってよおおおお!」


 ノグチの肯定に、わたしの口から絶叫がほとばしる。


 配信者が恐れる第一あるある――配信ドローンの切り忘れ!


 即座に自分のスマホの電源をオンにすれば、熱暴走を起こしかけているほど通知音が止まらない。

 そして、スマホをスクロールしていけば、案の定。

 わたしのチャンネルは、辛辣コメントで大炎上していた。


”実はダメ女だったんですね”

”人として見損ないました”

”うちの女神になにしとくれてんねん!!”


 といった心ないコメントの数々。

 いやあああああああ! これまで積み上げてきたイメージが⁉


「どどどど、どうしようノグチ! こんなの予想外だよ」


 配信でバズりたいとは思ってたけど、こんな形で有名人になるなんて望んでいないって!

 というかノグチのチャンネルも、ちゃっかり登録者10万人になってるし⁉


(このままじゃアカウント停止になるんじゃ――)


 完全にわたしの手に負えない。

 こ、こうなったら――


「たすけてー、たまえもーん!」

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